鍋料理は自炊の王様

寒い季節に欠かせないのは湯豆腐ですが、わが家では昆布だしが出た週後半にはそれが鍋料理に変わり、最後はおからを入れて総菜にします。料理を変えながら一週間同じ鍋を使うのはおでんも同じで、具を足しながら煮込み、週の途中からは八丁味噌を入れて味噌おでんに変わり、最後はやはりおからの総菜に変わります。体を温めてくれる鍋料理やおでんは手軽でありながら、日が経つに従い美味しさが熟成されます。鍋料理やおでんは具材を切るだけでできあがり、自炊のハードルは一気に下がります。消費社会におけるヒエラルキーでは、高級店の外食こそが王様で、自炊は節約といった文脈で語られますが、身近な家での日常的な食事に美味しさを感じます。手軽にできて、心と体を温めてくれる鍋料理は、自炊の王様であるだけではなく、ファイトケミカルなどの栄養素を効率的に摂れる健康的で合理的な食事だと思います。

胃もたれせず、腹持ちがよい

昨日は首都圏を中心に13店舗を構え、小粒ながら注目されるカレーチェーンである、もうやんカレーに行きました。西新宿の店舗は1997年の創業店で、現在は直営、フランチャイズが半々程度です。自店でカレーを作る釜あり店舗と、本部や他店から供給を受ける釜なし店舗があり、後者の食材原価率は35%とされます。通常の3倍の香味野菜を使用した、グルテンフリー、化学調味料無添加の漢方薬膳カレーは胃もたれせず、他方で腹持ちがよく昼食に食べると夕食は不要です。カレーブッフェの料金は一皿、二皿、無制限の3タイプがあり、注文した二皿は1,155円ですが、999円の一皿でも十分です。6種類程のカレーは2週間熟成され、100gあたり90kcalと低カロリーで、3種類のライスやうどんも提供されるのですが、ウォーマーの過熱が不十分で冷め気味なことが課題です。店内に貼られる月額給与28万から100万という社員募集のポスターも気になります。

安物ほど優秀?

先日、高速道路を走行中に飛び石でひびの入ったフィアットのフロントガラスを、昨日交換しました。10年で20万kmを走り、消耗品の電球が切れた以外にトラブルはなく、今回も車側の問題ではないのでフィアットの信頼性を損なうものではありません。以前、13年間に14万kmを走った車もイタリア車で、かつては信頼性が低いと思われていたイタリア製品は、実のところ日本車並のクオリティと言っても過言ではありません。自分の経験によると、最低価格帯の大衆車こそ信頼性が高く、高級車ほどトラブルに見舞われる確率が高いのは、付加価値と称する無用なギミックが追加されているからでしょう。大量に作られる安い車ほど、多くの改善が反映され長く安心して付き合えるのであれば、そこから先の付加価値は無意味に思えます。日本伝統の発酵食品である納豆などの大衆的な食事こそが健康維持につながり、贅沢な食事ほど寿命を縮めるのと似ている気がします。

豊かな人生を育む飢え

昨今はウェアラブル端末によるヘルスケアDXが進みます。しかし、最も信用する健康指標は、日々の便の状態です。先日、懐かしさから学生時代を彷彿とさせる大衆的な店に入り食事をすると、腸は正直で腸内環境の変化を立ちどころに伝えます。外食を避けたい理由の一つは、免役システムなど健康に直結する腸の不調を引き起こすからです。食事には様々な側面があり、飢えを満たすため、快楽のため、人とのコミュニケーションのためなどの動機がありますが、第一義的には健康維持のはずです。肉体を維持するためのエネルギー源や栄養素を摂ることで、日々の活動と代謝ができます。一方で、オートファジーにより細胞を浄化するためには16時間断食が奨励され、飢えこそが生命力をかきたてる最大の因子とも言えます。飢えがあれば栄養を適切に消化吸収できるようにもなり、豊かな人生を育むには飢えを感じることが大切だと思います。

真面目に生きさえすれば

早くも2024年の1ヶ月が終わり、限りある人生の時間が無為に流れていくような焦燥感を覚えます。しかし、人生に限りがあるからこそ、人生の質を高めようという気持ちになります。人生の終わりを見つめるようになって、初めて人は人生の目的を探し始める気がします。それまでは目先の快楽に溺れ、非日常の豊かさを求めて、専らの関心は自分の外部に向かい、いらないものにばかりとらわれて来たのでしょう。満たされた生活を目指すほどに、いつしか人生の目的は金を稼ぎ使うという単純なルールに置き換わり、都市という金を生むハコのために生かされることになります。お金が至上価値になると、人生において本来必要ない虚偽のニーズが人々を洗脳し、人間性に溢れる豊かな暮らしとは無関係の贅沢品に夢中にさせます。人生の目標を持ち、日々を真面目に生きさえすれば人間性は高まり、焦ることはないのかもしれません。

犬も歩けば棒に当たる

今年の目標は体に悪いものを食べる回数を減らし、運動を増やすことです。しかし、妻がバレンタインデイのサンプルに買った数種類のチョコレートなどを食べてしまい、運動量を増やして相殺する必要があります。なるべく電車を使わず歩いたり走ったりしたので、今月の平均歩数は18,500歩になります。犬も歩けば棒に当たるで、歩いていると様々な発見があります。先日行った堀ノ内熊野神社の狛犬一対は1801年の作で、石造りの一の鳥居は、文化5年(1808年)に作られたもので11代将軍徳川家斉の銘があります。このような名所旧跡が近所に埋もれていることは歩くことで発見します。歩き回ることで発見するものには興味を引かれる商店も含まれ、昨日は学生時代のノスタルジーに浸れそうな大衆的な洋食屋さんに入りました。何より歩数が増えるとよく眠れるようになり、運動を増やすことは相乗的に健康に近づく道だと思います。

自炊のある暮らし

昨日は春めいた日差しで、来週は早くも立春です。寒い日は続きますが昔ほど寒さが嫌いではないのは、気温が低いと人体は体温を維持するために脂肪を燃焼して、身体を健康にするからです。寒さの影響を受けにくい地下にある自宅では、今年の冬もエアコンの出番はなく、他方で耐乏生活ということもなく、むしろ快適に過ごせます。それはこの時期に食卓に上る、鍋、おでん、湯豆腐を作る際の熱によって家が暖まるからです。調理に伴う熱はやさしく室内の温度を上げ、湿度も保ってくれます。調理のための炎は人々を癒し、かまどからのぼる湯気は幸せな感情をもたらしたと思います。伝統的な家屋に多い囲炉裏の煙でじっくり燻された木材は、味わい深い色になり防虫効果も期待できます。暮らしと深く結びついた自炊のある暮らしこそが、豊かさをもたらす気がします。

肉体の限界に挑む旅行

週末は善光寺の宿坊に泊まる予定でしたが、父の容体が安定しないためにキャンセルをさせて頂きました。外泊をするときは、大半が必然を伴う宿泊なので料金が安く、地元の生活を垣間見ることができる民宿を選びます。レジャーとして泊まるのであれば、静けさのなかで滞在できる冬の宿坊は選択肢の最右翼です。一方で高級と呼ばれる宿泊施設は、他人のこだわりやその能書きを強要されるような気がして、本心では楽しめません。日々の食生活も宿坊などの精進料理を目指しており、本場に触れる機会は魅力的です。庶民の暮らしに余裕ができる江戸中期になると、修験者ではない民衆が霊山などで修行を行うようになり、善光寺詣などが大衆化し、各地の大寺社には宿坊が整備されました。やがてそれは観光事業を形成しますが、当時の徒歩旅行は現代の安楽な旅とは異なり、肉体の限界に挑むような冒険だったのかもしれません。

終の棲家

先日迎えた誕生日が嬉しくないのは、強制的に年齢を思い出させられるからです。まわりの同年代からは、終の棲家や終のクルマといった物騒な話も聞こえてきますが、元気な80代、90代の人から見れば、自分の年齢などは子供でしょう。仮に終の棲家や終のクルマを考えるとすると、弱気にならないように自分に渇(活)を入れるような苦労が絶えない選択でありたいものです。そう考えるなら、10年20万kmをともにしてきた今のフィアットと、このまま寄り添うことが最良の選択肢になります。その点で、今の自宅が終の棲家にならないのは、飽くなき快適さを求める都市にあるからです。南会津町に買った古民家の以前の持ち主から昨夜電話をいただき、雪下ろしをしてあげるとの有難い話でした。終の棲家とは、日々の当たり前がどれほど有難いかが身にしみるような、自然とともに暮らす住まいのような気がします。

どんなものであれ美味しい

誕生日の祝いに妻が気楽なイタリアンレストランでご馳走してくれました。外食には気が進まないのですが、人が負担をしてくれる場合は話が別です。わざわざ行きたいとは思いませんが、普通に美味しい店で満足をしました。世間の店の大半は普通に美味しい店であって、仮にそうであるなら家で食べた方が気楽で出かける手間もありません。過去に行った凄く美味しいと思った店も、期待値が高まり過ぎて再訪したときには裏切られることが少なくありません。行ってみたい店はありますが、料理が食べたいわけではなく、その独特な雰囲気のなかで食事をしてみたいという施設見学が主目的です。断食の健康効果を知ってしまうと、食べることにモチベーションを持ちにくくなります。皮肉なことに、断食明けの食事はどんなものであれ美味しく食べられるので尚更のことです。

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