昨日は確定申告に行きました。少し面倒な処理が必要で、青色申告会、税務署、申告会場に行くはめになり、これに対応する職員の人件費まで考えると税徴収に伴うコストは身の毛もよだつほどです。税務署は融通のきく役所で、古い企業の管理部門にありがちなロボット人間みたいなことは言いません。こうした融通の加減も学習したAIにこれらの業務は遠からず代替されるはずです。融通のきかないロボット人間と融通のきくAIの対比は悪い冗談のようですが、すでに現実だと思います。前のブースで申告していたリタイアしたと思しき男性は最初文句ばかり言い怒っていたのですが、気を利かせた職員が年金の支払い元を確認したのか「すばらしい会社にお勤めだったのですね」と言った瞬間に態度を豹変させ上機嫌でした。会社の看板にすがるしか生きる術のない人もロボット人間同様にたちが悪いと思います。
お知らせ
死の商品化
役に立たない本に時々出会います。後味が悪いのはそれが世間で名著の誉高い本の場合です。昨日読んだ、「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義、は国内で10万部を売るベストセラーなのですが、後味の悪い一冊でした。近年「死」について正面から取り上げる本が増え、いろいろな主張があってよいと思いますが、理にかなっているかどうかを論ずるテーマとは思いません。さまざまな説や考え方を検討し、妥当な結論に至るアプローチは、その陳腐なたとえ話もあって生理的に受け入れられません。合理性に焦点をあてる論法は、命を軽々しく扱っているようで嫌悪感すら覚えます。「死」について理解したいのではなく納得したいのです。売りにくいとの理由から、原著の前半の考察を省いた「日本縮約版」の表紙に書かれた、「人は、必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか」という文字が虚しい宣伝文句に見えます。
綱渡り人生がもたらす急成長
話題の尽きないZOZOのような株価推移をたどる企業が後を絶たない印象です。負ののれん経営で有名になったRAIZAPの株価も似ています。お金大好き人間にとって会社は単なる儲けの箱ですから、十分にキャッシュを引き出してしまえばあとは怖いものなどなく、それが余裕のコメントにつながっていると思います。十把一絡げにしてはいけないのでしょうけど、こうした企業に共通するのは、ぎりぎりの綱渡り人生に耐性のあるリスキーな性格の人間が、たまたま時流にのって急成長することだと思います。ここまでの成長を実現できる経営者はマーケットを読む独特の嗅覚を持っていると思います。他方でリスキーな性格が災いして安定した経営をできないのですが、金余りの日本では少数の成長企業に投資家が群がります。人としての正しい道のために企業を成長させる経営者を輩出する社会の到来にはまだ時間がかかるのかもしれません。
教育こそが未来を変える
週末は娘の学校行事に行きましたが、勉強させられることばかりです。中高生の将来の夢を聞いていると希望を感じます。単なる思い付きや空理空論ではなく、将来に向けた計画があり地に足着いた活動を日々実践していることに明確な意志を感じます。上場企業を含めた大半の企業の経営計画より意義深く、道筋も確かです。自分が在籍した企業を含め経営計画を作るときは売上や利益ありきです。しかし肝心なWHY、なぜ利益が必要かというその先の議論は皆無です。とりあえず作った形ばかりの企業理念など経営層以下誰一人信じておらず、グランドデザインなき消耗戦に生きがいなど感じるはずもありません。英語教材が魅力的なTEDであることも小さくない理由だと思います。勉強嫌いを増やした犯人は全く興味の起きない教科書に他なりません。この世代が社会に出る頃には企業もそのあり方を大きく変えると思います。教育こそが未来を変えると感じる週末でした。
戦争に学ばない日本
海外に出ると戦争博物館に行きます。ロンドンで見た帝国戦争博物館も見ごたえのある博物館です。興味深いのは自軍の功績を誇示することなく、敵側の武器展示が充実していることです。ナチスドイツのV1、V2ロケットや初の西側近代兵器同士の戦いになったフォークランド紛争におけるアルゼンチン側の武器展示に多くのスペースが割かれています。複数の艦船を沈めイギリスにとっては悪夢でしかないアルゼンチン側のエグゾセ空対艦ミサイルが目を引きます。フォークランド紛争は領有権問題を抱える国々にとっては格好の研究対象であり、日本にとっても例外ではありません。どこの都市でも見かける戦争博物館ですが、日本には靖国神社境内の宝物館である遊就館などわずかな例外を除き戦争博物館とされる施設はありません。戦争とビジネスは類似する部分が多く、太平洋戦争などの豊富な事例を一般の人が知らないことは大きな損失だと思います。
好きなことの先にある人生
娘を見ていてうらやましいと思うのは自分の人生を好きなように描けると思っていることです。自分の時代も十分に豊かだったはずですが、「働かねばならない」という社会の制約が大きく、好きでもない仕事でも、乗りたくない満員電車でも疑うことさえ許されず働いてきた印象があります。好きなことをやりたいと言えば、「夢みたいな話」と否定され社会からはじき出されるのがおちです。もちろん今の世代でも生きていくために働かなくてはならないことは同じですが、やりたいことや好きなことの先に仕事があると思えるところに時代の変化を感じます。限界費用ゼロ社会の到来により起業のハードルが下がったこと、経済成長や消費社会への妄信の呪縛が解けたこと、核家族化が進み社会規範が緩んだことなど理由は少なくないと思います。長年人生に夢を見ることを許されず思考放棄を続けてきた世代にとって、リタイア後になって好きなことをして良いと言うのは酷な話です。
集団主義とエゴイズム
昨日は表参道を歩きました。歴史的建造物が都市の景観に埋没する美しいロンドンの街並みとの差は圧倒的です。よくも悪くも日本の建築表現は自由であり、都市景観への配慮はありません。ロンドンにもデザインを主張するビルがないわけではありませんが、伝統的な街並みとの対比にも一定の調和が感じられます。景観規制があるとされる京都の街並みでさえ汚く、そこには温かみがありません。許せないのが日本の住宅地で、日本中がスラムと化していると思います。ロンドンで見たいくつかの大学や刑務所でさえも温かみや美しさを感じます。普段は集団主義を重んじる日本が、こと不動産活用に関してはエゴイズムを認めるやり方には疑問があります。
失われた30年の原点
この一週間娘とロンドンの大学を回り、博物館や美術館を自由に楽しむ子供の姿を見ながら、日本の失われた30年の原点がここにあると感じました。日本の大学とは違い無機質な教室はなく、居心地がよく温かみを感じます。乱暴な議論ですが、日本の閉鎖的で強圧的な学びの環境と、その先にある偏差値選抜型リーダーによるトップダウンマネジメントが明治維新と戦後復興を成功させ、その過剰適応の反動が今の閉塞感だと思います。柔軟で多様な思考を排除し、常に比較にさらされる画一的風土が教育をゆがめ、働き甲斐と幸福感を奪い、思考を放棄して安易に生きる日本人を増やしました。多様性を認めず議論を嫌う全体主義的風土は動力革命の時代にはうまく適応しましたが、混沌とする頭脳革命の時代には不向きです。必要なのは自律と自立を育む教育であり、権力者が隠蔽する不都合な現実にも目を向け、多様な生き方に可能性を感じ、自ら切り拓く力だと思います。
欧米尺度の幸せ
時差ぼけが治らないまま一週間滞在したロンドンから昨日帰国しました。欧米諸国を訪れると日本は惨めで不幸な国に見えます。アジア人固有の欧米へのあこがれや単なる観光客目線、ないものねだりとばかりも思えません。都市の景観や自然、美術館や博物館、あらゆるデザインの洗練、余裕ある暮らしぶりなど大きな差があります。単に暮らしが豊かということでなく、ストレスや執着なく素で生きられる心の豊かさが日本やアジアの国より勝る印象です。他方ロンドンでは、日本に比べ時間も仕事もルーズな印象を受けますし、土曜日に突然公共交通の地下鉄が営業を休止する感覚は日本人には理解できません。ホテルや飲食店のスタッフも日本の方がよほど勤勉なのに、生産性が低いという事実を突きつけられるとき、何か大きな見落としをしていると思います。身の丈に合わない欧米尺度を採用しながら、日本固有の妙な完璧主義が軋轢を起こしているのでしょう。
必然を越える旅?
産業革命発祥の地イギリスに来て、産業化の意味を考えました。必然を越える純粋な娯楽として旅を商業化したのはイギリスの実業家トーマス・クックです。旅行に伴う移動と出費、時差ボケなどの苦痛や健康リスクを考えたとき、美味しい食事や素晴らしいホテルに泊まり、美しい景色や芸術に触れたとしても、旅の終わりに残るのは虚しさです。批判をしておきながらロンドンを満喫する自己矛盾を考えたとき、旅行には消費と投資の側面があると思います。大半の旅行者にとっての旅には何等かの目的があり、広義の自己投資である一方、そこに投下された資金は回収されることなく消費されます。自分にとって海外旅行に必要なものは、行く必然か人生を変えるほどのインパクトです。