メダルの数ほどにはオリンピックの実感がないのは無観客の開催国という不思議な状況だけが理由ではないと思います。スポーツ参加人口が年々増え、反面テレビを見る人が減り、見るスポーツからするスポーツに変わると、国民の大半が唯一の娯楽としてプロ野球やプロレスを見た時代と空気は異なります。趣味の同調圧力から開放されると自分が参加するスポーツ以外は、国家的行事にも冷淡になるのかもしれません。それでもスポーツが最強のコンテンツであることは変わらず、人間の可能性追求のドラマは魅力的でしょう。本番に弱いと言われ続けた日本人ですが、気負うことなく最高のパフォーマンスを発揮する平成生まれのアスリートを見ると自分も挑戦をしたくなります。何かに挑戦するなら、速さや強さではなく無補給でどこまで移動できるかでしょう。遠い祖先が狩猟をしていた頃、おそらく空腹で数十kmを移動していたはずで、その超省エネボディーを受け継ぎながら現代人はその恩恵を無視してきました。糖質ワールドから離脱することで、無限と思えるエネルギーを生み出せる人体の可能性に魅せられます。
糖質幻想の嘘
最悪期には80kgに到達した体重は山に登る機会が増えたこの1、2年で50kg台に落ち着きました。山岳路の周回時間をGPSで計測するFKT: Fastest Known Timeのマネごとをしますが、記録は50歳を過ぎて運動を始めた頃から年々早くなり、人のいないトレイルを駆け下りるときのスピードや持久力は運動習慣のあった学生時代と同等かむしろ身軽な印象です。糖質制限により体重とお腹の脂肪は劇的に落ちますが、同様に重要なのは空腹の感じ方だと思います。空腹には胃腸系と頭脳系の2つがあり、糖質を欲するのは後者でこれはセンサーの一種の誤作動だと思います。人体はエネルギーを自給自足する高度なメカニズムを持ち、グリコーゲンが枯渇しても糖新生やケトン体系回路で補給なしにエネルギーを生み出します。しかし、エネルギーを最も消費する脳は低血糖を過度に警戒して空腹の司令を出し、多くの人は頭を使うときも運動をするときも糖質神話から逃れることができません。今回3泊4日の縦走で24時間断食をしながら一日活動をしても何ら問題は起きず、他ならぬ自分自身が糖質幻想の嘘に確信を持ちました。
幸福抵抗性
北アルプス縦走では基本的に自炊、テント泊ですが、一食だけは贅沢?をして山小屋で食事を食べました。下界ではお目にかかれないほど質素な食事ですが山上にあっては全てがごちそうで、人の満足度など相対的なものに過ぎません。下界では当たり前の生活の全てが山では有り難く、何を食べても美味しく感動領域です。飽食時代の最大の問題は、当然のように感謝もなく食べ、永久に飽き足らずモアアンドモアを追求する姿勢にあると思います。都市と山上という置かれるコンテクストによって商品の価値や値段が異なることは当然ですが、消費の拡大こそが至上の価値と信じ込ませるパラダイムは人類史上最大の詐欺でしょう。堕落を善と錯覚させる消費社会は幸福感を麻痺させ、ヘドニック・トレッドミルから人は降りられなくなります。レプチン抵抗性が過食や肥満につながるように、欲しいという執着がある限り人は幸福を感じることのないパラドックスに気づきません。山の素晴らしさは絶景ばかりではなく、平凡な日常に感謝する気持ちを取り戻し生活習慣を見直すことでしょう。
質素ながら贅沢
良い旅がそうであるように、数日山にいると人生について考えます。見渡すばかりの稜線、山頂での夕暮れのひととき、早朝の神秘的な空の美しさなど、山の楽しみは数あれど最高の楽しみは下山後の温泉かもしれません。普段の生活との落差を楽しむのがレジャーなら山旅はその最右翼でしょう。人生に必要なものは常に自然とともにあり、文化的な進歩は自然の摂理から離れて行きます。テント泊は1泊1,000円が相場で、多少の体力があればこれほどスペクタクルな体験ができ、下山後に入る温泉の料金も銭湯とそう変わらず、新宿直行バスの料金も日常の経済範囲を大きく越えるものではありません。何事にもお金は必要ですが、他方で人生を満たしてくれるお金は世間が考えるほど大げさなものではありません。山に行くととにかく元気になります。美味しい空気を吸い込み、運動による脳の血流上昇のためか何事にも前向きになります。普段の生活を離れて山上で生活をすることは、質素ながらとてつもなく贅沢な時間を手に入れ、人生の真に必要なものに気づくことだと思います。
旅は人間の可能性追求
雪渓と花畑が印象的な北アルプスから昨夜戻りました。天候が安定する梅雨明け10日は山が最も輝き、旅をするには最高の季節です。山に行く一つの目的は、日本海から日本アルプスを越えて太平洋に至る415kmの山岳レースTJARのコースをたどることですが、今回のルートはその前半のハイライトとも呼べる山域です。レースを来月に控え出場選手数名にもお会いし、一般ハイカーの数倍の距離を涼しげにこなすその超人的な体力と精神力を垣間見ることができました。旅が多くの人により奨励されるのは、それが人生の縮図だからだと思います。人間の限界を超えた冒険が世間の耳目を集めるのは、そこに人間の可能性追求の姿勢があるからだと思います。運動中のエネルギー補給は従来糖質を中心に考えられましたが、数年前に、活動中は補給をしない方がエネルギー切れを起こさないことに気づきました。2、30km程度のトレイルランニングではその有効性を確認していましたが、今回は24時間断食の無補給で12、3kgの荷物を背負い山で行動できる人体の可能性を確認できました。人生の本質が人間の可能性の追求であるなら、旅はその縮図であるべきでしょう。
今この瞬間こそが本質
日の出時間は日々遅くなり始めていますが、それでも4時前に薄明かりのなか青空を見ることができます。何層もの雲に紅をさす光景はアスファルトで埋め尽くされた都会で自然を感じる数少ない機会です。日の出前の神社の森に行き、蝉が鳴き始めるのを聞くと遠い夏の日が蘇ります。それは小学校時代の夏休みであったり、伊豆や日光など特定の場所であったりしますが、いつもどこか切ない感情を伴います。蝉の地上での命がはかないように、夏が激しく過ぎ行く季節だからでしょう。はかなさを感じるもうひとつの理由は、華やかな人生の頂点を夏と重ね合わせるからだと思います。本質と違う生き方は虚しさやはかなさを伴います。人は何も持たずに世を去るように持ち物の多寡を競う野望や刹那的快楽を味わい尽くす執念が本質でないことは明らかです。同様に戻ることのできない過去を後悔し、これから作り出せる未来に不安を覚えることも本質から離れた考えでしょう。今この瞬間こそが唯一自分の帰るべき場所というシンプルな事実に気づくだけで人生は楽になります。
人生は日々の正しい選択の積み重ね
夜は2、3分で眠りに落ちますが、眠れない日や午前を回った頃に目覚めて起き出す日もあります。7時間睡眠長寿説を信じていた頃は無理に眠ろうとしましたが、体が眠りを必要としていないと考え身体の反応に従うようになりました。7時間眠らなくてはならない、三食きちんと食べなくてはならない、という窮屈な思考に体を従わせる生き方は○○だけで健康になれるという、怪しげな健康法と同じで、むしろ体に毒だと思います。朝起きたらお湯を飲めとか個人の趣味を後講釈で押し売りする健康本なども余計なお世話です。「せねばならない」思考に陥る理由の多くはインナーチャイルドが癒やされないために自分の直感が冴えないからでしょう。金に執着する人が金額でしか商品の価値を判断できないのは、貧しさのコンプレックスを内部に抱え審美眼を持たないからです。ヘドニックトレッドミルの上を走り続ける生き方は傍目には滑稽ですが、虚構を信じる当事者はその生き方を疑いません。欲を追う生き方は失う恐怖を同時に抱え込み、残された時間と競い合い自分を苦しめます。人生は日々の正しい選択の積み重ねですが、自身の最も深いところにある本質に耳を傾けるなら難しいことではないのでしょう。
人体はハイブリッド車
ハイブリッド車を運転するときインパネのモニターには回生ブレーキが生み出した電気がバッテリー側に戻される矢印が表示され、アクセルを踏み込むと今度はバッテリーから駆動輪側にエネルギーが放出される様子が分かります。このモニターが示唆的なのは自動車のバッテリーのエネルギーを人間の体脂肪に置き換えると、回生ブレーキはインスリン分泌であり余分な食事が脂肪に取り込まれ、逆にファスティングでインスリン値が上昇しなければ脂肪を消費します。ハイブリッド車と人体の違いは人体のバッテリーとも言うべき体脂肪がとてつもなく大容量であることと、脂肪の蓄積が肥満につながり健康を阻害することです。食べる時間が長いほど体はエネルギーを脂肪に変換して蓄え、食べる時間を減らすと体脂肪が燃やされます。山を歩くとき体の燃料源がグリコーゲンから体脂肪に切り替わるとハイブリッド車並の燃費となり無補給でどこまでも歩き続けることができます。ハイブリッド車と人体の最も顕著な違いは、人体はエネルギーが枯渇すると血管内皮の脂肪のかたまりであるプラークまで燃やし体内を浄化してくれることでしょう。
判断力か想像力か
昨日は箱根の長尾峠からを金時山まで歩きました。炎天下での運動は体への負荷が高いのですが、あまり人通りのない箱根外輪山でも半数程度の人がマスクをしているのは考えものです。言われたことを生真面目に守る従順さは日本人的な美徳ですが、反面より深刻なリスクを呼ぶ判断力の無さに見えます。今や屋外でもマスクがノーマルになってしまい酷暑の都会で死人が出ないか心配です。緊急事態宣言の乱発や無観客のオリンピックなど、実態以上にコロナ危機を演出したい意図を感じますが、妙にアグレッシブな強引さが審判を受けるのは今年の冬でしょう。人生は不確実性の連続ですが、変化が顕在化する時代には独立した個人としての判断が求められます。仕事を行う上で必要なのは判断力と執行能力とされますが、ムラ社会の同調圧力に弱い日本人は前者が欠如していると思います。他方で判断力を身に付けると想像力や先見性が低下すると言われるのは、判断力の成熟が選択肢を排除するプロセスだからで両者のバランスが必要でしょう。
思い出の価値
フェイスブックは時々過去の思い出を共有することを推奨します。思い出機能は使いませんが、エクセルに日記を付けているので、過去20年の今日を振り返ることができ、ときどき3年前、5年前、10年前の自分に会いたくなることがあります。思い出には今の自分を前向きにしてくれるものとその反対があります。スティーブ・ジョブズはがんになったあと自分はじき死ぬということを毎朝思い出し、生きる力にしていたと思います。それがこの上なく悲劇的なものであったとしても今の自分を励ましポジティブに強化するなら、消し去りたい過去でさえ良い思い出になります。思い出が必要なのは今を生きるためであり、それが過去を肯定するものであれ否定するものであれ同じでしょう。思い出の曲を聴くだけでかつての自分に戻ることができ、自律神経のバランスが整い脳の神経ネットワークが強化されて今の自分に恩恵をもたらします。過去に戻ってあれこれ考えても居場所は今この瞬間しかなく、現在から出発して成長することにのみ思い出の価値があるのでしょう。