昨日は改修工事の始まった白河の古民家に来て、近隣挨拶をしました。戊辰戦争以前からある家と聞いていましたが、付近は戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えた白河口の戦いの激戦地に近く、大半の付近の家は新政府軍側が火をつけてまわり焼かれたそうです。神社に隣接するこの家だけが唯一燃えずに残り「神が守った家と祖父から聞いた」という話を隣家の人に聞きました。東日本大震災で周囲の家の多くが全壊、半壊したときもこの家は生き残りました。われわれは新しいモノほど優れていると考えがちですが、明治維新や戦後の経済成長は多くの先人の知恵を埋もれさせたと思います。現代人は科学を信奉し機械の正確性を疑いませんが、マシンカットされる以前の木造家屋の価値は、決して懐古趣味だけではないのかもしれません。新しいものに飛びつくのではなく、今はともに年を重ねて行きたいと思えるものと暮らしたいと感じます。
歳を意識すれば老いる
父の人生を振り返ると、平日は浴びるように酒を飲み深夜に帰宅し、週末は仕事と称するゴルフという典型的な昭和の企業戦士でした。中年まではトイレの壁が黄色くなるほどのヘビースモーカーで、長年糖尿病を患ったわりには92歳8か月という生涯は、大往生とみなすこともできます。他方で、父が10年以上にわたり高齢者施設にお世話になり、この間は健康寿命に含まれないのに対して、葬儀に参列してくれた妻の父は同い年ながら、今も生活の全てを一人で行います。二人とも大手製造業の営業という似た仕事で、妻の父も酒が好きで比較的最近まで喫煙をしていたことも同じです。最大の違いは妻の父が年齢を意識していないことです。年初、家に行ったときも、こちらが躊躇するような高所の脚立に立ち、夏ミカンをもいでいました。加齢が人を老いさせるのではなく、歳を意識して体を動かさなくなることで老いるのだと思います。
愛情にあふれた思い出だけ
あと四半世紀は働くつもりなので、終活など縁起でもないと考えていましたが、父の遺品整理をしていると、残される人の負担を減らすのは最低限の務めだと思います。資産の一覧や戸籍、年金番号ぐらいは整理しておいて欲しかったと愚痴りたくなります。兄がいるのでたいした負担ではありませんが、慣れない仕事はストレスになります。妻には、延命措置、高額医療、一切の儀礼、墓不要、法に触れない範囲で簡単に、と話します。海外不動産をはじめ不良資産は手放しましたが、これから始める事業には換金が難しいものもあります。「今日が人生最後だとしたら」とスティーブ・ジョブズが語るように、死を意識することは行動を促す点で有益です。「死が近づく今、やっと理解したことがある。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。」という彼の言葉が好きです。
葬儀はレクリエーション?
昨今の葬儀は近親者だけで行う家族葬が主流になりつつあります。それでも父の世代は兄弟が多いために、数十年ぶりに再会する従妹が参列してくれて賑やかに送り出すことができました。一方で、自分が社会人になった頃は、週休一日で残業青天井の時代ですから現役で亡くなる社員もいて、毎月のように葬儀に動員されていた気がします。当時の葬儀は儀礼的なもので、お清めと称して飲食をする、ムラ社会の一種のレクリエーションとして機能していたのかもしれません。家族葬のメリットは、社交辞令的な弔問が減ることで、周囲に気兼ねなく落ち着いた雰囲気のなかで送り出すことができることだと思います。少子化時代に入り兄弟の数が減るなか、火葬場では遺族が一人という方も見かけます。家族の在り方が変われば、葬儀の形態も変わり、死との向き合い方も変わるのでしょう。
努力は評価されない

父の使っていた部屋を整理に行くと、大半は不要品で、肝心な年金関係の資料も見つかりません。この年代の特徴なのか、モノを大量に抱え込む割に形見になりそうなものもなく、唯一持ち出したのは母が使っていた電子ピアノです。運送業者の人に自宅まで運んでもらい自宅のピアノと交換したのですが、地下への上げ下げを一人で行うのは大変です。見ていて心苦しいので何度か手伝いを申し出るのですが、「お代をいただいているので」と手際よく一人で作業をして、料金も妥当です。このような作業を日々6件ほどこなすそうですが、どのような職業であれプロフェッショナルサービスを見るのは清々しいものです。世間には自称プロフェッショナルも少なくありませんが、高い専門性とスキル、職業倫理と顧客第一主義の妥協なき品質基準で結果を出す人がプロであって、努力は評価されない厳しい世界なのでしょう。
物心両面で満たされる
先月末に父が亡くなり、昨日は雪のなか親族で葬儀を済ませました。92歳は今となっては大往生とも言い切れませんが、糖尿病を患っていた割には長寿を全うしました。亡くなる10日ほど前、病院に搬送される救急車のなかで「お腹が空いた」と言うほどの食欲は、生きる力の源泉かもしれません。戦争中の話をもっと聞くべきだった、という後悔はありますが、亡くなる前日に見舞うと顔色が良く、穏やかな最期であったことが何よりです。死を身近に感じるとき、人は生きる意味と向き合います。世間には、幸せを基準に人生の良し悪しを判断する風潮がありますが、どのような人生にも意味があり、日々と真剣に向き合い、全うすることに生きる価値がある気がします。人生を謳歌するとは、贅を尽くした消費を最大化することではなく、慎ましい暮らしのなかで、自分の内面に関心を向け、物心両面で満たされることだと思います。
鍋料理は自炊の王様
寒い季節に欠かせないのは湯豆腐ですが、わが家では昆布だしが出た週後半にはそれが鍋料理に変わり、最後はおからを入れて総菜にします。料理を変えながら一週間同じ鍋を使うのはおでんも同じで、具を足しながら煮込み、週の途中からは八丁味噌を入れて味噌おでんに変わり、最後はやはりおからの総菜に変わります。体を温めてくれる鍋料理やおでんは手軽でありながら、日が経つに従い美味しさが熟成されます。鍋料理やおでんは具材を切るだけでできあがり、自炊のハードルは一気に下がります。消費社会におけるヒエラルキーでは、高級店の外食こそが王様で、自炊は節約といった文脈で語られますが、身近な家での日常的な食事に美味しさを感じます。手軽にできて、心と体を温めてくれる鍋料理は、自炊の王様であるだけではなく、ファイトケミカルなどの栄養素を効率的に摂れる健康的で合理的な食事だと思います。
胃もたれせず、腹持ちがよい
昨日は首都圏を中心に13店舗を構え、小粒ながら注目されるカレーチェーンである、もうやんカレーに行きました。西新宿の店舗は1997年の創業店で、現在は直営、フランチャイズが半々程度です。自店でカレーを作る釜あり店舗と、本部や他店から供給を受ける釜なし店舗があり、後者の食材原価率は35%とされます。通常の3倍の香味野菜を使用した、グルテンフリー、化学調味料無添加の漢方薬膳カレーは胃もたれせず、他方で腹持ちがよく昼食に食べると夕食は不要です。カレーブッフェの料金は一皿、二皿、無制限の3タイプがあり、注文した二皿は1,155円ですが、999円の一皿でも十分です。6種類程のカレーは2週間熟成され、100gあたり90kcalと低カロリーで、3種類のライスやうどんも提供されるのですが、ウォーマーの過熱が不十分で冷め気味なことが課題です。店内に貼られる月額給与28万から100万という社員募集のポスターも気になります。
安物ほど優秀?
先日、高速道路を走行中に飛び石でひびの入ったフィアットのフロントガラスを、昨日交換しました。10年で20万kmを走り、消耗品の電球が切れた以外にトラブルはなく、今回も車側の問題ではないのでフィアットの信頼性を損なうものではありません。以前、13年間に14万kmを走った車もイタリア車で、かつては信頼性が低いと思われていたイタリア製品は、実のところ日本車並のクオリティと言っても過言ではありません。自分の経験によると、最低価格帯の大衆車こそ信頼性が高く、高級車ほどトラブルに見舞われる確率が高いのは、付加価値と称する無用なギミックが追加されているからでしょう。大量に作られる安い車ほど、多くの改善が反映され長く安心して付き合えるのであれば、そこから先の付加価値は無意味に思えます。日本伝統の発酵食品である納豆などの大衆的な食事こそが健康維持につながり、贅沢な食事ほど寿命を縮めるのと似ている気がします。
豊かな人生を育む飢え
昨今はウェアラブル端末によるヘルスケアDXが進みます。しかし、最も信用する健康指標は、日々の便の状態です。先日、懐かしさから学生時代を彷彿とさせる大衆的な店に入り食事をすると、腸は正直で腸内環境の変化を立ちどころに伝えます。外食を避けたい理由の一つは、免役システムなど健康に直結する腸の不調を引き起こすからです。食事には様々な側面があり、飢えを満たすため、快楽のため、人とのコミュニケーションのためなどの動機がありますが、第一義的には健康維持のはずです。肉体を維持するためのエネルギー源や栄養素を摂ることで、日々の活動と代謝ができます。一方で、オートファジーにより細胞を浄化するためには16時間断食が奨励され、飢えこそが生命力をかきたてる最大の因子とも言えます。飢えがあれば栄養を適切に消化吸収できるようにもなり、豊かな人生を育むには飢えを感じることが大切だと思います。