甲子高原フジヤホテルのある西郷(にしごう)村が2021年の「経営力」で一位となり、全国1,741自治体の頂点に立ちました。総務省が公開する財政状況資料や市町村税などを数値化した自治体四季報の集計結果で、法人税増加などの特殊要因による一過性のものと見られますが、昨年の98位から2位以下を大きく引き離しての快挙です。財政基盤が比較的健全で、沖縄県の中城村に抜かれたものの全国で4番目の人口を抱え今も人口が増加し、唯一の新幹線停車駅を持つ豊かな村であることには違いありません。明治22年(1889年)の町村制の施行以来合併を免れた数少ない自治体として現在に至る西郷村は、企業誘致が進む産業面やベッドタウンとして脚光を浴びてきました。他方で、村の面積の4分の1が国立公園の恵まれた自然環境を生かすレジャー面は、温浴施設を中心とした複合施設の経営破綻など明るい話題がありません。ホテル・旅館事業者は今恐怖のどん底にあるかもしれません。しかし、自分を信じることでしかその恐怖を克服することはできず、現実に束縛されるとアイデアは枯渇するのでしょう。
怯えているときは大胆に
続投に意欲を見せていた首相の退陣は唐突な印象ですが、全敗記録を更新中の顔では戦えないという悲鳴が現場から上がったのでしょう。目標が決まれば確実に仕事をこなす優秀なマネージャーは、大きな国家観を描き皆を巻き込むリーダーにはなれなかったのかもしれません。それでも批判の多い親中派を道連れにしての引き際は見事との見方もあり、自民党にとっての救世主と言えそうです。後継レースはリセットされた形ですが、肝心なときには部下を裏切り人望のない軍事オタクや、人柄は良さそうながら主張が不明瞭な酒豪では役者不足で、急激に失速する自民支持を取り戻す起死回生の切り札は、国家観を持ち最も明確に政策を語る日本初の女性首相しかなさそうです。コロナショックからの回復に向けて、アベノミクスの再来とも言えるサナエノミクスに期待するむきもあり、小泉劇場に日本中が熱狂した、かつて見た光景が再現するのかもしれません。社会が熱狂しているときは臆病に、そして怯えているときは大胆になれるリーダーが必要だと思います。
妄想を形成する組織
池袋暴走事件の飯塚被告に禁錮5年の実刑判決が出ました。目を背けたくなる悲惨な事件は人間性を欠く上級国民の振る舞いに批判が集まりました。謝罪をして反省をしていれば被告の年齢からして量刑が緩和され執行猶予となった可能性もありますが、最後までメーカーに責任転嫁をしようとする自己中心的な唯我独尊ぶりに人間の愚かさと恐ろしさを感じます。被害者家族を苦しめ続ける二次犯罪を犯す被告の妄想は、閉鎖的組織が生み出した災いだと思います。一定の社会的地位がある人間が常識を欠く行為をするのは、長年の閉鎖的組織における成功体験が、常識より妄想を強化し揺るぎない誤った信念を形成するからでしょう。これが国家のリーダーであれば、おびただしい数の国民を虐殺してきたソ連のスターリンや中国の毛沢東を生みます。上司に評価される内側の論理にばかり忠実な構成員に汚染された組織は、日本にあっても少なくないのかもしれません。自由な発想ができない違和感より生活ができなくなる恐怖のほうが強い組織の場合、徐々に人間性を失わせて行くのでしょう。
幸せは自身の内側に
皇位継承者の宮家における結婚問題はありえない方向で決着するようです。事実上の勘当とは言え、年金詐取、傷病手当詐取、借金問題、相次ぐ身内の不審死などの深刻さを考えると、駆け落ちの影響は英国王室に向けられた嘲笑以上になるかもしれません。皇室の不自由な生活を離れたいにせよ、その自己破滅的な選択に今度ばかりは同情の声は聞かれません。誰にも幸せを追求する権利がありますが、皇室を離れれば幸せになれるという考えは、お金があれば幸せになれるという考えと同じです。条件付きの幸せが脆いのは条件の対象が常に自分の外側にあるからです。幸せになることは誰にとっても最終ゴールであるにもかかわらず、多くの人が回り道をする理由は、物質主義と消費社会という外の世界が自分を幸せにしてくれるとの迷信があるからだと思います。神経伝達物質はあまりに小さく短命ながら、物質であるために自身の思考や感情を把握する手がかりになります。数世紀かかり突き止められたその正体によって、幸せは自身の内側にあることが証明されるのでしょう。
快より善のために食べる
人間は五感の迷信で生きる動物だと思います。その代表が味覚で、好き嫌いがあるように快か不快かを判断します。快が常に善とは限らないことが問題で、脳の報酬系の暴走もあって多くの場合両者は矛盾します。美味しいと判断したきっかけや基準が味蕾がもたらした情報なのか、血糖値の変動なのかも曖昧です。味覚と空腹感のセンサーは狂いがちで正常に戻す方法は断食だと思います。朝食を抜くだけの間欠的断食はダイエット法と言うよりはもはや新しい食事法として浸透し始めています。肉食動物は基本一日一食ですし、日本人が三食食べるようになったのは江戸末期とも言われ、三食をきちんと食べるという洗脳にはたいした根拠がないか、あっても机上の空論でしょう。食間を最低16時間取ると血糖値スパイクによる低血糖がより顕著に起きますので、結果として糖質摂取に対して慎重になるのは好ましいことです。糖質に注意すると自分の身体に起こる症状について自分で解説できるようになります。たまに夕方低血糖症状になることがありますが、だいたい思い当たる節があります。快のためではなく善のために食べることこそ健康への大きな一歩でしょう。
必需品になった嗜好品
週末は久しぶりの快晴で山は賑わいました。良く登る西岳、編笠山は富士見登山口から10kmほどで累積標高1,270m、3時間ほどのトレイルですが、この程度の運動で空腹を感じることはありません。燃料補給なしにどこまで歩けるか試した北アルプスでも、何も食べずに一日歩いてもエネルギー切れを起こす兆候はありませんでした。不食を実践する人は世界に少数ながら存在し、300Kcal程度で一日を過ごすライトイーターなら数十万人規模になり、多くが長年の習慣から嗜好品的に食べていると言われます。確実に言えるのは、お腹が空くことと、食べたいという衝動は無関係で、われわれが感じる空腹は脳の反応です。人は感覚器官が伝える五感を使い生きていますが、空腹は低血糖を脳が感知する内部の反応のために、その実像を知ることを困難にしています。お腹が空いたのではなくお腹が空いたと思っているだけで、胃を満たすためではなく、血糖値を上げるために食べています。食べなければ死ぬという信仰があまりに強いために、嗜好品はいつしか必需品と入れ替わり食べることの意味を変えてしまったのだと思います。
小さい車はストレスも小さい
昨日出先の駐車場で、隣のロットに駐車しようとした車がグシャと音を立てて一台隣の車に後方から突っ込みました。どちらもきれいな大型の高級車で顛末は知りませんが、お互いにとって不快な週末になったことは間違いありません。もう何十年も前にデパートの駐車場で、駐車中の白い巨大なアメ車のフロントフェンダーにめり込む程激しくバックで突っ込む車を見たことがあります。当時はヤクザがアメ車に乗る時代でその車は動揺したのかそのまま走り去りました。バックをしながらの駐車は多くの人にとって苦手種目で、センサーやモニター、自動運転機能が搭載されるようになりました。一方、ヨーロッパの一部の国ではバンパーで他車を押して駐車スペースを確保するなんて話も聞きます。確かにフィアットのバンパーは頑丈に作られていて、かなりの衝撃を伴い後方から追突された時もバンパーに筋がついただけで外見の変形は見られず、一方追突した車はバンパーが変形し左右のヘッドライトが割れていました。軽自動車並に小さいフィアットは、駐車場でも気を使うことがなく人が敬遠する狭い場所へももぐり込め、トラブルに巻き込まれる可能性の低いストレスの小さい車だと思います。
少数にとっては切実
四半世紀使っていた給湯器が壊れて交換してもらいました。冬は氷点下10度を下回る地域なので凍結による破裂を防ぐための水抜き作業が必要です。以前使っていたTOTO製も今のリンナイ製も5ヶ所ほどある水抜きバルブがどうしてこうも手の届かない場所にあり器具を使わないと手の力では回せないほど固いのか不思議でしたが、水抜きをするケースは市場の数%以下でメーカーとしてはなるべく触ってほしくない配慮からこのような設計にしているそうです。数%とは言え日本中の給湯器の普及率からすると巨大マーケットであり、極端に不便を感じているこの数%はロイヤリティの高い顧客になる可能性があるのに、外付け部品を替えるかカバーを付けるだけの簡単な対応をメーカーがしないのは不思議です。統計はしばし嘘をつきますが、平均値的な発想しかできない企業の内向き思考も、失われた30年の原因でしょう。大半の人には無関係でも少数の人にとっては切実なニーズこそが強固な顧客基盤を作るはずです。業界論理に支配されて硬直した発想から抜け出せない企業が多いことは、むしろビジネスチャンスとして喜ぶべきでしょう。
内発的食欲
東京のあまりの残暑に長野県に戻りました。一人なので、デトックスに最適なきのこ汁と炊き込みご飯を作り置きし、あとは豆腐と納豆程度なので、調理はほとんどしません。ネットもつながらない自然の元に来るとあらゆる消費の誘惑を遠ざけることができ、デジタルデトックスは心身のデトックスにもなります。おなかが空いてから食べるようになり、美味しそうだからと家にあるものをつい食べてしまうこともありません。モチベーションに内発的と外発的があるように、食欲にも内発的と外発的があると思います。前者が消化器系のお腹が鳴る反応なら、後者はつい食べてしまう脳の反応です。脳が空腹を訴えるのは血糖値スパイクに伴う低血糖への過剰反応で、SNSのフードポルノを見るだけでも空腹を感じます。内発的な食欲を知る方法は断食ですが、生存本能と逆の価値観を受け入れることは容易くありません。他方で、朝食を抜くだけでも立派な断食になり効果もあります。朝食を抜いた日は昼前にお腹が空かないことを体感できれば、脳のプログラムの書き換えが始まり、脳さえ躾けてしまえば過食に戻ることはないのでしょう。
都市の贅沢品
近所のインド料理店はもっとも足を運ぶ店の一つです。コロナ後初めて行ってみると、以前は活気のある店でしたが客の姿はなく料理人の数も半減していました。飲食店を支援したい気持ちはありますが、食べることに意識を向けると以前ほど多く食べる必要がないことに気づきます。簡単に幸せになる方法は森のなかで深呼吸をすることや、積雪のトレイルをリズミカルに走ることですが、都市に住む限りこれらは贅沢品です。一方、都市で最も手軽に幸せを感じる手段は食べることです。しかし、前者をいくら消費しても有益であるのに対し、食べることは麻薬的で体に負担をかけます。生命を維持し英気を養うために食べるのか、欲に任せて節操なく食べるのかによって同じ行為でも結果は異なります。体型を維持することが難しいのは、深い意識のレベルで正常な食欲をコントロールしなければならないからだと思います。一方、運動を継続することで人生の最盛期を延長できますが、運動を続けることも難しいと言われます。食欲のコントロールと運動を続けることの難しさは同根で、自己の内的探求なしには実現できないのでしょう。