外食の必要性を疑う


妻が食事を作ってくれるときは一日二食ですが、長野県などに来て自分で食事を用意するときは一日一度です。食事を作るのが面倒だからという理由ばかりではなく、二食は食べ過ぎに思えるからです。最近は油を使わず健康的とされる蒸し料理が多く、せいろに入れて蒸すだけの手軽さは、もはや調理とは言えないレベルの簡単さです。蒸すだけのシンプルな料理こそ食材本来の味が引き立ち、塩や醤油といった基礎的な調味料にお金をかけたくなります。シュウマイなどを買ってきて野菜と蒸せば、もはや立派な料理になり、これ以上に手をかける必要があるのかと感じます。外食に蒸し料理店が少ないのは、飲茶などの一部の業態を除けば付加価値がつけにくく、人々が外食の必要性を疑うようになるからかもしれません。

食べることよりエネルギー産生


山が身近にある生活をするとエネルギー摂取について考えます。20km程度のトレッキングであれば無補給で歩き、もちろん朝食も食べません。食事や外食にそれほど興味がわかないのは、食べること以上に自分の体がどこまでエネルギーを産生できるかの探求に魅かれるからです。数年前に雲の平山荘から三俣山荘、黒部五郎小屋を経て、北ノ俣岳から北ノ俣岳登山口まで、12kgの荷物を背負い歩いたときは5,400kcal程度を消費しているはずですが、前日から無補給でそのまま車を運転して帰りました。食べることと、自分でエネルギーを生み出す能力はトレードオフの関係にあり、飢餓に近い状態でトレーニングを積むことで、より効率よくファット・アダプテーションによりエネルギーが作られます。脂肪を燃やせば生活習慣病の予防やアンチエイジングにも効果があり、体形も良くなるとあればやらない理由などありません。

アビリーンに向かってる?


ジャングリアが炎上気味です。有名人にアンチが出るのは当然で不当な主張が多い反面、一理あると納得するものもあります。プロモーション映像が過剰演出だったことは致し方ないとしても、背景にあるのは行き過ぎた期待とのギャップでしょう。これだけ叩かれれば心が折れますが、エネルギッシュな森岡氏がいつになく疲れた表情で取材に応じ、弱気だったのを見ながら思ったのは、アビリーンのパラドックスです。経営学者のジェリー・B・ハーヴェイが1974年に提唱した概念は、彼自身の家族に起きた出来事に由来します。退屈だろうからと53マイル離れたアビリーンまで食事に行こうと誰かが提案し、本当は誰も行きたくないのに行くはめになり、食事も不味くてひどい目に合うという話は、集団意思決定の恐怖として知られます。USJ時代に実現できずに辛酸をなめた経験が、アビリーンに向かわせていなければよいのですが。

自分だけの時間


長野県にいるときは山に登っていなければ家の外にテーブルとイスを出して、パソコンは目の前にありますが、ただ何をするわけでもなく時間が過ぎます。とくに好きなのが日没前30分頃から鳴きだすヒグラシの合唱を聞きながら、あたりが薄暗くなり、やがて闇が訪れる時間の流れの傍観者になることです。蝉のはかない一生と自分の人生について考えます。友達が少ないと人に揶揄されることもありますが、誰に煩わされることなく、自分だけの時間を持てることこそ人生の質を高めると思います。休日何もせずにぼんやり過ごすとDMNが活性化し、脳が大量のエネルギーを消費することで、脳疲労が蓄積することが知られます。一方で自然のなかに身を置くと、バイオフィリア仮説がそうさせるのか、注意は周囲に注がれ脳はムダにエネルギーを消費せず、ぼんやりしているようで、大切なことに気づくのかもしれません。

目の前にある非日常


普段から眠りが浅く、眠くなければそのまま起きだしてあえて寝ようとはしません。昨夜も夜中の0時過ぎに目が覚め、家の外に椅子を持ち出しました。夜空を見上げて人工衛星を探し始めると、流れ星が頭上を横切ります。遠くの森で鹿が鳴き、単調なリズムで虫の音が響き、人の気配のしない漆黒の世界に身を置くと、何かに畏敬の念を感じる不思議な情動が芽生え、時間の流れが緩やかに変わります。似ている記憶を探すなら、アメリカのグランドティトン国立公園のホテルのデッキで、夕暮れの大平原を動物の群れが移動しているのを見たときの感覚です。東京から2時間の長野県で似た経験ができるのなら、言葉にしがたい複雑な感情を伴う非日常は、目の前にあると言えます。最終的な判断は感じ手の感受性の問題ですが、自分を消費者としてみた場合、非日常性の深度が圧倒的に違うと言われても、海外まで出かける追加費用は不要に思えます。

4年前の体を取り戻す


長野県にいるときは、朝は西岳と編笠山に登ります。富士見高原登山口からの累積標高は1,263m、10.5kmで1,568kcalを消費する山歩きは、朝のルーティンに最適です。腰痛あけの昨日は3時間15分を要し、これは4年前より45分も遅いタイムです。それでも悲観しないのは、登りのタイムは10分遅いだけで、ここまで時間がかかった理由は下りを走れないからです。一般ハイカーとトレイルランナーの違いは、下りを走ることで、そのための筋肉が必要です。下り坂では大腿四頭筋が体を支えますが、筋力が落ちると、着地の衝撃を吸収できなくなり、これは腱や関節の耐性低下も同様です。不整地のどこに足を置くかを瞬時に判断し体を安定させるには、神経系の働きも不可欠です。人々が老化だと思っている体の機能低下の大半は、使わないことによる廃用性萎縮であって、また使い始めればその機能の大半は回復しますから、当面の目標は4年前の体を取り戻すことです。

本当に恐れていたもの


この季節になるとサラリーマンを辞めた9年前を思い出します。お世話になった4社には感謝しかなく、他方で、勤め続けることの先にある言い知れぬ恐怖や、他の可能性を見たいという好奇心が勝ったと言えます。それまで勤めていた会社の良さは、辞めた後に初めて分かります。同様に給与所得者を離れてみないと、誰にも守られない不安を想像することは難しいのかもしれません。この9年間は一進一退でしたが、求めていたのは人生の主体性を取り戻すことだったような気がします。人付き合いが苦手で、組織内を立ち回る器用さに欠ける自分にとって、今日に至る道筋は当然の帰結だったのかもしれません。若いとは言えないが、かといって隠居するほどの歳でもない今頃になって、人生で何をなすべきかが分かり始めた気がします。本当に恐れていたものは、何もなさずに死ぬことだったのでしょう。

一石三鳥のスピードハイク


先週に続いて、編笠山、権現岳、西岳に登りました。八ヶ岳の山はどこも登山口からの標高差が1,000m以上あり、山頂の気温は6度ほど低く、今の季節に行くのは快適です。厳選された最小限の装備で遠くまで行くスピードハイクが好きですが、腰痛で運動を控えていたことから筋肉が落ち、20km超の距離をこなすには筋肉量が足りません。マゾヒスト系アスリートのスパルタンさとは無縁の軟弱さで、他方で一般ハイカーの倍程度の距離を移動する、いいとこ取りを狙います。20km程度の山での移動であれば食料補給はしませんので、ミトコンドリアを活性化でき、糖質を使わず自身の体がため込んだ脂肪を燃やすので、健康的な体形に近づき、お金もかからず一石三鳥です。山ではセルフレスキューが原則ですから、想定外の事態に備えた帰路であるエスケープルートの確保は最重要で、準備の段階から小旅行の楽しみは始まります。

自然を扱う商業施設の矛盾


昨日は武田勝頼終焉の地として知られる天目山景徳院と、近くにある竜門峡のトレイルを歩きました。渓流沿いの散歩道は素晴らしく、遺構が語りかけてくるような炭焼窯跡や、見る者を圧倒する巨石の数々など、大自然の神秘に触れる興奮の連続なのに、会ったのは渓流釣りの男性一人だけです。一方で25日に開業したジャングリアは盛況のようで、沖縄の北部振興策としては賞賛したいのですが、自然を分かりやすく商業化することには抵抗感もあります。大自然におけるレジャーの醍醐味は、人間が本来の野生を取り戻すことですが、登山道で会うハイカーでさえ周囲を無警戒で歩いているように、感度を失った都会人にはよりリアルな自然が必要だと思います。人工的な付加価値を付けない限りお金がとれない宿命のため、自然を無粋に加工せざるを得ないことは、自然を扱うテーマパークの矛盾でしょう。

冴えないのに特別


為替などの影響とは言え、三菱自動車の4~6月期の純利益が97%減と伝えられます。初めて乗った車が叔父からもらった初代コルトギャランで、今とは違い車がシンプルで楽しかった思い出があります。以来ラリーシーンでの活躍もあり、三菱自動車は冴えないのにいつも特別の存在でした。昨年買ったN-VANで自動車への欲求はほぼ満たされ、以前のように車にときめくこともなくなりましたが、あえて国産車で欲しい車を探すと三菱のデリカD5は最右翼です。ミニバンの快適な空間とSUVの高い悪路走破性を融合する、唯一無二のコンセプトで、世界的に見ても稀有な存在だと思います。どこか冴えないイメージがつきまといながら、4WDのMPVというマニアックな車を出せる熱い思いが企業体質なのか、たまたま居合わせた個人によるものか分かりませんが、このような車を生み出せる企業には生き残ってもらいたいものです。

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