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今を生きる死への寛容さ

同級生の訃報に接するとき、普段は思考を封印している死を考えます。死がなければ人生は絶望的に退屈な時間だと思います。この瞬間も自分に残された時間がカウントダウンされるからこそ、今日一日を真面目に生きる気持ちになります。2年前に個人事業者になったのは、惰性で繰り返される同じ毎日に残りの人生を費やすことに我慢ならなくなったからです。困難や恐怖がありながらこの2年間絶望しないで済んだのは、一見安定的な人生を送っていた時より死に対して寛容になれるからです。丁寧に食べ、丁寧に人と接し、丁寧に仕事をして、すべての瞬間と真摯に向き合いたいと思います。

憑き物が落ちる人生最良の瞬間

どうせならかっこよく生きたいと思います。洒落た服を着たり、いい車を乗り回したいという話ではありません。いまやビジネス界では「クレイジー」がほめ言葉であるように、トレラン界では「変態」が最高の讃詞であるように、型破りな方法で生き生きと何かに没頭したいのです。ミハイ・チクセントミハイの言うフロー状態に入ると誰かがぼくの体に乗り移ります。自分の体とは思えないほどの速さで山道を下り、岩を飛び越えてから着地場所を探す時など脳より先に体が動きます。陶酔感とも違うのですが、憑き物が落ちるようなさわやかな感覚になります。次の課題は人生最良の瞬間であるフロー状態になれる仕事をすることです。

健全な向上心の芽生え

古来より山はインスピレーションを与える神聖な場所だったと思います。山の空気が体中に注入され余分なものが抜け落ちたのか、トレイルレースから一週間も経たないのに山に行きたくなり今朝は高尾山に行きました。2、3年前がそうだったように、またトレイルレースに出たいという高揚感があります。成長への意欲、すなわち向上心を失うとき、老いは始まると思います。生きる活力を失い楽ばかりを求める生活はしたくありません。レースではぼくの前に4人の50代の選手がいて、その時間差は圧倒的で追いつけるレベルではないのですが、それでももっと速くなりたい、強くなりたいという意欲に火をつけます。スポーツは損得のないシビアな世界で、健全な競争心や向上心が芽生えます。企業組織でこうした意欲が芽生えないのは目標になるような上位人材が不足しているからだと思います。

日常の偉大さ

関西と北海道を襲った災害は都市生活のもろさを露見します。東京でも先日の強風で電車が止まり多くの人が狭い車内などに足止めされました。普段は気にも留めない日常生活の偉大さをこんなときに改めて感じます。いま自分が使っている電気も照明も空調も水も食べ物も全てが偉大な贈り物であることを忘れてしまいます。無駄な消費をして、乱暴に食べて、さらなる快楽を人は求めようとします。失ったときにその偉大さに気づくのに、人は当たり前の日常に満足しない過ちを繰り返します。体を壊すまで誤った生活習慣を正そうとしない現代の生活が社会保障費を跳ね上げていると思います。自然のなかでの活動は、人がより少ないもので生きていけることを教えてくれます。

優秀組織の無能化メカニズム

1ヶ月ぶりに日本工学院の授業で八王子に来ました。高尾山の山並みが迫ると、まだ筋肉に痛みが残るのに山に行きたいと思う精神状態は自分でも説明がつきません。誰もが自分らしく生きる場所を探していると思います。トレイルレースの写真を見るとどの選手の顔も生き生きと輝いています。こざかしいルールがはびこり小利口に立ち回る器用さが求められる現代の職場では決して見ることがない笑顔です。優秀な人が多いはずの大企業に限って機能不全に陥る理由は、ローレンス・J・ピーターの提唱する階層社会学により無能化のメカニズムが解説されています。古いタイプの階層組織の役目は終わったとぼくは考えています。(写真は昨年のOSJ安達太良山トレイルレースの写真を拝借しました)

人を本気にさせない職場

二年ぶりに出たトレイルレースのダメージは大きく、丸二日が経っても足のむくみは引きません。普段はほとんど走ることがないのに、レースがスタートした途端に、あたかも誰かがぼくに乗り移ったように標高差600mほどの山道をそれなりのスピードで5回も駆け下りる代償は少なくありません。個人競技のトレイルレースは一人で考え判断するセルフマネジメント、セルフレスキューが基本です。趣味であれ仕事であれ本気で生きてこその人生だと思います。一方チームで行うことが多い仕事の場合、精神を蝕まれるような職場が目立つ現代、本気で取り組む対象にはならないのかもしれません。多くのサラリーマンはすでにできあがった儲けの仕組みの上でルーチンワークをするだけです。過労死やパワハラは看過できない問題ですが、コンプライアンスや時短にがんじがらめにされた組織は、人を本気にさせる場所ではないのかもしれません。

トレイルレースは健康の実験室

自動車メーカーにとってレースが走る実験室であるように、トレイルレースは持てる健康知識を総動員して行うものだと思います。レース前は解糖系に頼らないエネルギー産生や悪路に対処できる筋肉づくり、レース中は長距離を走り切る栄養補給や極限の疲労状態を乗り切るメンタル、レース後は熱を帯びた筋肉のメンテナンスと成長ホルモンを活性化し細胞修復をするための睡眠、といった具合です。過度なスポーツが体に悪いとの指摘がありますが、長距離トレイルレースは活性酸素の発生量を最終的に押さえ込むことが最近判明しています。それはトレイルランニングが、人類がもっとも古くから馴染んできた運動に他ならないからだと思います。

普段は意識しない身体の仕組み

トレイルランニング界で100km、100Mileといった長距離レースが主流になるのは、普段発揮する機会がない能力の限界を試したいという人々の欲求があるからだと思います。昨日の安達太良山のレースは55kmながら五回安達太良山域に登り返すスパルタンさで、昨日は雨にもかかわらず5Lの水を飲んでいます。レース中はエネルギーと筋肉を、レース後半に残すことを考えます。他方で足が攣ったり、栄養補給により胃腸を壊すことがあり、長距離になるほど運動栄養学等の知識が重要になります。転居以来3ヶ月ほどバランスボールを椅子代わりにしてから体幹が鍛えられ、昨日のように路面の滑る下りでは体のふらつきが最小限になり、転倒リスクが減りスピードを上げることができます。普段は意識しない自分の身体の仕組みを考えることもトレイルレースの楽しみだと思います。

生きる力のリトマス試験紙

今日は安達太良山で55kmのトレイルレースに出ました。2年ぶりのレース復帰で、完走狙いだったので意外に走れて結果は自分としては満足できるものでした。レースに魅かれるのはチャレンジを許さない事なかれ主義へのささやかな抵抗だと思います。自分の能力をすべて出し尽くすことが出来る場を求めながら、いつも自分の弱さと向き合うことになります。今日はツキがない、とレースを投げ出すのは簡単です。普段なら安楽な方ばかり選ぶのに、レースの限界状況では常に走るという選択肢を選ぶ強さも垣間見ることができます。偽りのない本当の自分を見ることが出来るレースこそ、現代文明が封印した生きる力のリトマス試験紙なのだと思います。

不甲斐ない自分を捨てる

9月に入りましたが、今年ばかりは過ぎ行く夏を惜しむ気持ちにはなりません。日本は自然の美しい四季の国から、猛暑日の一方で雪が降る二季の国になったようです。自然のなかで行うトレイルランニングの長距離レースでは熱中症と低体温症を同時に経験します。今日は2年ぶりにレース復帰するために雨の岳温泉に来ました。ゴールの瞬間に全てが美化されるとは言え、肉体を極限まで酷使する過酷なレースを多くの人が求める理由を分析的に説明することは困難です。誰もが本気にならない社会にあって、自分の能力を試せるはけ口が耐久レースなのかもしれません。普段の生活では完全燃焼できない不甲斐ない自分を捨てることができる唯一の場がレースなのです。

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