
胃の調子が優れず断食を始めて3日になります。ぼくが断食を始めたのは30年ほど前ですが、当時は苦行のようなものと考えていました。自分の内なる声に耳を傾ければ、数日の断食は苦もなくできるようになります。
隣で妻が黄金色に焼けたホットサンドイッチやカレーうどんを食べていると、その視覚情報、嗅覚情報は脳に伝わり食べたいと訴えますが、お腹のあたりにあるもうひとつの脳は食べたくないと主張します。前者は偽りの食欲であり、内なる敵です。過食に走る現代人の多くは、このメカニズムと感覚を理解できません。写真は昨日の朝、駒沢公園までジョギングをしたときに見つけたセブンイレブンのマルシェで、マンゴが4個100円など、傷みがあるにしても魅力的な価格です。
交友関係が狭いのか、昨日のフェイスブックのニュースフィードは、トレイルレースのUTMF/STYで埋め尽くされた感があります。1年半もトレイルレースから遠ざかり惰眠を貪っていた今のぼくには、肉体的にも精神的にも長距離レースは無理ですが、友人の奮闘を見ていると、スポーツへの情熱に火がつきます。過酷なレースは精神的、霊的な内面を呼び覚まし、肉体的な辛ささえも脳がポジティブな経験に書き換えてくれます。自分の可能性を追求する冒険的な生き方が幸福感を高めることを、多くの人が感じているのだと思います。
昨日は留学する娘に荷物を発送しました。先生を通じて聞く現地校での娘の様子は、わずか3ヶ月前の頼りない姿からは想像ができません。手紙の文字からもその兆しは伺えます。家族や日本の友人との接触を絶ち、孤独のなかで自分を見つめ考え抜く経験をさせる、という教育方針の意味が今になって分かります。厳しい環境でこそ人は成長できると思います。慣れ親しんだ日本を離れ、異なる文化や未知の環境、困難な状況を逃げずにやりきることが大きな自信になるのでしょう。返信の手紙を書いていると、これほど本音で娘と向き合ったことがなかったことを思います。これは子供の成長だけではなく、親の成長でもあると思います。改めて手紙の持つ力を知りました。
水曜日、木曜日の午前、午後は日本工学院で授業を持つ生活が始まりました。ぼくは元来人前で話すことが苦手で、異様に緊張する性格でしたが、いつからか人前で話すことが苦にならなくなりました。米国系コンサルティング会社で受けたプレゼンテーションの研修はひとつの転機だと思います。プレゼンテーションの基本は聴衆の聞きたいことを話すことです。学生が聞きたいことと、ぼくが話したいことがシンクロしたときに良い授業になると思います。授業をするメリットは、自身が勉強する機会が増えたこと、授業の日は一日一食生活が無理なくできること、体と頭を適度に使うのでよく寝られることなどです。写真は学生がウェイトトレーニングをケースに、「スポーツと偏見」という研究テーマを説明したものです。偏見をなくすことでスポーツ市場は拡大するという課題設定は筋が良いと思います。プラトンが言うように、教育と運動で頭と体を鍛えることが人生を成功させる手段だと思います。
昨日は留学中の娘から月に一度の手紙が届きました。丁寧に書かれた手紙を読む機会など久しくありませんでした。待ちわびた手紙を読む喜びや、気持ちを込めて返信するのは懐かしい感覚です。ICTによる便利さは人間的感情を知らぬ間に奪っていると思います。いつも思うのは、パソコンなどの業務のデジタル化が本当に生産性を上げたのか、という疑問です。ぼくが入社した時代のオフィスにはパソコンは70人の事業部に3台でした。他方で一人1台のパソコンがあたりまえの今日においても、世界最高レベルの長時間労働は是正されていません。医療の進歩が生活習慣病に無力なように、ぼくらは何か肝心なことを見落としていると思うのです。

昨日は妻の友人が経営する川崎駅近くの複合商業ビルを見せてもらいました。1階には直営のバスケットコートがあり、テナントはワールド女子プロレス「ディアナ」のリング、卓球場やスモールオフィス、コワーキングスペース、カフェなど、今風でありながらかなり個性的な施設構成です。うちの宿と同じ昭和42年に建築された建物で親近感がわきます。バスケットコートやリングが、企業の会議や運動会、ドローンの飛行など多目的に使われるのも都会ならではです。古い建物活用では、どこも同じような苦労をしていることを知ると少し安心します。