八ヶ岳は朝の気温は10度ほどと寒く、念のために持ってきたフリースなしに過ごせない寒さです。今朝は阿弥陀岳(2,805m)、赤岳(2,899m)権現岳(2,715m)西岳(2,398m)を回る20.6kmを歩きました。赤岳以降のルートは通る人もなく静かな山歩きを楽しめます。一方で小淵沢にあるリゾナーレは相変わらず5ヶ所の駐車場も満車の盛況ぶりです。心身をリフレッシュする自然の懐まで出かけながら、なぜ人は都会的な商業施設に集まるのでしょうか。その理由は進歩の概念のなかに、安易に手にするという思想があるからだと思います。安易な食生活が調理手間のないジャンクフードを生み、安易な娯楽が中毒性の高いギャンブルを生みだしたように、進歩の概念は企業に都合よく創造されたものだと思います。
仕事をする休日
社会人の夏休みははかなく終わります。何日も前から予定を入れ、天気に気をもみ、職場に気を使い、高い旅行代金と人混みや渋滞を甘受しなくてはなりません。昔は欧米的な長期のバケーションに憧れましたが、それも今の自分の感覚とは違います。仕事と生きがいが重なり翌日の朝が待ち遠しい日常が理想です。ワークライフを分離する働き方改革はうまくいかないと思います。人間の身体はサーカディアンリズムで動いており、自律神経優位のオンだけ、副交感神経優位のオフだけの生活が身体に良いとは思えません。塩見岳に登りTJARのルートを辿る山行が夏休みのハイライトですが、わずかな時間でも仕事をする休日を心地よく感じます。
賞金のないレースの価値
昨日は南アルプスの塩見岳(標高3,052m)に登りました。鳥倉林道から往復27km、累積標高1,984m、消費エネルギー1,579kcalのルートは、日本海から太平洋を目指す日本最長のトレイルランニングレースTJARのコースと重なります。数時間後にはTJARのトップランナーが通るはずの樹林帯を歩きながら、すでに200数十kmの北アルプス、中央アルプスを走破してきたランナーが、肉体と精神の限界の先で何を感じるのか想像します。南アルプスに入る頃には幻覚、幻聴に悩まされるといいます。賞金のないレースだからこそ人生を賭けるに値する内発的なモチベーションが生まれるのだと思います。帰路国道を車で走っているとき、TJARを四連覇し今年は前人未到の無補給走破を目指す望月選手と遭遇し写真を撮らせていただきました。この偉業の達成を願わずにいられません。
わが身を振り返る終戦の日
写真は10年ほど前に訪れたペリリュー島です。アメリカ軍最強とうたわれた第1海兵師団と日本軍が死闘を繰り広げた絶海の孤島に立つと自分の弱さを恥じる気持ちになります。経済成長期に生まれ戦争など遠い過去の記憶だと思っていたぼくが戦争を身近に感じたのは二十歳のときです。自分が生まれるわずか20年前の1943年はニューギニア、ガダルカナル、キスカを失い、山本五十六大将が戦死し、学徒出陣があり、イタリアが降伏した年で、終戦まではまだ2年の月日がありました。誰もが戦争のない世界を望みます。多くの場合その力は政権批判に向けられます。しかし真の平和を求めるなら、誰かを悪者にするのではなく、自分も加担している欲にまみれた社会を足元から変える以外に方法がないと思います。
その人を知る手がかり
日本工学院の前期の成績をつけました。少人数の3年生以外の1、2年生88名の成績をつける際の手がかりは毎回提出する授業の感想とレポートです。期末にもレポートを書いてもらい全てに目を通しますが、コピペ時代のレポートの評価は厄介です。見るのは授業から気づきを得て自分なりに消化しようとした思考の痕跡です。自分の考えを毎回書く人もいますが、多くの学生はムラがありそれは授業への評価なのだと思います。「できない生徒など存在しない。存在するのはできない教師だけだ。」というピーター・ドラッカーの言葉を思い出します。
企業で働くことは高コスト
30年に及ぶサラリーマン生活を止めたのは2年前の今頃です。働くための出費が多かったことに気づきます。20着近くあったスーツは喪服になりそうな1着を残して処分し、6足あった革靴も1足に、冬用コートやシャツなど大半の衣類や鞄も処分し家が広くなり、クリーニング代も不要になりました。付き合いによる外食や喫茶、ストレス解消のレクリエーション、毎日のコンビニ、アマゾンでの無駄な買い物も無くなり、いつでも山に行けるのでスポーツクラブも止めました。仕事のついでの移動や情報収集と称した様々な出費も消え、生活コストは格段に下がりました。一方で、通勤時間や会社での拘束時間がなくなり使える時間は数倍に増え、人に管理されるストレスも消えました。企業で働くことは高コスト体質なのだと思います。
生きる価値を確認する旅
2年に一度の国内トレイルレースの最高峰Trans Japan Alps Race (TJAR)が今日の午前0時に富山県をスタートしました。北・中央・南アルプスの日本の屋根を縦断して太平洋に至る415km、累積標高27,000mは、100マイルレースが普及しつつあるトレラン界においても別格の過酷さです。完走するだけでも想像を絶するのに、このレースを4連覇し今年は食糧を背負い無補給で挑む望月選手に至っては超人的です。トレイルレースは旅にたとえられます。「一生に一度は行きたい」といった類の観光地を巡る旅はどれも事前情報の確認行為であって人生が変わることなどありません。しかしバックパックにすべてを詰め込み自分の足で日本を縦断するレースは、人生の生きる価値を確認する旅なのだと思います。
豊かな暮らしの嘘
夏山シーズンで外出の機会が増えると食事に困ります。ロードサイドの飲食店は身体に悪そうな食べ物が多く、何も食べないかせいぜいナッツを買うぐらいに落ち着きます。流通している食品は微生物の繁殖を防ぐ防腐剤が入り、外食店では調理器具の殺菌が過度に行われています。かつてサラリーマン時代は昼になれば義務的に惰性で食べていました。誰もが望むだけ栄養が摂れる飽食の時代は人類の夢でしたが、新たな問題をもたらしました。脳が欲するものと身体が必要とするものは違います。現代の経済はより高額でより大量に売れる脳への刺激を優先します。現代人は商品選択をしているようで、実は主体性なく無自覚に脳に操られ食べていると思います。
真夏の暑さの高尾山
今朝は高尾山に行きました。ハイカーは団扇で扇ぎながら喘ぐように登って行きます。先週末のラブラドールの熱中症の件もあり、エスケープルートのない北高尾をあきらめて南高尾ルートの17.14kmを歩きました。累積標高1,041m、消費カロリー915kcalと北高尾ルートの半分程度ですが、登り始めると汗が噴出し、服のままプールに落ちた感覚です。これほど汗をかくのも久しぶりで学生時代の夏合宿を思い出します。昨今スポーツ界の指導者の不祥事がクローズアップされますが、スポーツ界固有の問題とは思いません。スポーツが競技である以上そこには勝者と敗者が生まれヒエラルキー構造を作ります。こうした閉鎖環境の上下関係に不正の入り込む余地があると思います。下山後の楽しみは身体に悪いと思いながらもアイスクリームです。
大量高速輸送は善なのか
昨日は新幹線で新甲子温泉に行きました。日本唯一の新幹線停車駅を持つ村である西郷との間をこれほど往復しながら新幹線で行くのは初めてです。東京駅から1時間20分で着くとはいえ片道6,870円は多拠点居住の最大の障害で、車なら一人で行っても1,500円です。経済成長の象徴のような大量高速輸送がこれからの日本に必要とは思いません。世界最高の新幹線技術を誇らしく思う一方で、なぜ早く遠くに行く必要があるのか、進歩の概念自体に疑問を感じます。結局のところ技術革新は早く遠くへより多くという競争が背景にあり、それを体現するのが戦争です。人類史上これほど高速で人間が移動した時代はなく、生体リズムを狂わせるとぼくは考えています。