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ハードワークこそモチベーター

アマゾンプライムで読める「渋谷ではたらく社長の告白」を何気なく読み返しました。サイバーエージェントの藤田晋氏が、最年少上場からITバブル崩壊で一度は会社を諦めるまでを自らの言葉で綴り迫力があります。目を引いたのは、「最初から週に110時間働くと決めていたから好循環が生まれ、あり余る時間を次の事業の発掘に使った」というくだりです。今も昔も自分のモチベーションを高める方法に関心があります。サラリーマンをやめてからはお尻を叩いてくれる人もいなくなり、長時間のハードワークがモチベーションを生み出す、という視点は新鮮でした。モチベーションが高いからハードワークができるのではなく、その逆だったのです。面白いから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのと同じで、最初から働く時間を決める勤勉なハードワークこそがモチベーターで、自身を奮い立たせてくれるのかもしれません。

美味しいのに食べ過ぎない

残暑の厳しい東京からぐっすり眠れる長野県に来ました。一人になると良くも悪くも食を完全にコントロールでき、料理はほぼワンパターンになります。ご飯に納豆、ぬか漬け、焼き魚、味噌汁、サラダといった感じです。焼き魚はメザシやシシャモなどで味噌汁はキノコや切り干し大根ですが、鰹、イワシのほかに、サバやむろアジなどの混合削り節、昆布、煮干しの出汁もそのまま具材にします。世間的には粗食とされますが、空腹のときしか食べませんので、いつも美味しく料理をすることさえ楽しみです。伝統食が偉大なのは、毎回同じでも飽きないことです。カレーライスを一週間続けることは苦痛ですが、和食は不思議と食べ続けることができます。スーパーなどで習慣的にカゴに入れる食品の大半は、食べ出すと止まりませんが、美味しいのに決して食べ過ぎることがなく、幸せが長く続くことも、日本食が健康的な料理の代表格とされる理由でしょう。

サウナを持ち歩く時代

昨日は長野県富士見町にある富士見 森のオフィスに行きました。町所有の施設を指定管理者が運営するコワーキングで、1日1,000円でゲスト利用でき、シャワーも使え、業者が出張する食堂があり、敷地内には宿泊施設やテントサイトもあります。雑木林に囲まれる立地は、おせじにも自然豊かな環境とは言えない国道から少し入ったどちらかと言えば住宅地です。20台ほどの駐車場は朝9時過ぎには満車になり、地元の自営業者がスモールオフィスとして使う印象です。宿泊棟の前には宿泊客が持ち込んだテントサウナが置かれ、仕事にサウナはもはや必須のアイテムに昇格し、マイサウナをテレワーク先まで持ち歩く時代に入ったようです。自然のなかでの仕事が生産性にプラスの影響をもたらすことは感覚的に理解できますが、自律神経バランスの整うサウナが生産性を高めることは体感的に納得します。「仕事場に最も必要な機能はサウナ」と言われる時代は目前でしょう。

令和の神様

昭和の神様が松下幸之助氏なら平成の神様は稲盛和夫氏でしょう。稲盛氏は仏教の在家信徒として知られ、人生哲学や経営哲学について多くの書籍を残しました。自分が読んだのはもっぱらアメーバ経営に関する本で、市場環境に敏感な小集団に権限を与え、主体的意欲を引き出し、従業員が経営の主役になる日本を代表する経営手法です。とくに興味深いのは会計システムでこれはフィロソフィーと並ぶタイヤの両輪です。一方で、フィロソフィーという言葉に良いイメージが持てないのは、ウェイ・マネジメントやパーパス経営のように、手あかのついた軽薄なトレンドに見えてしまうからです。従業員を組織で監視・拘束する一方、ホームページを美辞麗句で飾り、何かに頼れば経営が上向くと考える、覚悟のない経営が日本経済を破壊してきたと思います。令和の神様になりうる素晴らしい企業が、大きなうねりとなることが必要なのでしょう。

小麦がわれわれを栽培している

最近買ったもので後悔しているのがホットサンドメーカーです。買うことのなかった食パンの消費量が増え胃も不調です。レクチン・糖質排除の最も忌むべき食品を同時に2枚も焼く悪魔の調理器ですが、欲望を手放し廃棄する勇気もありません。全ての欲望は執着を増殖させて身体を蝕み自分を苦しめます。ここで理性の鍵が外れると自分史上最軽量の53kg台の体重は、運動をしていた学生時代の62kg、サラリーマン時代の79kgと際限なく増加していくはずです。縁のなかった食パンを買うようになると、その安さに改めて驚かされますが、こうしてわれわれは小麦の奴隷になります。「小麦の奴隷」はカレーパングランプリ2年連続受賞するホリエモン発案のパン店ですが、その危険性を知ってか知らずか、一斤千円ほどする高級食パンも巷では飛ぶように売れます。「小麦がわれわれを栽培している」という表現は比喩ではないのでしょう。

食欲の不思議

福島で打ち合わせをして東京に戻ったのが21時頃でしたので、夕食は摂らず週末にかけて2日間の断食をしました。食べる誘惑があまりに魅力的なために、人は食べないメリットを見過ごしますが、長寿遺伝子の発現が知られることで断食はメジャーな健康法になりました。本格的な断食でなくても、その効果を実感でき食欲の不思議に思い至ります。「食べたい、食べたい」とあれほど渇望していた感情は、断食をするとどこかへ消え去り、食欲を発していたはずの自分の身体と冷静に向き合い対話ができます。食べることを絶対視して食欲を無条件に受け入れるのではなく、食べても良いし、食べなくてもよいという余裕が生まれると、食事を逃した時は恰好の断食の機会に活用できます。食欲を見つめることで訪れる心の平穏を知ると、すべての執着、怒り、欲望を手放すこともできそうです。

マーケティングの本質

昨日は更地となった甲子高原フジヤホテルの跡地を見に行きました。建物が無くなってみると千坪の面積はそれなりの広さを実感します。事情があって建物を解体しましたが、具体的な事業計画が固まっているわけではありません。元々旅館を買ったのは阿武隈源流を見下ろす新甲子温泉最上流部のこの土地が気に入ったからですが、個人的な別荘を建てる余裕はなく別荘的なビジネスを構想しています。リゾート業界にイノベーションをもたらしたアマンリゾーツの最初の自社開発となったアマンプリも、当初はエイドリアン・ゼッカがバリで使っていた別荘と、気候の反転するプーケットに別荘を持つという個人的ニーズから始まりました。そして、肩ひじ張らない別荘のエッセンスを持つリゾートホテルが受け世界的な潮流が作られました。個人的な本音が成功をもたらすのは、それがマーケティングの本質に最も近いからでしょう。

生きる能力を磨く遊び

秋を感じる季節に入ると、夏山シーズンが終わることに焦りを覚えます。8月でも低体温症による遭難事故は起こりますので、夏の感覚の残る9月は魔の季節です。危険と隣り合わせのレジャーである登山は、天候悪化や様々なアクシデントに備える必要がありますが、不安があるから念入りに備えるようになり、その状況に陥っても頭が真っ白になることはないのでしょう。セルフレスキューが原則の山では、過酷な状況でも自力下山の方法やルートを想定する必要があり、その点で遊びながら生きる能力を磨けます。旅行中よりも、準備をしているときに人は幸せを感じるという研究がありますが、山に行く備えは命を守ります。常に食糧が手に入り、どこにいても電波の届く都会の暮らしに守られていることで失うサバイバル能力を回復するために、山のレジャーに情熱を注ぐことは有益でしょう。

欲しいの本質

欲望を煽るのは都会ばかりではありません。山から戻ると荷物を軽量化できる道具や、暖かい寝具、グリップの良い靴を調べ始めます。もっと遠くまで、もっと快適に、もっと早く到達できればもっと色々な体験ができる、と妄想を膨らませます。欲望の解放に疑念を抱かない消費者は、欲しいと必要の境界を曖昧にしたまま、自分のアイデンティティを形成するために過剰消費社会の渦中に身を投じます。欲しいと言う感情が起こると執着が止まらなくなり、快適で楽しい経験の先に幸せがあると信じ込みます。それは行動することで結果が得られるとの信念を持つからです。つまり幸福とは、何かの行動により得られるもので、あそこに旅行をすれば、あの店で食べれば、あの車を買えば幸せになれる、という結果を出して初めて幸せを感じる条件付きの生き方です。この考えの欠陥は、すでに自分が満たされている今を無視することでしょう。

親友はラブラドール?

留学先の英国に戻る娘を送りに羽田空港に行きました。再び1万km離れた生活ですがLINEで常時接続できる時代に名残惜しさはそれほどありません。東京にいる間はほとんど予定を入れていたようで、5月末に帰国してから一緒に夕食を食べた回数は数えるほどです。家族であっても独立した個人であり、つかず離れずの今の距離感が適切に思えます。ムラ意識の強い日本では親しい人間関係を無批判に受け入れ誇示する風潮さえあるように感じますが、人間関係はストレス要因にもなります。近過ぎれば執着や依存を生みますので、親友という言葉はあまり好きではありません。人間関係が行き過ぎると他人の価値観を軸に生き、承認欲求に飢え、周りを気にして自分らしさから遠ざかります。自分に親友と呼べる存在があるとするなら、決して裏切らず、常に受け入れてくれるラブラドールを置いて他にはないでしょう。向こうはそう思っていないでしょうけど。

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