N-VANで1,000kmを走ると、あらゆる場面で過不足なく、国内で保有される車の4割が軽自動車である理由が分かります。排気量は360 cc→550 cc→660 ccと拡大され、普通車同様の衝突安全基準を満たします。ハイルーフのN-VANは、ハイエースと並んでも車高はさほど変わりません。多少窮屈ながら4人が乗れ、大きなものが積め、IKEAで売られる幅の狭いマットレスがあれば一人のキャンプに行けるなど、あらゆるシーンを一台でこなせ、カーライフの可能性を広げます。それゆえ普通に乗用車として使われ、100万円台前半で買える商用軽バンなのに、カスタマイズに500万円以上かける愛好家もいます。昨今これほど愛される車も珍しく、今やノーマルで乗ることが個性的に見えるほどです。何より、アウトドア雑誌のビーパルが創刊され、ホンダのMM思想を具現化した初代シティの誕生にワクワクした80年代に引き戻してくれるだけで十分です。
自然と共生する暮らし
昨日は白河の古民家の梁の清掃に行きました。大きな建物ではありませんが、それでも一日を費やします。ブロアーとブラシを使いほこりを落としますが、清掃するほどほこりが出るような状態です。スズメ蜂の巣がいくつかあり、最大のものは直径80cmほどと立派です。サウナ同様に古民家や町家のリノベーションはブームですが、どこまで踏み込んで直すかによりコストは大きく異なります。古民家を改修できる職人さんが限られることも、コストが上昇する一因でしょう。古民家再生の楽しさは、朽ち果てた家が往時の姿に近づいていく一種の達成感にあります。映画タイタニックの冒頭で、海底に沈むタイタニックの映像が、華やかなかつての船内の場面に転換するのにも似ています。自然と共生するかつての暮らしを取り戻すというストイックな主張は賛同を得られませんが、せめてその痕跡である古民家を一つでも次の時代につなぎたいものです。
どれだけ自然に近づけるか
夏らしい気候になったと思うと昨夜は涼しく、ドライエリアに置かれたインフィニティチェアに風呂上りに横たわる気持ち良さは、わざわざ温浴施設やサウナに行く必要を感じません。いつもサウナ事業のことを考えているのですが、「サウナバブル後に生き残る施設とは何か」という問への答えは、自己否定からスタートすることだと思います。世間の施設はサウナを称賛し、日本中のサウナを見ましたという人もいますが、その前提は危ういと感じます。本音で言えばサウナ施設に行っても以前ほどの感動がなく、あれば入る程度です。自宅の風呂にバスソルトを入れて汗を流した後の、冷気を感じる外気浴の気持ちよさは、営業施設と同様です。それでもサウナが素晴らしいと言い切れるのは、サウナを構成する火・空気(風)・水・土(石)の四元素を通して自然を感じるからであり、どれだけ自然に近づけるかが勝敗を分けると思います。
トレイルランニングの問題
MOVEこの自然な動きが脳と体に効く(ウィリアムズ,キャロライン著)を読みました。1980年代まで人類全体の知能は10年で3%上昇していたのに対して、2000年代初めには10年あたり数ポイントの低下を始めた原因を、著者は過去1世紀にわたる体を動かすことを不要にする技術の発明にあると主張します。確かに頭が一番よく働くのは体を動かしている時で、アリストテレスからダーウィンまで、歴史的な賢人は体を動かしながら思索しました。幼生期のホヤは単純な脳と神経系を持ちますが、生息に適した場所にたどり着くと神経系を消化し、その後は何も決断を下せなくなる姿に人間を重ねます。身体的な運動が脳の健康、記憶や注意力などの認知能力を高め、鬱や不安のリスクを下げる理由は、高度な頭脳活動であった狩猟による人類の進化があります。トレイルランニングは狩猟に近い運動ですが、問題は頭を使わないことかもしれません。
腰痛解消の決定打?
腰痛はこの6、7年の持病で、医者や様々な治療家を回りましたが完治とは程遠い状況でした。日本人のうち2,800万人ほどが腰痛持ちとされ、その85%が原因を特定できない非特異的腰痛と言われます。しかし、昨日行ったクリニックでは関節運動学的アプローチ(AKA)を採用していて、腰痛解消の決定打になりそうな予感がします。1927年から欧米で提唱されたAKAは、関節運動学と関節神経学の知見から、背骨の付け根にある仙骨、仙腸関節を手で動かすことで関節機能の障害を治します。施術後、仰向けに寝て足を上げると足が軽くなり、腰の違和感も消えました。日常においては、硬くなった関節に油を差すようにゆるやかに腰を回すことが推奨されます。腰痛原因が明らかにならない理由は、MRIやレントゲンなどの機器による形態診断に過度に依存した為であり、臨床診断ができない医者をいくら訪ねても、腰痛が治ることはないのでしょう。
プログラムに従い生きる現代社会
週末に納車されたN-VANで静岡、長野、福島と800kmほど走りました。流れの良い国道を中心に走った燃費はJC08モードのカタログ数値に近い20km/Lと良好です。これはフィアットの燃費とほぼ同じですが、2割以上高いレギュラーと軽油の価格差が効いてきます。一般道でギアを6速に入れることはほとんどなく、新4号国道のように流れの早い幹線道路に限られます。軽バン初の6速MTはS660譲りだけに感触もよく、個人的にはオートマのフェラーリやポルシェよりも楽しいと感じます。今やマニュアル・トランスミッションが残っている車種はジムニーなどごく一部に限られ、それでもせいぜい2割程度です。オートマ免許が主流となり、安楽さの代わりに自動車は走る自由と楽しさを失ったと思います。それはまるで、機械的に決められたプログラムに従い生きる、現代社会を象徴しているようにも見えます。
回復なき運動
週末は、土曜日に山梨県の白砂山、羅漢寺山、弥三郎岳から昇仙峡の奇石をめぐる20kmをラウンドし、日曜日は白州町の石尊神社から水晶ナギ経由で雨乞岳に登り、ヴィレッジ白州経由で神社に戻る20kmをラウンドしました。行った道を戻るピストンとは違い、ラウンドして出発地点に戻るコースは目的地を目指す一種の達成感があります。よせば良いのに、昼前から天気が回復した月曜日は、西岳、編笠山をラウンドした結果オーバートレーニングになり、その日はほとんど眠れませんでした。運動の健康効果ばかりが喧伝されますが、運動は常に回復とのセットで考えるべきで、マラソン大会の後に感染症が拡大するのも免疫力の急激な低下が原因とされます。運動をし過ぎると寝付けない原因は、体温上昇や、アドレナリン、コルチゾール、ノルエピネフリンなどの分泌により覚醒度が上がるからですが、回復なき運動は運動不足と同様の致命傷になりそうです。
N-VANの真価
N-VANの初仕事はサウナ用の薪を運ぶことです。体積的にはこの倍は積めますが、専用設計のリアサスペンションが沈むので、とりあえず様子を見ます。N-VANのウリは乗用車に近いことですが、業界には乗用車ベースの商用車は成功しないというジンクスがあります。乗用車ベースのフロントエンジン車では、荷室の全長が取れないデメリットがあり、N-VANでは運転席以外の座席をフロアの高さにたたむことで荷室長2,635mmの大空間を生み出しました。N-VANを評して昨今の自動車雑誌の編集者は、やれ乗り心地が固いだの、30分以上座れるのは運転席だけとか、4人家族には無理筋とか、ロードノイズがうるさいなどと宣いますが、どこをどう切っても普通の乗用車だろう、と昭和の自動車好きは思うのです。4WDのビスカスカップリングのトルク容量を増やし、デファレンシャルギアも重い荷物を載せるプロユースを想定した専用設計の、N-VANの真価が問われるのはこれからでしょう。
身体を使って心を修める
昨日は白州町の石尊神社から水晶ナギ経由で雨乞岳に登り、ヴィレッジ白州側に下山して神社に戻る20kmをラウンドしました。アクセスのよいルートが作られてからはスパルタンな石尊神社から登る人はわずかで、行楽シーズンの週末でもすれ違う人もなく静かな山歩きを楽しめます。アロマの香りで満たされた森を独り占めしながら体を動かす以上に、贅沢なレジャーは思い付きません。山頂付近で行われた雨乞儀式を想像しながら歩くのも楽しく、遠い昔に思いを馳せるのが古道の魅力でしょう。儀式は、ホクギノ平を過ぎた付近で行われていたのではないかと想像します。いかにも神が降りたちそうな鋸岳を正面にする、台地状のカラマツ林こそがふさわしい場所に思え、そこから先の登山道は歴史を積み重ねてきた古道の風情が感じられません。歴史に埋もれた古道を歩き、先人のように身体を使って心を修めたいものです。
平等主義の弊害
山梨県の白砂山、羅漢寺山、弥三郎岳から金櫻神社に下り、昇仙峡の奇石をめぐる20kmほどのルートをラウンドしました。このルートは、修験道の聖地とされ、山頂に五丈岩を抱く金峰山へと続く御嶽古道とも重なり、歌川広重が訪れ風景を描いたことでも知られます。しかし、山がレジャーとしての側面を強め、便利さやアクセスの容易さばかりが求められた結果、ロープウェイまでかけられました。地元有志や企業による、金峰山古道復活プロジェクトが始まりましたが、古から続く古道を使うことが本質的な山の楽しみだと感じます。神道であれ、仏教であれ、修験道であれ、聖地に至る古道を歩むことは一種の修行でもあり、日本人の精神世界を構成している気がします。山へのアクセス制限は、マイカー乗り入れ規制など自然環境の側面から語られますが、誰もが行ける平等主義がもたらした最大の弊害は、伝統や歴史と現代を断絶したことかもしれません。