ゴーン事件に関して有罪率99.99%と報道され令和元年版の犯罪白書を見ました。裁判確定人員ベースで見ると公訴棄却などを除くと平成元年以降の有罪率はほぼ100%で小数点以下2桁まで100%の年もあります。目を引くのは裁判総数が減少するなか平成17、18年あたりに死刑、無期懲役判決が増えていることです。これは2001年(平成13年)の同時多発テロ以降の世界が戦争の時代に入りメディアを通じて暴力が拡散されたことと関係があるのかもしれません。ゴーン事件も霞むニュースは米国とイランの対立で大規模な戦争を予測する見方もあります。人の欲の行き着く先が戦争につながり、戦争が続けば戦争で儲ける人が増え、そうした環境下では人の心は荒んでいきます。中東情勢の緊張が高まり金融商品などの相場も乱高下し、人の不幸もすべては金儲けのタネにされます。欲は進歩の原動力であり同時に破滅の引き金でもあります。
お知らせ
利己的か利他的かは問題ではない
今日発表されるというカルロス・ゴーンの声明は、世界を驚愕させたゴーン劇場第二幕の趨勢を占う上で注目されます。映画化にふさわしい逃亡劇なのか、有罪判決99%という特殊事情を海外から指摘されたくない日本側が退路を用意したとの説もまことしやかに語られます。各宗教勢力の微妙なバランスの上に成り立つレバノンでは政治エリート層の腐敗に対して市民運動が活発化し安住の地となるかは微妙です。逃亡の中継地となった親日国トルコがいち早くこの事件に反応し、フランスのマクロン大統領も守銭奴のゴーンを嫌っているとされ、彼が心許せる場所は大統領待望論が起こるブラジルだけかもしれません。彼の不正蓄財は日本人的心情としては許せませんが、人生100年時代のロールモデルとして65歳のICPO国際手配の逃亡者が、故国ブラジルの大統領として経済危機を救う姿を期待したい気持ちもあります。野心家として知られるゴーンのモチベーションの原動力が利己的な我欲なのか、利他的な大我なのかは問題ではなく、その能力を社会のために活かしてほしいと思います。
食源病を放置する日本
昨夜近所のミニスーパーで、レジで前にいた同年輩の男性のかごを見るとはなしに見ると2Lのコーラ、カップラーメン、おにぎり2個、タバコが入っていました。先日も朝コンビニに行くとやはり同年輩の作業員風の男性がサンドイッチ、コーヒー、タバコを買っていました。おそらく日常的な食事風景だと思いますが、失礼ながらその老後が悲惨なものになるのは明らかです。アメリカでは医者になるのに栄養学は必須ですが、日本の場合医者ですら栄養学を学ぶ機会がありません。糖質過多の古い栄養学に基づいた食事が慢性疾患を招いているのですが、現代の日本の個食はそれ以前の問題です。欧米の栄養学のガイドラインは精製された穀物の危険性を警告しているのに、世界がその先進性に注目する和食文化を持つ日本は時代遅れの栄養常識を捨てようとしません。スポーツの分野でパフォーマンスを改善する栄養学が研究対象となったのは1924年のボストンマラソンとされますが、日本ではバルセロナオリンピックに管理栄養士が同行したことでスポーツと栄養学の関係が注目されるのは1992年まで待たねばなりませんでした。社会保障費の増加が国の財政を揺るがす日本で、食源病を放置する理由は何か意図でもあるのかと思わせます。
死の恐怖から逃れる人生という旅
今世紀に入った2001年1月1日から日記を付け始めて20年目になります。日記を読み返してショックなのは今考えていることと同じことを一年前に書いていることです。アイデアだけ言うだけで行動しないことこそ憎むべきですが、この一年間新たな行動を起こさなかったことになります。色々な場所に行き、それなりに学んだつもりでも、惰性で生きる時間に価値はありません。多少贔屓目に見ても自分の人生が後半に入っていることは認めざるを得ず、死という期限があるから人は人生を輝かせようとするのだと思います。スティーブ・ジョブズが世を去ったのは自分の今の年齢ですが、その偉大な功績を考えると人生の時間の密度は人それぞれです。人生の価値はひとえにその人が発する情熱の熱量にかかっていると思います。世界を変えるという情熱でアップルを巨大化させその絶頂でこの世を去ったからこそスティーブ・ジョブズの人生は輝きます。禅に傾斜しミニマリズムに基づく美的感覚が生み出した製品群は彼の化身と言えます。世界を変えるという刺激的な目標は、死の恐怖から逃れる人生という旅の究極のゴールなのでしょう。
自分らしく生きる
昨日は87歳の父が一人で暮らす妻の実家に行きました。杖も人手を借りずに生活している至って元気な様子を見ていると、健康は個人的なものだと思います。朝は9時か10時に起き、朝食は昼過ぎ、一日2食で寝るのは夜中の2時とサーカディアンリズムとはかけ離れた生活ですが、この周期が体に合っているのだと思います。何かが効くと聞けば人はすぐに健康知識や食品に飛びつきますが、生きる答えは自分の体のなかに見つけるものでしょう。いくら豊富な知識があったとしても自分の体の内なる声を聞くことなしに健康は実現しないと思います。教育がそうさせたのか、われわれの思考は知識量を問う頭の使い方を今でも信じ、他人を意識した環境適合や生存競争の癖を捨てることができません。正しい食事、正しい運動、正しい休養という統計学的正しさを知ることには一定の意味がありますが、生活習慣病を世界に蔓延させその被害が拡大しているように現代医学は健康を実現するには不十分です。唯一セオリーを見つけるなら、何かに依存せず自分らしく生きることが、安定した精神状態を維持することで免疫機能を強化して健康を実現するのだと思います。
正月は危険な季節
正月は健康を脅かされる危険な季節と言えます。何もせずに食べるだけの生活になりがちで、売られる惣菜やおせち料理も食料保存の知恵ではなく保存料が添加されます。常時食べ物が手に入る現代の食料事情は長い人類の歴史においてごく最近になって実現され、魅力的な料理と偽りの空腹感が蔓延する現代において食べないと言う選択肢はありません。高次の幸せは離欲の幸せですが、現代人は必要を超えて食べ、その食生活は執着を生み感謝はなくなり、やがて味わうことさえしなくなります。食べれば代謝は低下し活性酸素が発生し体は老化しますが、旺盛な食欲の前では健康リスクは過小評価され、われわれを喜ばせる食べ物が悪魔であることから人は目をそむけます。正月太りを解消しようと無理な運動をすれば生命の危険を犯すことになります。スポーツクラブにおいて心臓発作などの事故が一番多いのは正月明け最初の営業日だとインストラクターに聞いたことがあります。執着ばかりを生む世俗から離れ、穏やかな心を取り戻すことが精神的インスピレーションを生むためには必要で、一年の最初ぐらいは何不自由ない普段の生活を感謝する機会にしたいものです。
誰もがほどほどに幸せ
多くの人が神社に行き日本的な食事をする正月は唯一日本人らしく振舞う機会です。和食や禅が世界で評価される一方、住宅から畳が消えるなど日本的な暮らしをわれわれは捨てています。自然に恵まれ共存してきた日本ほど幸せに近いライフスタイルを持つ国はないと思うのですが、日本の伝統よりアメリカ発のポジティブサイコロジーなどの流行を有難がる風潮もあります。本音と建前の使い分けや遠慮や忖度ばかりが注目され、他人の目を気にする不幸な国民という文脈で語られる日本ですが、何事にも控えめな謙虚さこそが美点でしょう。清貧の思想のように日本の幸せは控えめで決して裕福である必要はありません。高度経済成長期が1980年代に入りハイソカーブームやシーマ現象が起こり、皆で豊かになるのではなく自分だけが豊かになりたいというエゴが頭をもたげ始めた頃から日本人は謙虚さを失ったと思います。日本が世界で評価されるのはトヨタ製品のクオリティばかりでなく、嘘をつかない、約束を守る、人を見下さないといった日本人の美徳に発する信頼にあるのに、人より優位に立ちたいという卑しさが高まっているように感じます。幸福感をもたらすセロトニンの分泌量は一定量で誰の人生もほどほどの幸せという実感に落ち着くのですが、物質的豊かさに執着し消費に意味を見出そうとするほど離欲の幸せという日本の良さは失われていくと思います。
途上国こそ日本人の生きる場所?
年末のビッグニュースはカルロス・ゴーンの不法出国でしょう。ゴーンの言う「不正に操作された司法制度」の日本から公金の横領天国で政治と経済の混乱が続くレバノンへの逃亡はレバノン市民の間にも賛否があるようです。ゴーン事件が投げかける論点の一つは日本的経営の総括だと思います。世界の創業200年以上の企業5千数百社の56%強が日本にあり、日本的経営の最大の特徴は踏襲の文化と老舗経営にあります。間接金融による特有の資本構造も長期的成長を前提に構築され継続性を重視する風土に、バブル崩壊の自信喪失から欧米流の個人主義と収益重視の経営を持ち込んだことが誤りだと思います。終身雇用を志向する日本企業が教育を重視してきたのに対し、80年代以降日本に持ち込まれた経営手法は手順重視の欧米流のものばかりですから適合するはずもありません。明治維新前後に日本を訪れた外国人が一様に驚くのは貧しいながらも卑しさのない暮らしぶりだとされます。ソニーもホンダも松下も戦後の荒廃からスタートして世界有数の企業になりましたが、物不足の時代にこそ日本人は力を発揮すると思います。経済的に豊かになった今の日本は卑しい人が増え、お金がないことを過度に不安に感じる社会になりました。日本人が活躍できる場所はお金になりそうもない途上国なのかもしれません。
一歩一歩前に
あけましておめでとうございます。達成した試しがない今年の目標設定は止めました。人生は無情にも日々短くなっていきますが、そのスピードを加速するのは今に安住する惰性的な生き方です。その流れを止めるのは新たな行動しかなく、一年でどれだけ職業人としてのスキルが向上したかが重要ですが、環境変化に対して十分なものではありません。新たな人生の展開をもたらすきっかけは辛さやストレス、プレッシャーが原動力になり前に進むしかないと思います。安住を求め守りにまわった瞬間から人生は先が見えて坂道を下り始めます。昨年はトレイルレースにほとんど出ずわずか50kmほどを走っただけで、体と心の充足は大きなテーマです。旅館経営の再開は重要課題ですが、トレイルレース同様遠いゴールでも一歩一歩前に進みたいと思います。進歩は常に不安や不快な状態から起こるもので、少しでも行動をすればやがて事態を好転させるチャンスを掴むことができるのでしょう。自分を変える挑戦に積極的に動き前進することだけが不安や悲しみを癒すことができ、あれこれ悩む前に行動する以外に答えを見つける方法がないことをこの3年で学びました。
一人で生きていく
2週間ほどわが家に滞在していたオーストラリアの留学生が昨日帰国しました。志望していたシドニー大学の合格通知は滞在中に届きました。高校1年の時に娘の高校に通うために来日し一緒に暮らしてから2年のブランクがありますが、不思議と離れていた印象がありません。その後今度は娘が留学に行き、家族3人が東京、福島、ニュージーランドと1年間離れて暮らしましたがEメールやSNSを一切禁じられていたのに、気にはかけても寂しいという感情はお互いに持ちませんでした。スカイプやメッセンジャーがあるからどこにいても寂しくないのではなく、一人の時間を楽しめることが重要だと思います。一人で依存せずに生きていくことはハードルが高く、死別や離婚後男性が早く死ぬのは日常生活を女性に依存しているからだと思います。現代の医療が問題なのは、患者が治療に参加する環境になく自分の健康を人に委ね、自ら健康を取り戻す可能性を放棄していることです。介護を含めた社会保障費を押し上げているのは依存を奨励する社会です。脳が報酬を求める習性を利用して企業は消費者を自社商品の依存症にしようとします。人に依存せず異国で一人生活をする高校生の世代が世界を大きく変えて行くことでしょう。