元の生活に戻れないシステム

カリフォルニア州で2035年までに州内で販売される全ての新車のゼロエミッション化を義務づけることが先週発表されました。2040年頃を目処に各国が規制を行うことがアナウンスされ、先の話だと思っていましたが、内燃焼機関の車に乗れない時代は目前です。ノルウェーでは2025年にすべてのガソリン車・ディーゼル車の新車販売を前倒しで禁止すると発表され、自動車と青春が同義語だった世代としては寂しくもあります。必要のための車ではなく欲望のために車を作るGM流の計画的陳腐化の時代もいずれ終焉に向かうでしょう。供給側に押し付けられた欲望は一時的な高揚感しかなく消費者は永遠に満足することはありません。欲望は常に相対的な価値に影響され、ミニバンやSUVといった多様なニーズは供給論理が作り出した虚構です。資本主義の行き着いた過剰消費社会では、人々は永遠に欲し続け、どんなに働いても満たされない呪いをかけられます。古い車に心を奪われる懐古趣味は、その時代に切実な渇望があったからだと思います。資本の自己増殖をエンジンとする経済の拡大は、欲望により人々を支配し元の生活に戻れないシステムだったのでしょう。

SNSに真実はない

昨日イギリスに着いた娘によると時節柄大学の寮に人の姿はなく、オンライン授業は10月以降対面授業に切り替わるようです。新型ウィルスの人口あたり死者数の多いイギリスですが、マスクをする人は少なく学生の三密の集まりもあり日本ほど神経質な対応ではないようです。ラインやメッセンジャーでほぼ常時接続しているので日本から1万km離れている感覚はありません。しかし、世界中と瞬時につながる便利さは、人間らしい感情を奪っていると思います。娘が高校2年のとき一年間留学をした際に手紙の持つ魔力を知ったからです。SNSやメールを校則で禁じられ、親との連絡は手紙だけに制限され違反者は強制帰国という厳しさで、実際に複数の退学者が出ました。手紙ほど人間的な温もりを伝え心が通うコミュニケーション手段はありません。常時接続の罪は簡単に入力できチャットばかりか動画で瞬時につながってしまう安易さです。一方で言葉を選ぶ手紙はタイムラグがあるので普段のコミュニケーションでは伝えないような本音を引き出します。一見不便な手紙こそが遠く離れても相手を身近に感じ本心を語り、逆にSNSに溢れる言葉に真実はないと思います。

海外で深める自己理解

留学ビザが発行され急遽イギリスに渡航することになった娘を送りに昨日は羽田空港に行きました。日本で仕事をするなら日本の教育を受けることに一定のメリットがあり、一方で日本の同質性に染まるリスクを考えると一長一短です。1億の人口を抱える日本では海外の主要な著作を日本語で読める強みがありました。人生100年の生涯学ぶ時代になり、関心がより詳細に及ぶと本当に知りたいことは日本語情報にはほとんど存在しません。世界の情報に直接アクセスできるスキルの重要性は増すはずですが、より大きな留学の効果は異国での生活を通じて鍛えるサバイバル能力だと思います。ムラ社会の日本にいると他人や組織に依存し忖度しがちで、視野は狭まり同質化し、自分自身を隠して生きるようになります。サバイバル能力とは、将来の不安に備えて身を寄せ合うことではなく、全力で今にフォーカスする内省の力でしょう。ソクラテスは内省のない人生に生きる価値はないと言いましたが、一人海外で過ごす孤独と内省の時間ほど自己理解を深めるものはないと思います。

成長のための洞察力

四連休はどこの観光地にも人が戻りましたが、問題は売上が戻るかです。Go Toキャンペーンで人が戻っても一過性のぬか喜びかもしれません。人は不安を感じるとき、わずかな光に望みを託し悲観シナリオを想定外に置きます。準都市封鎖を経験した非接触社会で人々は、ライフスタイルと消費を変え始め、アパレルではワンマイルウェアが主役の座を占めるようになりました。アスレジャーが巨大マーケットになりスポーツ市場の救世主になったのとは逆に、ワンマイルウェアの衝撃はアパレル業界を破壊しかねません。消費増税以降ここまで経済が深手を負えば、反動消費の後は消費を手控えると考えるのが妥当でしょう。他方で不景気は悪いことばかりではなく、産業界にイノベーションが起きるのは決まって不況期です。追い詰められることで人は行動に踏み切り、わずかな望みであっても一か八かのアイデアを試すようになります。変わる必要性を認めながら人や組織が変わろうとしないのは、現状維持という思考的、感情的な欲求に従うからです。生き残るというよりプリミティブな肉体的な本能欲求が起こったとき、失うものへの執着を捨て成長のための洞察力が培われるのだと思います。

ハードワークがあったからこそ

週末からイギリスに留学する娘が、毎日日本時間の夕方からZOOMの授業を受けていて、昨日も和気あいあいとした13人のクラスに続き複数の教授陣による200人の授業がありました。リアル、音声・映像、テキストに次ぐ、Web会議という洗練された双方向メディアで最も大きく変わる産業は教育だと確信します。Web会議システムは以前からありましたが、人は慣れ親しんだ習慣に安住するもので、対人接触手段を断たれて教育の世界は大きな転換期を迎えるはずです。米国などで高止まりする学費の問題もこの動きを加速するでしょう。メディアの使い分けの過渡期と言える今、メールやメッセージすべきことを電話し、電話で話すべきことを行間を伝えないテキストで送ってくる人がいますが、より重要な問題はメディア特性に合わせた学びのスキルです。途上国ほど学びへの意欲が高く、高等教育や教材へのアクセスが容易になることで日本人は益々世界との競争にさらされます。働き方改革のミスリードでハードワークを忌避する風潮まで広がればこの国には何が残るのでしょうか。ハードワークを肯定すれば時代錯誤と言われますが、資源もない日本が焼け野原から歴史上類を見ないスピードで復活したのは勤勉さに根ざすハードワークがあったからこそだと思います。

商業施設より宗教施設

昨日は長野市に行き、打ち合わせまで時間があり善光寺に寄りました。あれほど大阪に行きながら大阪城を見たことがないように、善光寺の前を幾度となく通りながら足を運んだのは初めてです。四連休には賑わったであろう参道や歴史的な建造物が目を引く一級の観光地は落ち着いた風情です。なんと言っても宿坊の佇まいが素晴らしく真冬に訪れたくなります。今、宿泊施設にお金を使うとすれば自分の本音に一番近いのは宿坊です。使い切れないほどのお金でもあれば話は別ですが、予定調和でリアリティを感じない今風のホテルや旅館に確認行為のためにお金を払う気にはなりません。宗教施設である宿坊は商業施設であることを忘れさせてくれます。加えて、食べすぎは酵素やエネルギーを大量消費する一種の自傷行為ですから、抑制のきいた精進料理は免罪符として魅力的です。古今東西多くの賢人が中庸の大切さを説き、バランスをとることが人間らしい生き方であり、快楽も禁欲も偽りの輝きであるなら宿坊は自分にとっての中庸です。宗教性が高い人は低い人に比べ死亡率が2割低下して寿命が伸びるという研究があるのは、ハイパーコンシューマーリズムの中毒から逃れる効用があるからでしょう。

現代のスピリチュアリティ

観光地に人が戻り始めた四連休最終日は暖かな日差しの八ヶ岳に登りました。澄み渡る秋らしい空と雲海越しの富士山を眺めていると世間などどうでもよく感じられ、執着が洗い流されていく感覚になります。こんなとき、幸福は追い求めるものではなく足元にあることに覚醒するもので、人が生きるのにたいそうな理由など必要なく毎日を真面目に生きることだと気づかされます。物質世界の肉体として生きながら、他方で欲と執着から逃れる方法に人は救いを求めてきました。黙々と山道を歩いていると、山というご神体のなかで身体を使って心を修めた山伏修行の理由が分かります。理屈より自分の五体と五感を通して体得した感覚が心を高め、いずれ悟りに到達するのでしょう。ヨガが古代から伝わるインドの宗教的実践から発展したように、マインドフルネスが起源である原始仏教の瞑想法から宗教性を排除したように、現代のスピリチュアリティは制度化された宗教の外にあると思います。山道で出会う人の多くは単独行動で、一般人のための実践的な宗教であった修験道を、多くの人は意図することなくすでに実践しているのでしょう。

制限速度は悪夢?

昨日は速度の一斉取締を見かけました。1、2分立ち止まって見ている間に2台が捕まり、信号がなく見通しの良い50km/h制限の直線道路ですからいずれも善良そうな車です。先頭を走らない、制限速度+20km/h以上出さない、取締をしそうな道路や天候、時刻に注意するなどを徹底すれば滅多に捕まることはありませんが、それでも車で65万km、バイクで5万km運転するなか速度違反で3回捕まりました。覆面パトカーや白バイに追尾されたことはそれよりはるかに多く、捕まったのはいずれも注意力が散漫になっていたときです。実用的と言えない速度の取締に反感もありますが、速度制限が野放しにされる世界を考えると節度ある取締は認めざるを得ません。最近はゲリラ的に見慣れない場所で取締を行うケースが増え、神出鬼没の移動式オービスも導入されています。抜き打ち的な取締の不確実性が抑止力となり、低コストで違反者を減らす有効な方法なのでしょう。ビル・ゲイツは年間5回スピード違反で捕まり、交通裁判専門の弁護士を雇い訴えを取り下げさせていたとされます。ビジネスジェットで移動するエグゼクティブにとって、地上の遅すぎる制限速度など悪夢でしょう。

四季を感じる暮らし

行楽地に人が戻って来たようで、20台ほどが止まれる登山口の駐車場は朝5時過ぎには満車になり、あふれた車が道路を塞いでいたので登山は止めました。喉元過ぎれば熱さを忘れるで景気が回復してほしいものです。夏の名残のある東京とは違い、季節を先取りする山はすでに秋が進み、9月は遭難の多い季節でもあります。都会の9月はまだ残暑の印象ですが山頂などで風が吹けば低体温になり、天候が急変すれば遭難につながります。都会では嫌われる冬や夏こそ山が最高の輝きを見せる季節で、残雪から新緑に向かう季節も、空気が澄んだ秋の空も捨てがたい魅力があります。吉田松陰が29歳で刑死するとき、30年の春夏秋冬があったから後悔はないと言ったそうですが、その倍近い四季を経験しても未練があるのは、季節を身近に感じて来なかったからだと思います。田舎暮らしは何度かブームになり、初期のペンションブームの頃もそうでした。東京圏の転出超過が伝えられる今は、自然のもとでの四季を感じる暮らしが、都会で手にする収入以上の価値があると考える人が増え始めたからなのでしょう。

情報リテラシを測るマスク

新型コロナに関する感染症法の扱いが1-2類相当から5類への格下げもしくは法指定自体から外すことが安倍首相退任のタイミングで発表されました。感染拡大以後弱毒化したウィルスは、日本に関してはただの風邪だったことになります。中国からの渡航者を受け入れていた2月に東京都医師会の感染症危機管理対策協議会が発表した声明は極めて妥当なものでした。外出後は手洗い、うがい、咳やくしゃみをしている人はマスク、健康で症状のない人はマスク着用の有効性は高くないと丁寧に断っています。感染力はインフルエンザと同等かそれより弱く例年のインフルエンザでも重症化し、簡易的な診断方法も治療薬もなく、予防は標準的な感染症予防策で十分としています。そして最後に、多くの不正確な情報が氾濫していることを警告します。マスメディアはこうした良心的な声に耳を貸さず、デマを拡散する専門家と称する人ばかりを重用してきました。マスクを強制する感染症対策は、0.1μのウィルスを10μの粗さのマスクで防ごうという竹槍精神の為せる技でしょう。人と会うときは一応マスクをして相手がマスク警察でないときは外しますが、マスクは情報リテラシを測る手段になります。

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