都市に作られた森

梅雨が明けた昨日は表参道駅から徒歩数分の青山北町アパート跡地に開発された「のの青山」に行きました。江戸時代には江戸城を警固する百人組の同心屋敷が並ぶ青山百人町と呼ばれ、明治33年から昭和11年まで青山師範学校があり、戦後は都営住宅が建てられました。高層・集約化による創出用地にはシラカシ、アカガシ、スダジイなどの常緑樹を中心に照葉樹林の森(3,500㎡)が作られビオトープにはトンボが集まります。2014年4月に竣工した大手町タワーでもほぼ同規模の「大手町の森」が作られました。千葉県君津市の山林で3年かけて施工方法や植物の生育、適切な管理方法を検証し移植した森は竣工1年半後には施工時100種だった樹木・地被類が300種に増え、中には国や都のレッドリストに記載される希少種が含まれていたとされます。都市に作られた森としては明治神宮が有名ですが、殺風景な都会の公園はこのような森に変えてほしいものです。ロンドンなど海外の都市で羨ましいと思うのは、森深い美しい公園の存在ですが、どんぐりから作るポット苗を植えるだけならお金もかかりません。

悪魔のイデオロギーを見直す

昨年度の税収はコロナ禍にもかかわらず過去最高になったと伝えられます。昨年は総死者数が減るという異例の年でもあり、全体として見れば日本は恐れていたほど悲惨な状況にはありません。一方で海上保安庁の調査では全国の海水浴場の4割は開設されず批判を恐れて自粛や無観客を善と考えるコロナ脳の汚染の方が深刻です。環境変化の時代に適応するには失うものをなるべく減らしておくことが重要だと思います。森のなかで感じる生命の輝き以上の価値を都市に感じることができなくなり、個人的には飲食店が自粛を強要されても海外旅行に行けなくても不自由は感じません。お金のかかる贅沢より自然と調和して暮らす生活を選ぶなら、刹那的快楽の幻想に夢中になることもお金に執着することもなくなります。自分の体に正直になろうとするなら無闇に食べたいと思う欲望もなくなり、脳を麻痺させていたかつての消費スタイルを冷静に見ることができます。唯物主義の派手な消費で、人間らしい感性を破壊してきた悪魔のイデオロギーを見直す時期に来ているのかもしれません。

紀元前の知識だけで十分?

中世、近代、現代と人類がリニアに進化して、現代人だけが豊かで健康的な生活を謳歌するようになったと思っていましたが、これはおそらく錯覚でしょう。ノルマンディー上陸作戦で初めて使われた抗生物質のおかげで乳幼児の死亡が減り寿命を押し上げたとされます。しかし一方で自己免疫疾患に苦しむ人を世界中で増やしたように、深刻な慢性疾患のいくつかは医原病であることが疑われます。紀元前400年頃の古代ギリシャの医学者ヒポクラテスは、医学を臨床と観察を重んじる経験科学へ発展させました。すべての病気は腸から始まると考え、ほとんどの食物は薬になり、一方でファスティングや散歩を勧め自然との不調和が疾病をもたらすと示しました。17世紀になり科学的な研究により物質と精神を分ける心身分離の思想が広がると医学利権は自然治癒力を否定し始めました。現代の科学技術が解き明かす人体のメカニズムは紀元前の洞察を後講釈で証明したに過ぎません。皮肉なことに紀元前の知識だけでわれわれは十分健康になれるのでしょう。

蔓延する薬物依存

西日本が梅雨明けし夏本番の暑さが目前です。晴天の日がそれなりに多く気候的には過ごしやすい東京ですが、花粉症の季節と真夏の酷暑は例外です。花粉症の季節はこの数年ベトナムか沖縄にいましたのでその被害は半減し、一方で夏の暑さは居室の大半が地下にある今の家なら扇風機で過ごすことができます。扇風機はエアコンの数十分の一の電気代ながら換気能力が高く洗濯物もよく乾き、何よりエアコンで体を冷やされる不快さがありません。この一年は冬も含めてエアコンを使うことがなくなり意外にも地下の家は健康的に過ごせます。クーラーで体が冷え過ぎることの不快さと食べ過ぎたときの不快さ、お金を使ったあとの虚しさは似ています。スィーツやお酒で多幸感を得るのは化学物質が脳のドーパミン報酬系に作用する一種の薬物依存であり、同様に人が物質的利益に弱いのも幸せを感じるように脳を麻痺させるからです。自分の内面に充足を問うなら、生理的で一過性の快楽にお金を使い虚しさを味わうこともなくなるのでしょう。

人間の可能性

2013年9月に東京大会が決定されたときの熱狂と、そのあとのインバウンドバブルが吹き荒れる原因となったオリンピック開催まで10日となりました。東日本大震災からの復興という当初のビジョンが、今は地球規模の疫病からの再生に変わり、一年前は対岸の火事だったロンドンが代替開催地を名乗り出たことなど遠い昔のように感じます。スポーツが人々を引きつけるのはそこに人間の可能性を見るからだと思います。長年スポーツをしなかった自分がオリンピックより心待ちにするのが、今年の夏開催されるトランスジャパンアルプスレース(TJAR)です。海抜0メートルの富山湾から標高3,000m超の3つの日本アルプスを抜け駿河湾までの415kmを走る世界屈指のエンデュランスレースは、2002年に4人で始まった年の完走率25%に対し、30人が参加した2018年には90%と人間のパフォーマンスは大幅に向上しその可能性の限界を完全に書き換えています。エクストリームスポーツの世界で人類史に前例がないほど短期間でパフォーマンスの急激な向上が起きた理由は、時代が今この瞬間を生きることを求めているからでしょう。

ボディマインドシステムの真贋

昨日の朝は八ヶ岳の西岳(2,398m)に登りました。朝の森を満たす冷涼な空気を吸うだけでエネルギーが取り込まれ五感が冴える感覚です。深呼吸は無意識の呼吸に比べ6~9倍の空気を入れ換えるとされネガティブな感情も一掃され心が落ち着きます。末梢の血液量が増加することから最も簡単な血管のケアにもなり、同時にミトコンドリアを活性化します。午後は30度を超える東京に戻りインド系アメリカ人医師のディーパック・チョプラの本を読みました。1990年代に書かれた本ですが、当時は読み流していた内容が頭に入るのは、その間多少の知識が増えたことと、朝の山頂での経験があったからだと思います。アユルヴェーダを量子力学と統合した彼のニューエイジ・アユルヴェーダはエセ科学とのそしりを受けてきました。心と身体という区別をやめてボディマインドというひとつのシステムと考える謎のメカニズムを受け入れる素地はまだ整っていません。老化は学習された行動であり、変化しやすくときに逆転させることさえできるという彼の主張は、生活習慣病の蔓延を止めることができない現代医学よりも信じられます。

良い医者は気をまぎらわす?

昨日はちょっとした観光地と化した山梨県白州の金精軒に行きました。自由に持ち帰れるように店頭に置かれたラベンダーをひと束もらいましたが東京なら数百円はする立派なものです。鎮静作用のあるラベンダーの香りは脳を休ませ、深い眠りに誘います。その香りはリラックスをさせるだけではなくセロトニンが分泌されコルチゾールの量が減り心臓への血流速度が上がり腸の動きを活性化させます。部屋中に充満するラベンダーの香りをかいでいると治療と治癒の違いが分かります。前者は外部からの働きかけであり、後者は自然の力で内部から健康を取り戻します。紀元前のヒポクラテスの時代からある自然治癒力という考え方を近代医学は意図して排除してきました。山に入り静かな時間を持ち、自然のなかで深呼吸することで心も体も癒されますが、その効果を現代社会は過小評価していると思います。良い医者とは自然が病気を癒すまで患者の気をまぎらわしてくれる者だ、と言った人がいますがそれは真実をついた言葉なのかもしれません。

失われたベンチャースピリット

娘が高校の頃からインターンをしているスタートアップ企業の話は刺激的です。先日合宿があり、年長者であっても遠慮なくフルボッコにされると聞いて以前在籍した外資系企業を思い出しました。今となってはそんな会社に戻りたいとは思いませんが、上意下達で年を取るほど楽なぬるま湯体質を享受できるワーカーは自分の世代が最後でしょう。戦後は焼け野原からの出発ですからベンチャースピリットが産業界のDNAでしたが、いまや創業率世界最低クラスの成長できない国に貶めたのは、惰性で組織や国を動かしている人達の責任だと思います。人はコンフォートゾーンと呼ばれるストレスのない環境に留まろうとしますが、パフォーマンスを発揮できるのは適切なストレス環境下です。給料後払い説を信じて来た世代が楽をするのは当然の権利と考えるように、リタイア後は安楽に暮らしたいと考える人が増えれば同様に国も個人も活力を奪われて行くのでしょう。

教習所は進化したのか?

教習所に通う娘の話を聞くとそれなりに教習所も進化しているようです。接遇レベルが上がり施設が現代風になることは当然ですが印象的なのは、教え方にも多少の変化があることです。教習所というと十年一日の如く錆びついた知識を教えるイメージがありますが、たとえば車間距離の取り方を教える際はやっと欧米並に2秒ルールを教えるようになったと聞きます。前の車が通過した場所から自車がその場所を通過するまでに01、02と数え適切な車間距離を保つ方法ですが、以前は時速100km/hで100m的な実用性のない知識を教えていました。教習所に限らず免許更新時に配る教本なども講習が終わればそのまま捨てる天下り先のためだけに作っているような代物です。教習所で言えば交通法規だけを教え、急ブレーキの踏み方や山道を走る際のアウト・イン・アウトのライン取りなど実用的な運転をほとんど教えないことは、安全運転の観点からは片手落ちでしょう。概して教育セクターが保守的で肝心なことを教えないのは、批判を許さない風土から自分たちの使命を見失うからでしょう。

食欲と冷静に付き合う

昨日のように日本工学院に出講する日は一日一食で食欲について考える機会になります。食べ物を見ればお腹はすきますしいくらでも食べられると思うのですが、一方で空腹は曖昧な欲求でやり過ごすことも忘れることもできます。実際には一日一食でも不満も不都合もなくむしろ活力は増すのですが、長年三食の生活を続けてきた習慣と郷愁から多くの日は二回食べます。この妥協の原因は脳の部位によって反射的、感情的、論理的な反応が生まれるからで、前者は意志とは無関係に人の行動を支配します。食べないことを快と思えるようになると意志が芽生え、従来感じていた食欲が反射的、感情的な欲求であり幻想だと分かります。食事を減らした日の身体の軽さと次の食事の美味しさを知ると食欲という原初的な欲求と適度な距離を保てるようになり、物欲や我執からも遠ざかることができると思います。人は心の中に作り出した幻想を、それがあたかも恒常不変の実体であるかのように考え執着しますが、食欲と冷静に付き合うことが心身のバランスを整えるのでしょう。

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