カブール国際空港の絶望的な光景は直視できません。一定年代以上は自分も含めサイゴン陥落を思い出しますが、戦後分割されることもなく、海という天然の要害に守られる日本の幸せを感じずにはいられません。46年前、南ベトナム大統領官邸に突入した最初の2台の戦車の1台である、ソ連製T54Bをハノイで見たとき以上にリアルな衝撃を受けます。一日の終わりに何事もなく床につき、再び朝を無事に迎えられる幸せに、このときばかりは感謝します。人間の最も愚かな資質は欲と執着に翻弄され自制なく心を暴走させることです。これに思考停止が加わり、脚色された二次情報と大本営発表を軽信し右往左往する社会を見ると絶望的になりますが、その感情がすでに執着でしょう。本質や真実を知りたいという欲求が無意味な執着なら、幸せになりたいという欲求も無駄に執着を生み、虚無を彷徨う人間がすべきことは、意識が鮮明な今を生きること以外になさそうです。世界情勢に無関心で良いわけでも、今さえ楽しければ良いわけでもありませんが、雑音を消す以外に自身が何かを知ることはできないのでしょう。
お知らせ
少ない食事で生きていける
台風により中止されたTJARは富山湾から日本アルプスを踏破して駿河湾に至る415kmを競う世界一過酷な山岳レースです。選手は約5万Kcalの途方もないエネルギーを消費すると言われ、これは男性の必要エネルギー量の23日分になりこれを数日で摂取することは不可能です。人体がなぜこのような離れ業が可能なのか、その体組成のメカニズムは解明されていません。TJARでは年々軽量化される装備品に注目が集まりますが、一番知りたいことは選手が何を補給したかです。自給自足にルール変更された今年はそのメカニズムを知る機会だっただけに残念です。狩猟採集生活における人類は一日20~40km程度の距離を走っていたとする説もありますが、人体は走るために最適化された肉体を持っていると思います。日本では古くから山岳修行が行われ、役行者が8世紀初頭に開いたとされる大峯奥駈道は吉野から熊野まで約170kmの山岳路を巡拝しながら生まれ変わろうとする擬死再生の修行を行いました。人体がこれほど大きなエネルギーを生み出せる謎が解明された時、われわれは今よりはるかに少ない食事で生きていけることに覚醒します。大半の人は歓迎しないでしょうが。
小さな車こそ魅力的
昨日は7年で14万キロ走ったフィアットを車検に出しました。現代の車はこの程度で壊れるはずもなく好調です。軽油で20km/L近く走る燃費といい、雪道での走破力といい、登山道にアクセスするときの小回りの良さといい、1.2Lと思えない加速感といい、世界中の大半の車に乗れる日本にあってもこれ以上に要求を満たしてくれる車が見当たりません。最小クラスの大衆車の強みは大量に作られ信頼性が高いことで、以前は多少高価な車に乗っていましたが、メーカーの勝手な論理で高付加価値化したギミックに限って壊れる腹立たしさを味わうこともありません。当面買い換えるつもりも予定もありませんが、買い換える必要が生じても候補車がないことは悩みです。余計な機能が付かない素の状態の4WDマニュアル車が好きなので、強いてあげれば同じフィアットのガソリンエンジン(ディーゼルはもう輸入されない)かN-VAN、ジムニーぐらいしかありません。制限速度で抑圧された日本の交通環境に適した小さな車体と小排気量の車は魅力的です。車に洗練や上質、ハイパワーなど求めていませんし、そうした車は際限ない執着を生みそうです。
普遍的な時間は存在しない
久しぶりに買ったテントで山に行こうなどと呑気なことを考えていた週末が過ぎてなお、記録的な大雨への警戒が続きます。氾濫や土砂災害といった目に見える被害だけではなく、台風などの気象現象が起こす振動により、大気には1Hz以下の超低周波音が発生し、数千kmを越えて地球規模で伝播すると言います。海洋波が海底に衝突することが原因とされる謎の低周波音が発見されたのは今から20年ほど前です。これらの「地球のハミング」は低周波音のために人間の聴力では聞こえませんが、人体に影響を及ぼしているようです。地球の地表と電離層の間で起こる共鳴の周波数は7.83Hzで、ヒーリング中のヒーラーの脳波と一致するとされます。長年われわれはニュートン力学の法則により解釈された見える世界を前提に、五感で感じる直線的な時間を生きてきましたが、量子力学はアインシュタインが述べた、普遍的な時間の流れが存在しないことを明かし始めています。森羅万象は永遠で、無限の境目のない場と結びついていることが証明されたとき、人々を苦しめてきた思考の制約が一気にはずれるのかもしれません。
飢餓状態が最高性能
雨が降り続くと短い夏が過ぎゆく寂しさがあり、水の豊かな日本は災害とも隣り合わせです。山でこれほど雨に降られると惨めになり、雨露をしのげる普段の暮らしの有り難さを思います。人類進化は常に便利さの追求ですが、一方でわれわれの身体は不便な生活で身体を動かすことに適応しています。食べることが人気なのは簡単に手に入る幸せだからですがそこにも矛盾があります。人類が欲を満たすために食べるようになったのは人類史からすればその時間はせいぜい0.1%に満たず、われわれの身体は飽食に適していません。食べる幸せが身体に悪いのは、消化器の負担を考えずに脳だけが喜ぶからです。欲を満たすのではなく、身体を維持するために食べると考えるとそれほどお腹は空かなくなります。食べない選択肢を検討することは有益ですが、人は身体を消耗させる誘惑に負けます。生産できない都会では常に欠乏を感じるように仕向けられ、誘惑から逃れることは容易ではありません。人体はあらゆる環境を生き延びるようにタフに作られていますが、最高性能を発揮するのが飢餓状態ということは皮肉でしょう。
世俗を断ち切りたい?
8月は先祖の霊と向き合う季節であり、広島、長崎、御巣鷹山、終戦と続く死と向き合う季節です。死生観を持つことの大切さは、限りある人生をどう生きるべきかと考えることだと思います。金銭欲や権力欲にまみれた快楽に溺れるような生き方は、物質的な現世を全てと考える短絡思考に端を発しますが、死生観が定まらなければ心の平安を保つことはできません。現代科学は死を明らかにできていませんが、死が全ての終わりではないことを徐々に解き明かしつつあります。山に登っているときは至るところに死があります。転倒したとき、もしあそこで止まっていなければと冷や汗をかくこともあります。交通事故で死ぬ確率と登山中に死ぬ確率なら後者が圧倒的に高いはずで、身近に交通事故で亡くなった人は稀ですが、山の事故で亡くなった人なら何人も数えることができます。山の事故の多くは下りで起き、一見危なくなさそうな意外な場所に危険が潜んでいて、死を意識せず鈍感に生きることも同様に死を招くのでしょう。人生の後半に仏門に入る人が増えるのは死生観と向き合うからで、世俗的な生き方を断ち切りたいと思うのは、死と向き合うことが普通になる心境変化なのかもしれません。
バリ島と同じ?
コロナ危機の収束が見えず生活は少なからず変わりました。しかし、元々積極的にお酒を飲むわけでも、外食をするわけでも、頻繁に人に会うわけでもない身にとっては、むしろ東京を離れるきっかけができ、その変化は好ましいかもしれません。困るとすれば世界が当分の間鎖国状態となり海外旅行に行けないことぐらいです。この目で確認したいものがいくつかありますが、それこそが不要不急の最たる消費でしょう。海外旅行に熱中していた頃は、ライステラスを望むガムランの響くテラス席での食事といったステレオタイプの経験をするためにわざわざバリ島まで行きました。しかし、東京へのこだわりが消えれば、ひぐらしが鳴く夕暮れの森にテーブルを持ち出し、夕焼けの空を眺めながらろうそくの火を灯して食事をすることにお金はかからず、そこでの時間の豊かさはバリ島とおそらく同じ価値です。世界の経済は不要不急の幻想を作り出し、消費者もあえてそこに加担する共犯として経済をまわしてきました。これからもその基本構造は変わりませんが、幻想から覚める人が増えるなら、旅行が最も有望な世界の成長セクターだという主張は幻に終わるのかもしれません。
スピリチュアル界の汚名を晴らす
昨日読んだ「最新科学とスピリチュアル-AI・量子力学と大発明家たちのひらめきの謎-」は久しぶりに読後感が爽やかな一冊でした。ホンダの知財部長という異色の?経歴の著者によるスピリチュアル本ですが、海外経験の豊富さ故か日本人にありがちな偏狭なレッテル貼りによる代替医療やスピリチュアル界の汚名を、量子力学などの観点などから晴らしてくれます。日本では同調圧力のためかスピリチュアルを学問の研究対象として大学レベルで研究するところはありませんが、英国などのスピリチュアル先進国ではここまで解明が進んでいるのかと驚かされます。読後感が爽やかな理由は物質主義者が闊歩する現代において、その拠り所となる基本概念を粉々にしてくれるからですが、これまで代替医療やスピリチュアル界で言われて来たことと最新科学の研究成果に整合性が見られることも腑に落ちます。何より視野が広がりコロナ禍に不安を抱える現代にあって、世界の変化を積極的に楽しもうという気にさせる本は貴重です。スピリチュアルと言った瞬間に条件反射的にレッテル貼りをする人には向きませんが。
パッシブ健康オタク
かつて20kgのダイエット効果があまりに劇的だったので以後糖質制限の信者になりましたが、今は糖質制限を意識せず何でも普通に食べています。空腹時に突然甘いものを食べるようなリスクをおかすことは避けますが、食べ物を気にすることはなくなりました。今は16時間以上血糖値を上げずインスリン分泌を控える時間を取ることの方がより重要だと思います。体重はさらに5、6kg落ち山に登っても体力の低下は感じません。何より健全な空腹を感じるようになり何でも美味しく食べられます。自称健康オタクですが、健康に良いとされるものを選んで食べることも、サプリメントを摂ることもありませんし、健康診断も含めて健康に良いとされることは何もしません。健康オタクには健康に良いことを積極的に行う人と、身体に悪いことをしないパッシブなオタクがいて、自分の場合は後者です。人間は、日の出とともに起き、なるべく運動をしてなるべく食べないことが本来の野生に近い状態であり、そんな暮らしが健康に近づく道でしょう。
英断か早計か
オリンピック以上に楽しみにしていた日本を縦断する山岳レースTJARが台風の接近により中止されました。基準に基づく判断とされますが難しい決断だったと思います。この背景には今年5月に中国甘粛省で起きた100kmのトレイルラン二ング大会での、トップ選手を含む21人が死亡する大惨事が影響していることは確実です。撤退判断に勇気が必要なのは当然ですが、このレースのために何年も準備し、自らの限界に挑み、可能性を追求することに全てをかけてきた選手の無念を想うと、フェイスブックに並ぶ中止判断を称賛するコメントには違和感を覚えます。厳正な選考会で選ばれた山のエキスパートであり、トップアスリート揃いであることを考慮するなら、安全第一と言った瞬間に一切のエクストリームスポーツは成立しなくなります。当事者ではありませんし、その場にいるわけではないので想像で言うしかありませんが、判断の裏には何事にも反対し批判する思考停止のポリコレが世間の空気を支配する風潮があると思います。誰もが非難を恐れてビクビク生きる社会は挑戦の芽を摘み取り、記録もイノベーションも生まれないでしょう。