サラリーマン時代は毎日カフェに行きましたが、自営業になってから行く機会は、たまの打ち合わせに使う程度です。昨日は久しぶりに下北沢のスターバックスに行きましたが、溜めていた仕事を一気に処理できます。期限が迫る仕事ならどこにいてもできますが、明確な期限がない仕事を片付けるにはカフェが最適だと思います。家にいるとダラダラモードでなかなか仕事に着手できませんが、程よい雑音と一定の高揚感をもたらすカフェは集中できて、仕事を始めるのに最適です。スターバックスのコーヒーが美味しいと思ったことはありませんが、380円は2時間のレンタルオフィス代としては格安です。電源席がないのは難点ですが、井の頭線と行きかう人を間近に見られる駅構内の立地も適度な刺激になります。昨今のオフィスはカフェのようなインテリアも増えましたが、それでも最も高揚感が起きない場所がオフィスのような気がします。
お知らせ
電動歯ブラシはウォシュレット
電動歯ブラシの普及率は欧米では70%に届く国もありますが日本は22%とされ、主要国のグローバル平均42%よりも低い数字です。だいぶ昔に水を強力に吹き付けるタイプを使ったことがありますが、そのうちに使わなくなりました。昨今では、低価格のエントリーモデルが出され、使ってみるとこれで十分です。使用時間は2分が推奨されますが、洗浄力が高く、むしろエナメル質が削られないか心配なほどです。電動歯ブラシのメリットは、手磨きよりも効率的に歯垢を除去できることで、とくに手磨きが苦手とする奥歯の掃除に優れています。手磨きを続ける人は今でも不便を感じないからですが、ウォシュレットと同じで一度使えば後戻りできなくなります。歯磨きという無意識に行う日々のルーチンが短縮され、口のなかがすっきりし、何より全身の疾患につながる歯周病を予防できるとなれば使わない選択肢はなくなると思います。
健康産業の不健全さ
5人が死亡した紅麴問題は、BBCが世界に発信するなど大きな広がりを見せています。トクホと呼ばれる特定保健用食品は、一定の効能を持つ食品機能を保証する制度として1991年に始まりました。今回問題になる機能性表示食品は2015年4月から始まった制度で、健康食品やサプリ市場を創出する国家戦略の一環でもあり、インバウンドが来日する目的の一つとも言われます。審査が厳しく、認可取得に関する費用と時間が問題視されてきただけに、国を巻き込んだ賠償に発展する可能性もあります。2月から腎臓障害の噂が出ていたものの、製造が昨年末に閉鎖された工場であることも原因究明を遅らせそうです。背景には健康不安をあおり、サプリ中毒者を生み出した健康産業の不健全さがあると思います。身体の不調は全身性の問題であるにもかかわらず、生活習慣を改めず、気楽にサプリを摂取する健康リテラシの低さに原因があるのかもしれません。
働く意欲の源泉
出会いの季節である4月が始まり、朝の新宿駅では新入社員を見かけます。しかしその数はコロナ前から比べ半減した印象で、新年度に入ったという実感は希薄です。スーツ姿が板につかない新入社員の姿を見ていると、ついつい人生の先輩という目で見てしまいますが、すべてをリセットして始めるのが第二の人生であり、多少の社会経験は積んでいても、自身が新入社員の気持ちに戻ることが必要だと思います。ここから先の人生が、平穏だけど退屈な余生になるか、活力にあふれるものになるかの違いは、明確な目標の有無にある気がします。社会人になりたての頃は欲しい車、行きたい海外、家庭を作るといった目標があり、それが働く意欲の源泉になってきました。自分自身に今必要なのは、本音で楽しいと思える仕事とその先にある目標のはずです。
移動の主体性が達成感をもたらす
週末は広島までフィアットで往復し、寄り道をしながら1,800kmを走りました。日曜日の東京近郊の渋滞を避けるためには、御殿場を22時以降に抜ける必要があり、時間調整のために広島・神戸間は一般道を使いました。前半はのどかな瀬戸内海の海岸沿いの道で、後半は、信号がない高規格道路が多い、国道2号線なのでストレスを感じません。自動車の長距離移動が好きなのは、移動の主体性が達成感をもたらすからのような気がします。場の移動に伴う視界、風景の変化が脳内ホルモンの活性化などに効用があるためか、多くの偉人や芸術家が、散策をしながらインスピレーションを得てきました。快適な環境を求めて移動しながら暮らし、仕事をするノマド生活にあこがれるのは、70万年前にかけて人類がアフリカ大陸を離れ、世界に移動して以来の習性なのかもしれません。
祈りの力
昨日は親戚が住職を務める瀬戸内海の小島にある寺で法要がありました。開基は1525年(大永5年)1月15日にさかのぼり、その歴史は500年に及びます。500年も続く企業はありませんが、開基の10年後に生まれる織田信長が、宗教・寺社勢力と対立したことを考えると、途切れることなく今日に至る歴史は稀有と言えます。長きにわたり歴史を積み重ねて来たのは、そこに信者がいたからでしょう。「儲」が信者と書かれるように、企業が永続するためには、新規顧客が一定年数にもたらす正味現在価値であるLTV(生涯顧客価値)が必要であり、その源は信仰です。寺社仏閣が長い歴史をきざむのは、心の平安をもたらすための祈りの場だからかもしれません。祈りによってオキシトシンが分泌され、安堵感や幸福感に包まれることが知られますが、太古の昔から先人たちは、祈りには思いもよらない力が内在することを理解していたのでしょう。
縄文から江戸へ
昨日は法事で妻と広島に来ました。東京からは車で10時間ほどかかりますが、燃料費と高速代は一人9,000円で、飛行機の移動と疲労感は変わらず、何よりもラブラドールと同行できるメリットがあります。広島平和記念資料館は欧米人インバウンド客であふれかえりますが、誰もが押し黙ったままの館内は静まりかえり、すすり泣く人もいます。膨大な喪失、凄惨を極める受け入れ難い状況に直面することなく、戦後80年もの平和を自覚なく満喫しながら、平和の尊さを語る愚かさを感じます。心の執着と暴力性を浄化して、いくら個々人が絶対の平和を願おうが、現状線の変更を企てる専制政治国家と、市民に対する無差別殺戮を行った国が牛耳る国連に平和をもたらす力はありません。平安時代の390年、江戸時代の270年、縄文時代に至っては1万年以上にわたり、世界にも類を見ない平和な社会を築いた先人の知恵を、再評価すべきではないかと思います。
一度行けばいい
35回目の結婚記念日に六本木ヒルズに行きました。正確に言えばそれは後付けの理由で、これまで結婚記念日など祝ったことがなく、昨日も34回目なのか35回目なのかで議論になったぐらいです。行ってみたい店があり外食をしただけですが、たまに都市の魔力も良いものだと感じます。食への執着は年々減っているので、外食の対象となるのは、食べてみたいではなく、行ってみたい、見てみたいという店になります。「食」は人を良くすると書くように、人体を維持する上で欠かせない行為ですが、外食店の多くが健康に良くない商品を提供するのは、身体によい食品には強い中毒性が期待できないからでしょう。外食は出かけなくてはならず、リラックスできず、食後の余韻も楽しむ間もなく多くの場合は通勤電車に乗らねばならず、積極的に行きたいとは思いません。良いのか悪いのか、たいていの外食は一度行けばいいか、と思ってしまいます。
健康本は無駄
無数の健康本を読みましたが、その時間がほとんど無駄だったと思うのは、知っているだけで多くを実行に移していないからです。空腹で運動するというシンプルな健康法則は心がけていますが、それだけなら膨大な時間をかけて本を読む必要などありません。真に価値がある本とは行動を変えて習慣にすることですが、知識だけ身に着けた健康オタクが行動に移せない最大の理由は、優先順位をつけられないからです。健康常識を知れば知るほどそれらはお互いに矛盾してカオス状態に陥ります。不健康な生活をしている人以外は健康診断を受ける必要はないと思いますが、一方で血液栄養解析を受ける価値があると思うのは、栄養の乱れを定量的に可視化できるからです。医師の指摘は、たんぱく質を増やす、糖質を減らす、オメガ6とオメガ3のバランスを改善すると言う常識的なものですが、指針を示されることが信念となり、初めて実行ができると思います。
消費の不自由による幸せ
人がお金に執着するのは、消費する自由こそが幸せの源泉だと思い込むからです。しかしこの考えはおそらく間違いで、消費の不自由こそが幸せの本質だと思います。糖質制限を再開したのはやせるためではなく、血液栄養解析で分かった栄養バランスの崩れを改善するためです。その結果我が家では、ご飯は一夜にして滅多に食べられない贅沢品に変わりました。日本人にとってのお米はあって当たり前のコモディティで、お替り無料の飲食店も少なくありません。自由に消費できない制約により希少になれば、それが自分の意思であるかにかかわらずご飯を食べる行為は特別なものになり、味わい尽くそうとします。むしろ不自由で欠乏した状態の方が、人は強烈な美味しさや豊かさを感じると思います。食べ過ぎの上に食べさせることで経済を回す外食業界の付加価値など、飢えを超える価値にはなりえない気がします。