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そのこだわり必要ですか?

人類の進化とは増やすことの歴史だったと思います。次はいつ食料にありつけるか分からない時代から毎日食べられるようになり、その回数も2回、3回と増えさらに間食まで加わりました。食事を減らすと食費と食事時間が浮くだけでなく睡眠時間も減り起きている時間が増えます。食事が美味しくなり肌ツヤは良くなり体調も体重もベストの状態を維持でき活力は増します。唯一のデメリットは食べる楽しみが減ることですが、食事を減らすことで感受性が強くなり食べる楽しみはより豊かになると思います。人間は失うことを過度に恐れますが、食事を減らすと感覚が研ぎ澄まされ味覚ばかりでなく、視力と聴力が改善され音楽を聞く時のボリュームが下がり、車を運転するとスピード感が増します。嗜好も変わり、以前は好きだったコーヒーを飲みたくなくなります。過剰な刺激のサイクルから離れると心が落ち着き、多くの研究が示すように健康は増進されます。人間は本来究極の省力設計がされた存在であり、大量消費に仕向けられた現代のライフスタイルが物欲、こだわり、執着という負のスパイラルに人を誘うだけだと思います。

世界は今でも平和だった

オリンピックの動静と注射に注目が集まりますが、この一連のパンデミック騒動を後の時代の人がどのように解明するのか興味があります。2020年の日本の総死者数は異例なことに減っているわけで冷静な行動が必要でしょう。10年周期とされるコロナウィルスの当たり年だっただけで、世界が冷静に対応をしていたなら恐怖のどん底に陥れることはなかったと指摘する専門家もいます。路上で突然人が倒れるような映像がSNSで拡散された結果恐怖で人が一気に病院に押し寄せ医療崩壊が起こり、免疫のない医師が大量暴露した結果感染増強(ADE)で急死し、武漢がロックダウンしたことでそのニュースがあっという間に世界に恐怖を拡散しパニックが増幅されたという仮説も成り立ちそうです。火事なんか起こってないのに誰かが火事だ!と叫んだ結果出口に人が殺到して将棋倒しになって死んだようなものです。昨年2月に東京都医師会が出した声明とダイヤモンド・プリンセスの報告書の通り、通常の感染症対策と徹底した接触感染対策で騒がず冷静に対応していれば世界は今でも平和だったのかもしれません。

刺激のない刺激

しばらく東京で過ごしていると自然欠乏症になります。といっても別段発作が起こるわけではなく、山で過ごしているときに感じる瑞々しい充足感が恋しいだけです。環境心理学者は、小児期の自然環境への曝露と後年の環境選好との関連を指摘しますが、子供の頃には清流と言えないまでも近所には小川が流れエビやイトミミズなどが生息していました。その当時の記憶なのか、はたまた遠い原始の祖先の記憶なのか、物欲や食欲よりもむしろ自然に触れたい欲求が強くなります。もちろん都会にいても自然を意識することは可能です。早朝にラブラドールと近所の神社に行き、大木が覆う参道を歩くと今の季節なら日の出前の4時頃には鳥が賑やかに鳴き始めます。鳴き声のシャワーを浴びてから公園で空を見上げ、日の出の太陽光を浴びるだけで心が安らぎます。仕事をする時や、人工的な欲望に夢中になる時は脳がひとつのことに集中しているのに対して、自然環境での脳の興味は分散され疲れません。それは、不規則な規則性を持つゆらぎに満ちた自然がもたらす、刺激のない刺激こそ人類が長年シンクロしてきた環境だからでしょう。

自然は牙を剥かない

中国甘粛省白銀市近郊で開催された100kmのトレイルランニングレースで21人が死亡した事故はトレイルランニング史上最悪なだけでなく、まれに見る山岳事故となりました。2019年に日本で開催されたUTMFで2位の表彰台に立ったリャン・ジン(Liang Jing)選手をはじめ上位6人のうち5選手が低体温等で死亡する異様さが天候悪化の激しさを思わせます。大会は中止され700人が救助に向かったものの標高2,000m前後の人里離れた山岳エリアだったことから悲劇的な結果を招きました。エマージェンシーブランケットが必携装備ながら参加者の多くが短パンやTシャツなどの軽装だったことは山岳競技のあり方への議論を呼びそうです。難易度の高いレースだけに完走者全員に払われるはずだった賞金も無理を招いた一因とされます。日本の山でも東京なら真夏とされる6月や9月に低体温症による死亡事故が起きます。日の出に合わせて八ヶ岳の山頂で迎える穏やかな夏の時間ほど人生の充実を感じるひとときはありませんが、季節が変わると同じ山域でも立つのも困難なほどの吹雪が数分前の足跡を消し去ります。自然が牙を剥くのではなく原因はいつでも畏怖の念を失った人間にあるのでしょう。

投資も食事もブレないバフェット

バランスよく色々なモノを食べる、一日30品目食べる、7色の野菜を食べるなどが健康に良いとされます。しかし、重要なのは食べるものではなく、食べた後に食品が栄養素として吸収され体内合成されるプロセスにあると思います。わが家に来て7年のラブラドールは毎日同じ餌ですが健康そのもので、糞も判で押したように理想的な状態です。同じ食事と言えば、90歳のウォーレン・バフェットは毎日チェリーコーク5本を飲み、朝食の代わりにオレオを食べ、週に3回はマクドナルドの肉以外の具材を抜いたクォーターパウンダーかチキンナゲットの昼食を食べ、本人が「摂取カロリーの4分の1はコカ・コーラ」と言うほど砂糖と加工肉ばかりの極度の偏食家として知られます。かなり盛られた話だとしても1年にコーラを500ccも飲まない側から見ると、よほどの変異体質でなければとっくに死んでいるはずです。彼が元気なのはバフェットが、感覚的経験の背後にある実在を論理的に説明することはできないとする不可知論者だからだと思います。本質を認識することは不可能と考え己のみを信じる姿勢は、ブレない投資スタイルと同じなのだと思います。

ブラタモリのアナウンサー

昨日は近所にある齋田記念館に行きました。環状七号線沿いとは思えないほど周囲の喧騒とは無縁の緑豊かな敷地に建ち、隣接する1,500坪の屋敷には昭和9年に落成した世田谷区の有形文化財の数寄屋造りの建物があります。木曽義仲の重臣が遠祖とされる齋田家は天正18年(1590年)にこの地に土着・帰農したと言います。長年住んでいて徒歩圏にありながら訪れるのは初めてです。自粛になるまでは遠くの観光地にばかり目が行きましたが、どの土地にも伝えるべき歴史や文化・風土は残るものだと思います。初めて通る道を歩くとトタンや有り合わせの材料で建てたようなバラックが密集し、そこだけは昭和30年代のまま時間が止まったような一角があります。その先に新宿のパークタワーを望む景色は、返還前の香港で見た懐かしい風景に似ています。JR山手線のさらに外周に環状線を作る昭和初期に計画された路線の遺構が最寄り駅の近くに残ることも昨日知りました。戦時中に墜落したB29の機体の破片を娘が通った中学で見ましたが、その墜落地点は普段ラブラドールと散歩をするあたりで、下調べを禁止されているブラタモリのアナウンサー状態です。

アメとムチか無知とムチか

常に関心を持つのはモチベーションの引き出し方です。外的報酬を得るための外因的モチベーションと、活動自体が目的になる内因的モチベーションがあると言われますが、自発的に仕事に取り組む内因的モチベーションを実現している組織は少数で大半は小さな組織です。多くの企業は原始的なアメとムチか無知とムチに頼っているのが実情でしょう。古くはピラミッド建設の労働者がアルコール欲しさに働いたという説がありますが、現代の労働者のモチベーションはハイパーコンシューマリズムによる中毒かもしれません。ここでの問題は、過剰消費に浸かった人は短期思考になり思考領域が狭く、物事を二項対立で単純化し組織や社会を混乱させる存在という点です。金が全てという世俗の魔力に操られると、気づかぬうちに自ら精神を汚し幸せから遠ざかると思います。お金が生死を左右する人にとってはお金が全てですが、外的報酬への過剰依存が、常に欲求をエスカレートさせるヘドニック・トレッドミル患者を生み、社会という観点から見たモチベーションの問題を複雑にしていると感じます。

寝るために食べる

以前は7時間半程度眠っていてこれはもっとも長生きするとされる睡眠時間ですが、もう何年もワンサイクル減りこれが6時間になりました。最初は加齢により睡眠が浅くなるという俗説を信じていましたが、ちょうど糖質を制限し始めた頃と時期が重なり今は糖質を減らすと睡眠時間も減ると考えていて、その相関を指摘する専門家も居ます。この1、2年はさらに睡眠時間が短くなり今は5時間以下になりました。これは食事を一日二食以下にする生活を始めたタイミングと同じで、今の仮説は糖質や食事を減らすと睡眠時間も減るというものです。人類の祖先は現代のように満腹になるまで食べることはなく、野生動物に襲われる危険がある時代に明るくなるまで寝ることもなかったはずです。以前は寝るほど良いと思っていましたが、寝ることにもエネルギーが必要でそのために食べるという悪循環で体に負担をかけてきたと思います。人類史における環境変化を生き残った固体はほとんど食べなくてもあまり寝なくても大丈夫で、その淘汰が人体のデフォルトを作ったのでしょう。

残りは祈るしかない

昨日は日本工学院に行きましたが、旅館業も学校で教えることも対人サービスであり接客業である点は同じです。授業はエンターテイメントとして行うものではありませんので、本来ホスピタリティ産業ではありませんがその本質は似ていると思います。主人に従者が仕える関係がサービスなら、ホスピタリティやおもてなしは対等を前提とした主人と客人の関係と説明されます。派生語に奴隷があるサービスは主人の要望に忠実ですが、後者はもてなす側のこだわりが反映されます。コロナ禍以前からホテル、旅館業が苦境にあるのはこだわりを失ったからだと思います。多くの事業者は自分のこだわりに自信が持てず、旅行代理店や客の要望に応えようとしますが、そのありきたりなニーズがレッドオーシャン化を招いた原因でしょう。授業に関して言えば自分が学生時代に受けて苦痛だった文献棒読み的な授業を避け、他方で学生のうちに聞いておきたかった話を心がけますが、両者に共振が起きる関係とは程遠いのが実情です。かのピーター・ドラッカーでさえ1割の学生を引き付ければ他の3割はついてくる、残りは祈るしかないと語っていたことがせめての救いです。

集めるではなく選ぶ

引っ越す前の仮住まいが狭すぎて、大量にモノを捨てました。その結果今の家には比較的モノが少ないのですが、不思議と部屋が片付くとあまりモノが欲しくなくなります。断食や食事の回数を減らすと食欲に対して冷静でいられるのに似ています。外食が続くと薄味では物足りなくなるように人間の感覚は欲望のスパイラルにも、充足のスパイラルにも入ります。日常生活に意識を向けると、ハレのイベントがなくても日々の暮らしに充足を感じ取ることができると思います。血糖値が急上昇したあとインシュリンの大量分泌により低血糖に陥るようなドーパミン型の幸せに慣れてしまうと、普段の生活では物足りなくなり人為的な欲望を金で満たすサイクルに入ります。必需品だけで生活をしていると執着や中毒は起きにくいものですが、安いからといって大量に買えば必需品は必欲品に変わります。欲しいという感情は食糧を集めるという人類が生き残るための本能と言えますが、集める感情の危うさは際限のない執着を生むことです。コレクションには集める以外に選ぶという意味もありますが、人生を充足する価値を選ぶべきでしょう。

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