旅の投資的価値

昔は旅行に行くことに疑問を持ちませんでしたが、今はお金を使ってわざわざ疲れに行くレジャーに否定的です。ゴールデンウィークの旅行など悪夢ですが、一方で家族と日常を離れる機会などそう多くありません。純粋な楽しみや静養の旅行に価値を見い出せない一方で、旅行には投資的価値があると思います。使ったお金がいずれ戻って来る前提ですから、ビジネストリップは最高の旅行形態です。旅先での学びが自分を変え将来につながるなら行く価値があると考えます。以前は旅先でホテルを見たり、ホテルを見るために旅行をしましたが、今は積極的にはホテルを見ません。人々がどのようなスタイルで旅行をしているのかが興味の対象です。旅が暮らしや働くことと融合し始めた昨今、ホテルは旅行界のスターではなくなりました。香港のゲストハウスで見かけた何人かの欧米人は、滞在しながら暮らすように働いていました。

トレランで通勤する香港

昨夜は帰国便が遅かったので、朝食前に香港島裏側のアバディーンからビクトリア・ピークまで登りました。ホンコン・トレイルの途中で出会った金融機関に勤める男性は毎朝トレイルを走っているそうです。山頂で朝食を食べそのまま中心街中環のオフィスまでトレイルを走って通勤することもあるといいます。早朝の山深いトレイルを走ってオフィスに行くなどまさに理想の通勤ですが、それができるのも香港ならではです。高層ビルが多く都市のイメージのある香港ですが、海岸に張り付くような高層ビル群の背後には自然豊かな山がひかえていて、イギリス統治時代の1970年代に総延長300kmに及ぶトレイルが整備されています。

旅に欠かせないランニング

街を走って旅する「旅ラン」やレースに出るための旅行がぼくの周囲では普通になりました。坂の多いマカオでも、街区が巨大な深圳でも、街中で工事が目立つ香港でもランニングに適したコースを見つけることは容易で、1週間で200km超を自分の足で移動しました。旅ランの魅力は街の大きさを自分の体をスケールに把握できることです。走ることで街は小さくなり、大きいと思っていたロンドンも歩いてまわるのに最適な大きさです。エネルギーを消費しますので、旅行にありがちな食べ過ぎも緩和してくれます。ビクトリア・ピークの夜景を見に行ったときも自分の足で登ると、人のいない場所で夜景の美しさに浸れます。マカオから深圳に移動する際バスを間違えて観光客が使わない珠海のイミグレーションに降りたときも、数キロ足で移動し予定していた外港発のフェリーの時間に間に合い、旅にランニングは欠かせません。

融合する旅と暮らし

前回香港に来たのはペニンシュラホテルのタワーが工事中の頃ですから20世紀です。当時も今も至るところで工事をしており、街に活力を感じます。若者しかいない歪んだ人口ピラミッドの深圳から長寿大国の香港に来るとほっとします。しかし、マカオも深圳もそして香港でも臆面もなく経済成長や浪費を礼賛する空気は共通です。ホテルのオンライン予約サイトは日本人の予約を把握しているらしく、この時期香港のホテル価格は暴騰します。九龍や中環のホテルは泊まれる価格ではなく、昨日は香港島裏側のアバディーンにあるゲストハウスに泊まりました。洗濯や調理ができてパブリックスペースの充実するゲストハウスは普段泊まるのにも合理的です。ゲストハウスに馴染むとコリビングやシェアハウスにも抵抗がなくなり、旅と暮らす感覚は急速に融合していきます。

中国の強権政治は必然?

昨日深圳から新幹線で香港に移動しました。乗車時間わずか14分の国内とは言え香港に戻ると安心します。未来都市深圳に滞在して中国の強権政治に対するイメージが少し変わりました。2008年のオリンピックを契機にマナーが改善したとされる中国ですが、厚顔無恥はどこでも目にします。豊かになっても行儀の悪さは相変わらずで、アウディーのショールームでは客がいてもスタッフが助手席の椅子を倒して寝ながらスマホを見ています。高級ホテルに来るような親子でも躾という習慣がありません。個人や家族の単位で社会性を身につけることができないこの国では、共産党が暴力で支配しない限り国がまとまらないのは無理もないことかもしれません。世界の工場の心臓部深圳は、その監視社会の評価を置いておくとして、経済発展のあり方を示しています。国を作り直すための壮大なパイロットモデルであり、日本よりはるかに巨大な国でありながらダイナミックに国を変えようとしているところに戦略性を感じます。

人類最後の監獄都市?

昨日は秋葉原の30倍という広さの電気街、CEEC(中国国際消費展示電子交易中心)、世界最大の書店など深圳詣の聖地を回りました。あらゆる取引が電子決済される深圳から見ると、連休前にATMの現金がなくなる日本は未開の国です。他方、無機質で人の営みが欠如した都市は、美しいけど安らぎを感じる場所ではありません。監視カメラにより行動が統制され、それゆえ物々しい警官の姿を見かけることは多くありません。地下鉄に乗るにもX線検査が必要な都市は人間らしい未来とは異なります。高層ビルが並ぶシンガポールやクアラルンプールは昔ながらの人情や風情を持つ一角があり落ち着きますが、似ているのはマニラ中心部のマカティやボニファシオ・グローバルシティです。65歳以上人口2%の理由は仕事から離れてまで住む理由がないからかもしれません。深圳の最大の強みは過去の遺産を一切引き継いでいないことです。この壮大な実験を新しい未来都市の始まりと考えるか、人類最後の監獄都市と見るか評価にはまだ時間がかかりそうです。

70年後に実現した1984年

昨日マカオから深圳に移動しました。人口30万人の漁村が、30年で1,400万人超に膨れ上がり、香港を抜いて中国トップのGDPを誇る都市は、高齢化が進む中国にあって65歳以上人口2%の前評判通り、地下鉄の車内は若者だけです。QRコード決済などで現金を持ち歩かない先端都市は、電車もバスも小額紙幣がわずかに使える程度で到着したばかりの旅行者には不便です。マカオから船で着くと事前に各自が機械で指紋登録をするのですが、不慣れな旅行者には分かりづらくイミグレーションの職員も横柄で不親切です。慣れてしまえば容易いことばかりですが、小額紙幣を持たない旅行者は地下鉄のトークンひとつ買えません。交差点には多数の監視カメラが設置され、警官がサブマシンガンを持つ高層ビルの立ち並ぶ街にはゴミひとつ落ちていません。美しい街はどこかいびつで、1949年に刊行された小説でジョージ・オーウェルの描いた未来は、1984年ではなく70年後のアジアの大国で実現したことになります。

図書館がそばにある生活

即物的な欲求のはけ口としてのカジノ、ポルトガル統治時代の面影を残す荘厳な教会、生命力と死が同居する市場など、異なる要素が混在するマカオは思考をかき混ぜる場所です。中国人観光客の圧倒的な購買意欲に、平成バブルの熱狂の記憶が蘇ります。一番気に入った場所は、マカオ最大の図書館であるロバート・ホー・トン図書館です。1894年以前に建築されたポルトガル人の住居を1958年から図書館として使っています。コロニアル建築と2005年に完成した新棟、それらが囲む中庭の居心地が良く、年配の女性が涼し気な木陰で本を読む姿に目を引かれます。先日見た沖縄県立図書館もそうですが、良い図書館がそばにある生活に憧れます。

レガシーエアと失われた30年

昨日マカオに来ました。経営悪化でキャセイに買収されたLCCの香港エクスプレスは、乗客のほとんどが日本人なのに日本語アナウンスを全くしない割り切りようです。トイレこそ無料ですが個人モニターもなく、水も出ません。一方、同じような値段で売りながら機内食を出し、エコノミー客にまでワインを何度も勧めるようなレガシーエアは過剰品質であり放漫経営にさえ見えます。顧客満足がいくら高くてもそれが単価上昇に結びつかないレガシーエアの姿は、平成が終わる今日、デフレ下の30年間の日本企業と重なります。

人間が向かうべき新天地

AIの不気味な進化とRPAの洗練はシンギュラリティの議論を消し去るように見えます。米国では医師、会計士、弁護士などの士業が静かにAIに置き換えられ、花形とされた戦略コンサルさえお払い箱になっていると聞きます。誰もが人間に残される仕事の領域を考えます。しかし、ディープラーニングの仕組みを人間が解明できないのに、AIは何が苦手か考えることは無駄だと思います。言えることは、AI時代の恐怖が人々を走らせる先にはビジネスチャンスがあるということです。まだわれわれが気づいていないが、生物としての人間が本来持つはずの人体の眠れる能力が次のフロンティアだと思います。広い領域の事象を無意識に組み合わせる全体性、ルールに抵触するきわどさやいい加減さとの両面性、生身の人間が発する場の空気を透視する嗅覚など、五感で感じ肉体を通じてアウトプットすることこそが人間が向かうべき新天地だと思います。

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