2001年より日記を付けています。時々何年か遡り自分の生活と考え方がどのように変わってきたのか確認します。昨年の今日は新甲子温泉で住むにために南会津に薪を買いに行き、一昨年は当時の勤務先で買収検討中のホテルに調査で泊まり、5年前の今日は中央自動車道の笹子トンネルで崩落事故がありました。9名が亡くなる事故は、蓼科の帰りにぼくがトンネルを通過する1時間ほど前に起こりました。ニュースで見るだけの事故が、突然自分の人生を終わらせることを意識しました。死を意識することは悪いことではなく、今日を真面目に生きなくてはいけないと戒めてくれます。
死ぬこと以外はリスクではない

師走に入りました。12月は1年で一番月替わりを意識する月かもしれません。昨年12月から新甲子温泉に居を移したぼくにとってはこの1年を振り返らざるを得ません。多くのことが目まぐるしく展開して決して昔のことには思えませんし、かといってこの1年が短かったという感覚もありません。一言でいうなら、たくさん悩み、たくさん助けてもらった1年です。
先の見えない自営業になって不安な毎日ながら以前より幸せを感じます。以前は一見満たされている生活なのに常に何かに怯えていたように思います。それが何かはよく分かりませんが、何も成さずに死ぬ自分を怖れていたのかもしれません。今は死ぬこと以外はリスクではないように感じます。
痕跡を残さないシェルター

夜中の那須おろしの強風も止み、穏やかな朝です。温泉の前のブナの木々をリスが素早く渡っていきます。昨日は奥会津の金山町で見たベルギー発のドーム型テントDom’Up(ドムアップ)を設置できないか宿のまわりを見てもらいました。
オランダ在住の樹木医Bruno de Grunneとベルギーの建築家Nicolas d’Urselが開発したDom’Upは2本の木に吊るすシェルターです。開発者であるベルギーのTrees & People社のBruno氏の『NO TRACE』(痕跡を残さない)という哲学に基づき、樹木を傷つけない設置方法を採用し、撤去後には元の森に戻すという森林環境に配慮しています。造成や基礎工事が不要で、重機を用いる事無く設置や撤去が行え、強風時にはシェルターを地上に降ろす事で樹木への負荷を軽減します。
ぼくが独立して変わったのはよくも悪くも計算をしなくなったことです。勝算がなくても、成功する具体的なイメージがなくてもとりあえずおもしろそうなことを優先します。現状に満足せずに一歩を踏み出さない限り自分の人生は前に進まないと思います。
待ちに待った冬の訪れ

布団だけではなくコタツからも出たくない季節になりました。それでも待ちに待った冬の訪れです。宿の前の旧道が冬季閉鎖されて、自分だけの静かな森が戻ってきました。捨てられるごみに心を乱されることもなく、この美しい森を独り占めできます。心を満たしてくれるこの森があったから、寒くて厳しい冬を一人で過ごすことができたと思います。
都会に暮らす現代人は目に見えない生活環境の悪化により、例外なく体調の不具合を抱えていると思います。ストレスや脳疲労、睡眠不足や便秘、腰痛、頭痛、各種アレルギーや化学物質・電磁波の過敏症など原因が特定しにくい現代病を薬で治すことはできません。きれいな空気と水、伝統的な日本食などの食事、そして運動により身体を中から浄化すれば自然治癒力も高まり症状はやがて消えます。一定期間仕事をせずに保養や療養をすることは大半の人にとっては難しいのが現状です。仕事をしながら原因不明の症状を緩和し、同時に仕事の生産性が飛躍的に高まることをこの阿武隈源流の自然のなかで知ってもらいたいと思います。昨晩は豆乳きのこ鍋にしました。
合宿形式の仕事は効果的

昨日は9月決算の決算書(第39期)ができました。追加投資が大きく試験的な営業しかしなかったために予定通りの大幅赤字です。すでに2ヶ月が過ぎようとしている今期は黒字転換を目指していますが、売り上げを落としてでも今後営業の中心に据える新たなマーケットを開拓したいと思います。
そのひとつは企業の研修や合宿です。仕事以外の会話が増えメンバーの考え方を共有できる合宿形式の仕事の仕方はチームビルディングの観点からも効果的だと思います。温泉で打ち合わせをしたり、山の中を歩いて議論することで都会やオフィスにいるときの枠組みから離れた新しいアイデアがでます。新鮮な森林の空気と適度な運動は悩みを消し、脳を活性化してくれます。
昨日訪れた奥会津の豪雪地帯はすでに冬の装いです。
グランピングの新顔
今日は奥会津の豪雪地帯にある金山町の沼沢湖に行きました。湖畔に今日まで設置されていたドーム型のテントDom’Up(ドムアップ)を見るためです。2本の樹木間にロープやワイヤーでデッキを吊るして設置します。気分はツリーハウスで、地面に置くこともできます。もはや手垢まみれのグランピングですが、このベルギー発の新顔はとても魅力的です。設置場所と資金が確保できるならぜひ設置したいと思います。
沼沢湖に向かう峠は雪に覆われて完全に冬景色です。また長くて厳しい冬が始まりますが、一年に4つの季節を楽しめる日本は、自然環境の素晴らしい国だと思います。
人生を変える旅

昨日神山町から戻り、今も旅の余韻が残っています。人生を変えるような旅の目的地を人に勧めるとしたら、神山は有力候補でしょう。神山訪問が昨年だったなら、ぼくの人生を変えていたかもしれません。視察団が訪れる今風に改装された古民家や、田舎に不釣合いなビストロを真似ることには意味がありません。
核心は昔から暮らす人と新たな移住者が織り成す、神山独特の空気です。行政主導による頭数の移住促進ではなく、逆指名により町に必要な人を呼び込めたことが要因だと思います。芸術家が滞在しながら制作活動をするアートインレジデンスが神山町の移住の原型となり、海外の違う価値観を受け入れた国際交流が、やがて移住者という国内交流へと広がっていきます。
ぼくが探していた「新しい生き方・働き方」がこの町にはありました。早くも町の顔となったカフェオニヴァ(Cafe on y va)では夏の1ヶ月はスペイン、ポルトガルなどの海外研修に行き、週休3日で自分たちの価値が高まる個人プロジェクトにあてることで自立を促すと言います。カフェオニヴァの料理は気取ったところがなく、繊細な都会的洗練というよりどこかフランスあたりの郊外のオーベルジュの料理を思わせます。
町全体がパワースポット

旅は学びだと思います。神山町で過ごした2日間は大切なことを学ぶ機会になりました。意識面で見ると神山町は都市よりも都市らしい感覚にあふれています。ある意味田舎の象徴でもあるスローライフとは対極にあるアグレッシブさや先端的な生き方があります。神山町は一見すると日本各地にある中山間地域の平凡な町です。神山町の成功は偶然の蓄積にも見えますが、その根底にあるのは普遍性だと思います。
1927年に日本に送られた日米友好のシンボルである「青い目の人形」の一体が、90年の時を経て神山町を大きく変える原点になったという物語ほど心引かれるものはありません。人形に添えられたパスポートの出生地欄のペンシルバニア州で贈り主を探し始め、これを契機に町が大きく変わっていくという話にはロマンさえ感じます。一人の人間の小さな行動が町を変え、人が人を呼ぶ形で人材集積が起こることは古今東西変わらないと思います。人々を吸引し、多くの人が生きる意味を見いだす町全体がパワースポットです。
神山は第一級の観光地だった!

朝食前に雨乞いの滝とそこから参道の続く阿波邪馬台国説の中心地で卑弥呼の居城とされる悲願寺に登りました。神山には有名な観光地がないと昨日書いたのは誤りでした。標高700mの雪の舞う悲願時は邪馬台国伝説にふさわしく、神が創造したとしか思えない巨岩の沢を登っていきます。神山はまさに神の山なのです。古の時代から人々が何かに近づこうと登ったであろう苔むした山道を歩くと、ここが第一級の観光地であることが分かります。
朝食後は神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックスとクラウド名刺管理のSansan神山ラボをそれぞれ案内してもらい、サテライトオフィスとして活用される古民家も数軒見ました。どこもアポなしの突然の訪問なのに、土地柄なのか親切に対応してくれます。
20年の歴史のあるアートインレジデンスの作品が置かれる大粟山に登り、午後は急峻な山頂にある四国八十八箇所第十二番札所の焼山寺(しょうさんじ)に行きました。四国八十八箇所で随一の難所として知られる焼山寺だけに、こんな山中に巨大な伽藍を作る信仰の力に思いを馳せないわけにはいきません。
サテライトオフィスの聖地巡礼

今日はサテライトオフィスの聖地?として注目を集め、今も自治体の「神山詣」が続く徳島県神山町に来ました。自然が卓越しているわけでも有名な観光地があるわけでもありませんが、四半世紀以上の時間をかけて外部の人を受け入れてきた、「来るもの拒まず、去るもの追わず」の空気が移住者に心地よいのだと思います。こればかりはいくら視察をしても実現できるものではありません。
理想を実現するのには、一般の投資家が許容してくれないような時間がかかるのかもしれません。赤字の垂れ流しは止めなくてはなりませんが、理想を捨てるぐらいなら脱サラのリスクを取る意味などないと思います。魅力的な飲食店もでき始め、神山町全体の魅力が増す好循環に入っていると感じました。