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快適なEBC


四方を8,000m級の山々に囲まれるエベレストベースキャンプは、夜中には静寂が支配し、無数の星が夜空を埋め尽くします。深夜には3度ほど雪崩のゴーという不気味な音で目が覚めます。気温は氷点下12度でテント内のナルゲンボトルの中身も凍りますが、厚手の寝袋とダウンジャケットで快適に眠れます。唯一の問題は、大量に水分を摂るため2時間おきに通うトイレテントで、足場が悪く死亡事故も起きています。標高5,000mでは酸素は日常生活の半分になり、トイレから自分のテントに戻るだけで息が切れます。富士山はもちろん北岳でも高山病に悩まされていたのに、今回は4,000mを超えたあたりで軽い頭痛が起き、食欲不振で一度おかゆにした以外好調なのは、水分を多く摂り、なるべく夜寝ないことを忠実に行った成果だと思います。

終わりなき極地観光


カトマンズ到着から11日目にして、今回の旅の目的地であるエベレストペースキャンプEBC5,364mに来ました。世界中から登山隊の集まる国際色豊かなEBCは、おそらく一般観光客が到達できる極地と言えるでしょう。隊のなかで完全な健康を保っている人はほぼ無く、極地観光の過酷さは生存競争の様相を呈しています。極地観光の魅力は人類の生存が難しい未踏の大自然ですが、一方でその魅力とラグジュアリーな旅を共存させるラクスペディションが流行ります。しかし、ラグジュアリーが成立する段階で、もはやそこは極地ではなく矛盾が生じます。ヘリコプターで到達することはできますが、ラクスペディションは終わりのない焼き畑農業の罠にハマっているような気がします。

グランドツアー的な贅沢


エベレスト登頂隊はシェルパを含む総勢30名近くを賄う食事や生活用品、キッチンテントなどの必要な資材を村々で動物を変えながら運び、かつての英国のグランドツアー的な贅沢な旅行を彷彿とさせます。とはいえ移動手段は自分の脚であり、宿泊施設は貧弱です。それでも体調が悪ければ馬にも乗れますし、われわれのチームでも歩行距離を大幅に削るヘリの活用が検討されています。近年ラグジュアリーの定義は変わり、ステレオタイプの贅沢さは避けられるようになりました。他方で前時代的な贅沢と自分の肉体を融合させた旅行は、希少性の観点からも人々から一定の支持を受ける気がします。

贅沢な高地トレーニング


標高2,850mのルクラからエベレスト街道を歩き始めて7日目となり、昨日は高度順応のために4,830m地点まで上がりました。ヨーロッパアルプス最高峰のモンブランの標高(4,805.59m)より高いことになります。楽しみにしていたのは、4,000m超の高地トレーニングで、身体の赤血球数を増加させ、酸素運搬能力が向上し、心肺機能も高めます。明日のロブチェ(4,910m)を経てエベレストベースキャンプ(5,364m)には、日程が変わり3泊する予定です。これほど贅沢なトレーニング機会もありませんが、日々体調を崩す人も増えます。そんななかで3度も訪れたロブチェでの温かみのあるカフェの存在はありがたく、連日酷使された身体を弛緩させてくれます。

寒村に降臨した先端トレンド


日本の山小屋の最大の弱点は、アメニティ水準の低さです。エベレスト街道においてもトイレ事情は途上国の環境を反映しています。高度順応のために2泊したディンボチェ (4,410m)でもトイレは半屋外の便座なし、手桶方式です。事業者、消費者双方が山におけるこの状況をデフォルトだと考えることが問題ですが、ディンボチェで見たカフェ併設のロッジは、そこに風穴を開けるかもしれません。リープフロッグ現象の典型で、世界の最先端トレンドが最も標高の高い寒村に降臨した感覚です。英国人が経営に関与し昨年開業したもので、窓ガラスなどは英国製とされます。宿なら1時間350ルピー(350円)する充電が、お茶一杯で無料なのも良心的です。エベレスト街道は壮大なパノラマが続く世界屈指の自然資産ですが、最大の弱点はホテルエベレストビュー的なまともな宿泊施設がないことです。

生きるために必要なもの


エベレスト街道は人生が変わる場所と言われます。今のところ人生が変わるほどのインスパイアは降りてきませんが、確実に言えることは、人体が変わる場所だと言うことです。2,830mのモンジョでは軽い頭痛、3,460mのナムチエバザールではめまいの症状がありましたが、体は酸素を取り込む能力を高めながら正常に戻り、日本のいかなる場所よりも高いパンボチェ3,960mに至っても、普段の8割ほどの運動能力を維持していると感じます。変化は心にも及び、最初は怖かった深い谷を跨ぐ吊り橋も、地上150mのヒラリーブリッジを渡る頃には楽しくなります。寒い客室や便座がついているだけでうれしい共同トイレ、寝袋での睡眠も快適で、極地の環境は生きるために必要なものと、不要なものを選別し始めます。それは偉大な自然に抱かれる効果でしょう。

現代における贅沢


エベレスト街道ツアーのハイライトは、通常は入ることのできないエベレストベースキャンプに2泊できることです。エベレスト登頂隊には、軍隊と同じようにロジスティックが必要です。多くの現地スタッフと荷物を運ぶゾッキョ(家畜化されたヤク)を伴って進み、食料は日本からも持ち込みます。6時にはお茶を部屋に届けてくれ、7時には飲み物と朝食を用意します。調理や後片付けは宿の調理場ではなく、屋外の小屋が使われます。8時に登頂隊が出る前には荷物をパッキングして出発し、先回りして次の目的地の部屋に荷物を届け、専属コックが食事の用意をします。宿は部屋と食堂を貸す形です。宿泊施設の水準が低いのは致し方ないにしても、現代において一般人がこれほど贅沢な旅かできるのは、ネパールをおいて他にはないかもしれません。

高地と短眠


昨日泊まった標高2.830mのモンジョで早くも軽い頭痛が始まり、さらに2,800m以上高度を上げるエベレスト街道の課題は高度順応です。良く水分を補給し、深呼吸をし、身体を温め、栄養を摂り、寝ないこととされます。最後の寝ないことは少し意外ですが、要は身体を活性化させ続けることだと思います。普段から短眠の自分としては歓迎です。日本の百寿者は短眠傾向が見られ、世界の長寿地域であるブルーゾーンはいずれも高地にあります。高い標高と短眠は相乗して適度なホルミシス効果により、身体に良い刺激を与える気がします。ブルーゾーンの代表である沖縄の標高が低いことは、頻繁に訪れる台風の低気圧が高地効果をもたらすことで説明がつきます。高山病は身体を環境適応させる柔軟性の大切さを、教えてくれていると感じます。

旅の最後のフロンティア


標高1,340m のカトマンズから標高2,850mのテンジン・ヒラリー空港までのフライトは、天候の影響が大きく運任せです。6時発のサミットエアはルクラの視界不良により3時間半遅れると言われましたが、結局昨日に続き飛行機のフライトはキャンセルになり、1人350ドルのオプションで、ヘリコプター4機に分乗して移動しました。ロシア人パイロットはかつて軍人だったのか、ダイナミックな操縦で低く垂れ込めた雲と、手の届きそうな尾根を縫って飛びます。ルクラからは7時間ほどのトレッキングで、宿に到着したのは日没後です。人体は移動のために最適化されており、徒歩旅行はその能力を如何なく発揮します。その能力を最大限使う、冒険の色彩を帯びた極地旅行は、旅のトレンドの最後のフロンティアのような気がします。

神聖なディズニーランド


カトマンズは古都の風情の街並みですが、カオスなのに街全体に信仰が根づき、僧院のような美しさが漂います。建物が狭い路地に密集し、ドン・キホーテの圧縮陳列に通ずる実在的な楽しさがあります。昨日は朝からエベレスト無事登頂の祈祷を受けに聖職者の家に出かけました。これなしに地元のスタッフは登らないと言います。ほど近いボウダナート・ストゥーパに寄ると、楽しげな土産物店が仏塔を取り囲み、神聖なディズニーランドの趣きがあります。中心部のカフェから眺める街の雑踏を感じるランチは、カトマンズの今が凝縮され、ちょっとしたプライスレスです。エベレスト街道のトレッキングが今回の目的ですが、すでにカトマンズの満足度が高く、ここに滞在するだけの旅でも十分な気がします。

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