
ランニング界に激震を与えた「BORN TO RUN」の続編、「BORN TO RUN 2」を読みました。実践ガイドの位置づけですが、タイトルが示す通り至って平凡な中身で、第一作のような衝撃もなくヒット作になる予感はしません。「ランニングシューズは人間の足を襲う市場最大の破壊勢力」という刺激的なフレーズで、ナイキなどのビッグ・スニークを敵に回した切れ味の良さはなく、逆にこの20年間、ランニング界に新しいトピックスが乏しいことの裏返しかもしれません。自分が夏休みの自由研究にしているファット・アダプテーション(脂質代謝適応)に関する記述も限定的で、少し物足りない印象です。タラウマラ族(ララムリ)の古タイヤのシューズが日本でもブームになった前作のような社会現象になることもないでしょう。それでもそこそこのセールスになるとすれば、それは偉大な第一作の遺産ということかもしれません。
お知らせ
何もないのに全てがある

夕食に飲んだコーヒーのためか、午前0時前に目が覚め、デッキに椅子を持ち出します。やがて暗がりに眼が慣れると、カラ松林からのぞく星空が鮮明に輝き、森からは止むことのないリズミカルな虫の音が響き、「いまここにいる」感覚が訪れます。何もないのに全てがある、内部から湧き上がる充足感により、年々衰退する物欲が、さらに減退する気がします。今すわっている、20年ほど前にヤフオクで買った薄汚れた椅子を、昔欲しかったブランドのついた最新の椅子に替えたとしても、自分をなぐさめてはくれないでしょう。たるんだバックレストが、むしろ自分の体には心地よく感じられます。目の前に停まっているN-VANにしても、快適すぎる昨今の軽の商用車以上の性能や快適性は虚飾に思えます。物欲と不用品であふれる世間では、本質と向き合うことなしに、常にオーバーヒート気味の脳をさらに酷使しているのかもしれません。
消費なき充足

お盆を過ぎると、山では足早に秋がやってきます。一方、全国の都市部では相変わらずの灼熱地獄が続きます。人々が今の季節、週末に自然を目指すのは、単に避暑や清涼感を求めてだけではないと思います。人口密集やヒートアイランド現象など、都市の問題が露見する時期ゆえに、外部刺激から逃れることのできない都市生活のデトックスを、本能が求めているからかもしれません。都会的な暮らしとは、金を稼ぎ消費することが目的化し、自分と向き合うことなしに、社会的コンセンサスとしての幸せを追い求めるために最適化された環境です。いくら言葉を飾ったとしても、世間で言われる「本当の幸せ」とは経済原則に取り込まれ、快楽の鎖につながれたままです。片足を大量消費に突っ込みながら、自然のなかで感じる消費なき充足こそが、もっとも尊いと気づいたとしても、都市が放つ眩い刺激から自由になることは容易ではなさそうです。
加齢原因説の罪

腰痛が改善して最初の夏山シーズンで、4年前は2時間半で周回できた西岳、編笠山に45分遅い3時間15分を要しました。しかし数度登るうちに9分だけ短縮し、無理のないペースと一定の負荷を心掛けていますので、体の動きがトレイルに適応したことになります。4年前のペースに戻すには相応の筋肉が必要ですが、体は動かしさえすれば強い復元力があると思います。知ってか知らずか、世間では加齢原因説の嘘が流布され、本来なら避けられた老化によりおびただしい人の寿命を縮めたのかもしれません。「老化」と一括りにされている衰えの多くが、廃用性萎縮であることは、多くの研究が指摘しています。生理的老化による筋肉量の減少は年に1%程度ですが、廃用性萎縮では、安静にしていると3週間で60%もの筋力が低下すると言う研究もあります。避けられた老化による経済損失は5.4兆円ほどと試算され、これにはQOLといった心の問題は含まれません。
健康オタクの逆襲

健康志向の世の中になる前は、健康オタクはバカにされる存在でした。楽しみを我慢する人生に何の価値があるのだ?という主張はもっともに聞こえますが、楽しみの大半は脳の一部が喜び体とは分離した快楽です。美味しいと感じるその味覚は食品産業が作り出した刺激によってハックされたものです。将来のために今を犠牲にするなんて馬鹿げている、と言う声も聞きます。太く短く生きたいという趣旨ですが、問題はその行く末が「細く、長く、苦しむ」現実になることです。「俺の人生だ。他人に指図される筋合いはない。」という文句も聞きます。しかし、本当でしょうか?自分の意志で選んだと信じている商品、必要だと感じている商品は、メーカーのマーケティングによって刷り込まれ、産業の最高の顧客になっているだけかもしれません。自分の持ち物で磨くべきは、唯一与えられた肉体だけだと思うのです。
最高の状態で脳が起動する

長野県の朝のルーティンは、3時間かけて西岳と編笠山に登ることです。これは単なる気分転換やリフレッシュを超えた、脳の生産性を最大化するプロセスだと思います。朝一番の有酸素運動はBDNF(脳由来神経栄養因子)の分泌を促し学習、記憶、高次の思考を司る神経細胞を育て保護します。山頂で浴びる太陽はサーカディアンリズムをリセットし、覚醒レベルを最適化します。空腹状態で運動をするために脂肪が燃焼し、脳にとってクリーンで安定したエネルギー源であるケトン体が使われ、血糖値の乱高下によるパフォーマンスの波からも解放されます。適度な負荷の登りはDMNが活性化することでアイデアが生まれ、不整地でスピードを上げる下りは脳に膨大な情報処理を要求し、強制的なマインドフルネス状態になります。さらに自然と同化する森林浴の効果が加わり、単なる運動を超えて、最高の状態で脳が起動する気がします。
転地効果と生産性

長野県の富士見高原に通いはじめて30年が経ちます。東京に最も近い長野県は、同時に最も近い高原とも言えます。八ヶ岳山麓の別荘地のなかには標高1,700mを超えるツワモノ物件もありますが、標高1,300mでも避暑には十分で、8月以外はストーブを焚きたくなります。別荘地が一番賑わったのはおそらく1970年代ではないかと想像するのですが、今や周囲は空き地や空き家が目立ち寂れた風情です。それでもコロナ禍とリモートワークの普及により新しい家が建ち始め、多拠点居住の候補地としては有力かもしれません。知名度が低いわりに、県の関わる別荘地ゆえに、スキー場、陸上トラックや温浴施設などが充実し、物件価格だけではなく管理費が安いこともメリットです。標高1,300mは山へのアクセスも抜群で、微妙に雪の降る地域ですから冬の銀世界も楽しめます。転地効果による仕事の生産性向上を含めると、移動コストや時間は妥当に思えます。
一番恐ろしいのは嘘をつかないAI

日本語の出力が自然になるなど、地味な進化をしたと言われるGPT-5が発表されました。お世辞を言わなくなったことに、旧バージョンに戻せという炎上も起きているようです。いずれにしても、生成AIのレベルがここまで来ると、むしろ進化することに脅威を感じます。基準が曖昧な分野でも学習できる新しい強化学習の手法を取り入れたことで、ハルシネーションと呼ばれる嘘をつく頻度が減ったと言われます。ビジネスパーソンが生成AIを使わない理由は、情報漏洩のリスクと、もっともらしく嘘つく性癖です。虚偽または誤解を招く情報を、事実かのように生成AIが応答することは日常的ですし、どういうことを聞くとデタラメの回答をするかは使っていれば分かります。むしろ一番恐ろしいのは、AIが嘘をつかなくなる時で、人類がそれを妄信して従う未来こそ悪夢でしょう。
命への無頓着さ

8月15日、深夜の甲州街道は快調に流れています。不正に改造されたRX-7が、流れを乱すように追い抜いて行きます。前方で小動物が道路を横切るのが見え、RX-7が走り去ったあとには黒猫が倒れていました。流れに従っていれば避けられたはずです。意味もなく改造し、意味もなく騒音と燃料をまき散らし、意味もなく命を奪う。人間の存在に意味など求めるべきではないのかもしれませんが、80年前の戦争に意味がなかったとは思いたくありません。昨年から今年にかけて亡くなった両親に、もっと戦争の話を聞くべきでした。父からは撃墜されたB29を見に行った話を聞いたことがあります。今なら聞きたいことはたくさんありますが、そのときはなぜか話が弾みませんでした。父は何かを伝えたかったのかもしれない、と思うと後悔が残ります。他者の命への無頓着さという愚かさが、戦争の絶えない現実を生み出すことを、戦後世代こそ直視すべきなのでしょう。
自分の感覚こそ最高のセンサー

連日、日の出前から西岳と編笠山に登りました。体が慣れ今朝は先週より6分短縮でき、グリップの良い靴と気温が下がる9月なら2時間台でラウンドすることは難しくなさそうです。次の目標は4年前のタイムである2時間半で周回することで、そのためには下りを走れる筋肉が必要です。怪我のリスクがありますのでFKTのようにコースレコードを狙うことはありませんが、タイムが改善することは運動へのモチベーションを高めます。GPSアプリがチェックポイントごとのタイムを計測しますので、運動パフォーマンスと前日の食事や睡眠、登りのペース配分を振り返ります。その日の体調と計測タイムは比例していますので、「自分の感覚」こそが最高のセンサーと言えます。あまり健康常識を信用しないのは、最大公約数に向けられたガイドラインと、自分の感覚にはずれがあるからです。