日の出から日没にかけて一切の飲食をはじめ快楽や闘争を断つ、ムスリムのラマダン月に入りました。空腹や自己犠牲により、飢えた人への共感を育み、共に苦しい体験を分かち合うことで連帯感と信仰心を強めると言います。古来より宗教と断食が結びついたのは、実質一日一食の生活が自身を心身ともに清めるという一種の生活の知恵を伝えるものだと思います。コロナ禍から立ち直れないうちに始まった資源国ロシアの軍事侵攻により、エネルギー価格は上昇し、いずれも穀倉地帯であることから戦争による食糧不足、飢餓の連鎖が警告されます。戦国時代の合戦は田植え、稲刈りの時期を避けたとされますが、現代の独裁者には節度などありません。暗い現実を受け入れたくはありませんが、あらゆる不幸を生み出しているのは人間の愚かな欲と執着です。ラマダン月にテロや攻撃が増えるのはジハードが最も尊い行為とされるからであり、宗教さえも狂気の洗脳に見えます。世界平和を唱える前に、背徳の楽園に暮らす自らの生活を見直すべきかもしれません。
お知らせ
モダンエルダーの共通点
新年度になり社会にデビューする若者が増えると、必然的に新旧交代が起きます。他方で『モダンエルダー;40代以上が「職場の賢者」を目指すこれからの働き方』に書かれるように、年長者は優れた洞察と判断力で社会と組織に貢献することができます。ピーター・ドラッカーの著作の3分の2が65歳以降に書かれたことは勇気づけられます。知恵と経験によって尊敬される新しい年長者は自分のまわりにも何名かいますが、その共通点はある種の型破りさを持っていることだと思います。モダンエルダーの著者のチップ・コンリーも、ごく初期のデザイナーズホテルチェーンを創業した時代の反逆者でした。トム・ピーターズが言うように、25年のキャリアか、25回繰り返された1年分の経験かが、ビンテージか賞味期限切れかを分けます。世代を超えて誰に対してもフレンドリーであることも重要な要件だと思います。賢者とは肉体が衰えるのではなく、EQといった精神性の領域が広がる人のことを言うのでしょう。
無限の小さなもし
今月に入って存じ上げている方の山岳事故での訃報を聞きました。経験豊富なベテランであっても自然の力の前では無力です。しかし事故は不幸な運命のめぐり合わせではなく、生死を分ける状況の間には無限の小さな「もし」が存在します。5年前に旅館の近くで起きた雪崩事故のときも、前日からの積雪量はこの季節としては異常な降り方でした。もし引率者がその異常さに第六感を働かせていれば、多くの若い命は奪われなかったと悔やまれました。それは結果論だと言われるかもしれませんが、少しの勇気で被害を回避し、犠牲を最小限度に留めることのできた危険は人類史上無限にあったはずです。現代人は戦争でも起きない限り、狩猟時代のような生死を分けるストレスにさらされることはありません。それゆえ、人は命がけのエクストリームスポーツに没頭し生きる意味を見出すのかもしれません。他方で、多くの著名なアルピニストが山で命を落としているように、どれほど達観の境地に至ろうとも、最後は物理法則の審判に逆らうことはできないのでしょう。
何もしない週末
花粉症の季節は山にも行かず、週末は外出をせずに家で過ごしました。冷蔵庫にある食材で作る簡単な総菜と漬物、味噌汁、ご飯だけの食事を豊に感じます。豊かどうかは感受性が決める問題であって、欲望の赴くままに贅沢な食事をすることとは限りません。食べたいものを食べるという、欲望の解放を許されたわれわれは人類史の異端です。飽くなき欲望の追求はエスカレートし、やがてささやかな日常を蔑むようになり、食べる前から記号的に美味しいかまずいかを決めつけます。非日常的な食事は飽きますが、感受性を失えばはかない幸福を求めてさまよい、消費を続けることでしか心の平安を保てなくなります。いつものように一日が平和に終わり、瞬間的に寝落ちし、いつもの時間に起き出しラブラドールと散歩をしながら昇る太陽を見るだけで幸せなのは、人体の最も大切なメカニズムが体温や血糖といった体内の平衡を同じ状態に保つ恒常性の維持にあるからでしょう。なるべく他者の命を奪わないミニマムな毎日こそが良く生きることだと思います。
弱者に追い風が吹く
訳あって会社の決算期を9月末から3月末に変更しました。やはりサラリーマン時代から慣れ親しんだ3月末決算の方が気分は盛り上がります。別れと旅立ちの季節でもあり、まわりでは定年の声をちらほら聞くようになりましたが、もはや70代現役の日本においては二度目の成人式のようなものでしょう。花粉症を口実に沖縄でセミリタイア生活を謳歌している場合ではなく、宿の解体も進み新年度を機にまじめに事業化に取り組まねばと思います。稼ぐというプライオリティが高ければビジネスモデルの安定した組織にいることは有利ですが、半隠遁者状態の今となっては仕事の最優先項目は自分がワクワクするような自己実現です。自己実現は社会改善と一体化したときに強烈な力を持ち、そのエネルギーの源泉は社会へのある種の怒りだと思います。消費社会の成熟した日本においても粗悪品が垂れ流されている業界は多く、ユーチューバーがテレビ局を衰退させたように、大手が寡占化し慢心した市場こそ弱者に追い風が吹くのでしょう。
自由を得る隠遁者
波長があう人と時間を忘れて話に没頭することはありますが、「寂しい生活」を書いた稲垣えみ子氏ほど共感を覚えた著者はまれです。旅行や料理の著書も読みましたが、自分たちは長年騙されてきたのだという被害者同士のような妙な連帯感さえ覚えます。家電製品を手放し、会社員生活を手放し、2日に1度の銭湯が最大の娯楽という生活は古来より続く一種の隠遁者でしょう。何かを手放すほど自由になり、手放せるものを絶えず探していると言います。2、3日に一度ご飯を炊き、殺菌作用のあるおひつに入れると絶妙に水分を吸い、天日干しした野菜の味噌汁と漬物があれば幸せで、豆腐屋で厚揚げを買った日には素晴らしいご馳走という江戸時代の感覚は正常だと思います。我が家でも赤飯を炊く日は、小豆を水に漬け込む前の晩から食事が楽しみです。書店に並ぶ本の多くはお金を貯める本と使う本ですが、お金なんていくらあっても安心できません。すぐそこにある小さな幸せに気づき、すべての一瞬を大切にする生き方には自由と無限の可能性が広がっているのでしょう。
究極までそぎ落とす生活
朝日新聞論説委員だった稲垣えみ子氏の「寂しい生活」を読みました。原発事故を契機に冷蔵庫、洗濯機などの家電を手放しほぼ電気を使わない生活に切り替えたと言います。断捨離の結果会社まで辞めてしまい、高級マンションから築50年のワンルームマンションに転居し、カセットコンロでご飯を炊き2日に一度の銭湯が最大の娯楽という生活には潔さを感じます。今やベストセラー作家であることを考えると、寂しい生活は一部のパラノイアだけのものではないのでしょう。エネルギー価格が上昇し政府は節電を呼びかけますが、電気を使わないという発想は新鮮です。ほぼヴィーガンとなった我が家で要冷蔵の食材は納豆、豆腐、味噌ぐらいですから冷蔵庫なしの生活も無理ではなさそうです。何かを手放すほど自由に近づき、不安もストレスも消えていきます。究極までそぎ落とす生活が魅力的なのは、稼ぐほどに執着が増え、モノが増えても幸福度は高まらず、便利になってもいつも時間が足りない原因が、物質主義的な世界観にあることに気づき始めたからでしょう。
控えめな旅
本来であれば卒業旅行などの旅行シーズンですが、盛り上がりは控えめです。一方で「控えめな旅」という風潮も悪くないと思います。短期集中で非日常を求める豪華な旅行に対して、平穏な日常の静けさを求める旅の達人は松尾芭蕉でしょう。日々旅にして 旅を栖とす、と詠み、過ぎ去る日常に二度と還らぬ旅人を重ねました。これといったイベントもない平凡で静かな当たり前の生活に、普通の幸せを感じられる感受性こそが旅を住まいとする秘訣だと思います。船頭として舟の上で人生を過ごし、馬子として愛馬と老いていく毎日が旅である、という感性は今もって新鮮です。旅は人生を探求する手段であり、内なる旅をするために芭蕉は人生の後半に旅を始めたのでしょう。大半の人にとっての旅は最も高価な消費の対象であり、増幅された欲や執着が人を囚われの身にします。ザックひとつで自分の足で辿る荒行のような旅に憧れるのは、それが自分の内面を知る道だからでしょう。
直観を頼りに自然に暮らす
睡眠は健康を維持する上で、食事と運動、自律神経バランスと並んで重要であり、高い関心を持たれます。人はたいてい起きた時間で睡眠の可否を判断し、たっぷりと寝た日はよく寝たと判断します。一方でさわやかに目覚めた割には時計を見ると夜中のこともあり、おおよそ90分周期とされる最初のノンレム睡眠で十分な睡眠深度である徐波睡眠に至ることが重要とされます。7時間半睡眠が長寿とされ、自分の場合はこれより1サイクル少ない6時間ですが、百寿者にはショートスリーパーが多いという調査もあります。以前は小太りが長寿とされましたが、百寿者のBMIは19.2とする調査もあり世間で言われる健康常識はあてになりません。年末年始に借りたスマートウォッチで睡眠状態を測定すると、慣れない場所やサーカディアンリズムが狂う時間帯に寝た日は睡眠深度が浅い傾向が分かります。一方で睡眠の質を知るためにスマートウォッチが欲しいとは思いません。測定すれば執着が芽生え逆効果になり、何事も自分の直観を頼りに自然に暮らすことが一番だと思います。
住む場所は運命ではない
桜が咲き誇る季節になると、見事な大木のあるルートをラブラドールとの散歩に選びます。一年で一番美しく生命力を感じる芽吹きの季節は花粉症の憂鬱な季節でもあります。3月の前半を那覇で過ごしたので、本格的な花粉症シーズンはこれからですが、苦しむ期間が少なく症状も以前ほど深刻ではありません。住む場所は人生に大きな影響を与えますが、これまでは自由な住まい方はごく一部の自営業者やリタイアした人にしか許されませんでした。今年に入り東京都への人口流入が逆回転を始め、昨年同期比で人口が5万人近く減ったことは、都市に住むメリットよりデメリットの方が大きいという本音を実行に移したことの現れに見えます。人が密集する都市はストレスにさらされ炎症を引き起こしやすく、病原菌が広がり、都市の孤独は破滅を招きやすく、成功崇拝が主流になり人の心は殺伐とし、富を片寄らせ、豊かになってメタボリスクが高まりガンなどの文明病も多発します。住む場所は避けられない運命ではなくなり、都市が再評価を受けるのはこれからでしょう。