雨は充実した人生の証

雨が降る日は甲子高原で暮らした頃を思い出します。旅館のなかで一番眺めが良い場所にある温泉浴場から新緑に降り注ぐ雨を眺めるのが好きで、旅館を買う前に何度か訪れたときはいつも快晴だったために、源流地域は降雨量が多いことを意味することに住んでみて気づきました。もちろん楽しい思い出ばかりではなくそれなりの苦労もあったのですが、辛いこともなぜか美化されて時が過ぎると良い思い出に変わります。心労から5日間何も食べられないこともありましたが、それも含めて刺激的な日々は生きていることを実感させてくれます。嗅覚は人の記憶とダイレクトにつながっていると言われますが、同様に雨音を聞くとあの頃の思い出と直接結びつきます。福島では傘を差した記憶があまりなく、景色を色鮮やかに洗い直す雨には濡れる楽しさがあると思います。世界一貧しい大統領のホセ・ムヒカは長年投獄された刑務所を出て雨の中を散歩したとき、しずくが顔を伝わり口に入り舌に触れた瞬間に生きていることの幸せを感じたと述懐します。現代人は感受性を失っただけで、充実した人生の証はそこかしこにあるのでしょう。

スパイスは悪魔の誘惑

先日、妻が朝から昼食用のカレーを作っていて、普段は朝食を抜いても感じない食欲がそのときは湧き上がり、悪魔の誘惑は鍋を遠ざけるまで続きます。昔世界史の授業で香辛料を巡り人が殺し合うと聞いたとき、なぜそれほどまでにスパイスに執着するのか不思議でしたが、それは人を操る道具だからでしょう。アルコールや糖質も同様に労働者を働かせるためのインセンティブとして古来より用いられてきたとされます。厳しい自然環境を数百万年も生き延びた人類は元来ほとんど食べずに生きられるように進化してきました。現代の商業主義は、トロイの木馬と化した脳によって人を操り、物質主義、計画的陳腐化、中毒の三点セットにより自分が生きる世界は内面ではなく外界にあると信じ込ませます。物質主義者はひたすら多くを消費し生き延びることしか考えなくなり、創造性とは無縁の怠惰な人生を送ります。人が自然に強く引かれるのは、自然界に存在するものはどれも完璧なプロポーションを保つからですが、人工的なものに熱中するように脳を躾けてきたのでしょう。

自然と飢餓と運動

週末、東京を離れて過ごすとリトリートの必要性を強く感じます。リトリートは軍事用語の「後退・退却」から派生した言葉で世界の宗教コミュニティにとって不可欠な集会、洞察力を深める修養や場所を示し、ホテル業界においてはハイダウェイと同様に小規模でエクスクルーシブなリゾート業態を指します。個人や企業においては半日から数日に及ぶワークショップやセルフケア、マインドフルネスを意味し、最もよく知られるのはビル・ゲイツの「Think Week」でしょう。太平洋岸北西部の静かな森のウォーターフロントにあるコテージで、1日2回運ばれる食事以外の外部との接触を完全に遮断して重要なテーマを深く思考するとされます。自分にとってのリトリートは自然、断食、運動の三点セットが必要で気晴らしや健康増進も然ることながら、何より生きていることを実感できます。リトリートとリゾートの意味するところはおそらく同じで、本来の自分に並べ替えると解釈できます。煩わしい日常から解放され、人類が長年親しんだ環境で、祖先が常にそうであった飢餓状態に身をおいてこそ、体は自ずと最高のパフォーマンスを発揮すると思います。

日々の食事が美味しくなる

週末は2日とも八ヶ岳南端の西岳、編笠山に登りました。通年登れる西岳は長野にいるときによく登る山で、昨年は40回ほど登りました。登山者の少ない早朝なら動物と遭遇することが多く昨日も鹿の群れが登山道を横切ります。山に行くときに非常食は持ちますがいつも食事を摂らずに登り、空腹と有酸素運動の組み合わせはミトコンドリアが活性化される最強の健康法だと思います。食事の回数を減らして起こった変化は「美味しい」と言う回数が増えたことです。別段妻の料理の腕が上がったわけではなく、これまでは感謝もなく食べていたからだと思います。グルメ番組などでタレントが大げさに驚くときの常套句はたいてい、「ぷりぷり」とか「柔らかい」という美味しさとは別の表現です。高い店なら条件反射で美味しいを連発しますが、食べ物は感謝をして食べればどれも美味しく感じます。出汁をとり生姜を添えるなどひと手間かけ、塩などの基本的な調味料のコストを惜しまなければ、美味しさの起源を分析的に見極めるまでもなく日々の食事が美味しくなり幸せになれると思います。

酸欠の金魚

昨日は4ヶ月ぶりに八ヶ岳に登りました。朝の清涼な空気を吸いながら高度を上げていくことに勝る喜びはありません。山に来ると全身が喜ぶのが分かり、同時に都会の空気の汚れを感じます。断食をすると食事を摂ることの体への負担が分かるのと同じです。普段から散歩中に何かを思いつくことが多いのですが、山に来るとその頻度が上がるのは自然のゆらぎと脳がシンクロすることによりインスピレーションを受け取りやすくなるからだと思います。自分は人生でこんなことがしたかったのだ、と直感的に本音が分かる瞬間が時々ありますが、それは決まって自然のなかに身を置くときで、静寂こそが自分自身と世界のありように気づくきっかけになります。自然に帰りたい本能から人は週末の行楽地へ出かけて酸欠の金魚のようにきれいな空気を吸おうとしますが、自然の元で深呼吸をすることの素晴らしさを忘れさせるために、収奪装置としての都市は金と娯楽の力で人を引き留めます。人体は本来野性の環境で能力を発揮するように設計され、自然と共に暮らす恩恵を忘れた現代人はそのわずかな才能しか使わず生きていると思います。

どこか行きたい?

以前なら休暇の予定を立てる時期ですが、世間には「欲しがりません勝つまでは」の雰囲気が広がります。お金を使いたい人はいくらでもいてすぐに需要は回復するという楽観論と、消費者の意識と世界は元には戻らないという悲観論がありどちらにも一理ありそうです。行きたい場所を考えるとバリ島のウブドあたりで夕刻の熱帯特有の風情のなかでガムランや蛙の声を聞きたいとか、アメリカの国立公園で大草原を移動する動物を眺めながら山に沈む夕日を見たいとかありましたが、少し心境が変わり外からのアトラクティブな刺激よりも、山のなかで一人自分と向き合える場所で時間を過ごしたいと思います。誘惑にかられる人生は何かに依存する人生であり、自分の欲求においても人間関係においても依存は見返りを要求します。自分の判断だと思っていた脳内システムは気づかぬうちに外から操られ、言われるままに財布を開くようになります。外部の刺激はいつも魅力的な表情を見せますが、一方で日々の何気ない瞬間に満たされる権利を放棄していると思います。毎日が嬉しくて仕方がないような充足した日々は消費では実現できないのでしょう。

人は信念と習慣で自らを欺く

食事の回数を減らすことで食欲について考えるようになりました。食欲には少なくとも2つのタイプがあると思います。それは食欲が、睡眠欲や排泄欲、性欲のように、動物の生理機能上欠かせない欲求であると同時に、物欲や出世欲といった必要を超えた個人的・社会的な欲求でもあるからです。食欲は生存に必須である一方、主には中毒症状を介して生存を脅かす存在になります。食欲は自明故にそれを抑制、調節する研究はされてもその発生メカニズムについての解明は不十分だと思います。何かのきっかけで空腹感は蘇り、一方で選択的にコントロールして眠らせることもできます。現代社会は欲の解放を礼賛し扇動しますが、それに身を任せれば偽の欲望や見せかけの欲望に翻弄され心の平静は訪れません。人間の遺伝子には欲望という生物学的インセンティブがプログラムされているために生存の意欲を持ち続けることができますが、一方で欲望を抑えられないために人生の転落が始まります。人は信念の力と長年の習慣によって自らをも欺くことができる存在ゆえに欲の問題は根深く、その解明が解決の糸口になるのでしょう。

ろうそくで暮らしたい

今日は新月ですが、自然の少ない都会に暮らすと季節の変化を身近に感じる喜びを忘れ、月齢も意識しなくなります。人間は本来リズミカルな存在で、自然の不思議な営みは体内にリズムとなって宿ると思います。満月から新月は体から古いものが排出され、とくに新月は身体の浄化力が高まりデトックス効果が高いとされます。食事回数を減らし体重が安定している今では体感することが無くなりましたが、以前は新月の日に断食をすると体重が一気に落ちることを体感していました。多くの生物で満月にかけて出産数が有意に増加することを示す研究データがありますが、都会を不夜城にして暑い夏を冷房で冷やす現代のライフスタイルを送る人間でも満月や新月の晩にお産が増えるという経験則が語られます。毎朝鳥が鳴き始める時刻は季節とともに移り変わりながらほぼ正確ですが、人間は自然の摂理の中で生かされていることを忘れ、季節や時刻に逆らう生き方をします。自然とともに生きるライフスタイルこそが病気を遠ざけ、夜はろうそくで暮らすような生活が理想です。

化粧が下手な日本人?

世界中で存亡の危機に立たされる飲食業には3つの役割があると思います。一つは事業者が生計を立て儲けるためで、もう一つは消費者が活動に必要なエネルギーを摂取し欲望を満たすためです。3つ目は社会の無駄をなくし持続可能な仕組みを回す調整弁としての役割があると思います。お勧めメニューの多くはその時期に大量に収穫され暴落した食材を調理したもので、足が早い寿司ネタは煮付けや焼き魚として提供され、スーパーでは売れ残った生鮮品を惣菜に加工して売られます。オランダ最大のスーパーマーケットチェーンのアルバート・ハインの食品廃棄物問題を解決するための社内ベンチャーから生まれたレストランのInstockは、当初5ヶ月限定のポップアップ・ストアでしたが大きな反響から常設レストランになり、一昨年には社会的企業として独立し3店舗100人を雇用するまでに成長しました。ミシュランのシェフとも組むお洒落なレストランは食品廃棄物というネガティブなイメージとは無縁です。日本人がこの手の事業をすると生真面目さ故なのか理想ばかりが先行するためか、化粧をして良く見せることが下手で損をしていると思います。

経済にとって好ましい幸せ

コロナ禍でほぼ外食が無くなりモノも買わなくなりました。洋服収納を見るとこの1、2年で新たに加わった衣類はありません。Amazonの注文履歴で2年以内に買った最も高額な商品はラブラドールの10kgのドッグフードぐらいでいずれも必需品ばかりです。消費をしないことは消費をすることと同様に心を豊かにすると思います。次々と発売される新商品が欲しくなる移り気なドーパミン系の快楽に対して、同じものを大切に使うオキシトシン系の快感があり、ハイパーコンシューマリズムの狂気から覚醒すれば自分の内面に目が行きます。消費に夢中になり人生を騒々しくするために金を使い、金を稼ぐために人生をすり減らすなら、いつまでも失う不安を抱えることになります。人が幸せを感じるホルモンは4つあるとされますが、オキシトシン的な幸せが気づくことに対して、ドーパミン的幸せは何かを手に入れることで得られる幸せです。手に入れる幸せは次の報酬を求めてその欲求が際限なくエスカレートして幸せが続かないために、どこまで行っても欠乏感のある、経済にとって好ましい幸せなのでしょう。

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