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官能ではなく本能

慣れたとはいえ、一人分の食事を作るのは面倒です。パエリアを練習がてら外で作るには寒く、買い物にも行けなかったので、昨夜の主食は冷蔵庫にあった地元産の馬鈴薯(きたあかり)を圧力調理して塩とオリーブオイルで食べました。手をかけないのにいくらでも食べられる美味しさです。

自分で料理をするようになって美味しさとは何かをよく考えます。多くのレシピや飲食店は中毒的美味しさのために砂糖や塩を大量に入れます。ぼくが考える美味しさは脳が創り出した幻想にすぎない官能評価ではなく、本能で感じるものです。グルメブームの弊害はブランドや産地、有名店など記号的に美味しさを判断する人が増えたことだと思います。「ブランド品だから美味しいはずだ」と自己暗示をかけた一種のプラシーボ効果です。

中毒的美味しさで食べることの問題は満腹以上に食べてしまうことです。小腸には神経細胞があり、自分と対話しながら味わって食べる習慣があれば、食べるのを止めるタイミングを教えてくれますし、ジャンクフードに手を伸ばすこともなくなります。生きるために食べるのではなく、食べるために生きるようなライフスタイルが癌を始めとした生活習慣病を増加させていると思います。

いつでも成長できる

全国的な天候不順のまま夏が終わり、宿の庭にあるドウダンツツジが色づき始め、阿武隈源流は水量を増しています。夕方散歩に行くと山を霧が包み水墨画のような光景が広がります。藪から雉の群れが騒々しく飛び立ちます。

駐車場があるにも関わらず、常連密漁者の車が遊歩道の入り口を塞ぐように停められています。これだけ人口密度の低い西郷村でさえ、人のやることにはストレスを感じます。一切感情的にならず、いつもご機嫌でいられるラブラドールには教えられることばかりです。よく解釈すれば人間はいつでも成長の余地があるということなのでしょう。

倒木処理を夏にしたばかりの宿の前の遊歩道には、また倒木があります。

幸せな古い旅館暮らし

源流の森での暮らしを始めて9ヶ月が過ぎ、今のぼくにとって都会だけで暮らすという選択肢は考えられなくなりました。通勤は無理にしても福島と栃木の県境にある新甲子温泉から東京へ出ることは比較的容易です。東北自動車道に近いスピードで流れる新国道4号線を使えば、フィアットパンダなら片道1,000円ほどの燃料費だけで刺激にあふれる東京に出ることができます。

盛夏の新甲子温泉並みに涼しくなった代官山を歩くと、億ションからは明るい色のベントレーのSUVベンテイガが出てきます。代官山 T-SITEには派手な2台のマクラーレンが置かれ、人と金が集まる世界最大規模の都市圏の面目躍如といったところです。

こうした消費様式は、高いから良いと信じられている資本主義的な価値観であって、先進国で静かなブームを起こし始めた「物欲なき世界」とは真逆の生き方です。今のぼくが物欲の呪縛から完全に自由になったわけではありませんが、代官山の億ションよりは阿武隈源流の古い旅館暮らしの方が幸せだと思えます。

森から始まる一日

今朝の新甲子温泉は澄み切った気持ちのよい青空が広がっています。半袖で過ごせる季節が終わり、冷たい空気が肌に心地よい秋の訪れです。夜明けとともにラブラドールと剣桂神社に向かいました。夏に雨が多かったため至る所で沢音が響きます。

阿武隈源流の森に太陽が差し込み、目覚めたばかりの木々に生命力を与えているようです。森の空気がストレスホルモンを減らすことが分かっていますが、この森から一日を始められることに感謝する気持ちになります。

共振こそが宿の価値

今朝は快晴で、3時過ぎの温泉からは満天の星空を望めます。天候不順だった今年の夏は晴天に恵まれませんでしたが、一昨日あたりから青空が戻ってきました。ここ新甲子温泉一帯は阿武隈源流の地として知られますが、降水量が多いゆえに源流であり、那須おろしのような風が強い地域なので雲が通過するのだと思います。

今朝は古くからの妻の友人夫妻と茶臼岳に登りました。山頂付近の気温は10.2度で生憎の強風のために冬のような寒さです。しかし下山して温泉に入ったあと、青空のもと火を囲む朝食のひと時は豪華ではないけど十分に幸せです。趣味嗜好の近い人との会話ほど楽しいものはなく、こうした共振関係こそが宿の価値だと思います。

宿の庭木には不思議なキノコが群生しています。

自然の近くの暮らし

昨日も気持ちのよい快晴で、南湖公園に行きました。宿からは特徴的な旭岳の美しい稜線が眺められます。

朝夕の新甲子温泉はすっかり秋の気配が漂います。天気が悪くない限り阿武隈源流と剣桂神社の2km弱のトレイルを歩きます。清流の傍らに来ると清らかな気持ちになります。早朝の朝霧や、日が差し込む原生林を歩くときは、自然と生きていることへの感謝の念がわきます。日が沈み薄暗くなった森を抜け剣桂神社で手をあわせると、今日一日の行いを反省する気持ちになります。都市の暮らしはあわただしく、同じ日本にいながら気候や時間の移り変わりに何かを感じることがありません。人間は自然の近くで暮らすべきだと思います。

偽りのホスピタリティ

30年と5ヶ月に及ぶサラリーマン生活に別れを告げてちょうど今日で1年になります。初めて新甲子温泉に来たのが退職後約1ヶ月の昨年10月3日。後先のことを考えず、ただ面白そうという直感に頼って旅館を買い決済したのがその2ヵ月後の11月28日です。

変に利口で思慮深くなかったからこんなに刺激的な経験ができることを思うと、人生は何が幸いするか分からないと思います。そこから苦難の日々が始まるのですが、どのエピソードもなぜか美化されて今となってはよい思い出です。それは多くの人が見返りを期待しない善意により助けてくれたからだと思います。

宿泊業はホスピタリティ産業といわれますが、ホスピタリティは本来見返りを期待しない無償の行為です。しかし産業としての宿が提供するのは金のための偽りのホスピタリティです。金を中心に経済が回っている以上避けられない問題ですが、答えを探っていきたいと思います。

晴耕雨読の住まい

今朝の新甲子温泉はさわやかな秋空が広がっています。

那須塩原市にある乃木希典那須野旧宅(乃木別邸)に行きました。乃木将軍が生涯4度の休職のおり晴耕雨読の生活を過ごした場所です。旧家、母屋ともに不審火と過激派による放火で消失しています。ぼくにはそうした思想的背景はなく、晴耕雨読のために自ら設計したという建物に魅かれます。

昨日は東京にいたのですが、ぼくにとっての都市は誘惑と中毒により欲望を金に変える箱です。ものを生産できない都市では錬金術が発達し、そのテクニックはより巧妙に洗練されていると思います。錬金術の分かりやすい対象が健康です。食事と嗜好品を散々売って体を蝕んだ上で、今度は薬や健康食品を売りつけます。この滑稽な罠にぼくを含む多くの人がはまるのは、都市では誰もがこの生態系とは無縁では生きられないからだと思います。今日はデトックスのために食事を抜きます。

店と客の共振関係

例年は夏の暑さに辟易していて、この時期には夏の疲れが出るものですが、冷涼な高原でひと夏を過ごしたために暑い夏へのあこがれがあります。人間には欠けたるものを補う心の欲求があるのでしょう。今朝は残暑厳しい湘南に行きました。山の暮らしに魅せられているぼくでも、海辺の独特の空気は魅力的です。

久しぶりに七里ガ浜のBillsで朝食を食べました。散歩ついでに来たといった風情の一人客の女性がテラス席に目立ちます。冬に来て、潮風に吹かれながら日がな一日読書をして、日光浴をしたいと思えるロケーションです。みな高額の飲み物を避け、料理をシェアする人が多いのは今のノリだと思います。そのためかスタッフはより高額なメニューに露骨に誘導します。店が客から多く取ろうとすれば店と客の間には共振関係は起きないと思います。

料理は挑戦の場

今日は、世界一のパエリア職人を決める「国際パエリアコンクール」の国際部門で2013年に優勝し、日本パエリア協会の設立を主導した栗原さんが代表を務める、日本で唯一薪火を使い炊くパエリアの専門店、El Tragón(エルトラゴン)に行きました。

ランチは大なべで炊いたパエリアをガスで温めていますので、ディナーに炊き立てを食べないとベンチマークにはならないのですが、味、見た目、米の硬さなど模範となる基準を知ることができて有益でした。料理を作るようになって以来、外食は楽しみの場というより勉強の場、研究の場になりました。どうやって作るのか、という探究心ができたことで料理に対する見方が変わり、観察力もついたと思います。薪は長野県から仕入れた細く割られた杉の間伐材です。パエリアパンとの位置関係なども参考になります。薪を使うことで日々調理の状況が異なるために、料理はルーチンワークではなく発見の場、挑戦の場になります。

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