欠乏状態で生きることが本質

先日大型書店に行くと、平積みの最も目立つ場所に「DIE WITH ZERO」が置かれています。出版から3年が過ぎた今も、この本が強く支持されているのでしょう。稼いだお金を自分の人生で使い切ることを勧めるライフサイクル仮説と同様の主張ですが、どこか違和感を覚えます。ワークライフバランス的観点から人生の時間とお金を最適化しようとするのは当然の帰結に見えて、人生の価値をコストパフォーマンスやタイムパフォーマンスで最適化することは後付けの理由のような気がします。人間は希少な資源を有難がりますので、仕事中心の生活でわずかな休日を楽しんだ方が満足度は高いと思います。お金や時間に余裕のあるリタイア後の人生が思ったほど楽しくないのは、結局どちらも希少な資源ではないからだと思います。空腹でこそ食事が美味しいように、人間は欠乏状態で生きることが本質なのかもしれません。

一瞬で青春時代に戻れる

晴海の頃は毎回足を運んでいたモーターショーに行くことがなくなりました。車への興味が薄れたわけではありませんが、経済成長期の通過儀礼であるマイカーが、夢を見る対象ではなくなったからでしょう。GX、DXの技術革新における自動車産業の重要性はむしろ増していますが、自動車のある暮らしに憧れた時代の意識に戻ることはできません。ジャパンモビリティショーと改名された記念すべき第1回の目玉は、マツダ・アイコニックSPだと思います。2ローターRotary-EVシステムを搭載するコンセプトモデルは、デザインスケッチそのままのような美しさです。斜め後方から見ると、今でも買わなかったことを後悔している、初代RX7を彷彿とさせます。ハーブ・アルパートのライズを聞くとときめくのは、RX7のコマーシャルに使われた影響だと思います。この曲を流しながら初代RX7で真夜中の高速を走れば、一瞬で青春時代に戻れるような気がします。

今の方が幸せ?

日本の名目GDPが2023年にドイツに抜かれ、4位に転落する見通しを国際通貨基金(IMF)が予測しました。2010年に中国に抜かれたときは仕方がないと思いましたが、遠からずインドにも抜かれることを考えると少し暗い気持ちになります。マスコミは「日本経済の長期的な低迷」という常套句を好みますが、円安の影響が大きく、ドイツを始めとした諸外国が高インフレに見舞われていることを考えると、今後に希望が持てないわけではありません。日本経済が世界を席巻し、日本の企業が時価総額上位を占めた時代もありましたが、必ずしも当時が幸せだったとは思いません。1958年から2000年までの間に、日本の一人あたりGDPは6倍以上に上昇しましたが、生活満足度にはほとんど変化がありませんでした。豊かな暮らしが幸せにつながるとけなげに信じ、消費額を競っていた時代よりは、今の方が心穏やかでいられます。

穢れた英雄

日産自動車元会長のカルロス・ゴーン氏に対しレバノンの裁判所は、2019年の逃亡以来居住する29億の豪邸から退去するよう命じました。日経新聞の私の履歴書は、ビジネスジェットの機内の描写から始まりました。何年か後に日本に到着したビジネスジェットで逮捕されるとは、想像もしなかったでしょう。ミシュランからルノー、日産の再生へと華々しく活躍した前半生に対して、今はヒズボラが支配する戦時下とも言えるベイルートで、家からも追い出されようとしています。グローバルスタンダードの経営がもてはやされた日本で、日産を再建してくれた聞き慣れぬ名の英雄に、日本中が熱狂しました。しかし日本人が彼に対して一斉に手のひら返しをしたのは、煌びやかな社交界の眩さの背景にある金への執着に、穢らわしさを感じたからかもしれません。彼が日本人に違和感を覚えるとすれば、金銭的な不浄を忌まわしく感じる、古来より続く観念体系でしょう。

人間関係を築くものは手間暇

週末は遠方の親戚が家に来ました。自宅なら気兼ねなく話ができ、家もきれいになり好都合です。以前であればケーキなどを買うことが多かったのですが、今やケーキの値段は気の利いた店なら7、800円する時代で、おいそれと買うことには抵抗感があります。一方で自家製のケーキやデザートなら、普段より上質な乳製品などを使っても、安い食材原価で作ることができ、かつもてなしをしているという印象も残ります。先日南会津町に草刈りに行った後、近所の家で郷土料理のばんでえ餅(板台餅)をご馳走になりました。固く炊いたうるち米の餅に、ネギの入った自家製の甘味噌を乗せる素朴な郷土料理ですが、後を引く美味しさで、手間のかかった家庭料理は印象に残ります。われわれは時間を惜しむあまり、全てをお金で解決しようとしてきましたが、人間関係を築くものは相手のために手間暇かける行為のような気がします。

天に任せるしかない

先月国税庁が発表した民間給与実態統計調査によると、年収1,000万円に達する個人が昨年は過去最多となりました。これは給与所得者数の5.4%にあたりますが、1,000万円以上の世帯の割合は一昨年で12.4%になり、アジア通貨危機前の1996年の18.9%より減少しています。1,000万円超の個人が増える理由は、女性や高齢者により就業者数が押し上げられているからです。しかし、年収1,000万円は所詮、相対的なものでしかないと思います。健康保険や厚生年金保険料の上昇、介護保険の開始などにより、可処分所得は減っていますし、住宅事情の良い地方と東京では1,000万は同じ価値ではありません。経費が使える立場なら年収にはさほどの意味はないでしょう。米国では7万ドルがひとつの目安とされますが、1,000万円で満たされない人はそれ以上稼いでも結局同じです。他方で、今の生活に満たされるなら金額は気にならなくなり、年収は結果だから天に任せるしかないのでしょう。

予定不調和の人生

昨日は最初に入った会社の同期会がありました。ハロウィンが近い渋谷の街は厳戒態勢ですが、そもそも夜の渋谷に来ること自体、思い出せないぐらい久しぶりです。退職をしてから四半世紀が過ぎますが、自分のように無計画に生きて来た人間とは違い、大半はそのまま会社に残り、今も現役で活躍し、半分近い人は二次会から参加します。何を血迷ったかあの時転職をしていなければ、どんな人生を送っていたかは想像がついてもイメージできません。過労から2週間入院することも、糖質制限で25kg体重が落ちることも、50を過ぎてから運動を始めることもなかったはずで、ましてや旅館を買うことも、古民家を買ってサウナを始めることもなかったことでしょう。一つしか人生を生きられない以上、今来た道がベストだと信じるしかありませんので、予定不調和の人生こそが自分らしいと思うようにします。

兆候と過信は同時にやってくる

1955年5月29日に起きた白河高校山岳部の遭難事故を扱った小説「疲労凍死」を読みました。今月のはじめには、同じ山域の栃木県側にある朝日岳で、4人が低体温症で死亡する山岳事故が起きました。福島県と栃木県にまたがる裏那須と呼ばれるルートを、旅館にいた頃はよく登り、地元の白河高校の生徒にとっては庭のような場所だと思います。東北の山は標高が低い割に気候が厳しく、多くの人が亡くなった坊主沼は例年にはないことですが、初夏にも関わらず凍っていたと言います。遭難の多くは道迷いによるものですが、残雪期はルートを見失いやすく、遭難現場のあたりで、気が付けば周囲を背丈ほどの藪に囲まれ、方向感覚を失ったことがあります。68年前の事故の20日前には、同じルートをたどっていた都立小松川高校の生徒と卒業生が遭難したばかりでしたが、兆候と過信は同時にやってくるものなのかもしれません。

走るからモチベーションが上がる?

人の仕事を観察すると、こちらまで清々しい気持ちになる時があります。代表例は毎朝のように見かけるゴミの清掃員で、例外なく走って収集をしています。モチベーションを計る指標の一つは作業スピードの速さで、同じ宅配便でもヤマト、佐川、JPは動作のスピードが違います。ゴミ収集はスポーツ選手がトレーニング代りに行っている場合があり、またチーム制のため、一定時間内に仕事を終えるのに走らざるを得ないのでしょうが、休みなく働く姿はアスリートです。カラスが荒らした集積場所を整え、違反ゴミにシールを貼るなどきめ細かな仕事は、高いモチベーションなしにはできません。モチベーションが高いから走るのか、走るからモチベーションが上がるのか分かりませんが、人はある程度追い詰められて仕事をした方が幸せな気がします。

人と自然の共生の象徴

最近の関心は古民家で、地方都市に行くと旧市街を歩きます。古い建築でもレプリカと呼ぶべきものや、きれいにし過ぎたものとは関係性が築きにくく何も訴えてきません。古民家の魅力は過去へといざなう土地の記憶が今も刻み込まれていることです。古民家に明確な定義はありませんが、主に大正時代以前の伝統工法で建てられた家を指す場合が多いようです。古民家は150万あると言われますが、今でも地方に行けばまだ目にする機会があります。一方で、木材がマシンカットされる以前の、明治期より古い民家は、地域の衰退とともにその姿を消しています。産業革命以前のように、土地の気候風土や採れる木材、地場の職人を通じて建てることは二度とできません。粗製乱造の現代住宅とは異なり、代々何百年にも渡り住み続けることができる古民家こそ、人と自然の共生の象徴に見えます。

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