糖質を憎む過激な原理主義者だと誤解されますが実態は違います。糖質制限を信仰してはいますが同時に合法麻薬としてスィーツを使用しています。憎んでいるのは動脈硬化から起こる心筋梗塞、脳梗塞、糖尿病、がん、認知症、自律神経の乱れによる心の病などあらゆる病気の元凶となる血糖値スパイク(グルコーススパイク)です。血糖値スパイクによって血管のあらゆる所で活性酸素が大量発生し血管が傷つき修復しようと集まる免疫細胞が血管細胞の内壁に入り込み動脈硬化を引き起こします。健康には気を使いますが、一方で食べたいものを我慢するほどストイックではありません。重要なのは適切な食べ方を知ることだと思います。食べる時刻や順序、十分な咀嚼と食事直後の運動などにより高GI食品を摂取しても血糖値スパイクを抑え込み健康を維持することは可能です。麻薬の合法化が進む理由は麻薬中毒を国が管理するためですが、違法性のないスィーツの場合、シュガーハイの中毒患者に管理を任せていることが生活習慣病を蔓延させる理由だと思います。
お知らせ
減らす幸せ
過剰なしには今の経済は成り立ちません。行き過ぎた物質中心主義はより広い家、より豪華な車、より美味しい食事、より新しい流行、より高い地位や名誉といったmore & moreの無分別な情欲を必要とします。足るを知らずさらに富むことを求める誘惑は経済の原動力ですが、一方で人の心を貶めると思います。会社を辞めてから通勤用のスーツも鞄も靴も不要になり減らす幸せを感じます。収入は減りましたが時間は増えました。340馬力の車を75馬力に換えてから車を操る喜びが増しました。70㎡の家から転居した34㎡の仮住まいは便利な上に掃除も楽です。340Lの冷蔵庫は170Lになり腐るものがなくなり過剰に買うこともありません。数万円したダイニングの椅子は2,000円のバランスボールに代わり体幹が強化され、3食から2食に減った食事で体重は78kgから58kgに減り、腰と膝から痛みは消え食事が美味しくなりました。医療費、燃料費、電気代、交通費、食費、交際費、税金とあらゆる経費が減り実質可処分所得と自由時間は増え、一方で失ったものは持つことによる厄介事とお腹の贅肉ぐらいです。
3、4割過食のトリック
農業革命以降の人類は麻薬的高揚感を伴うドーパミン型の食欲に欺かれてきたと思います。「人は小麦によって家畜化された」という表現はあながち外れていません。行列のできる飲食店もデパ地下の惣菜売り場もスーパーやコンビニのお菓子売り場にも血糖値スパイクの元凶となる高GI値食品が並び、インスリン過剰分泌による低血糖が中毒症状を引き起こします。必要を超えて継続的かつ余計に食べてくれることがフードビジネス成長の原動力です。糖質制限に対する批判の半分は無知によるものであり、残りは商売を守るためだと思います。古代より人類は糖質を摂っており、糖質ゼロの極論を主張したいのではありません。問題は現代栄養学が現状追認の誤りを今も教え、手の届くところにいつでも糖質がある飽食社会です。空腹による美味しさを知らず、低血糖と記号的なグルメ情報に操られていることを見過ごします。飢えと無縁の現代人が3、4割過食とする説は、このトリックにより説明がつくと思います。
客を切れない外食
仕事は、し始める方法が大切だと思います。自宅で仕事をするとメリハリを失いがちですので朝マクドナルドに行きます。近所のマクドナルドは近くに図書館もあり、人との打ち合わせにも使え、昨今は店内の雰囲気も洒落ていて気分はコワーキングスペースです。自販機と変わらない値段の飲み物だけでワイファイや電源まで使えて有り難い存在です。昨日は前に高齢の男性客がいて、店に入るなりナフキンを数十枚ポケットにしまいます。注文したコーヒーが出る間にカウンターにあったシュガースティック30本ほどとミルクをやはりポケットにねじ込みます。原価率の低くない100円のコーヒーでモラルの欠けた客を相手にするマクドナルドは大変だと思います。別の高齢の客は悪気はないのですが独り言がひどく、周りで仕事をしていた若者は集中できず席を立ち、自分もイヤホンの音量を上げなくてはなりません。外食経営を難しくしているのは、自分のようなバーゲンハンターも含めて、会社に損失を与える客です。90年代以降流行った顧客満足経営の大切なエッセンスは不適合顧客をビジネスから締め出すことですが、外食企業の多くはそれを実現できずにいます。
執着と愛着の境界
昨日は渋谷まで歩きました。街を歩くと執着を生み出すものばかりが目につきます。開店前のパン屋には行列ができ、松濤には豪壮な住宅が並び、そこには高級車も必要になります。執着を捨てることでしか人は幸せになれませんが、経済は執着を増殖させることでしか成長できません。こんまりメソッドや断捨離が世界に波及するのも、執着の生み出す際限ない欲が人を苦しめることに気づき始めたからです。執着と似たものに愛着があります。他との比較が可能なものが執着で自分なりの尺度を持てるものが愛着だと思います。同じ自動車でも長年持ち続けると愛着ですが、何年かで買い換えるなら執着でその境界は曖昧です。ブランドものとされる商品の多くは執着を生みますが、世界はよくできていて低価格なものほど執着を生まないで済みます。
60、70代は現役世代
昨日は雲取山に登りました。東京都最高峰の百名山とは言え、歩きやすいトレイルは急な登りもなく小学生でも登れます。6時半に鴨沢の駐車場を出発してスピードハイクなら2時間少々で山頂に着き、山頂でのんびりしても11時には下山できます。山頂で写真を撮ってあげた男性は66歳だと連呼しますが、60代は老け込むような年代ではありません。周りでは80代の現役や、70代で100マイルレースを完走する人は珍しくありませんから、今や現役世代の60代が雲取山に登っても自慢になりません。空腹時の有酸素運動がケトン体とミトコンドリアを活性化させますので、前日の夕食以来水をのぞいて無補給ですが、3、40km程度までの山歩きであればエネルギーが切れることはありません。テント泊で縦走する妻と雲取山で別れ、公園の散歩道のような美しい新緑の森をラブラドールとゆるランで下りました。
グルメ情報がかき消す内面
水を控えるだけで長年の胃の不調が回復して食事が美味しくなりました。食事が美味しいのは最初の1口目だけという事実を大半の人は知りながら、その刹那的瞬間のために労を厭いません。コース料理で美味しいのは前菜だけでその後の料理はあまり美味しくありません。真夏に飲む冷えたビールの最初の一口はお酒を飲まない自分でも美味しく感じますが、それ以降は惰性で飲んでいるだけです。人は食欲を単純なものとみなしただ満たそうとしますが、食欲にはムラがあるという重要な性質を見落としています。過食を続けると満腹中枢が機能しなくなり、脳の低血糖状態である空腹感が中毒症状を引き起こし食源病になります。静かに自分の内面を観察すれば過食を止めることはできますが、世に氾濫するグルメ情報や企業のプロモーション、便利すぎる生活がそれをかき消すと思います。
戦争責任の帰趨
昨日は靖国神社に寄りました。靖国神社に来る日はいつも快晴ですが、ここを特別な場所にしているのは参拝者が作り出す独特の雰囲気だと思います。インバウンドであふれる明治神宮とは異なり、白百合学園の関係者なのか申し合わせたような濃紺スーツの女性が集まり、戦中世代の白髪の男性が深々と頭を下げて境内に入って行く空気は、日本人から見ても特別な場所です。決して広大ではない神社の裏手には都心とはにわかには信じがたい、巨木の森があり英霊が帰るにふさわしい厳かさがあります。遊就館の零戦のエンジンは今にも息を吹き返しそうで、戦争を遠い記憶にしてはいけないことを戒めているようです。戦犯合祀が外交問題になりますが、ヒトラーのような個人に戦争責任を押し付けられない日本固有の問題なのかもしれません。
市場細分化の罠
自宅最寄りの快速しか止まらない京王線の駅で待っていると、団子状態の3本の列車が通過していきます。準特急や区間急行というどこに停車するのか不可解な列車に続いて混雑時に迷惑な全席指定の京王ライナーが呑気に続きます。「もっと便利な毎日へ」という標語を額面通り受け取ることはできません。ノロノロ運転をするぐらいならハブ&スポーク理論に従って、ハブを結ぶ特急とスポークの各駅停車だけでよいはずですが今や列車の種類は7種類以上あります。不慣れなインバウンドでなくても、どれに乗ればよいのか分かりません。沿線人口の増加に期待できず目新しさにすがりたい気持ちも分かりますが、これは市場細分化の罠です。牛丼一筋をだいぶ昔に放棄した吉野家も「ライザップ牛サラダ」を出すご時世ですが、本質の大切さを見失っているように見えます。
夢を失う世界
日本は総じて不幸の少ない国ですが、目をそむけたくなる凄惨な事件と向き合わないことはできません。運が悪かったでは済ますことのできない悲劇は世の必然なのでしょうか。自分の不幸を社会の責任に転嫁するのは簡単です。やりたいことがあればどのような境遇でも人生は充たされますが、幸せな生活を復讐対象にする人間はどこにも存在します。社会が方向感を失った現代は夢の持ちにくい時代かもしれません。経済成長の時にはシミュレーテッド・リアリティだったにしてもアメリカンドリームのような夢を社会が共有することができました。経済成長と新興宗教はセットとされるように、そこに取り残された人を宗教が救ってきましたが、現代の日本はそのどちらも力を失っています。