移動の価値

情報流通量が増えると人の移動も増えると言われてきましたが、最近は疑問を感じます。行かないと分からないこと、伝わらない臨場感がある一方でSkype、Zoomを使うようになると初対面でも仕事に使えますから、打ち合わせに行くことは割に合わないと思えます。東京に住むメリットは多くのセミナーや会合に行けることだと思っていましたが、半日も拘束される上に聞きたくない話も聞かされます。大勢の人を集めるセミナーに行くよりも多少のタイムラグがあっても膨大なユーチューブ動画から優良コンテンツを探した方が勉強になります。実車が展示されるモーターショーでさえその見直しが議論されるのも時代の流れでしょう。サラリーマンを苦しめる通勤など、日常的な移動が減り、転地効果を狙った非日常の移動が増えていくと思います。旅館業で考えると、自然の懐深く入り普段は取れない静かな時間を過ごしたり、旅の余韻に浸る静寂さのなかで自分と向き合うなどのニーズが今以上に重視されると思います。

限界効用逓減の法則を隠す消費社会

日本工学院に行く木曜日は自動車を運転します。当時は誰もがそうだったように16歳から原付きに乗り始め、40年ほど運転をしていますが、今乗るフィアットがエポックメイキングなのは初めて車を小さくしたことです。排気量は4分の1になり、燃料費は6分の1になりました。車が小さくなると自分が主体的に動かす身体感覚が蘇り、乗せられている感じの大型車より楽しめます。最初の車は叔父からもらったすでに10年落ちになっていた1970年代初期の三菱初代コルトギャランのベーシックモデルです。最初の車がクーラーもないスパルタンな車だったから運転に集中でき、今でもプリミティブな運転の魅力を求めます。その後排気量を上げていき、500ccのバイクや4,500ccの車に代わっても、初めて原付きや車を運転した爽快さを超えることはありません。誰もが感覚的に本音の部分では分かっている限界効用逓減の法則がバレることを産業側は恐れ、消費者もその事実を認めたくないのだと思います。

友好親善の幻想

隣の国では日本製品の排斥が盛り上がっているようですが、困るのは韓国の事業者だと思います。訪日旅行を取りやめると困るのは日本国内の企業ですが、損害を被るエアラインや代理店は韓国ですから痛み分けです。日本統治下の話をしたお年寄りを殴り殺したり、レクサスをパンクさせるほどに国民を劣化させた反日教育の愚かさに気づかない思考回路は日本人には理解できません。人が抱えるストレスの大半は人間関係に起因しますから、対策は悪い関係を断つことです。感情の起伏が激しく、嘘でも主張を曲げず、ときどき攻撃的になる厄介な友人と良い関係など築けるはずもなく、関わり合いを持たないことも選択肢だと思います。韓国の無分別さが利したのは、戦後レジームから脱却し日本を取り戻す、と唱えていた安倍政権かもしれません。写真はソウルの戦争記念館の朝鮮戦争の展示で、釜山まで追いやられた韓国を国連側の補給基地だった日本が助けたことが分かります。

未来は生きる力を育む

物騒な話ですが来年のオリンピックが終わると死ぬ人が増えると思います。21世紀をこの目で見たいと思っていた人は、21世紀の幕開けを見届けて亡くなったといいます。まだ見ぬ未来は生きる力を育みます。残念なことに日本の未来はバラ色とは言えず、今の社会に生きる原動力と言えるほどの力はありません。生きる力が健康や幸福を支配しますから、人生を人任せにせず主体化することが大切だと思います。恵まれていても、未来に展望もなくただ今を消耗するような生き方は虚しく、情熱と生命力は先細っていきます。情熱を生むには挑戦が必要ですが、必要に迫られないと人は挑戦をしません。誰もが安楽で苦労のない人生に魅力を感じますが、恵まれることの罠は生きる必然を見失うことです。未来に向けて自分のスキルにレバレッジをかける努力をしなくなれば、いつかは終わりを迎える残りの人生の恐怖とともに生きることになると思います。

エネルギー消費は豊かさの象徴?

唯一無二の普遍的通貨であるエネルギーを軸に人類史を遡る「エネルギーの人類史(上・下)」を昨日読みました。人間の筋肉が唯一の原動力であった時代から、より高い効率を生み出す家畜が使われるにようになり、筋肉の力学的効率によって決められていたエネルギーはやがて水力、風力、非生物原動力の蒸気機関へと発展しながら労働生産性を高めてきました。いまや経済的に恵まれた上位4分の1と下位4分の1の人が直接利用するエネルギー量の差は40倍とされます。19世紀のイギリスの刑務所で懲罰手段として導入されたトレッドミルを、現代人はスポーツクラブでお金を払って踏みます。歩くか走るという2つの移動様式で個人の移動の全てが占められていた時代ははるか彼方ですが、現代人を夢中にさせるトレイルランニング競技はあたかもその時代に回帰するトレンドに見えます。世界中を震撼させたアメリカ同時テロのハイジャック犯が持っていた武器は数本のカッターナイフだけでした。後期旧石器時代から3万数千年の隔たりで定住生活様式に移行するに従い足の骨の曲げ強度が低下していること以外、人体は以前とさほど変わっていないと言います。40倍のエネルギーを消費するようになった日本人の今の生活が、本当に進歩の結果得た豊かさだったのか考えさせられました。

人は遺伝子の乗り物に過ぎない

健康本の大半は医師や治療家によって書かれたもので、医師免許という権威を背景に各々自説を唱えます。しかし医療費も医者も増えているのに、病気は減るどころか増え続け、いまや2人に一人が癌になる時代です。理由は明らかで病気を患者が作り出しているから、本人が生活を改めない限り病気は減りません。生活習慣病が主題となる21世紀には、医学の役割は発症メカニズムの究明に向けられるべきだと思います。もうひとつの問題は一分野の専門家が、複雑な人体というエコシステムを扱うことの弊害です。ホリスティックな観点から関連する全ての分野を結びつけて考える必要がありますが、現在の縦割り医療システムはそれに適合していません。あらゆる知識を関連させてつなぐ輪が必要で、そうした信念なしに21世紀の医療は成立しないと思います。それは太古の昔から人体に刻まれた記憶である恒常性を知り、そのデフォルトに忠実に生きることに他なりません。なぜならわれわれ生物の個体は、遺伝子を後世に伝える乗り物に過ぎず、その目的のための仕様書である遺伝子に支配されて生きているからです。

マインドフルネスブームの迷信

人は食べなくても何日も生きられますが、呼吸が止まると数分で死にます。昨日読んだ「人生が変わる最高の呼吸法」は、呼吸に対してあまりに無頓着過ぎることを考えさせられる本でした。喘息を始めとした不調の原因が吸い過ぎにあるというのは盲点です。鼻呼吸の有用性は知っていましたが、マインドフルネスや呼吸法の本が、この点を強調してこなかったことは意外です。日常生活と中程度の運動を鼻呼吸で行い、息を止めるトレーニングにより高地トレーニングと同じ効果が得られると言います。食べ過ぎが身体に悪いことは大半の人が知っていますが、水の飲み過ぎと空気の吸い過ぎについてはいまだに誤解や迷信があると思います。呼吸の目的は体内にある余分な二酸化炭素を排出することですが、排出されずに体内に残る二酸化炭素が一定量残っていないと正しい呼吸ができない点を見落としていました。無節操なマインドフルネスブームは深い呼吸という迷信を広めていますが、安静時も運動時も軽い呼吸を心がけるだけで健康と運動能力の向上に効果があるという話は、痛快ですらあります。

幸福の正体

戦後最悪の放火殺人事件に接すると、幸福を語る軽薄な愚かさを思わずにはいられません。豊かな生活や幸福を求めるパラダイムこそ不幸の起源であり、求めることではなく気づくことが見落とされています。幸福は難しい話ではなく、健康、人とのつながり、情熱の3つだと思います。突然失われた33人の日常にはおそらくそれがあったはずです。たとえ他のすべてを失ってもこの3つが残れば人生は満ち足りたものになり、ことさらに幸せを求める意味などなくなります。手垢のついたステレオタイプの幸せは一見魅力的で人々を引き寄せ、そこには金脈があります。幸福をネタに商売をする人に共通するのは、幸せを阻む恨みや執着など金にならない現実的、本質的な問題には目を向けないことです。人生の喜びは自分で見い出すものであって人から与えられたり教えられるものではありません。都市がもたらすお気楽な快楽がないと幸せを感じられない人は不幸です。幸福ビジネスは、すでに充たされている人にその事実を知らせず、いつも欠乏を感じさせ幸福を追い求める幻想で金を取ろうとします。

功利主義と規範主義の違い

日本工学院に行く木曜日はスポーツのことを考えます。スポーツは成長戦略における注目セクターでありながら、十分な雇用や給与水準を実現できていません。日本版NCAA(全米大学体育協会)として、一般社団法人大学スポーツ協会(UNIVAS)が2019年3月に発足しましたが、米国ではテキサスA&M大学のように、単独の大学で年間100億円近い営業利益をあげるケースもあり、学生スポーツのビジネス化において日米の差は歴然としています。この背景には学校教育に対するスタンスの違いがあると思います。学生スポーツがショービジネスとして成立する米国の場合、部活動は限られたスポーツエリートのために存在するもので、多くの学生にその価値を提供し公平性が担保される日本とは異なります。学生スポーツをビジネス、すなわちエリート偏重の労働者と考えるか、教育として学生への公平性の担保を優先するかの違いです。この功利主義と規範主義の背景の違いを理解せずに、1990年代以降おかしな企業経営を始めたことがその後の失われた20年を生んだと思います。

脳の生活習慣病

学生と話すと過半数が考えることが苦手な印象を受けます。いつから自分が考えることが嫌いでなくなったのか定かではありませんが、最近まで運動が苦手でしたので思考嫌いの気持ちも似ていると思います。筋肉も脳も負荷をかけて鍛えれば年齢に関係なく成長を続け、さらに鍛えたくなり気持ちが前向きになりますが、人間は面倒が嫌いで本能的に楽を求め、運動も思考も避けようとします。思考にも三大生活習慣病があると思います。狭い関心以外に興味を示さない「思考の放棄」、識者の意見を鵜呑みにする「思考の依存」、偏った思い込みの「思考の歪」です。これらの症状は出身校の偏差値とは関係がなく、記憶力勝負の学力を奨励してきた日本の教育は思考力を育むのに不適です。旅館事業の継続は自分の思考の多くを占めますがこの課題があるから、何を見てもビジネスモデルを考えたり、収支計算をしたり、人の動きを観察したり常に無意識のシミュレーションをします。脳も筋肉も惜しみなく使い切ることが生きる力を高める健康の鍵だと思います。

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