ばえる(映える)の病理

スマホが高性能なレンズを持ち美しい写真が日常的に撮れるようになることで、視覚情報の重要性は増々高まっています。ばえる(映える)写真の競争は必然であると同時に不健全だと思います。見た景色を残したいので写真の加工はしませんが、売り込みたい人達は画像加工で盛ることを躊躇しません。ありもしない景色で人を騙し、簡単に別人を作り出すことで正当性を抹殺します。珊瑚に自ら傷をつけた朝日新聞による自作自演の珊瑚記事捏造事件なども、実態以上に見せたいという身勝手さの行き着く先です。インスタばえのための事故も世界では問題視されますが、自分を売り込みたいという欲求は、やがてばえる写真そのものを無意味化し自分たちの首を締める気がします。

支配階級への憧れ

昨日は親戚の結婚式に出ました。馬車まで登場するメルヘン調のセレモニーは今も健在です。75億円の巨費を投じたとも言われるゴーン氏のヴェルサイユ宮殿での結婚式といい、多くの人の心の奥底に眠る憧れの対象は同じです。保守的なホテルの多くが宮殿様式をモチーフに取り入れるのもそのためです。宮殿や馬車は前時代の支配階級の象徴であり、産業革命以降それらは資本家、そして一般庶民の生活へと広がり今日に続いています。しかし1960年代以降の米国に代表されるカウンターカルチャーの流れが保守的なピラミッド構造の市場に風穴を開け、今ならSDGsのトレンドが無責任な消費を戒めます。しかしわれわれの心の中に固着した憧憬は簡単に消えることはないと思います。

誤った韓国イメージ

ソウルに滞在して痩せました。毎日の歩数は3万歩を超え4日で100km近くを歩いたことになります。今後10年で日本と韓国の一人あたりGDPは逆転するとの予測がありますが、韓国に先進性を感じる場面はいくつかあります。写真中央のソウル駅前のビルにはメルセデスベンツとともにWeWorkのサインが正面の目立つ場所に取り付けられています。オフィス街の一等地のビルにおいても同様でWeWorkの存在感は日本の比ではありません。スターバックスでパソコン仕事をする風景は同じですが、違うのはフリーランスが圧倒的に多いのかスーツを着た人がいないことです。ハノイでも同じですが日本の働き方はガラパゴス化している気がします。財閥支配や厳しい就職環境により絶望する若者、というステレオタイプの韓国イメージは、日本の偏向報道によるものかもしれません。

歪められた歴史観

昨日は帰国便まで時間があり、旧日本大使館前の慰安婦象を見ました。像の見つめる正面に日本大使館はなく仮囲を警察車両が警備しています。在韓大使館の建て替え延期は妥当な判断でしょう。ソウルの滞在は快適で不便を感じることはありません。もちろん日本人だからといって白い目で見られることもなく、街の人は普通に親切です。両国が普通に関わることができるなら、どれほどメリットがあるかと思います。日本にもヘイトスピーチがあり根強い偏見があることも事実です。他方、この国の反日無罪的に歪められた歴史観には問題があると思います。慰安婦像の背後の写真に写っているのはどれも若者ですが無益な洗脳にしか見えません。日韓基本条約によって日本から受け取った資金のうち個人への補償金であった無償援助3億ドルを経済発展資金に回したのは韓国政府ですが国民の多くは知らないでしょう。

不公正な偏り

急速な景気減速が懸念される韓国ですが、朝3時には向かいのホテルの2割程の部屋の明かりが灯り、前の10車線道路は夜中も車の流れが途絶えることはなく今の日本に欠ける躍動を感じます。昨日は戦前日本が建てた歴史建造物の旧朝鮮銀行(貨幣金融博物館)で渋沢栄一の紙幣を見ました。戦争記念館での竹島の展示が一等地なのに対して、韓国最初の紙幣にしては地味な扱いです(後方3列)。市内を走る車は現代などの国産車が大半なのに、交通取締りで捕まっているのはいつもアウディやランドローバーなどの外車ばかりです。それも十分あり得ると思わせてしまうのはこの国に不公正な偏りを感じるからです。

半島国家の宿命

韓国は慣れのいらない国です。東京から2時間で時差がなく気候もほぼ同じ、ウォン・円換算が不要(10分の1にすればよい)で物価もほとんど同じ、食べ物も日本人に親しみやすく、少しディープな博多に来たという印象です。唯一エキゾチックなのはハングル文字で、街の商店すべてが韓国料理店に見えます。あとは迷彩服を着た軍人らしくない若者の姿ぐらいです。一方で違和感があるのはそのメンタリティです。場所を構わず大声を出すことに遠慮がありませんし、空いたレストランなのに人の隣に座り大きな音量でスマホの動画を見ます。日本人が美徳と考える他人への配慮がこの国には希薄で、主張しなければ生き残れない半島国家の宿命かもしれません。昨日はJNTO(政府観光局)ソウル事務所で話を聞きました。JNTOも力を入れるMICEは相変わらず堅調ながら、インセンティブツアーにおける日本のライバルとしてベトナムが急伸しているようです。

理解し難い隣国?

14年ぶり3回目に来たソウルは桜が満開です。ウォンとパスポートが必要で機内食が出ること以外国内の移動と変わりません。香港を別とすれば中国本土にも1度しか行ったことがなく、中韓は近くて遠い隣国です。人もビジネスも密接につながりながらこれほどお互いを理解し難いのは隣国故の宿命かもしれません。GHQが来た途端に親米追従に鞍替えする日本と、1000年経っても恨みは消えないと「水に流す」を美徳としない韓国が理解しあえる日は来るのでしょうか。日本が戦争に巻き込んだアジアの国々でも戦争の傷が消えることはないと思います。しかし多くの被害者が日本を許すことで過去を乗り越えてきました。不愉快なのは反日感情を蒸し返し政治利用しているように見えることです。このご都合主義こそが戦争犠牲者への冒涜にほかならないと思います。

学びを生かせない

週末は企業人向けの研修に立ち会う機会がありました。すべての研修には学びがあり役に立たない研修などありません。一方、企業内で行われる研修の多くは費用対効果に見合うものではありません。その理由は学んだことを実践しないからです。人生で膨大な本を読みましたが人生を変えた本など5冊もありません。多くの人に会いましたが自分の人生を変えた人は3人ほどです。世間には納得する話は無限にありますが、心を動かされ、行動を変えるようなきっかけなどそうあるものではありません。これだけ多くを学びながらそれを活かして行動しない自分にいつも嫌悪感を持ちます。

働き方改革の本質

週末は仕事に出かけました。昨今の企業は休日と出勤日をより明確に分け、嫌でも仕事を意識させますが、本来仕事と楽しみは切り離す必要のないものだと思います。料理が好きな人にとって調理の仕事は楽しみになり得ますし、ものを作ることが好きな人にとっての建築の仕事や、おしゃべりが好きな人にとっての接客、読書や探求が好きな人にとっての研究者やコンサルタントの仕事も同様です。家でパソコンに向かって仕事をしていると、パソコンを使わない父親世代には遊びにしか見えませんが、それは一面で本質です。仕事かどうかを唯一分けるのは経済的効用の有無、つまりアウトプットの問題であり、インプットをいくら楽しんでも、あるいはどれほど辛くてもその性質が問われることはありません。仕事を楽しむパラダイムへの転換こそが働き方改革だと思うのですが、「仕事は遊びじゃない」と洗脳された人にはその本質が見えていません。

チャレンジの積み重ね

新年度が始まり、元号も決まり、入社式や新入社員の姿を見ると働くことの本質に戻る必要を感じます。周囲ではフリーランスやパラレルワーカーとして組織の枠組みを超えて自分らしく働く人が増えました。仕事ほど自分を輝かせるものはないと思う一方で、社会の程遠い現実に愕然とします。仕事を主体化することが許されるはずなのに、多くの人が自我のないロボットのように働くことを期待されます。人は安定を求めますが、仕事を失う恐怖が危機感となり自分を動機づけ、生きる実感につながると思います。どのような境遇であれ安定した環境に留まるとそこから立ち去り難くなり、やがて気力と体力は衰えます。チャレンジすることの積み重ねが人を生き生きとさせると思います。数年前までは逆の考えでしたが。

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