週末は確定申告に行きました。11月には会社の決算がありましたが、面倒だと思っていた決算作業も慣れると嫌いではありません。企業にとって決算は一大行事ですが、簡素化して作業を短縮する方法を考えるのも好きです。サラリーマン時代から確定申告をしていましたが、個人であれ、会社であれ年に一度は1年を振り返るマネジメントサイクルは有用だと思います。その日暮らしの個人事業者になると、未来を考えることは切実な問題です。コンサルティング会社時代は、どうすれば社員が経営者と同じ目線で思考し行動できるかを考えていましたが、それは見果てぬ夢かもしれないと思います。先の見えない今の境遇になって初めて、自分や会社の将来を真剣に考えるようになりました。
お知らせ
パソコンを捨てよ
昨日は使い始めて1ヶ月のパソコンが充電不能になりました。IBM時代のX20以来数え切れないほどのThinkPadを買いましたが、年々クオリティが低下していると思います。昔は戦場や宇宙空間で動くパソコンとして全幅の信頼を置いていましたが、直近4台はすべて壊れました。前のパソコンはキーボードが反応しなくなり、その前は液晶が壊れ、その前はフリーズを繰り返しました。同様に数え切れないほど買ったウォークマンも1年以上まともに動くケースはまれです。これはテクノロジー依存を止めよ、という警告のような気がします。もはやテクノロジーを否定して生活はできませんが、自分が社会人になったときは職場にパソコンなどなく、何の不自由もありませんでした。われわれが便利だと思っているものの大半は、無駄と雑念、執着ばかりを増やし人を不幸にします。AIが跋扈する時代にはiPhone一台あれば、あとは手書きの方が集中力を発揮して人間らしく頭を使えると思います。禅に魅せられ機能を最低限にしたジョブスは、そんな世界を思い描いていたはずです。
おもてなしの傲慢さ
昔はホテルやレストランが好きで、散財した時代もありましたが、自分が旅館を買うだいぶ前からその熱が冷めました。高級リゾートのスパでマッサージを受ける至福と、400円の共同浴場の湯舟に身を沈めたときの幸福感は同じだと思います。高級レストランのフルコースと、空腹時に食べるご飯とみそ汁が等価値であることに消費者が気づかないことこそ産業が正当化される唯一の理由です。誰もがお互い様ですから仔細に目をつぶり合うことで経済が成り立っています。東京オリンピックを勝ち取ったプレゼンテーションで、「おもてなし」が有名になったとき、無性に腹が立ったのは、不都合なことは横に置いて声高にホスピタリティを誇張する産業界の傲慢さと重なって見えたからです。価値がないものに価値をつけるのが企業活動ですから、文句を言うこと自体見当外れなのかもしれませんけど。
学ぶ必然
昨日で日本工学院の後期授業が終わりました。教育における最大の課題は学習意欲をいかに醸成するかという点に尽きると思います。学ぶ意欲に欠ける学生が無為な時間を過ごす光景は先進国共通の悩みでしょう。経済的理由で学べない人がいる途上国では教育を受けることが夢なのに、生活が満たされてしまえば教育の意味は変わります。学業が神聖な場と考えられる一方で、教育が規制産業であることが変革を阻害しています。世界的な起業家のなかには、この無駄に耐え切れずに大学中退や進学しない人も少なくありません。「教育こそもっとも利回りの高い投資」と言われる一方で、企業が行う研修も同様に無駄な投資に終わります。米国系企業に転職するまで英語を本気で勉強しなかった自分の経験からも、学ぶ必然こそが求められていると思います。
未来を始める仕事
昨日は日本工学院で、後期最後のキャリア論の授業がありました。「雇用の未来」のなかでは2033年までにコンピューターアルゴリズムにとって代わられる可能性のある仕事を査定しており、学生が中堅として活躍する頃です。世間には二つの仕事があるとされ、一般には肉体労働と頭脳労働、定型業務と非定型業務などに分けられます。以前にトムピーターズが「20年のキャリアとは、20回繰り返された1年分のキャリアだ」と書いたように、これらの分類も今日ではあまり役に立たなくなっています。今分類するなら、ルーチンワークと未来を始めるための仕事でしょう。社会と自分の未来を変え成長させるために、どれだけ行動できるかにかかっていると思います。
地球とシンクロする
昨日は阿蘇カルデラの巨大な外輪山の雪の残る山頂から日の出を見ました。日の出前30分の空は刻々と色を変え地球の動きを体感する神聖な時間です。福島で生活しているとき精神状態が安定し心身ともに健康だった理由は、毎朝のトレイルランニングと山頂で拝むご来光にあったと思います。今日最初の太陽を浴びるとき瞑想のような境地になり、自分の人生にとって大切なものが何かを考えます。多くの都市生活者は、慌ただしい朝の準備か混雑する電車のなかで日の出の時間を迎えます。日の出や日没には地球とシンクロする特別の意味があると思いますが、喧噪に包まれる都市はそうした自然の営みをかき消します。人の浅ましさや冷酷な側面がクローズアップされるのは、人が進化の過程で自然を捨て破壊してきたことへの内なる復讐だと思います。
歪んだ現代社会の病理
女児虐待死事件は救いを求め、防ぐ機会がありながらの悲劇ゆえにやるせないです。まれに起きた不運な事件として忘れ去るにはむご過ぎます。しかし、こうした悲劇が教訓となることはなく、恵まれた人にとっては所詮他人事です。すべての人が幸せを求めますが、それは十分に満たされた上での際限ない幸せの追及に陥り、飽き足らずに繰り返される貪欲で軽薄な消費の一部です。真に必要とされるのは自己中心的な幸福の追求ではなく、取り残される人を作らないことです。学校や児童相談所のみが責められる問題ではなく、社会への無関心、人への無関心という心の荒廃こそが歪んだ現代社会の病理だと思います。幸福を目指すのであれば、自らが社会にどのように貢献できるかが問われるべきでしょう。
思考の形跡
昨日は代官山までラブラドールとジョギングをして脳の血流を上げてから、日本工学院の後期の採点をしました。15年間試験を避けて小レポートなどの平常点で評価してきたのは、一度の試験で点数化することが、学生の可能性を見つけて引き出すべき教師の役割に反すると感じていたからです。採点してみると授業中不真面目な学生がセンスの良い答案を書いたり、意外な発見もあり採点基準を工夫すれば試験も悪くないと思います。評価の基準は、理解力や記憶力よりも、独創的な思考や表現力、観察力を優先します。話したことを覚えているかではなく、文脈を多少外れても再構成できる思考の形跡を答案用紙に探します。
統計信仰の無駄
勤労統計不正など、政府の基幹統計で統計法違反の疑いがもたれ、約半数でミスが判明しています。近年減少する国の統計職員数が影響したとの声もあります。旅館をしていると様々な調査依頼が来ますが、こうした統計を作るには国のみならず民間も多大な負担をしており、年間コストは莫大です。仕事柄国の統計を良く使いますが、その使い難さには多少目をつぶるとしても、データ間の行のずれなど明らかなミスを時々見つけます。遠からずIOT、ビッグデータ、AIが統計を自動的に作ると思いますが、国家統計や企業のKPIなど、人間の誤った数字信仰がもたらす巨大な無駄だと思います。
幸福と成功は仕事から
気の遠くなるような30年のモラトリアムを経て個人事業者になったのは、毎日同じ満員電車で会社を往復する生活の言い知れぬ恐怖から逃れるためです。リタイアして通勤電車に乗る必要までなくなれば、さらに単調な毎日が始まります。人は退屈な生活を変えるためにお金を払ってレジャーに勤しみます。しかし、自らが事業者になれば単調な生活などありません。昔から仕事は嫌いではありませんが、個人事業者になるとより好きになります。交友関係が変わったためか最近は「仕事が好き」と公言する人が多いと感じます。より正確に言うなら仕事と意識することなく人生と融合しています。プラスもマイナスも含めて人生に彩りを添えてくれるのは、仕事をおいて他にないと思います。仕事を人生と一体化させることこそ、幸福と成功の近道だと思います。