東京の夏は例年ほどの酷暑ではなく過ごしやすいように感じます。それでも夜中に扇風機が止まると寝苦しさで目が覚め、この季節は寝不足になります。クーラーをつければ朝まで起きることなく眠れますが、身体が冷やされる不快感を思うと、多少汗ばんで眠れない方が意識の上では快適です。この違いは快適さを生理的に捉えるか感覚的に捉えるかの解釈の違いで、快適な不快さを選ぶか不快な快適さを選ぶかの違いです。この感覚は食べたあとの不快さと何も食べないときの爽快感のどちらを選ぶかにも似て、どちらが人体の設計のデフォルトに沿ったものかを判断基準にすると世間的な風潮は逆転します。飽食時代の皮肉は、われわれが口にするほぼすべての食物は例外なく何らかの毒物に汚染をされていることです。重要なことは自分の思考の主体は誰かを問うことだと思います。脳は自分の所有物に見えて実態はその逆で、脳は人を操り支配します。誰もが幸せの根拠を自己の本質に置こうとしますが、その本質の主が誰であるかは曖昧なままかもしれません。