終わらない戦後

村としては人口日本一の読谷村にあるシムクガマとチビチリガマを見ました。二つのガマには川が流れ込み、谷底のように深く地面が削られます。1945年4月1日に米軍が上陸した読谷村の同じ波平の集落にありながら500メートルほどしか離れていないこの2つのガマでは住民の運命が分かれました。シムクガマは総延長2,570メートルの天然の鍾乳洞で、ハワイから帰国した2人の村民がいたために米軍に投降し、避難していた1,000人の大半が助かったと言います。一方のチビチリガマでは集団自決により避難していた約140人のうち84名の犠牲者を出しました。チビチリガマは遺族会によって立ち入りを禁じられており、入口にはたくさんの千羽鶴がかけられます。住民が戦闘に巻き込まれた沖縄では、いまだに戦争が終わっていないことを感じます。国民の思考力を奪う情報統制は今も変わらず、むしろ巧妙になりました。惨劇を前に軽々に発言すべきではありませんが、他人に思考をゆだねることは生殺与奪を奪われることと同義なのでしょう。

豊かな日没

水辺の風景のある都市はいくつかありますが、那覇ほどその中心部や歓楽街がビーチに近い場所は稀です。海辺で過ごすメリットのひとつは夕日を眺める時間を持てることでしょう。山でも夕日は見られますが、水平線に大きな太陽が刻々と表情を変えながら没する時間は独特です。夕日を見るのはいつ以来だろうと思います。老いも若きも集まり、それぞれが芝生の上で思い思いに日没を楽しむ時間は豊かです。目の前の平和な光景と激動の世界情勢が同じ時代に起きていることに実感が伴いません。遠くから聞こえるテンポの良い音楽とバーベキューの焚き火のかすかな匂いが夏を先取りします。人生をも変えてしまいそうな穏やかな夕日の輝きは、人間の心に平静を取り戻します。夕日に包まれる荘厳な時間は静けさへの飢えを癒すのでしょう。戦争を起こすのは常軌を逸した狂気であり、平和な日本を守るためには、憲法九条も基地のない暮らしも無力である冷酷な現実に目を向けるべきだと思います。

旅以上、日常未満

那覇の魅力は自然を身近に感じる都市生活だと思います。早くも泳げるビーチまではホテルから徒歩3分で、そこから泊漁港の鮮魚卸売市場や、那覇のヤンバルと呼ばれる末宮でスピリチュアルなアニミズムの世界観に触れ、首里城から石畳の道と昭和の商店街を抜けて戻り、9時に県立図書館に行くのが日課になりつつあります。住宅街では鶏が鳴き、鼻をくすぐる花の甘い香り、木々の強い生命力と超自然的な巨石に圧倒され、自然と繋がる南国暮らしは一つの理想形に見えます。都市生活も手放せない現代人にとって、24時間スーパーが徒歩圏にある那覇ステイは、調和のとれた目的地かもしれません。同業としては喜べませんが、ゲストハウスのドミトリー並みの価格で、一人には過不足ない部屋に洗濯機とキッチンが備わり、フワフワとはいかないまでもリネンを毎日洗濯できます。50型テレビにパソコンをつなぎYouTubeやAmazonプライム、ネットフリックスが見られる環境は自宅と同じで、旅以上、日常未満のワーケーション的施設は増えそうです。

オーダーメイド型観光の時代

花粉症を避けてこの時期に沖縄や南方で過ごす人は昔から一定数いました。避粉地として訪れる以前から、那覇は仕事で最も多く訪れた都市で、写真の県庁に通っていたのは20年以上も昔です。長期滞在型のホテルが多い那覇は、従来の一点豪華主義のリゾート型休暇だけではなく、地域の日常生活に溶け込む生活観光をするのに最適です。「旅と暮らす」の境界があいまいになっても、人は日常ではないどこかを目指したいのだと思います。その街固有の地域性を最も手軽に体感できる場所はスーパーや商店街で、東京では出会わないのに、どの店にも必ず置いてあるお菓子があったりします。観光地と言えない案内板もない二級、三級史跡をめぐるオーダーメイド型観光をGoogleマップは実現してくれます。那覇市内には住宅街の狭い路地の突き当りなど、立ち入れば不審者と間違われかねないような場所に今も人知れず大戦中の避難壕が不気味な口を開けています。家族と行けば批判必至のオタク旅は一人で行くに限るのでしょう。

旅は持病を治す

自宅にいると自分とは無関係に食べ物が家のなかに入ってきますが、旅先では飲食を100%自分でコントロールできます。この機会を利用して長年放置していた逆流性食道炎を治すことにしました。過食とカフェインや刺激物、高タンパク質・高脂肪・高カロリー食品を控えるだけですが食前に漢方薬を飲んでいることもあり、1週間ほどで気にならない状態まで改善しました。旅に限らず年に一度ぐらいは自分の身体をリセットする機会を持つべきだと思います。大半の不調は生活習慣が原因のため自分で治すことができ、持病と化していた腰痛も簡単に治りました。国民皆保険の結果、戦後の日本人は何でも医者を頼るようになり、一方医者は生涯顧客化のために、不調とは一生付き合って行くしかないと吹聴します。受け身の患者は従順に従いますがその大半は嘘で、不調はお金もかからず自分で治せます。自分なりに勉強をして色々な方法を試すことが健康を保つ秘訣だと思います。旅が必要であるとするなら、それは自分の身体を正常な状態に戻すリトリートとしての役割でしょう。

観光がすべてを破壊する

那覇にいる間に見たかったものに、富盛の石彫大獅子、第32軍司令部終焉の地、バクナー中将慰霊碑があり昨日これらをまわりました。富盛の石彫大獅子は戦闘中の米軍兵士と撮影された写真が有名で、そのシーサー像には痛々しい弾丸の跡が残ります。第32軍司令部終焉の地は美しい芝生の公園というイメージしかない平和祈念公園の南端にあり、断崖まで追い詰められた最後の司令部という悲壮感が漂います。バクナー中将は第二次世界大戦中に戦死した米軍最高位の階級の軍人で、慰霊碑は砲撃を受けた小高い丘にあり、死の直前に撮影された写真が知られます。これ以外にも多くの戦跡を訪れ何度も手を合わせる一日でした。どこもその現場に立つと感情を揺り動かされ、同時に新たな発見があります。一方で、有名なのでとりあえず寄った斎場御嶽は興ざめでした。今も信仰の対象となる神聖なる場所であることは確かですが、ガイドの声と団体客のおしゃべりで風情も何もありません。ただ人を呼べば良いという観光の在り方がすべてを破壊すると思います。

新しいほど有利という不毛の時代

コロナ禍で影響を受けた旅行産業は、自粛が終わっても元には戻らないと思います。非接触が奨励されると、かつて宿泊業の収益の切り札だった定員稼働で効率よく部屋を売ることが難しくなります。今滞在している那覇のホテルは、ワンルームマンションをドミナントで展開してホテルの宿泊料金を破壊する古くから那覇などで見られた形式です。違うのは日割りで売れる予約システムと無人チェックイン端末、ハウスキーピング機能と駆けつけ対応です。23㎡の客室は一人で使うには過不足なく、下がりつつある都心のワンルームマンションの日割り価格以下で泊まれることは宿泊業にとって脅威になります。日中のハウスキーピングを除いてホテルは無人で、スマホ決済の後カンボジアとのビデオ通話で本人確認をするとキーボックスが開きます。スマホを使いこなせない人にとっては悪夢ですが、部屋に入ってしまえば快適そのものです。客室機能で劣り価格の高いホテルは泊まる理由を失い、施設が新しいほど有利という不毛の時代に入るのかもしれません。

漂う地霊

琉球八社の一社である末吉宮に行きました。首里城にも近く、都市部にあるとは思えないうっそうとした森は一大聖地を形成してきたことが偲ばれます。1456年頃に創建され、本殿は沖縄戦の砲撃により破壊され、現在見られるのは1972年に復元された社殿と周囲に散在する、祭祀を行う御嶽や拝所とそれらを結ぶ石段です。琉球に古来伝わるアニミズム、祖霊崇拝のための神聖な森に立つと、ただならぬ気配がただよい、この地が古くから信仰の対象として崇められてきたことを感じます。商業空間として整備された首里城とは対照的に、超自然的なアニミズムの痕跡をたどることができます。観光地として整備された場所は何も訴えてきませんし、単なる視覚情報として右から左に消費されていきます。モノからコトへと言われガイドツアーも頻繁に行われるようになりましたが、何かを感じるためには他人の存在が邪魔になります。産業化、商業化以前に、観光資源と意識された瞬間に、その場所に漂う地霊を感じることはできなくなるのでしょう。

博物館では味わえないリアリティ

沖縄では家の門柱や屋根の上に見かける魔除けのシーサーですが、最も有名なのは現存最古にして最大とされる、八重瀬町にある富盛のシーサーでしょう。記録によると1689年に設置され、沖縄戦の最前線となり戦闘中の米軍兵士と写った写真が知られます。災厄から集落を護るシーサーが民家に置かれるようになったのは琉球瓦の使用が解禁された明治22年以降とされます。那覇市の隣の豊見城市にはそれ以前の古いシーサーが多く残ります。主要なものでも10か所ほどが見られ、昨日は散歩ついでにGoogleマップでこれらを巡りました。観光コンテンツの中心は歴史の痕跡をたどることだと思いますが、にわかフォトロゲイニングは魅力的です。2、300年前に造られたという田頭(たがみ)のシーサーは、二体ある頭部のみのシーサーですが、このシーサーに乗り上げた米軍戦車が、向きを変えたことで森に避難していた住民は難を逃れたという伝説が残ります。沖縄戦の生き証人を前にすると博物館では味わえないリアリティを感じます。

死んだ観光地

今の季節の那覇は歩くのに最適で、汗をかくことが少なく歩数計は4万歩を超えます。早朝に首里城や浦添城、瀬長島あたりまで歩き、午前中は県立図書館で調べものをして午後から仕事をするといったルーティンは生産性が高そうです。首里城には何度も足を運びましたが、有料エリアに足を踏み入れたことはありません。単にケチということもありますが、人が集まるメジャーな観光地には魅力を感じません。見世物となった商業空間に生命力を感じることはなく、その土地の社会的、歴史的、文化的、地域コミュニティから断絶した言わば死んだ観光地に思えます。いくら歴史や文化に忠実に作ろうともそこに心を動かされることはありません。首里城で一番好きな場所は首里城の地下に作られた第32軍司令部壕です。生い茂る木々に埋もれほとんど立ち寄る人もいない入口の鉄格子前に立つと神妙な気持ちになります。そこだけは今も生きていて過去とつながれる気がします。生活観光が魅力的なのも、生きた暮らしを体感し生命力を感じるからだと思います。

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