今年に入ってからもシステム障害が続発するみずほの基幹系システムが再び注目されます。永遠に完成しないIT界のサグラダ・ファミリアには、もはや再発防止策がないのでしょう。エリートの集まるコーポレート銀行、四大財閥の一角と店舗数ナンバーワンのコンシューマー銀行の結婚は、半沢直樹シリーズの上をいく同居離婚状態にも見えます。三行出身者が死に絶えるまで4,500億円をかけたシステム投資を諦めず、プライドとメンツだけでシステム統合という幻想を追うのかもしれません。人は学ぶことを放棄し謙虚さを失えばプライドやメンツだけで生きるようになります。太平洋戦争の敗因の一つは、傲慢さを増長させるエリート登用にありますが、現代の我々はその歴史から何も学んでいません。ハンモックナンバーで選ばれた経営層が机上の空論で意思決定をする深刻さは今そこにある危機です。傲慢さこそが最も憎むべき悪しき人間の性癖ですが、それは汗水を流して働く美徳を軽視することから始まると思います。10年ほど前にカンボジアを訪れた時、朝の5時前から人々が道路を清掃しているのを見たときの清々しさを今の日本は失ってしまいました。
政治の本質は暴力支配?
最後に立候補しながら早々と敗退宣言をした野田氏の自民党総裁選への出馬は、選挙戦に少なからぬ影響を与えたと思います。史上初めて男女2人により争われる混戦は第100代の首相を選ぶにふさわしい盛り上がりを見せます。公開討論でも曖昧な主張を繰り返す2人の男性の不甲斐なさに比べ、より明確で筋の通った主張をするのは女性の候補者です。ネガティブな質問に対する説明も同じで、夫が元反社の野田氏が一定の説明をしたのに対して、親族企業が中国で異例の厚遇を受ける河野氏は回答を避けた格好です。男女の違いとして一般化すべきではありませんが、こと今回の選挙に関して言えば、男は危機事態でリーダーシップを発揮する政治家としては心もとなく見えます。世界を見れば女性の政治家が危機事態で見せた頼もしさは印象的ですが、最後に腹をくくれるのは女性のような気がしてきました。令和2年版の犯罪白書によると刑法犯の8割は男で、やたらマウントを取りたがる単細胞が多いのも男です。男が相対的に粗暴なことは動かしがたい事実であり、男中心だった従来政治の本質は暴力支配だったのかもしれません。
多過ぎて救えない
リーマン・ブラザーズが経営破綻したのは13年前の9月15日ですが、中国発のリーマンショックとも言うべき恒大集団の巨額債務問題が注目されます。過去12年間急成長した黒字経営の優良企業ですが、同時に仕入れ債務と有利子負債が積み上がり、身の丈を超えた早過ぎる返済スピードによる黒字倒産が目前となりました。同じ問題を抱える不動産セクター全体に疑心暗鬼が広がると崩壊が一気に始まります。かつては大き過ぎて潰せないと言われましたが、今や多過ぎて救えない状況で、不動産で経済を回してきた中国を襲う災禍を過小評価することはできません。日本の不動産神話が崩壊したとき、拓銀や長銀などの金融機関まで飲み込まれた苦い記憶が蘇ります。以前から破綻懸念のある恒大集団は売り込まれ続けており、欲深い玄人筋の投資家はすでに安全圏に去っていることでしょう。厄介な自我は自分さえ良ければという損得の世界に人間を追いやり、自分でも御しきれない欲と執着の世界を作ります。私利私欲と傲慢に走れば自らを破滅させることは企業も人間も同じでしょう。
大衆車こそ最良
週末にフィアットの警告灯が点灯しヘッドライトが切れていました。14万km以上走って壊れたのは消耗品の電球だけですから車への信頼感は揺るぎません。最も大量に生産される大衆車こそ最良との信念があるのは、過去に乗ったより高価格な車がみな不具合を抱えて修理工場に行く必要があったからです。ポルシェはオートエアコンが壊れ視界を確保できなくなり、レンジローバは自慢のエアサスが壊れ走行できなくなりましたが、いずれもフィアットほどの距離は走っていません。無用なギミックや車の基幹部品が壊れる信頼性の低さは、これらの車が訴求してきた揺るぎないはずの信頼を破壊するのに十分です。仮にフィアットが壊れたとしても安い車だから仕方がないとあきらめもつきますが実態は逆です。自動車評論家は短時間のロードテストで車の印象を語り消費者はその評価の影響を受けます。しかし、自分の車になればアバタもエクボでNVHや高級感など仔細な問題であり、一番知りたいのは機械としての信頼性です。われわれの消費行動はいかに的外れな情報でミスリードされているかに気づくべきなのでしょう。
見落としているのは自分自身
週末にロングトレイルを歩きましたが、運動は体に様々な恩恵をもたらします。その最大のものは食事が美味しくなることで、運動✕少食=最強のグルメだと思います。食事に対してストイックになると、ちょっとした刺激に味覚が敏感に反応します。食事が待ち遠しく、何を食べても美味しく感じます。美味しいものを食べて幸せを感じることと、何を食べても有り難い条件なしの美味しさではどちらが幸せかを考えさせられます。快楽追求の食事と生きるための食事の違いは、脳神経的美味しさと生理的美味しさとも言えます。美味しいものを求めると、期待値が上昇し美味しいものを食べ続ける必要が生じます。その結果美味しさの違いはやがて微細なものになり、微細な差の行き着く先は差異そのものの無意味化です。美味しいものを食べ続ける料理評論家は美味しさ以外の蓄えた知識を語るようになり、それはスノッブな言動に現れます。評論家と名の付く人は取るに足らない対象物の細事を一大事かのように語る傾向がありますが、見落としていることは食べ物を消化吸収する自分自身のことだと思います。
効能を知れば運動は楽しい
昨日は南アルプスの仙丈ヶ岳(3,032.9m)と大仙丈ヶ岳(2,975m)に登りました。TJAR後半の南アルプスへの入り口となる地蔵尾根は駐車場のある標高1,100mから3,000m超まで登るそれなりにスパルタンなルートでハイカーよりはトレイルランナーを見かけます。苔むした森林の美しさは魅力的ですが前半はほとんど標高を上げない往復27.4kmのトレイルの長さは一般向きではありません。累積標高は2,720mで多めに表示されると思われるカロリー消費は4,398kcalですが、無補給で一日歩いても何ら支障はありません。空腹時の運動はグレリンが分泌されエネルギーを作り出す細胞のミトコンドリアを強化するとされます。また断食により燃やすものが無くなると脂肪が原因でできる動脈中のプラークも退縮します。人が健康に生活をするためにはエネルギーを生み出すミトコンドリアと筋肉の強化が必要で、長時間の有酸素運動はミトコンドリアを活性化し、登りと下りで異なる筋肉を使います。とくに下りで破壊された筋肉を回復するときに大量の成長ホルモンが分泌され、血管強化や肌のはりをよくし糖質を吸収し糖尿病なども改善するとされます。こうした効能を知れば長時間の運動は楽しみに変わると思います。
再び野菜に回帰
野菜の一大産地である長野県に来ると食事は野菜中心になります。ベジタリアンではありませんが、肉より野菜が体に負担がかからないことに気づくと、崇高な理念や思想信条ではなく結果的にベジタリアンになります。他方で感情のコントロールに関連するセロトニン不足からメンタル的に不安定になるとの指摘もあります。しかし「○○を食べねばならぬ」との主張の大半は嘘か極論だと思います。そもそもほとんど何も食べずに健康を維持している人は世界に少なくとも数十万人いることを考えると、全てが矛盾する健康常識より自分が体感する健康実感を信じます。殺生を減らすベジタリアンはドーパミン分泌型食文化とは対照的で、欲を離れようとする精進料理にも通じます。外科医によるとベジタリアンの動脈はきれいで健康的だと言います。ポリフェノールやフィットケミカルは若返り効果や抗がん効果が期待され、体内でビタミンCを合成できない人類は主に果物と野菜から摂取します。国をあげて生活習慣病の克服に取り組む米国では野菜を食べるようになり、1990年代後半になると日米の野菜摂取量は逆転しました。戦後アメリカの食文化を模倣し続ける日本は再び野菜に回帰していくのでしょう。
自立あっての絆
3ヶ月間日本に戻っていた娘が渡英しました。昔なら頻繁に行き来するなど考えられませんが、生活費の高いイギリスにいるよりは、安い航空券で日本に戻る方がむしろ合理的です。疫病によって国境の壁は高くなりましたが、LCCの航空運賃が当たり前の世代は1ドル360円世代と違い、1万km隔てた2拠点居住は普通の感覚かもしれません。関西に住む同じ大学のルームメイトが東京観光で1週間ほど我が家に滞在しましたが、シェアリング世代にとって暮らしと旅行の境界も消えていくのでしょう。4人住まいが昨日から2人住まいになり家は広くなりましたが、お互いにあまり干渉をしないためか、娘が家にいることもいないこともデフォルトです。SNSやスマホを禁じられ月一度の文通しか許されなかった高校時代の留学時も、別段生活の変化はなく娘もホームシックにはならなかったと言います。家族の絆が強いと動脈疾患の発症が低いとされ、最後まで家族と一緒に暮らす高齢者の蘇生事例も報告されます。家族の絆は大切でしょうが一方で過干渉や依存が問題になるケースもあり、お互いの自立あってのことでしょう。
真贋を見抜く力
野田氏が出馬した自民党の総裁選ですが、選挙を競馬にたとえるのは言い得て妙です。野党の危機感をよそに盛り上がるレースは先行岸田、本命が河野なら、ネトウヨのアイドルと揶揄され泡沫候補扱いされてきた高市は差し馬でしょう。一般国民は蚊帳の外とは言え、国家観を持つ政治家こそが望ましく、軽々しく言説を変える人は信用できません。真贋を見抜く力が必要なのは、誰もが関心を持つ健康や幸福についても同じです。両者に共通することは、ノウハウとして語られることには真実がないことだと思います。幸福で重視されるのは各々が感じる主観的な幸福であり、それを無理やり型に当てはめ、こうすれば幸福になれる、健康になれると論じる説は信用できません。条件付きのノウハウに真実はなく、現代的な輝きをまとっていてもそれらは虚像であって、健康も幸福も昔から語り継がれて来たこと以上でも以下でもないと思います。幸福なら身の丈にあった生活で日常を真面目に生きることであり、健康なら腹八分目だけで十分でしょう。身の丈を超えた執着を克服したときに本質を見る目が培われると思います。
文化になるサウナ
以前から気になっていた屋外サウナを昭島で見ました。サウナの本場として知られ540万人の人口に330万のサウナがあるフィンランドの隣国エストニアのIGLUCRAFT社製の4人用サウナは機能的でデザインも魅力的です。エスキモーの家として知られるイグルー形状のサウナは、2018年にデビッド・ベッカムが購入したことでその名が知られるようになり日本でも10ヶ所程度が設置されています。温泉信仰の根付く日本ですが、入浴後の効果を実感しやすいのはサウナだと思います。温泉とは名ばかりの循環式の塩素風呂も少なくない現状を考えるなら屋外サウナはより確実に健康になれるかもしれません。焚き火の魅力と入浴を同時に楽しめるサウナは新甲子温泉の弱点だった寒さを魅力に変えられそうです。サウナ、水風呂、外気浴をワンセットにすることで交感神経と副交感神経の切り替えがスムーズに行われ、寒さを好むミトコンドリアも活性されます。抗酸化力が強いヒートショックプロテインHSP70が分泌されインスリンの感受性を上げるほか、発汗は排尿より重金属を排出するデトックス効果も期待できます。銭湯が減り入浴文化が失われる日本ですが、効率的に脳と体を整えるサウナが文化に根付く日が来るのかもしれません。