昨日は絶好の山日和で西岳、編笠山に登りました。編笠山の山頂は快晴無風で北アルプス、御嶽山、中央アルプス、南アルプスがこれほどはっきりと見渡せる日は今の季節だけです。まだ暗い時間に氷点下12度の屋外に出て行くのは躊躇もしますが、いかなる犠牲を払ってでも来て良かったと思えます。しかし本当の喜びは何と言っても下りのスノーランです。走ることを想定していないのかチェーンスパイクは1シーズン限りの消耗品になりますが、森を抜けて雪の積もったトレイルを駆け下りる快感は比べるものが見当たりません。ゆっくり走るとセロトニンが分泌されるような多幸感に包まれ、スピードを上げると新雪ならスキーのように滑らせることもでき板がないので素早いターンができます。最近スキーに食指が動かないのは、中級スキーヤーにとってはむしろスノーランの方がダイナミックなダウンヒルが楽しめるからかもしれません。下りが楽しいトレイルランニングは、実はウィンタースポーツだったのだと思います。走ることは自由の証であり、いかなる季節より雪のシーズンがダントツに楽しく、永遠の今を生きている!という気分にさえなります。
お知らせ
上りも下りもかけがえのない時間
昨日は八ヶ岳の編笠山に登りました。氷点下8度の登山口から参道のような九十九折を登っていくと神聖な気持ちになります。突然ドーンという音とともに森の静寂を破って一陣の風が吹き抜けます。夏なら子供でも登れる気楽な山ですが、強風で知られる冬季は登山届が必要な難所であり、樹林帯で引き返すことにしました。快晴であっても山は突然牙を剥き人間の弱さを教えてくれます。我々の住む世界は自然と人工的な都市に分けられ、一人で山に入ると意識は自分の内面に向かいますが、都市においては外界にばかり目を奪われやがて無自覚になります。都市の先にあるものがメタバースなら、そこは人間の意識の自律性を支配された牢獄に見えます。一方で自然の先にあるものが超自然ならそこには次元を超える無限の可能性の世界でしょう。紀元前から知られるように、自然から離れるほど人は自分を見失い健康を損ないます。そんなことを考える内省の登りと打って変わって、下りはスノーランの楽しさに没頭できます。雪のついた登山道は上りも下りもかけがえのない時間を与えてくれます。
最も安全な資産は自分
年賀状をもらうとちらほらとリタイアの声を聞くようになりました。組織人は再雇用などで65歳ぐらいまで働き、70歳を超えて働く人も少なくありません。リタイア世代のライフスタイルは概ねのんびり派9割、生涯現役派1割という印象です。両者の違いは主に現役時代の仕事観によるもので、前者は極論すると労働を罰と捉えそこから放免されてのんびりしたいと考えるのだと思います。生涯現役でありたいのは、群れで命をつないできた人類はそれぞれが役割を持ち、それを果たせなくなるときに死が訪れるのは自然の摂理だからです。もう一つの理由は働かないことのリスクが、今後の世界では高いと考えるからです。世界ではインフレへの懸念が広がり、かつての日本でも預金封鎖が行われたことを考えると、老後はこの程度の資産があれば大丈夫、というリタイアメント・プランニングを軽信する気にはなりません。何より自由を謳歌できるはずの第二第三の人生を人の世話になることは不幸です。死ぬ時に最も多くの資産を持つと揶揄されるほど心配性の日本人ですが、最も安全性の高い資産は健康でいつまでも働ける自分の身体だと思います。
寒さや空腹は役に立つ
寒の入りを過ぎ一年で最も寒い時期を迎え、早朝近所の畑には霜が降ります。半地下にある我が家は外気の影響を受けにくく、一年を通じてエアコンをほとんど使いませんので、今の時期は家に居ても厚着をします。人類史は寒さと空腹との戦いであり、その末裔の現代人も寒さや空腹を忌み嫌います。寒さや空腹に伴うストレスホルモンによって注意力が外界に向かうのは、人類進化により身につけたサバイバルシステムがあるからです。外界の危機に直面するとアドレナリンやコルチゾールといった化学物質が体内に放出され、サバイバルモードに入ると人は自らが助かることにしか意識が及ばなくなります。寒さや空腹から逃れることにしか思考が行かなくなり、暖を取りたい、空腹を癒やしたいという感情を呼び起こします。しかし素晴らしく良くできた人体は、寒さや飢餓といった生命を危機に陥れる状態において生命力を高めるように作られていて、寒さにより人体の発電機であるミトコンドリアは活性し、空腹により長寿遺伝子が動き始めます。今しか経験できない寒さや空腹は避けるものではなく、むしろ積極的に健康のために活用すべきでしょう。
人生はやり直せる
日曜日に八ヶ岳に登り、腿まで沈む雪を踏み分けて稜線を進んだためか、久しぶりに筋肉痛が戻ってきました。考えてみると1ヶ月以上身体を動かしていません。コロナ禍一年目の2020年は早朝の西岳(2,398m)に42回登ったのは東京を離れる時間が長かったからです。昨年は12回しか?登っていないのは結局東京中心の生活に戻ったからです。生活が日常を取り戻すことは喜ぶべきですが、やればできるリモートワークも馴染みの働き方に戻るのかもしれません。フェイスブックを見ると、あの人もこの人も都市を離れる移住ブームが起きていると錯覚しますが、頂いた年賀状を見ると地方に拠点を移したという人はほぼ皆無です。自分のまわりの人を乱暴に分類すると都会の生活を続ける人が90%、複数拠点生活をする人が5%、たまには都心に出られる郊外居住を含み拠点を移す人が5%という感覚です。仮に1割が都市信仰に見切りをつけるにしてもこれは令和の民族大移動ですし、潜在層はさらに多いと思います。現代人が受ける最大の恩恵が第二、第三の人生をやり直せることなら、この比率はさらに上がって行くのでしょう。
気にせず、依存せず、自分でする
昨日は妻の実家に行きました。今年90歳になる義父は30数年前に結婚の挨拶に行ったときとさして印象が変わらず、高齢者という言葉があてはまりません。妻に先立たれた男性は短命であることが知られますが、13年前に義母が亡くなったあとも、人に依存せず何でも自分で行います。今でもお酒を楽しみ、以前は喫煙もしており健康のためにストイックな生活をするわけでもありません。昨日出された調味料は賞味期限を7年も過ぎているぐらいですから、細かいことを気にせず、誰にも依存せず、何でも自分ですることが健康な生活を送る秘訣かもしれません。天然で鷹揚で素のままに生きる父を見ていると、検診結果に一喜一憂するのも、健康に良いか悪いかで全てを判断するのも、アンチエイジングのための出費を惜しまないのも、全てが不健康な執着に見えます。人の手を煩わすことが一切なく、子供にとっては理想の父ですが、「もう年だから」などと弱音を吐けば、その依存心が自らの自由と生命力を奪うことになります。新年は誰しも年を一つ重ねることを意識しますが、父の生き方を見習い、精神的老化を防ぐ挑戦の一年にしたいと思います。
幸福のための執着と稼ぐための執着
昨日は八ヶ岳南端の西岳から青年小屋まで往復しました。この時期としては多い積雪のためスノートレッキングにはこの上ないコンディションです。森の冷気と霊気を感じながら山を下るスノーランがもたらす幸福感に勝るものありません。自然のなかで過ごせば無条件に幸せですが、一方で商業的サービスがもたらす幸福はいつも条件付きで欲望や執着がつきまとう気がします。稜線に上がると肌を刺すような風が襲いますが、下山後に冷え切った身体を湯船に沈める幸福感を得るにはさしてお金はかかりません。お金は身の丈の生活の範囲に使うものであって、華美な洗練や快適さ、安楽を買えばそこから執着が芽生えるのでしょう。幸せを商業化する技術は年々巧妙化しますが、幸せは外部に求めるものではなく自分の内側に見つけるものだと思います。本来の自由とはモノからの自由を意味したはずですが、大半の人は消費する自由を求めます。際限ない消費を求めた結果、効率よく稼ぐ必要が生じ、時間節約のためお金を払いそこにも執着が芽生えます。幸福のための執着と稼ぐための執着を手放すことなしに幸福に近づく道はないのでしょう。
疎開のうねり
例年この時期は宿泊客で賑わいどの駐車場も満車で入れないリゾートに行ってみると閑散としています。年末商戦たけなわの商店も意外に混雑していませんでした。昨年末に夜の都心を歩いたときも、行列のできる店とガラガラの店のコントラストが鮮明でバブル崩壊後に見た景色を思い出し、残酷な優勝劣敗が再び始まる予兆に見えます。海外ではスタグフレーションを危惧する声も聞かれ、2022年を明るく見通す材料が少ない印象です。後世の歴史家はコロナ禍のこの2年を、都市信仰が衰退期に入る転換点と評価するかもしれません。現代の都市の本質とは、幸せを金で買う場所であり、そこで買えるモノは他人軸の満足でしょう。他方で本当に貴重な健康も長寿も金では買えず、世界の長寿地帯であるブルーゾーンはいずれも医療施設の少ない自然豊かな場所です。われわれが時代の転換に遭遇しているのなら、過去の延長に夢を描くことはできず、新たな生き方を模索することになります。先月参加した富士山ヘルスツーリズムで聞いた、リスクの高い都市から離れる「疎開」というコンセプトはいずれ時代を転換させるうねりを起こし始めていると思います。
心穏やかな内省の時間
皆さま、あけましておめでとうございます。この2、30年はテレビのない年越しで、紅白ともゆく年くる年とも無縁の普段と変わらぬ生活です。あらゆる手段で浸透して来るメディアの雑音が年々不快になります。テレビを低俗にしたのは漫然と見続ける自己管理ができない視聴者でしょう。人生を難しく厄介にするのは欲望と執着や不安を生み出す様々な雑音であり、どこまで行っても満たされない虚しさの正体は無意味な付加価値だと思います。なくても困らないモノばかり人々は欲しがりやがて無自覚になります。氷点下12度の諏訪大社への初詣は新年のはじめに心を整える区切りになります。三種の神器の一つである鏡は参拝者に向けられ、自分を見つめることから人と神と自然が一体化した日本独特の美しさを創り出してきたのでしょう。古来より山を神霊の宿る聖地として崇め大切に扱ってきた自然信仰の形態を神社は今に伝える場所だと思います。欲望こそが経済を活性化させ社会を進展させると人々は考えましたが、本当の豊かさは祈が積み重なった神社空間のエネルギーがもたらす気がします。心穏やかな内省の時間を増やし離欲の一年にしたいものです。
クレームがつかない健康常識
大晦日は誕生日以上に過ぎゆく時間を感じます。この一年の生活変化は一日一食に移行したことです。栄養学の適当さは以前から気になっていましたが、我々が信じる権威は科学的に証明されたものではなく移ろいゆく意見に過ぎません。健康常識から解放され身体の声を信じると、体調は目に見えて良くなり、むしろ活力は増し、食事が美味しく、食事の用意の煩わしさも減り、時間もお金も節約でき、ゴミも減り、今のところデメリットを見いだすことができません。万人受けするとは思いませんが、断続的に断食する効果も得られ生活習慣病の発症リスクも下がりそうです。糖質制限は劇的に体重を落としますが、他方でアミラーゼ遺伝子を多く持つ日本人は腸内環境を改善するレジスタントスターチを含むご飯を食べるべきとか、米は精米した方が有害なレクチンのリスクを減らすなど諸説あり、何も信じず食べたいものを食べる多品目少量こそがベストの食べ方だと思います。流布される健康常識のなかで唯一クレームがつかないのは少食だけで、一食一食を大切にすることが命を尊ぶことでしょう。皆さま良い年をお迎えください。