未来を見据えた近江商人


昨日はラコリーナと叶匠壽庵(かのうしょうじゅあん)寿長生の郷(すないのさと)を見ました。前者は1872年創業の和菓子店の㈱たねやであり、後者は大津市職員であった芝田清次氏が1958年に設立した和菓子店です。共通するのは滋賀県発祥の和菓子店の製造拠点となるファクトリーパークで、どちらの施設も農場を併設します。バブルの時代にもファクトリーパークが流行しましたが、企業の目指す世界観を本格的に表現する力の入れ方が当時とは違います。寿長生の郷は「農工一体」の思想を取り入れ、350種の樹木が認められる63,000坪の里山に梅や柚子など約800種の植物を植えたと言います。世界的にも評価の高い日本のお菓子メーカーは、魅力的なファクトリーパークを持ちますが、滋賀県を代表する二社の遠い未来を見据えた本気度は、近江商人の血がそうさせるのかもしれません。

感性を使った仕事


年末年始は長野県内の小旅行に出かけました。戸隠神社のような豪雪がSNS映えするパワースポットは賑わい、9割方がインバウンド客です。他方で、妻籠宿のようなちょっと地味な観光地は人影がまばらです。マスメディアはオーバーツーリズムが全国的な問題かのようなイメージを伝えますが、大半の地域はインバウンド客による需要増の恩恵に浴していません。よく行く会津も、行くたびにほっとするのは日本人ばかりではなく、本当はこうした独自の文化や信仰が残る地域を見て欲しいし、欧米人が本当に見たい日本だと思います。各地には観光協会に変わりDMOが立ち上がりますが、機能しているのはわずかな例外だけに見えます。効果的なディレクションとプロモーションという、感性を使った仕事は、業界慣習に馴染んだ人にはハードルが高そうです。本当は感性を使った仕事は頭のエネルギーを使わないから楽なのですが。

僻地サウナ


サウナ視察は実益を兼ねた趣味で、アウトドア型のサウナに魅かれます。ロケーションを選ばないテントサウナも魅力的ですが、常設されたサウナ小屋の落ち着きは望めません。郡山市のOUSE SAUNA TUULIは、北欧を思わせるサウナで、水辺にある本場のサマーコテージもきっとこうなのだろうと空想させます。新潟県五泉市にあるななほしサウナは、湧水の里に移築された古民家に、フィンランドの伝統的なサウナ小屋を再現した施設構成が魅力的でした。雪のなか訪れた荒波打ち寄せる柏崎市のSHIIYA VILLAGEが、真冬に人を集めることができるのは、ジビエをはじめ、イタリアン、フレンチ、日本食の料理人を呼ぶオーベルジュという理想的な組み合わせの妙にあると感じました。冬をトップシーズンにし、倒木を燃料として活用でき、里山とともに集落の空き家を再生できる、自然、古民家、北欧式サウナの組み合わせによる僻地サウナは、地方創生の切り札になる気がします。

直し続けて住む暮らし


昨年後半にN-VANが来てから生活が一変し、各地のサウナと古民家を頻繁に見に行きました。以前なら遠くて行けないと思う場所でも、日本一安いキャンピングカーとの呼声が高いN-VANなら、その恐るべき居住性と長距離走破能力により、地続きである限り行けない場所はありません。古民家というと茅葺屋根のいかにも昔懐かしい形状をイメージしますが、新建材によって醜く改造されてしまった寂れた家屋のなかにも、手彫りの太い梁が通っている建物があり、これも立派な古民家だと思います。日本中の空き家の大半は残す価値のない粗製乱造された工業製品ですが、今後建てられることのない、郷愁を掻き立てる家は再生すべきでしょう。快適性という美名のもとに改悪されてしまった部分を自然素材に戻し塗装をするだけで、風景に溶け込む美しい家に再生できます。家の価値を上げながら直し続けて住む暮らしを定着させたいものです。

ワークとライフの調和


一年の計は元旦にありと言われます。一年を振り返り今年の目標を定めるには、年初こそふさわしいのでしょう。目標は毎年同じで、よく働き、よく体を動かし、食を節制することです。何事も必死にならざるを得なかった旅館を営業していた時とは違い、最近はよく働いている状態とは言えず、昨年は腰痛を理由に体を動かす機会が減り、乱暴に食べていた結果、肥満とは言わないまでも、体形が不健康になりつつあります。人類が生き残ることができたのは、厳しい環境に適応してきたからであり、自分を甘やかすことは気の長い自殺なのかもしれません。他方で、ワークライフバランスという考え方に違和感があるのは、本来ワークとライフは対立概念ではなく、一体として調和させるものだと思うからです。平均的な日本人は、現役時代はワークに偏り、リタイアをするとライフに偏重してきた気がします。

人生を変えた車


2024年はEV一辺倒の環境対策が行き詰まりました。脆弱な給電インフラ、寒冷地での性能低下やバッテリーの火災リスク、製造から廃棄に至る環境負荷、化石燃料を燃やして作った電気を非効率な送電に頼ることが疑問視され、供給過剰のEVは世界的な販売不振に陥りました。最も効果的な環境対策は車を小さくすることだと思います。昨年買ったN-VANは軽商用車ながら気に入り過ぎて、月間5,000kmペースで走ったのは自分史上最高です。人生を変えた車であり、フェラーリやランボルギーニでもそうはなりません。最低価格の商用車の割に運転席は優秀で、長崎まで1,250kmを給油とトイレ休憩だけで走っても疲れ知らずで、5ナンバーワンボックスより高い着座位置は街中での見切りが良く、連続走行も苦になりません。今までは遠過ぎて行けないと思っていた所に行けるのは、年間300泊する猛者がいるほど、十分な就寝空間を持つからです。

ハイブリッドの古民家


年末年始もなるべく古民家を訪れ、昨日は馬籠、妻籠宿から塩尻に至る中山道沿いの宿場街の古い街並みを見ました。古民家の定義には定まったものはなく、概ね築100年以上、すなわち大正以前の建築という解釈が一般的と思われます。新建材が使われず、マシンカットされる以前の、基礎に固定されていない家というのが自分なりの定義です。築何年ということがあまり重要とは思わないのは、代々改装されながら使い続けてきた古民家は、新旧部材のハイブリッド構造で、年代を経るごとにオリジナル部分が少なくなるからです。極論すれば礎石を残してほぼすべてが新品の材料と交換されてしまうことさえあると思います。他方で、古民家を立派に改装して、現代住宅のように快適にすることが良いやり方と思わないのは、以前真冬の宿場町で泊まった宿には暖房も現代的なサッシもなく、コタツに足を入れて寝た思い出が今なお鮮明に残るからです。

雪の美しさが人を幸せにする


普段は信心深くない人でもこの時期は神社に参拝します。戸隠は大都会長野の中心部から30分ほどの距離とは思えないほど深山幽谷の趣があり、ことに深い雪に閉ざされるこの時期にこそ訪れる価値があります。昨日は戸隠神社の奥社まで歩き、ここでも多くはインバウンド客ですが、この厳かさの魅力に魅かれるのは古今東西、老若男女を問わないのでしょう。トレイルランニングが最も幸せなのもパウダースノーの絨毯を走ることができる季節ですが、雪の美しさは人を幸せにする力を持つのかもしれません。もはや冬季オリンピックを開催できる国は、日本を含めてごく少数です。雪国という世界的にも稀有な卓越性こそ、世界に誇る観光資源だと思います。日本では当たり前だったことの価値に、多くのインバウンド客が訪れることで、初めてわれわれが認識するのかもしれません。

内省する年末年始


テレビもネット常時接続もない正月を過ごすようになり、豊かさの捉え方が変わりました。昔なら紅白に始まり正月番組を見ながら、買ったおせち料理を食べ続けるという不健康な生活でした。大晦日のスーパーでは皆数万円の買い物をしますが、普段と変わらない買い物で、買うのは蒲鉾ぐらいの簡素なおせち料理です。この2、30年は元旦に諏訪大社へ初詣をして、近所の山に登るのが恒例です。この時期の天候は安定し昨日も絶好の山日和でした。お正月はテレビやネットの雑音を消して静かに過ごし、普段からの食べ過ぎと運動不足を解消する好機なのかもしれません。人はお金を使うことで知らない世界を拡張し、より多くの幸せが得られると考えますが、本当に大切なものにはたいしてお金がかからないと思います。雪の積もる森を歩き、火を眺めるだけの時間が、生き方を内省する年末年始にこそふさわしい気がします。

知恵の詰まった古民家

【知恵の詰まった古民家】
戦後80年の2025年が幕を開けました。戦争の記憶は薄らぎますが、過去に学ばなければ誤りの歴史を繰り返すことになります。昨年はサウナ施設と同時に多くの古民家を見に行きました。戦後の日本は進歩という名の恣意的な方向性を妄信するあまり、先人達の古い暮らしの知恵を軽んじてきたと思います。便利さや快適さを必要以上に追及した結果、新建材で建てられた家屋は自然とは相いれない異物として街並みを破壊しました。他方で、地震大国日本では年々耐震基準が強化されますが、現代の家は揺れによりひとたび軸が狂えば全てが廃棄物になります。伝統的な日本家屋は基礎に固定されていませんので、自ずと免振構造となり揺れに強く、傾いても元に戻すことができます。法律に縛られる今日の建物は自然とは相いれず、持続可能性も低いものかもしれません。建築基準法以前の先祖の知恵の詰まった古民家を、一軒でも残したいものです。

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