今年も残す所2週間となり、日中が一年で一番短い一週間を迎えます。自然に接する機会が少ない都会では季節の変化に対する感覚が単調で、暑いか寒いかぐらいの感情にとどまります。福島で暮らしていた頃のように、肌を刺す極寒の冷気と荘厳な純白の世界に圧倒され、初夏であれば燃えるような新緑の生命力を全身で感じることもありません。東京の我家に一本だけ残されたイロハモミジは、猫の額ほどのハーブガーデンとともに季節の変化を伝えます。庭があったときは樹木や草木に関心が向かないのに、失って初めて大切に感じるのは人間の愚かな性でしょう。他方で、人は欠乏状態で生きてこそ人生に充実を感じるものだと思います。これから始まる本格的な寒さを人は嫌いますが、人体は寒さに適応したメカニズムを持ち、皮下脂肪はエネルギー源となり断熱材として寒さから身を守り、内蔵脂肪は発熱物質として深部体温を上げます。寒さと飢えはエネルギーの必要性を伝えミトコンドリアを増やし、長寿遺伝子を活性化して生命力を高めようとしますが、人はその能力を全く健康に活かさず冬に肥満して生命力を奪うのでしょう。
足元が崩れる?
以前読んだ養老孟司氏とC.W.ニコル氏の対談で、なぜユダヤ人は無抵抗でナチスに殺されたのか、と養老氏が疑問を呈していたことが印象に残っています。氏の解釈は都市で飼い慣らされた結果、人は鈍感になり弱くなるという結論でした。衝撃を受けたのはそれが今の社会への警告に聞こえたからです。ガス室で死を迎えるまで、そこがシャワー室だと信じていた人もいたとされます。人間の意志を奪い無反応にする教育を受けた常識人は、何の疑いもなく権威に従います。恐怖を与え解決策を示すという騙しは過去に何度も使われてきました。非現実的な情報に触れると平和に慣れた人ほど、それが最悪の局面に向かう変化であるほど、そんなことはあり得ないと断じ、それ以外の可能性を考えません。考古学的な都市の歴史は紀元前3,500年頃のメソポタミアや紀元前2,500年頃のモヘンジョダロに遡り、以来都市は堅固な城壁に守られてきました。戦後平和を謳歌し自身の欲望を満たすことに夢中な人々は、不吉な兆候に接しても、よもや自分の足元が崩れるとは思わないのでしょう。
自宅のお風呂は温泉以上?
朝晩の冷え込みが厳しくなりお風呂が心地よい季節になりました。一般には交感神経を刺激しない40度ぐらいのお湯に長めにつかることが推奨されますが、お風呂の効能はリラックスだけではありません。お風呂の機能は体への水圧をかけること、体温を上げること、体を浮遊させることの3つがあり、入り方を知れば遠くの温泉まで出掛けなくても自宅に居ながら高い効能を得ることができます。日本式の深い浴槽が優れているのは、水圧がかかるほど疲労物質がしぼられ老廃物を排出できることです。乳酸のような水溶性の疲労物質は静脈へ、脂溶性のものはリンパ管に流れ、静脈圧が高くなり腎臓を経由して排尿によりデトックスされ、同時にむくみも取れます。また、体温が上がると血流が改善し狭くなった毛細血管が元に戻り免疫力が向上し、体の表面に近い血管を浮遊するガン細胞は死滅します。さらにお湯に浮くと造血機能が向上して赤血球、白血球、リンパ球が活性化されます。温泉が大好きな日本人ですが、長寿の理由の一つとされる日常的に入るお風呂の効用は意外に軽視されていると思います。
自らトロイの木馬を招き入れる
株主優待目当てに企業の株を買う人は少なくありませんが、我が家で言えば特種東海製紙㈱などはその代表で、もう何年もトイレットペーパーを買ったことがありません。好きな南アルプスに日本最大の社有林を持つ企業でもあり何かとお世話になっている感覚があります。困るようで有り難い株主優待品は正栄食品工業㈱のチョコレートやナッツを中心としたお菓子の詰め合わせです。株主的には有り難いことに、その麻薬的なお菓子類は食べ出すと止まらなくなります。血糖値スパイクとインスリン大量分泌の破壊力を十分に理解しているので、おそらく自分で買うことはないのですが、頂いたものは有り難く食べる主義です。我が家に入り込んだこの魅力的な箱によって脳は空腹感に支配され、食べれば食べるほどおなかが空いて仕方がありません。それが偽りの空腹だと分かっていてもお菓子が詰まった箱がある限り冷静な抵抗が難しいことは大きな教訓となります。食べたあとにキャパシティを超えて食べた不快感が残るのは空腹が偽りである証拠でしょう。人は身銭を切って自らトロイの木馬を招き入れているのかもしれません。
自分を知ることこそが生きる価値
昨日は、人気を博しながらYouTubeアカウントを永久削除された幻の?ユーチューバーの浅村正樹さんと直接お話をする機会がありました。悟りをテーマにしながら宗教的でもスピリチュアル系でもましてや保守系言論人でもないクロスオーバーで洗練された番組に引き込まれました。ギタリストであり、歴史、経済、政治、宇宙、意識、軍事など多方面の圧倒的な知識量と思考領域の広さから来る未来を読み解く洞察は過激でありながら理性的で、その推論は2019年以降に世界で起こっている騒動を俯瞰して繋ぎあわせます。扱うテーマは重いのに悲壮感がなく後味が悪くないのは、不安を煽るのではなく、目の前の出来事を生きる力に転換させようと人を鼓舞するからでしょう。意識や宇宙を人生の意味と重ねながらその全体像を注釈抜きに話ができる関係は貴重です。真理に近づこうとする探究心、すなわち本当の自分を知るために無知から心を解放することが生きる価値だと思わせます。最も罪深いのは知らないことではなく、知っているつもりで思考を止めることでしょう。
ケガレを戻せない現代
冬本番はこれからですが今日から日没時間は逆転し夕暮れが遅くなり始めます。都会にいると季節の移ろいに関心が薄くなりますが、早朝に夜明け前の星空を仰ぎ、まだ乱されていない空気を大きく吸い込むだけでも自然を感じることができます。金曜の夜から妻が旅行に出掛けて、自分一人になると生活のペースが狂い始めます。普段は22時には寝て4時前に起きる機械仕掛けのような生活ですが、溜まっていた本を深夜まで読んでしまい一日一食の食事もお腹が空けば好きな時間に食べるようになります。何をしても良い自由を与えられると人は途端に自律性を失うのかもしれません。規則正しいケの生活が体を喜ばすのなら、こんなささやかなハレの生活は心を喜ばすものでしょう。日常生活を営むためのエネルギーが枯渇するのがケガレ(気枯れ)であり、伝統的には祭事を通じて霊的生命力である気を回復します。日常を離れて聖なるものに触れることで崩れたバランスを復元する機会が本来のハレですが、豊かになった現代は毎日が贅沢なハレの連続となり、ケガレを戻す手段を失ったのだと思います。
意味を失ったモア
今の世界はフランス革命やナチス台頭の時と同じ群衆心理の状態にあるのかもしれません。漠然とした不安と不満により視野が狭くなり、自己を喪失します。大切な問題から目をそらされ、やがて異なる意見や価値基準に不寛容となり、福沢諭吉が「愚民の上に苛き政府あり」と述べたような全体主義、管理社会へと進みます。本人の自覚とは逆に人間は愚かな存在で、本末転倒は人間の悲しい性です。生きるために欲があるのに欲のために生きる人は少なくありません。暴走した欲は冷静な思考を奪い、浪費を覚えた人は働いては消費する目まぐるしいサイクルのなかで自分を見失います。際限のない消費社会のなかで、もはやその意味を失ったモアに気づかず、トレッドミルのスピードをさらに上げようとします。生活にモノがあふれるほど気持ちは重くなり、余計に消費した食べ物は脂肪となって蓄積され自分の身体を攻撃します。消費するほどますます消費者以外の何者にもなれない自身のアイデンティティはそこにはありません。歴史に学び、生命や意識、宇宙の全体像を理解することなしに、混乱する時代を自分らしく生きることは難しいのでしょう。
ウィルスは敵ではない
変異株オミクロンへの不安が広がり、恐怖を煽りたいマスメディアが活気づいているようです。2020年の人口統計を見ると、新型コロナは騒ぐような話ではなかったことを物語っています。薬を売りたい企業と大人の事情のある政府、注目を集めたいマスメディアの合作劇だったのでしょう。人間との共存を目指すウィルスが変異して感染力を高めるのは自然の摂理です。清潔至上主義が常在菌を殺し、食品の消毒が腸内細菌を殺し、人を不健康にした歴史から人類は学んでいません。ウィルスを敵視すればこの騒動は収まらないのでしょう。ガン細胞を殺すために自分の身体を傷つける三大療法を行うことと同じ構造です。ガン細胞は病気の証人であって犯人ではありません。むしろ健気に身体を守ろうとしてくれている可能性があります。現代医学はこうして身体の不調を伝える第一発見者である証人と犯人を取り違えるミスを犯してきました。糖質制限で話題になるケトン体は高効率の燃料であり、われわれの身体を守る抗酸化酵素の発現を高めるにも関わらず、長年人を死に追いやる犯人扱いされてきた事情も同じです。
ストレッサーへの曝露が健康の秘訣?
真珠湾攻撃80年の昨日、真珠湾の海軍施設で開かれた記念式典には800人ほどが参加し、内40人は退役軍人ら生存者だと言います。戦争の記憶が薄れゆくなか100歳を越えて式典に参加できることは素晴らしいことです。以前なら100歳を超える人はきわめて例外的でしたが、今や90歳を超える人など身近にいくらでもいますし、100歳を超える人も少数ながらいます。戦前生まれの世代が高齢で元気なのは、豊かでない時代の耐乏生活と成長期が重なり、長寿遺伝子が活性化されたか、ストレッサーへの低曝露に対する良好な生物学的反応であるホルミシス効果によるものでしょう。あらゆる環境で生き延びることが人体設計の基本思想ですので、過酷に追い込めば追い込むほど身体は強くなります。脳も筋肉も一生鍛え続けるならヘイフリック限界を迎えるその日まで元気で過ごせるのでしょう。他方で平和な時代しか知らない多くの現代人は安楽な老後を願い、いずれ自分の体は衰え人の世話にならないと生きて行けないとの自己暗示を実現させます。死線をくぐる壮絶な体験をした先達が元気なのは、明確な死生観を持ち日々を真剣に生きて来たからでしょう。
病気は存在しない?
富士山ヘルスツーリズムに参加して頻繁に脈拍数やストレス測定をしたために、体が常に心身や周りの状況を敏感に察して生体恒常性を維持しようと懸命に働いていることを感じました。身体はきわめてセンシティブな精密機械であると同時に、乱暴に扱っても簡単には壊れないすぐれものです。その寛容さを過信して許容限度を超えたときに生活習慣病を発症します。本来の人体は無機的な都市に住むことを想定していませんし、ましてや贅沢な暮らしなど設計仕様とはかけ離れたものでしょう。「自然から離れるほど病気に近づく」と言う紀元前の哲学者からの警鐘を真に受ける現代人はごくわずかです。さらに深刻な問題は歪められた現代医療に対する無批判な信仰でしょう。身体の内面が発する声を聞かず、他人や機械の測定したことを信じる無知と他者依存が、本来ほとんど存在しないはずの病気を蔓延させているように見えます。健康を人任せにする現代社会から病気がなくなることはありません。人体の不思議は自ら完全に治癒する力を持っていることでしょう。