週末は出張に行き一日一食の24時間断食をしました。その一食もわずかしか食べていないので、味覚が鋭くなります。断食をするのに仕事は最適で、何より手の届くところに食べ物がないことが重要です。空港ラウンジの食べ物や機内食に手を伸ばすのは、空腹だからではなくそこに料理があるからです。食べてから後悔しますが、「食べたい」という自分と思いとどまらせる自分のどちらが悪魔かは言うまでもありません。欲望の対象に手が届けば悪魔が勝ちます。人間には2つの味覚があり、脳に操られ舌が感じる錯覚と、体が欲するものを五感で感じる本当の味覚です。美味しいものは自分の身体に必要な栄養素で、味覚を取り戻すのには数日間の断食が最適です。断食後の食事では普段気づかない食品添加物の薬の味が分かり、食欲を失います。本来の人間の味覚は、こうして危険回避をしていると思います。鋭くなるのは味覚ばかりではなく、匂いや音にも敏感になり、車に乗ると怖いほどのスピード感があり、人間本来の感覚を取り戻します。贅沢な生活がカルロス・ゴーンを狂わせたように、刺激的な食事をしている一部の料理評論家は味覚障害と言われます。
お知らせ
調理しない美食
絵を描かない人が美術館を楽しめないように、音楽をやらない人が演奏会を楽しめないように、調理をしないことは料理の楽しみの半分を放棄していると思います。しかし、一人で料理をしたくない時はそばや冷や奴にします。そばは茹でるだけの健康食品ですが、調理なしで健康によい食材はたくさんあります。多くの野菜は洗うだけですし、豊富な食物繊維とビタミン・ミネラルを含むバナナは剥くだけです。シナモンパウダーをかけてトースターで焼けばデザートになります。見切り品の黒いバナナは熟成が進みスクラーゼ酵素が活性化してショ糖を分解するのでGI値は30に下がりオリゴ糖が増えます。さばやイワシなど青魚の缶詰はDHAが失われておらず、味がしみて美味しいうえ添加物もなく、豊漁期に加工するので値段も高くありません。アボガドも簡単に剥けて水銀中毒リスクのあるトロより美味しく安価で健康的です。血糖値上昇が少なく腹持ちのよいナッツはビタミン豊富で悪玉コレステロールの減少効果があります。納豆はキムチをのせて亜麻仁油をかけるだけで健康的な一品になります。食材の鮮度と塩や油にこだわれば、調理なしで美味しく健康維持をすることは難しくありません。最も簡単な美食は食べずに次の食事を楽しむことだと思います。
2,000万円もいらない
「老後2,000万円問題」は収まる気配がありません。2,000万を貯めて安心するのも、2,000万など無理と悲嘆に暮れることも同様に不健康だと思います。悲嘆によるストレスが健康を害するように、有閑マダム的な生活は、お金で刺激を買う退屈さが体を蝕み生命力を奪います。人間は生かされている存在であり、課せられた使命は生体の維持と種の保存です。人体は環境変化に適応し生存確率を上げるように設計されていて、働く(動く)、人を助ける、飢餓対応の3つがその基本思想です。現生人類が奇跡的に今も生き残っているのはこの設計思想のおかげです。この3つが揃うとき、神経伝達物質は体をベストな状態に保持しようと機能します。あれこれ悩まず、日々働き、人を助け、必要以上に食べない日常を愛することが生命力を高める秘訣だと思います。2,000万どころか、何も持たないラブラドールがいつもご機嫌なのを見ていると、仮にすべてを失ったら南の島に行き、最低限の食料であとは夕日でも見ながら運動と瞑想の日々を送ればよいと、借金や隠れ負債を抱える自分は妄想します。
食欲を補正する擬似的飢餓
昨日のように日本工学院に行く日を含め、週に1、2度は一日一食で済ませます。24時間断食による擬似的な飢餓状態は食べ続けることで狂った食欲を補正する効果が期待できます。多くの健康関連書籍は、朝食をきちんと食べなさい、三食規則正しく食べなさい、と脅しますがこうした主張は過食による健康被害を過小評価しています。重要なことは人体が飢餓対応できるように進化してきたことです。数百万年におよぶ暮らしの大半が、毎朝決まった時間に朝食を食べ、6時間後に昼食、その6時間後に夕食という暮らしでなかったことは明らかです。数百万年前のわれわれの祖先は朝起きたときには糖質エネルギーを基礎代謝で使い果たし、狩りに行くときは体内脂肪から合成されたケトン体を使っていたはずです。毎日規則正しく食べることより重要なことは、設計が想定していない間違った体の使い方を定期的に補正することだと思います。
天国のような埋もれる暮らし
以前から長寿村に興味があります。世界の長寿地域であるブルーゾーンに共通することは急傾斜の地形です。急傾斜地は稲作等に適さずGI値の低い雑穀類が主食なこと、傾斜地の移動で足腰を鍛えられることが指摘されます。東京近郊では上野原市棡原(ゆずりはら)集落が有名で幾度となく足を運びました。俗世と隔絶された深山幽谷の古い民家を訪ねると、退廃的な贅沢とは無縁の穏やかな暮らしがこの上なく満たされた時間に思えます。アメリカの研究によると、もっとも健康に適する食事は江戸時代、とくに松尾芭蕉が奥の細道の旅に出かけ、赤穂浪士の討ち入りがあった元禄時代の和食とされます。動物性タンパク質より野菜や魚を中心とした質素な食事が似合う暮らしです。この世に天国があるなら、それはハワイやシンガポールの高級コンドミニアムではなく、人知れぬ山中での埋もれるような暮らしだと思います。
増税で執着を減らす
幸福を人から買うことが虚しいのはその価値が移ろいやすいからです。高級な車や美味しい食事で人々が幸せになるのは思い過ごしです。経済活動は計画的廃品化により浪費を促し、貧しい時代に適応した脳は自尊心を欲しがり永久に買い続けます。「経済は無駄な活動により水増しされた数字だ」と誰かが言ったように、不要なものを供給する経済システムにとって、大量消費を通じてしか自己を満たせない人が増えることは福音です。企業が商品を作り出すのは必要があるからではなく、そこに欲望があるからです。そしてすべての商品は消費者に恩恵を与えるためではなく会社の利益のために作られ、無用な価値は高い価格として消費者に還元されます。このペテンがバレないのは、いらないものを買うためにしたくもない仕事をする消費者と労働者が同一だからです。消費増税がそれほど嫌ではないのは、これを機会に執着を減らすことに一縷の光明を見いだせるからです。
治らないと信じ込ませる医者
週末は9ヶ月振りにトレイルレース復帰の予定でしたが、年初来の腰痛で棄権しました。40kmのレースならおそらく完走は可能ですが、不調を抱えながらでは楽しめません。腰はその字が示すように全身と関係しますがこれまで腰痛とは無縁でした。世田谷区の図書館には600冊近い腰痛関係の書籍があり、なかには奇想天外な原因を主張する本もあり楽しめます。引っ越しによる環境の変化、生活習慣(食事、運動、睡眠)の変化のいずれかが原因と考えられます。疑わしいのは、ベッドが変わり疲れが抜けず体に歪が生じたこと、靴が変わり走り方が変わったこと、運動不足による血行不良や筋力低下です。試しに何度かトレイルランニングに行き、血行不良説は原因から外れました。大半の人が自分の体を専門家に委ねるから病院経営が成り立つのですが、癌であろうと腰痛であろうと専門家に丸投げせず、自分が治療の主役になることが健康を取り戻す鍵だと思います。二流の医者なら加齢を原因に仕立てあげ、治らないと信じ込ませて生涯顧客にするでしょう。
信念の誤り
科学技術を信仰する現代人は今を生きる自分たちこそもっとも優れた人類だと考えます。人類最古の化石は370万年前と推定されますが、体の構造は現代人とたいして変わりません。脳の体積は現代に近づくほどむしろ小さくなっています。人間の生き方に関する知見で現代に至る2000年の間に科学が解き明かせたことは、プラトン、アリストテレス、セネカといった紀元前の賢人が知っていたことの追認かほとんど無価値の発見に過ぎません。現代の医学は生活習慣病のメカニズムを解き明かしつつありますが、そもそも生活習慣病を生み出したのは現代人の愚かさです。21世紀の医療技術は慢性疾患について不定愁訴、加齢による自然現象といった曖昧な説明を繰り返してきました。いまだに現代医学が人体をホリスティックに捉えることができないのは、その基盤にある要素還元的な信念に誤りがあるからだと思います。
9時に寝るのは普通
早起きになったのはずいぶん昔です。30代の頃は短眠ブームで3時間睡眠の時期があり、就寝から3時間が経過していれば起き出して活動をするうちに日の出前に起きる習慣がつきました。今の東京の日の出時刻は4時25分で一年のうち最も日の出の早い時期です。今朝は3時半に目を覚ましましたが、体内時計は正確でもう何年も目覚まし時計を使っていません。末期がんを自然治癒したことで世界的に知られる寺山心一翁氏は日の出42分前に鳥が鳴き始めることに気づき、自宅の三羽のインコに酸素を吸わせる実験で、木々が光合成を始め放出する酸素に反応していることを突き止めます。これを読んだ当初は半信半疑でしたが、阿武隈源流の森に住んでいたとき、その時刻に鳥が鳴き始めることを知りました。目覚める前の森の空気は神聖でさえあります。一日が24時間11分とされるサーカディアン・リズムを朝の太陽光が補正します。光の刺激を受けてから14~16時間が経過するとメラトニンの分泌が始まり夜8時頃には眠くなります。夜9時に寝ると言うと以前なら驚かれましたが、朝活ブームの昨今は一般的な認識になりました。
歪んだ味覚
食べることは好きですが、関心があるのは美味しく食べることであって美味しいものではありません。生命維持活動であるはずの食事を、食糧生産と都市が娯楽に変え、やがてハレの食事は日常食となり、際限ない欲望が現代人の味覚を麻痺させます。体の内なる声を聞かず、味覚のヒエラルキーを信じ有名店に行列を作ります。しかし本来の味覚は生きるための能力であり、飢餓状態で磨かれ戻ってきます。意図せず5日間何も食べなかったことがあります。旅館経営を始めた頃、仕事の悩みで何も喉を通らなくなりました。5日目になって切実に食べたいと思ったのは、たくわんと味噌汁とご飯で、決して高級店の食事や体に悪そうなラーメン、ジャンクフードではありません。飢餓を経験することなく、いつでも食欲を満たせる現代人は食事を局所的に捉え、正常な味覚を失い、ステレオタイプのグルメ情報に固執します。脳に操られるまま野放図に食べていれば不健康が蔓延するのは不思議ではありません。本当の味覚は自分の体に必要なものを見極める能力だと思います。