昨日は福島に行きました。新年の抱負も目標もとくにはありませんが、今年は福島の事業を前に進めたいと思います。アウシュビッツに収監されたこともある精神科医のヴィクトール・フランクルは「夜と霧」で、どのような状況になろうとも人間にはひとつだけ自由が残されている。それは、「どう行動するかだ」と述べています。息苦しい現代社会で、多くの人はこの最大の権利を手放し、お金を使うためにお金を稼ぐ退屈な毎日を送ります。事業を一歩でも前に進めようと行動するとき、文字通り前向きになれます。人を癒してくれるのは人生を前に進めることを置いて他にはないと思います。
お知らせ
虚構がもたらす不幸
日本経済新聞は連日「新幸福論」を掲載していますが、幸せについて考える機会が増えました。幸せの難しさは、ほど良さを見つけにくいことです。家族がいつも一緒にいることが幸せかといえばそうとも限りません。昨年海外にいた娘とは数度の手紙のやり取りだけですが、一緒にいない方が普段はできない踏み込んだ対話ができますし、自分が福島に離れて暮らすと互いに要求が少なくなり夫婦関係も良くなります。多くの人は商業的にねつ造されたステレオタイプの幸せ像に洗脳されていると思います。典型的な誤解が、友達が多く家族に囲まれる明るく楽しい人生が幸せ、という思い込みです。困難と挫折の連続で思い通りいかないのが人生ですから、そこを基準にするなら余計な雑音や煩悩に苦しむ必要はなくなります。平穏で安楽な理想の人生なる虚構を追い求めることで、多くの人は失う不安や悩む必要のない不満を抱え込むのだと思います。
紀元以降は砂上の楼閣
人が幸せかどうかなど余計なお世話ですけど、幸せな人はどのぐらいいるのか考えます。社会的ステイタスの誇示に余念がない人、きれいごとばかりで本音のない人、人がまわりにいないと不安な人、生活に困らないのに怯えて暮らす人、損得を基準に生きる人など、満たされているのに満たされない人は少なくありません。他ならぬ自分自身も誇張された幸せを日々フェイスブックに載せたい誘惑にかられます。いつの時代も本質はシンプルで、幸せかどうかは人生を生きる価値があるかどうかです。生きる目的や理想にときめきがある人はいかなる境遇にあっても幸せだと思います。必要なことはソクラテスやプラトンの時代から分かっていたことばかりです。近代医学の中心を成す外科治療にしても戦争とともに進化した側面が強く、人間の幸福への貢献と言えるかは疑問もあります。われわれが進化だと思っていた紀元以降の歴史は砂上の楼閣なのかもしれません。
人生はこの世で終わらない
20年前に退職した会社の先輩の訃報に年初に接しました。会社に収まりきらない個性故に軋轢があったとも聞きます。不思議と悲しくならないのは、いずれ再会できる予感がするからです。早すぎる死ですが、幕末の世に倒れた志士の生き方が現代に影響を与えるように、自分にとっての強烈な印象は色あせないと思います。余命宣告を受けながら好きなバイクで福島の旅館にも来てもらいました。最後まで自分らしさを貫けることは幸せだと思います。健康長寿社会は自分の理想ですが、必ずしも人生の長さは重要ではなく、問題は人生でやり遂げたいことがあるかどうかです。形にすることができなくても幸せであることには変わりがありません。何かに向かい生きる力を発散できる人生こそが理想です。最近になって、人生はこの世で終わらない気がします。
仕事がエネルギーを高める
今日から仕事を始める人も多いと思います。自分には明確な仕事始めはありませんが、それでも年末年始はほとんど仕事をせず、八ヶ岳の山麓で読書と散歩の理想的な生活でした。こうした生活に憧れるのは普段それなりに働くからであって、リタイアして毎日がのどかな暮らしなら生気を奪われていくと思います。日々生命のエネルギーを高め心を躍動させるには毎日全力で働くことと運動が最良の方法だと思います。今年の目標は旅館再生のキーワードである、健康経営を形にすることです。世間の健康経営は鬱などによるプレゼンティーイズムを問題視しますが、自分の目指す世界はより積極的なウェルネスに近い概念です。仕事に運動を取り入れることで脳のポテンシャルを発揮し、より短時間で業務を終え、同時に鬱を回避することができます。旅館から甲子山に登りトレイルランニングをした後に仕事をすると脳が活性化し文字通り倍速で進みます。
自分流の健康観
昨日は義理の父の家に行きました。普段離れて暮らす86歳の父は身の回りのことをすべて一人で行い、車を運転し海外にも行きます。優先席を譲ってもらえないと言いますが今も60代で通用します。ある時期まで喫煙をしていたので健康オタクではありませんが、ボランティア活動などで体を動かす習慣があり、食べ物にこだわり、誰とでも話すことがその秘訣だと思います。昔の80代半ばは長寿者の寿命でしたが、105歳で亡くなる直前まで現役だった日野原医師が象徴するように、いまや現役世代です。自分のまわりの長寿者の共通点は、決してセオリー通りではない自分流の健康観を持っていることです。自分も運動さえすれば食べたいものを食べて良いと考えていて、変にストレスをためるよりも健康でいられると思います。
場当たりさが国をだめにする
昨日は諏訪大社に初詣をしました。この時期らしい快晴で一年を始めるにふさわしい天気ですが、里でも氷点下10度を超える冷え込みです。2019年の経済も冷え込むと思います。かつては車列を作っていたアウトレットに入る車はありませんし、リゾート施設やスーパーも人出が減り、よく行った店は閉店していました。増税を前に景気減速が始まった印象です。我が家のおせちもほとんど自家製でこの時期の食材原価上昇の影響は最小限です。食べない、買わない生活がある種の理想である自分にとっては増税はどちらでも良いのですが、消費を避けるライフスタイルに切り替える人が増えれば増税効果は薄まっていきます。税金で気になるのが徴収コストです。増税に合わせて事業者は負担を強いられますし、それはそれでビジネスを生むという議論もありますが不可解です。観光地の駐車場の多くもその徴収コストに見合わない方法で運営されていて大半が人件費に消えます。何ら価値を生まない雇用を作り出す場当たりさがこの国をだめにしていると思います。
新たな経済圏
新年あけましておめでとうございます。紅白ともカウントダウンとも無縁の氷点下12度の八ヶ岳で平穏な年明けを迎えました。シンクタンクの日本経済見通しによると今後5年は、消費・投資の深刻な調整を回避し緩やかな成長が続くとされます。しかし、主要国最低の平均1%にも満たない成長率の中身は安定とは程遠いものになると思います。身近に感じる変化は、若手優秀人材の一定層が、自由な働き方を求めて別の経済圏とも言える世界を形成しつつあることです。娘の高校で先生の話を聞くと、優秀な卒業生は横並びの大卒初任給ではなく、社会に出た途端に年収2,000万からキャリアをスタートさせると言います。これは極めて少数の例外とも言えません。重要なことはかつての学歴偏重や拝金主義ではなく、自分のやりたいことを突き詰めた結果としてそうなっていることです。社会規範や世間の価値観ではなく、自身の人生を生きることで価値を生み出す時代が始まると思います。
美しく偽装された幸せ
災害や偽装といった暗いイメージの付きまとう2018年でしたが、最も悪質なのは偽装された幸せだと思います。幸せはかつて社会的な成功と同義語でしたが、世間が羨む成功者が幸せとは限りません。むしろ富や社会的ステイタスの華々しさの裏には人知れぬ悩みがあります。エリートとされる人たちのなかには、笑顔なのに目が笑わない不自然な表情の人が少なくありません。幸せは相対的に語るものだと思います。今の自分を幸せとは言い切れませんけど、以前よりハピネスレベルは向上しています。世間に流布される幸せの多くは容易にパッケージ化され、幸せについて人々が深く考える間もなく商品として提供され続けます。美しく偽装された幸せは生活のあらゆる場面に浸透し、生活習慣病やストレスなどにより麻薬的に体を蝕み人々を不幸に仕向けます。昨日読んでいたAIの本には「身体を安定的な状態に維持するホメオスタシス自体が自己の根源であり意思決定や決断の源」と書かれていました。2019年は、何が自分にとって心地よいのかを真剣に考える一年にしたいと思います。
医療費の75%は不要
最近憂鬱な日が多くなりました。過去を悔やむことは少なくなりましたが、将来への不安を感じて気分が落ち込みます。しかしその理由は明確で単なる運動不足です。厳寒の甲子高原にいて宿の経営や営業は問題だらけで、将来への不安に押しつぶされるような状況でも不思議と平気でいられたのは毎日運動をしていたからです。9月に今年最後のトレイルレースに出て以来運動らしい運動をしなかったのが原因で、スマホの歩数計にもその傾向が見て取れます。今年一年の平均歩数は一日一万歩なのですが、今月はその半分です。運動が鬱の特効薬であり、しかも再発リスクが薬よりはるかに少ないことは知られるようになりました。肥満や糖尿病だけでなく鬱までもが簡単に自分で治せることが分かってしまうと困る人も少なくありません。自分の体をコントロールするそのメカニズムさえ理解してしまえば医療費の75%程度は不要になるはずです。