日本のトレイルランニングを世界に知らしめたTJARの裏レースとも言うべき、第一回のSTSが終わりました。石川県白山市の美川臨海公園から、小田原市荒久の灯台までは本家を凌ぐ455kmあり、白山、御岳山、富士山の3大霊山を含む木曾駒ケ岳、仙丈ケ岳、甲斐駒ヶ岳を超える累積標高22,000mは、もはや草レースなどと呼べない壮大さです。TJARが4人の参加者1人の完走者から始まったのに対して、今回の完走者3名はいずれもTJAR完走者です。自分の足で8日以内にゴールする以外に細かなルールがないのは、間違っても歴戦の強者しかエントリーしないからでしょう。灼熱のこの時期に、気の遠くなるほど長い炎天下のロードを走るなど狂気の沙汰ですが、エクストリームスポーツの世界では、前例がないほど短期間に人間のパフォーマンスが大幅に向上しています。自分の可能性を封じていたメンタルブロックが解けることで、人体は無限の可能性を手にするのでしょう。
何もしないことが最良
ジャカルタとシンガポールから戻った娘は、東京の方が暑いと言います。もはや東京はアジアで最も暑い都市のひとつです。夏バテ対策の定番は栄養価の高いものを食べることですが、日本人の基礎代謝量は冬に比べて夏場は8%ほど下がります。夏バテ防止にしっかり食べれば、不健康になります。食べなければ体は細胞レベルから浄化され、老廃物や毒素が排出されますが、人は健康になるために余計なことをしたがります。風邪をひいたときは何も食べずに静養するだけで治りますが、人は無駄に医療費を使います。食べないことによって体は、最大限にその治癒力を発揮しますが、多くの人はこの有難いメカニズムを使いません。人は必要を超えてお金を使い、多くの場合何もしない方が良い結果を招きます。無駄に化粧をし、無駄に落とし、無駄に保湿し皮膚を傷つけます。病院がないと健康になるという事例も、おそらく一般法則でしょう。
合理的な車
不正請求事件により金融筋からも業界からもノーを突き付けられ、事業継続が困難なビッグモーターですが、それで思い出すのが、すぐに部品を交換させようとするメーカーの姿勢です。車体と同じ色に塗られたバンパーなどは少しこすった程度でも傷になり、みすぼらしく変形し復元しません。その点でフィアットのバンパーはなぜかよくできていて、後続車にかなり激しく追突されてもそれほど傷が目立たず修理する気になりません。他人の車をバンパーで押して駐車場所を確保するような国柄もあるのでしょうが、不思議と鷹揚な気持ちでいられます。バンパーは衝撃吸収が本来の機能ですから、かする度に交換をさせるようなメーカーの姿勢には疑問を感じます。2013年に発表されたシトロエン C4カクタスは、ボディーの周囲をエアクッションで守っており、修理代を節約できます。機能性だけではなく、デザイン性も兼ね備えた合理的な車に魅力を感じます。
成功によって復讐される
玉音放送により終戦記念日とされる8月15日ですが、戦争末期に市民の悲惨な死が集中することを考えると、なぜもっと早く講和を結ばなかったのかと思います。戦争を始めるよりも終えることの方がはるかに難しいことはウクライナ戦争でも感じます。平和をもたらす方がはるかに価値は高いのに、その苦労は正当に評価されません。企業でも新規事業を始めるよりも撤退することの方がはるかに難しく、戦略的に行うべきですが、人は撤退に慣れていません。その点は人生も同じかもしれません。なるべく生活をシンプルにして本質を追求することこそ、人生後半の正しい生き方だと思いますが、成功者ほど物質や地位への未練が強く、心情的にそこから離れられることができません。そうした執着は将来への不安や不満となり、皮肉なもので、人生とは成功によって復讐されるものかもしれません。
人は大量のデータを欲しがる
紙の日経新聞が値上げになり電子版に変えました。五感をフルに使って読む紙の方が頭に入りやすく、大切な本は今でも紙で所有しています。パソコンに残す記録より手書きノートを愛用するクリエイターも多く、人間の脳はアナログな手段と相性が良いはずです。今やデジタルによりその機能を奪われた脳は、デジタルデバイスなしには車を運転することも、山を歩くこともできなくなっています。現代人は便利さを享受するために、その代償を過小評価していると思います。現代社会に病気や不幸が蔓延するのは、本来は野性的に暮らすように設計されている人間が、都市部を中心に自らを飼い慣らす生活を求め、不自然な生き方をしているからでしょう。デジタルは大量のデータ処理に長けていますが、人が生きるのに必要な知識などごくわずかのはずです。核心が何であるかを見抜けないために、人は大量のデータを欲しがるのかもしれません。
消えない幸せ
東京の鮨屋は、ちょっとしたところは5万円が普通と、異様な急騰ぶりを見せていると言います。今や日本最大の資源は料理であり、インバウンドによって全く予約が出来ない状況が続いているようです。一方で高額消費のみを追い求め、豪華なカジノのイメージが強いモナコでは、レスポンシブル・ラグジュアリーを合言葉に、農業の復活など、持続可能な豊さの探求が活発とされます。有機農業スタートアップの進出により、農園は高級不動産物件のアピールポイントの一つになっているそうです。高級品や贅沢といった、不自然な欲望追求に対して、自然循環の一部として生かされていることを感じるライフスタイルこそ、持続可能な贅沢でしょう。消えない幸せは日常への感謝にしかなく、当たり前が有難いと思えることこそ、無駄に稼いで無駄に消費するより幸せな気がします。
エンジンには戻れない
草刈機を買いました。都会にいると使う機会は限られますが、田舎では必需品です。旅館のまわりの登山道整備などに使っていた20年ものの後継機は、2サイクルエンジンの排気臭とは無縁のバッテリー充電式です。エンジン始動の儀式もなく、ボタン一つで動く便利さや、その静かさに慣れると、もはやエンジンには戻れません。2サイクルエンジン25cc相当の36Vは1時間の充電で1時間使えるというカタログスペックに偽りはありません。電動草刈機は様々な機種が揃い、パワーを優先するなら最高峰はマキタの80Vになりますが、重量、バッテリーの持ち時間、価格とのトレードオフになり、たまに1時間程度使う分には40V程度の製品のバランスが良いと思います。電気自動車の普及には課題があり、今でも内燃焼機関が有利だと思いますが、草刈機に関しては山の中で丸一日作業をするようなヘビーユーザー以外は、電動化されそうです。
食糧自給率は100%にできる
玉川温泉への往復1,300kmは東京近郊を除いて一般道を使いました。往路は新潟から日本海側を抜け、山形、秋田と日本のコメどころを通りました。経済を石高で示す農業国日本の風景の美しさは水田によるものであり、どこまでも田圃が続く穀倉地帯を走ると幸せな気持ちになります。不思議に思うのは、国土の隅々まで農業生産が浸透しているように見える、この国の食糧自給率の低さです。我が家ではパンは嗜好品であり、主食の大半は国産米を食べ、近海で獲れた魚、野菜も果物もほぼ国産で、産地を追えない外食をほとんどしませんので、自給率は100%に近いはずです。食糧自給率の低さは、自分たちの文化にはない珍しいものを食べたい、安易に食べたい、安く食べたいという、無節操な欲求がもたらした結果であり、いつでも100%にできるのかもしれません。
毒を以て毒を制す
玉川温泉から戻りました。4泊は湯治期間としては不足で、5日目でも50%源泉の浴槽には満足に入れません。皮膚の弱い部分がただれ、かさぶたができるまでは、100%源泉に入るなどほぼ不可能です。日に3、4度温泉に入りますが、発汗が多く体力を消耗します。リフレッシュするどころか声が枯れ、満身創痍です。声が枯れるのは、普段からまないたんが出るからで、老廃物や毒素を排出し、次にはおできができると思います。他の温泉地と違う点は、難病の治癒といった話が公然と宣伝されていることです。通常、直接的な表現は問題になりますが、回復事例が多いだけに許されるのかもしれません。滞在期間が長いために海外に行くような大型キャリーケースの人が目立ちます。生命の生存を許さない有毒な玉川の上に旅館があるため、虫がほとんどいないことも特徴でしょう。毒を以て毒を制す、最強の温泉地であることは間違いありません。
旅の投資的価値
昨日、起きた時には喉が痛かったのですが、温泉で50%源泉を50ccほど飲むと痛みが消えました。朝食前には秋田焼山(1,366m)に登り、玉川温泉からの累積標高は645mのブナ原生林を抜ける美しいトレッキングルートです。旅には消費的側面と投資的側面があり、その場限りの楽しさや快楽に重きを置く消費的価値に対して、後者は将来のリターンをもたらします。健康への投資はその典型で、健康増進型リゾート施設である米国型スパに、玉川温泉は似ていると思います。欠けているのは体系化されたプログラムとスパ・キュイジーヌですが、岩盤浴や蒸気浴を含む様々な温浴と、ハイキングなどの運動を自分で組み合わせれば事足り、食事も決して胃が持たれるようなものではありません。健康への投資と言うと、人間ドックなどが思い浮かびますが、個人的には玉川温泉に滞在した方が、将来の健康利回りは高いと思います。