今年も間もなく終わり正月太りの季節を迎えますが、寒さにかまけて運動量が減ることもその理由でしょう。人体はバランスの上に成立しており、良い睡眠を得るためには頭と体を適度に動かす必要がありますが、運動量と読書量はいつもトレードオフの関係にあります。活字離れの進む現代においても読書が人気なのは、一種の中毒をもたらすからだと思います。知れば知るほど無知になる、というのは言い得て妙で、本を読めば読むほど自分の無知が明らかになり、より多くの本を読みたくなります。運動をすればするほどしたくなるのと似て、限度はあるにせよ、読書も運動も探究心に根ざした欲求である限り健全な中毒と言えるでしょう。紀元前の哲学者が我々よりはるかに深い洞察力を示したように、人類の最新版である現代人は未だ最良とはほど遠く、科学技術の発展とは裏腹に何でも知っているようで、むしろ無知が加速化していると思います。自分の無知を恥じて生涯学び、生涯働き身体を鍛えることこそ健全に生きる道でしょう。
幸福の条件は無知?
忘年会や新年会とは無縁ですが、それでもこの時期は魅力的な食べ物が家の中に入り込み、体重は増えないまでも腸内細菌が悪化するのが分かります。健康オタクとうそぶいてみても、食欲を刺激されると過食を思いとどまる自制心は働きません。映画マトリックスが20世紀の終わりに予告したように、現代人の実態は栽培される存在であり、多くの人にとって幸福の条件は無知かもしれません。健康被害という真実を覆い隠す虚像の世界で、人々は心の牢獄につながれます。食は身体を蝕み、ゲームは脳を麻痺させ、マスメディアは思考力を奪い、あらゆる公論がエンターテイメント化し、われわれは「愉しみながら死んでいく」と喝破したのはニューヨーク大学教授のニール・ポストマンです。人間社会は娯楽文化に圧倒され、理性の基準を失い、感覚の楽しさに頼る低俗さに沈んで行くように見えます。都市封鎖と言論抑圧が常態化する管理社会とともに、感覚器官の快楽は人間の理性と意識の自律性を奪うのでしょう。山に入り、一人静かに早朝の森の空気を吸い込む時、やっと正気に戻れる気がします。
中庸とは多品目少量
クリスマスから忘年会、正月を経て新年会とイベント目白押しのこの季節は食べることへの関心が高まります。おいしい話が存在しないことは誰でも知っていますが、目の前の美味しそうな食べ物の誘惑に打ち勝つことができる人はわずかです。SNSの人気コンテンツは食べ物でフードポルノとも揶揄されますが、命をつなぐ食を誰も否定できません。食欲には生存と存在という2つの側面があり、前者は人類史の大半を占めた飢餓時代に形成された生命維持のための本能行動で、問題になるのは扁桃体をハイジャックされ過食につながることです。一方で存在としての食欲は人生をともにする心身を長期に渡り健康に保つことです。中庸が大切なのは、このどちらに傾いても不健全な生き方になるからだと思います。美味しいものを食べ尽くそうとすれば生活習慣病が肉体を蝕み、一方で食べものや栄養が健康に与える影響を過大に信じるフードファディズムはその時代の誤った栄養常識に翻弄されます。過去半世紀、われわれは野菜や果物、全粒穀物善玉論を信じてきましたが、レクチンが慢性炎症を引き起こす危険性が指摘されます。中庸とは多品目少量食べることでしょう。
行くべきか行かないべきか
この数年、忘年会に行く代わりに年の瀬に温泉に行きます。昨年の今頃は草津や西伊豆に行きましたが、それを記憶しているのか西伊豆の料理が美味しい民宿の広告がWEB上に表示されます。OTAでほぼ最高評価され滅多に予約が取れない宿に1室だけ空室があり、反射的に予約を入れそうになります。新鮮な魚料理の美味しさを考えれば8,000円台の値段はバーゲンですし、冬の荒れた海越しに富士山を望む客室、24時間入れる温泉、交通費の燃料代も2,500円程ですから行かない理由などありません。人はなぜ旅に出るのかは自分にとって永遠のテーマで、いつも悩むのはどこに行くかではなく、行くべきか行かないべきかです。手元に商品が残らないホスピタリティ消費は製品仕様で価値を判断できず、自分の感情だけが頼りです。慣れた寝具や好きなように振る舞える自宅の快適さを手放して、往復時間、旅行代金、移動の疲れ、慣れない場所でのストレス、時々不快な思いをするリスクを犯してまで行く価値があるのか悩みます。支出金額の半分も出せば、居ながらにして同等以上の効用を得られるのかもしれません。
人も企業も同じ運命
東急グループを離れて20年以上が過ぎますが、東急ハンズの売却は近年にない驚きです。東急グループの総帥であり中興の祖と言える故五島昇氏が命名したとされ、DIYブームの主戦場であったホームセンターを都市型に洗練させた火付け役です。その神話的な品揃えはロングテール戦略のパイオニアであり多方面に影響を与えました。誕生から45年が過ぎ、特別な思いを持つ人がグループ内に少なくなったのか、他の選択肢を考える余裕がないほど経営が悪化したのか事情は分かりませんが、精神的な支柱を失ったことは間違いないと思います。プロダクトポートフォリオの付け替えと言えばそれまでですし、地方と都市部の相互補完性、R&Dやインフラ活用の効率化を考えれば良い結婚に見えます。しかし合理的な思考は、行為の望ましさはその結果として生じる効用によって決定されるべきとする功利主義に陥りがちで、他方でどうしようもなくなるまで傍観するのは組織人の悪い性です。多くの人は病気を発症するまで欲望を放置して健康のために生活を見直しませんが、企業の運命も同じなのかもしれません。
古い車の魅力
一部で話題のレストアされたシーマを銀座で見ました。走行距離26万kmを超えた車体をオーテック・ジャパンが8か月をかけてレストアし新車のように蘇らせました。時代を切り開く先進性を持っていたのか、自動車のデザインがこの30年の間進歩しなかったのか、今見ても33年が経過した古さを感じさせません。個人的には翌年登場した4.5LのV8エンジンを積むグリルレスのインフィニティQ45の方が名車だと思いますが、バブル経済の代名詞であるシーマ現象を起こし、発売初年に3万6,400台を売るヒット作になりました。当時最強の最高出力255psを誇る3ナンバー専用の4ドアハードトップを世に出した頃が日産の絶頂期であり、バブル崩壊とともにシェアを落としルノーの軍門に下った姿は、その後の日本経済と重なります。8ヶ月と計算不能の金額をかけただけの宣伝効果はありそうですが、クローン技術を使ったかのように令和の時代に蘇ったバブル経済の申し子には違和感もあります。30年の痕跡をすっかり消されてしまい古い車の魅力を失ったと思います。
生涯ラムスプリンガ
明るい話題が乏しく社会を暗くするニュースが流れるなか2021年が暮れようとしています。不安な気持ちが沸き起こるとその感情がより恐ろしいことを想起させ、思考が感情を、感情が思考を呼び起こす負のループに陥ります。慢性化、長期化したストレスは病気の原因になりますが、テレビほど健康を蝕むものはないでしょう。セルフメディアが数百万回再生される時代になると、高額報酬の代表だったテレビ局の経営が傾くのは当然です。禁煙をした人がタバコの煙を嫌うように、テレビを見なくなるとテレビが視界に入るだけで不快な気分になります。人類史からみれば瞬く間に浸透したマスメディアとデジタルデバイスによる悪影響の代償を払うのはこれからでしょう。北米で20万人が独自のコミュニティを作り200年前の暮らしを守るアーミッシュの生活に憧れます。興味深いのは彼らが16歳になると親元を離れて掟を破り俗世で暮らし、酒、タバコ、ドラッグなどあらゆる快楽を経験するラムスプリンガが制度化されていることです。自分の可能性に目覚め俗世を選ぶ人もいると言います。真逆の世界を想像できないようにしたのはマスメディアの功績でしょう。
惰性か伝統か
年末と言えば忘年会、大掃除と年賀状書きですが、いずれも廃れた印象です。わが家では未だに500枚ほどの年賀状を出し、昨日印刷しました。SNSで瞬時につながれる時代に手書きでもない、ましてや伝えるべき内容もない年賀状を出す意味に疑問を持つのは当然でしょう。紙文化への未練なのか、伝統を失うことへの罪悪感なのか、単なる惰性なのか今年も出すことにしました。2021年用年賀葉書の確定発行枚数は前年比12.6%減の21億3,443万枚で、ピークだった2004年の44億5,936万枚から17年で48%まで減少しました。若者と面倒を嫌う高齢者が出さなくなり、環境問題を口実に企業が中止すれば、残るのは現役世代がDM代わりに出す程度かもしれません。娘の高校時代、留学先との連絡は手紙に限るという学校方針を聞いたときは古風に感じましたが、心が通い本音を引き出す手紙の魔力に目を開かされました。先祖より継承してきた伝統には大きな意味があり、それを失えば取り返しのつかないことになるのでしょう。IOTによって脳まで外部化した現代人の最後の抵抗として、伝統文化を簡単に変えるべきではないと思います。
空腹は心の病?
コロナ禍2年目の今年も残す所2週間を切りましたが、年の瀬らしい活気も新年を迎える華やかさも感じられません。ステイホームによる過食、アルコール依存、運動不足、肥満、不眠、スマホ依存、どこでもマスク、コロナ離婚が増加し、外出できないお年寄りは足腰が弱り健康が蝕まれた一年でもありました。日本に関して言えばコロナウィルスが恐ろしいのではなく、恐怖に過剰反応するコロナ脳の影響がより深刻です。マインドコントロールにより人類は支配されているなどと言うと陰謀論者にされますが、食べては減量し、飲んでは抜き、稼いでは浪費する生活は誰かに搾取され支配下にあるのと同じでしょう。ダイエットの第一歩は自分の脳がハイジャックされている現実に気づくことだと思います。小麦が人間を支配しているという比喩があながち間違いでないことは、脳科学の観点から多くの人の知る事実です。食べ物は「愛情の証」の顔をして、寂しさ、欲求不満、不安、恐怖を埋め合わせるために心の隙間に入り込み、過食などの食行動異常を引き起こします。空腹の半分は心の病なのかもしれません。
日常から目を背けさせる都市
昨夜は久しぶりに都心に行きました。今や希少となったイルミネーションのある表参道付近には人出があるものの、それも早い時間帯だけで、赤坂見附あたりでは帰宅を急ぐ人が目立ち年の瀬らしからぬ寂しい雰囲気が漂います。それでも夜の都市には洗脳装置として人々を引き寄せ精神を麻痺させる魅力があります。従順な都市住民の証であるマスクをした人々の流れを見ていると、紀元前以来都市住民を守ってきた城壁は安全地帯を提供するためではなく、甘い罠で我々を都市に縛り付けるための檻に見えます。あらゆる欲望を引き寄せるために設計された都市は、同時に生きる力を奪います。退廃を広げる媒介として、商業主義に影響されやすい中産階級の心と感覚を蝕み、自らの運命に無力感しか持ち得ないようにします。調和の取れた精神状態を保つには体を自然界のリズムとシンクロさせる必要がありますが、無秩序な都市に身を晒していると、気づかぬうちに自制心を失わせ感受性を鈍らせて人々の行動に深い影響を与えると思います。人々を魅了し続ける都市は大切な日常から目を背け生きる意味すら覆い隠してしまうのかもしれません。