最新情報

Information

豪華な料理より魅力的

旅館営業を休止してから3年が過ぎ、それでも最大の関心事は宿泊業の収益化です。国の支援が始まり旅行市場が活気づき始めましたが、その機運は続かない気がします。コロナ騒動は東日本大震災以上に人々の生活を変え、生き方をも変えてしまう影響があるからです。アドレスホッパーのような生き方は一部の現象とは言え、そうした生き方を人々が意識し始めたことが地殻変動をもたらすと思います。物財をやり取りしてきた宿泊業は、客商売の本質に戻るのでしょう。先日の安曇野の宿では、合わないと感じる客は来たことがないと聞きましたが、人間関係ができてしまえばトラブルは生じません。贅沢な客室も非日常の体験もわき役でしかないのに、宿は旅の本質である人との触れ合いに無頓着だったように感じます。豪華なお仕着せ料理より、宿泊客と話ながら献立を決め、その大半が自家栽培という食事の方がはるかに魅力的です。

プロモーションと脳の結託

昼時の赤坂を歩くと、様々な誘惑によりつい飲食店に入りそうになります。30年のサラリーマン生活で、脂肪を溜め込むためにどれほどのお金を使ったことかと思います。胃の調子が優れなくても、食べることがデフォルトになっている脳は、その疑問を打ち消します。一食抜くこともありましたが、それでも食べ過ぎです。一品でも多く売ることが使命の店では、悪い評判が立たないように客を空腹で帰すことはしません。午後は、穂高養生園で、15年間料理を担当した野本弥生さんの出版記念イベントに行きました。養生園は三島由紀夫門下の福田俊作代表というカリスマが主宰するリトリートです。初めて行った30年前は、10時と17時の一日二食の食事に戸惑いましたが、今はそれが普通です。多くの人が腹八分目を実行できない理由は、食欲を促す産業側のプロモーションと脳が結託し、食べないことの快適さに気づかせないからでしょう。

幸せを感じる建物

事業の参考にするために白馬にあるMOUNTAIN HUTというカフェ兼住宅を見に行きました。元々スキーヤーや登山家の集まる伝説のシェアハウスがあった場所ですが、2014年の長野県神城断層地震で全壊した跡地に、人々が集まる場所を再建したプロジェクトです。1.25間×6間の延床面積24.84㎡の小さな建物は、山小屋のような雨風が凌げる建物の本質を目指した潔さがあります。ハーフビルドを前提に施工しやすさを考えた設計は、積雪で足元の曲がった木を使い、しっくいのタイルは自分たちで作り、合板はホームセンターで買える仕様、ヤフオクで購入した古民家建具の寸法から逆に設計していくという凝ったものです。建物をつくる過程に人々が集まり、コミュニティ形成のきっかけになります。隙間風は入りますが、小さな建物はすぐに暖まり酸欠にならないメリットもあります。幸せとは、これで十分と思うか、まだ足りないと思うかで決まりますが、幸せを感じる建物でした。

贅沢を取り違えた都市

サブスクリプション住宅の普及によって、旅と居住の境界が曖昧になりました。それでも短期間に移動して見聞を広める旅の人気は衰えません。良い旅とは誰もが持つ変身願望をかなえること、すなわち人生を変えるインパクトが必要だと思います。意図的な刷り込みや雑音に満たされる社会にあって、本当の自分がどんな存在かを見つけることは難しくなっています。唯一旅は、それを実現してくれる気がします。安曇野では鶏やアヒルたちと北アルプスを望む畑に行き、朝の収穫をします。無心に虫や微生物、菜っ葉をつつく鶏たちを見ていると癒され、ここで感じる幸せこそが本心だと分かります。動物たちと触れ合い、自分の手で育てた野菜を食べ、山々に囲まれた田園地帯で働き、自分の好きなことに時間を使うこと以上に贅沢な暮らしがあるとも思えません。贅沢を取り違えた都市から人が離れて行くのは、自然な流れに見えます。

日本人のルーツをたどる旅

昨日は秋の深まる戸隠の宿坊に泊まりました。訪れるのは11年ぶりですが、ご主人とはFacebookでつながっているので懐かしく再会したという感じでもありません。11年前と言えばまだ恐ろしく肥満し、何を勘違いしたのかスポーツカーなど乗り回し、贅沢こそ美徳と信じていた頃で、未熟だった自分に恥ずかしさを覚えます。一方で当時から宿坊は好きで、どこかストイックでありながらソフィスティケートされた空気には今も昔も魅了されます。江戸時代後期に建てられた茅葺き屋根の母屋と、明治時代中期に建てられ土蔵は、祖先を16代さかのぼることのできる名家にふさわしい風格です。しかし戦後の偏った歴史観を鵜呑みにした現代の日本人は、祖先から脈々と続く伝統に敬意を払わず、むしろ正当な評価をするのは日本より歴史の浅い外国からのゲストです。海外に出かける前に、日本人のルーツをたどる旅に出るべきでしょう。

啓示が降りてくる

昨日は安曇野の設計事務所を兼ねたAirbnbに宿泊しました。近所にあった代表者の祖母の家の古材を使った建物は築35年ながら、いにしえよりその地にあったと錯覚します。一日一グループ限定のため宿泊客は一人だけで、夕食の献立も話ながら決めます。宿を経営する楽しみは宿泊客との出会いで、商業施設が真似できない小規模施設の魅力であり、時間を気にせず打ち合わせができる環境です。懐かしい雰囲気の吹抜けの大空間が取られ、ロビーの囲炉裏の近くにあるオーブンのついた薪ストーブの、昔の記憶をたどるような香りに魅了されます。オフィスと、宿泊客やシェアハウスの住人に解放されるコワーキングスペースのある2階からは北アルプスが望め、鶏やアヒルのいる安曇野暮らしは、スローライフの理想形に見えます。こういう時間を過ごしていると、「本当にやりたいことはこれなんだよな」と一種の啓示が降りてきます。

「もう歳だから」が老いさせる

昨日は妻の父の家に柿をもらいに行きました。今年は豊作らしく、写真の柿はもらった内の3分の1程です。猫の額ほどの庭に柿、夏ミカン、レモン、ゆずなどの木が所狭しと植えられ、毎年立派な実をつけます。植木屋さんが使うような大きな脚立を使いますが、父は3メートル近い高さの上に立ち上がり、「おまえは怖がりだな」と挑発します。90歳を超えて普通に一人で生活しているだけでも尊敬しますが、まだまだ若い気持ちでいるところは身内ながら感心します。健康な百寿者は、自分をそれほどの歳だとは思っていないことが共通します。「もう歳だから」という自己暗示が人を老いさせ、自分は若いという肯定的自己暗示が潜在意識に働きかけ、体を若返らせるのだと思います。日本人が英語を話せないのは、「自分は英語ができない」と思い込み自己暗示をかけているからと言われますが、思い込んだ結末が実現されるのでしょう。

自分は何がしたいのか?

40歳で人生の83%が「終わっている」という衝撃、という衝撃的な記事を東洋経済で見かけました。歳を重ねると未経験のことが減り、その分時間を短く感じるというジャネーの法則を持ち出した雑な論理ですが、人生の後半ではワクワクする新鮮な体験をすべきという点は同意できます。第二の人生では「やるべき事」より「やりたい事」をすべきと言われますが、長い間言われるままに働いていると、自分が本当にやりたいと思える主体的な仕事が見えなくなります。学生や若い人に「将来何がしたいの?」と聞いてしまうのは、主体的に働くことを今も模索している自分への問いかけだったのでしょう。昨日はちょっとしたトラブルが生じましたが、やりたいと思っていたはずのことでもわずかな試練で自信が揺らぐこともあります。「何をやっても良い」と言われることは実は苦痛で、それゆえ人は他人に言われるままに働くのかもしれません。

叡知を受け取る直観力

昨日は茨城県高萩市にあるサウナ施設コアミガメに行きました。しかし、現在個人客の受け入れをしていないために、サウナには入りませんでした。結城市のKURA SAUNA とともに、日本に3軒あるとされる蔵を活用したサウナのうちの2つが茨城県にあります。携帯の電波も届かない、のどかとしか言いようのないロケーションは差別化要因でしょう。水風呂にこだわるサウナ好きは少なくありませんが、ここでは目の前を流れる川が使われます。参入障壁の低いサウナは、先行事例をベンチマークできる後発の方が有利になる可能性があり、80年代に堺屋太一氏が書いたように、デザインや設計思想、演出、物語など、知恵による付加価値である「知価」が勝敗を分けるのでしょう。サウナの魅力は本場北欧のように自然との調和だと思います。必要なのは知識や知性ではなく、自然に分け入ることでそのエネルギーを感じ叡知を受け取る直観力だと思います。

結末の見えている未必の故意

詐欺師は一見して詐欺師に見えないから詐欺師なのだ、と言われます。飽和状態で空室の目立つワンルームマンションですが、自宅から半径100mに20~30戸のワンルーム3軒が今も建設中です。名だたる企業が結末の見えている不採算事業を未必の故意で主導するのを見ると心が痛みます。スーパーで売られる食品の75%には糖質が含まれているという調査がありますが、消費者の健康より常習化させることを優先するやり方は倫理観に欠けると思います。脳は常に快感を求める臓器であり、常習性があり段々増量しないと快感が得られなくなる砂糖を多用することは商売上理にかなっているのでしょう。化粧品も同様で、シリコン樹脂が使われるファンデーションは、強力な接着剤をこすって落とす際に起きる擦過性皮膚炎がシミの正体なのに、シミ隠しとして販売されます。密かに買わない生活がブームになるのも、散々欺かれてきたからかもしれません。

Translate »