移動の主体性が達成感をもたらす

週末は広島までフィアットで往復し、寄り道をしながら1,800kmを走りました。日曜日の東京近郊の渋滞を避けるためには、御殿場を22時以降に抜ける必要があり、時間調整のために広島・神戸間は一般道を使いました。前半はのどかな瀬戸内海の海岸沿いの道で、後半は、信号がない高規格道路が多い、国道2号線なのでストレスを感じません。自動車の長距離移動が好きなのは、移動の主体性が達成感をもたらすからのような気がします。場の移動に伴う視界、風景の変化が脳内ホルモンの活性化などに効用があるためか、多くの偉人や芸術家が、散策をしながらインスピレーションを得てきました。快適な環境を求めて移動しながら暮らし、仕事をするノマド生活にあこがれるのは、70万年前にかけて人類がアフリカ大陸を離れ、世界に移動して以来の習性なのかもしれません。

祈りの力

昨日は親戚が住職を務める瀬戸内海の小島にある寺で法要がありました。開基は1525年(大永5年)1月15日にさかのぼり、その歴史は500年に及びます。500年も続く企業はありませんが、開基の10年後に生まれる織田信長が、宗教・寺社勢力と対立したことを考えると、途切れることなく今日に至る歴史は稀有と言えます。長きにわたり歴史を積み重ねて来たのは、そこに信者がいたからでしょう。「儲」が信者と書かれるように、企業が永続するためには、新規顧客が一定年数にもたらす正味現在価値であるLTV(生涯顧客価値)が必要であり、その源は信仰です。寺社仏閣が長い歴史をきざむのは、心の平安をもたらすための祈りの場だからかもしれません。祈りによってオキシトシンが分泌され、安堵感や幸福感に包まれることが知られますが、太古の昔から先人たちは、祈りには思いもよらない力が内在することを理解していたのでしょう。

縄文から江戸へ

昨日は法事で妻と広島に来ました。東京からは車で10時間ほどかかりますが、燃料費と高速代は一人9,000円で、飛行機の移動と疲労感は変わらず、何よりもラブラドールと同行できるメリットがあります。広島平和記念資料館は欧米人インバウンド客であふれかえりますが、誰もが押し黙ったままの館内は静まりかえり、すすり泣く人もいます。膨大な喪失、凄惨を極める受け入れ難い状況に直面することなく、戦後80年もの平和を自覚なく満喫しながら、平和の尊さを語る愚かさを感じます。心の執着と暴力性を浄化して、いくら個々人が絶対の平和を願おうが、現状線の変更を企てる専制政治国家と、市民に対する無差別殺戮を行った国が牛耳る国連に平和をもたらす力はありません。平安時代の390年、江戸時代の270年、縄文時代に至っては1万年以上にわたり、世界にも類を見ない平和な社会を築いた先人の知恵を、再評価すべきではないかと思います。

一度行けばいい

35回目の結婚記念日に六本木ヒルズに行きました。正確に言えばそれは後付けの理由で、これまで結婚記念日など祝ったことがなく、昨日も34回目なのか35回目なのかで議論になったぐらいです。行ってみたい店があり外食をしただけですが、たまに都市の魔力も良いものだと感じます。食への執着は年々減っているので、外食の対象となるのは、食べてみたいではなく、行ってみたい、見てみたいという店になります。「食」は人を良くすると書くように、人体を維持する上で欠かせない行為ですが、外食店の多くが健康に良くない商品を提供するのは、身体によい食品には強い中毒性が期待できないからでしょう。外食は出かけなくてはならず、リラックスできず、食後の余韻も楽しむ間もなく多くの場合は通勤電車に乗らねばならず、積極的に行きたいとは思いません。良いのか悪いのか、たいていの外食は一度行けばいいか、と思ってしまいます。

健康本は無駄

無数の健康本を読みましたが、その時間がほとんど無駄だったと思うのは、知っているだけで多くを実行に移していないからです。空腹で運動するというシンプルな健康法則は心がけていますが、それだけなら膨大な時間をかけて本を読む必要などありません。真に価値がある本とは行動を変えて習慣にすることですが、知識だけ身に着けた健康オタクが行動に移せない最大の理由は、優先順位をつけられないからです。健康常識を知れば知るほどそれらはお互いに矛盾してカオス状態に陥ります。不健康な生活をしている人以外は健康診断を受ける必要はないと思いますが、一方で血液栄養解析を受ける価値があると思うのは、栄養の乱れを定量的に可視化できるからです。医師の指摘は、たんぱく質を増やす、糖質を減らす、オメガ6とオメガ3のバランスを改善すると言う常識的なものですが、指針を示されることが信念となり、初めて実行ができると思います。

消費の不自由による幸せ

人がお金に執着するのは、消費する自由こそが幸せの源泉だと思い込むからです。しかしこの考えはおそらく間違いで、消費の不自由こそが幸せの本質だと思います。糖質制限を再開したのはやせるためではなく、血液栄養解析で分かった栄養バランスの崩れを改善するためです。その結果我が家では、ご飯は一夜にして滅多に食べられない贅沢品に変わりました。日本人にとってのお米はあって当たり前のコモディティで、お替り無料の飲食店も少なくありません。自由に消費できない制約により希少になれば、それが自分の意思であるかにかかわらずご飯を食べる行為は特別なものになり、味わい尽くそうとします。むしろ不自由で欠乏した状態の方が、人は強烈な美味しさや豊かさを感じると思います。食べ過ぎの上に食べさせることで経済を回す外食業界の付加価値など、飢えを超える価値にはなりえない気がします。

睡眠負債こそが不眠の特効薬

普段の睡眠は6時間以下ですが、那覇から戻り連日8時間も泥のように眠ることができるのは、睡眠負債を抱えているからだと思います。サウナが良質な睡眠につながることはいくつかの研究が示していますが、入浴は入眠の2、3時間前までにすべきでしょう。過ぎたるは猶及ばざるが如しで、連日10セット前後サウナに入れば自律神経が乱れ、睡眠が浅くなるのも無理からぬことです。必要がなくても食べてしまう食欲とは違い、眠りは必要に応じて機能すると思います。空腹が何よりも食事を美味しくするように、睡眠負債こそが不眠の特効薬だと思います。年を重ねると睡眠が浅くなるのは、小食になるに従い眠る必要がなくなるからのような気がします。眠れないのは眠る必要がないからですが、不用品を売ることで回っている資本主義は、不眠の恐怖を必要以上にあおり、高価な寝具や健康測定デバイスを売りつけているように見えます。

健康脳

普段は外食をほとんどしないので、避粉地で何を食べるかは大問題です。健康を考えるなら自炊一択ですが、身軽に旅をしたいのでハードルが上がります。那覇で2週間の間に出かけた外食は、ローカルスーパージミーの日本一バリューだと思うブッフェと、衝動を抑え切れずに食べた吉野家のヤンニョム唐揚げ丼です。以前は定食屋さんを使ったのですが、再開した糖質制限のために買った総菜で済ませました。宿泊先がディープな昭和の雰囲気を残す大平通りアーケードに隣接するため、一品150円前後の惣菜を買うのに便利です。あとは地元のスーパーの惣菜コーナーで焼き魚などを買い、田芋のデザートや果物まで買っても1,000円を超えることはありません。ひとたび健康脳になると、この世界がどれほど脳をバグらせる食べ物で溢れているかが分かります。街で見かける健康を害するおびただしい食品が、最終的に誰かの胃に入ると思うと暗たんたる気持ちになります。

サウナで睡眠障害に

初夏の風情の那覇から、肌寒い東京に戻りました。まだ花粉症の症状は現れませんが、2週間でも避粉地にいると、以前の同じ時期と比較して症状が軽減されます。自宅に帰ると自分としては異例なことですが、8時間も眠ることができ、那覇での睡眠の質が低下していたことが分かります。これは睡眠環境や寝具の問題ではなく、サウナの入り過ぎだと思います。サウナ入浴の利点は、血流改善により副交感神経への切り替えがスムーズになり、深部体温が上昇することで入浴後の体温の下降が起き、発汗作用が高まり適度な疲労感により眠りの質が向上すると言われます。しかし、サウナ利用はおそらく入眠2、3時間前までにすべきで、むしろ朝入るべきだと思います。サウナ併設の宿泊施設は夜遅くまでサウナを動かし、朝は休止しているところが大半ですが、睡眠効果の観点からは逆にすべきだと思います。

吉野家の奇跡

20年ぶりぐらいに吉野家に入りました。幸か不幸かヤンニョムから揚げ丼の写真が目に入り衝動的な食欲が起きました。食べても期待を裏切らず、唐揚げ丼並545円にヤンニョムのトッピング110円で税込み655円はバリューに感じます。「調理に時間がかかります」と言われるのも驚きですが、衝撃を受けたのは、しばらく来ないうちに吉野家が普通のファミレスになっていたことです。牛丼一択の時代が嘘のようにメニューが増え、沖縄そばからタコライスまであります。留学生を含む2人で回す割に店舗は広く、キャッシャーから最も遠い席まで30歩もあるのに、水を出し、注文を取り、創業店舗の座席が64回転した時代は遠い昔の話です。会計の度に手を洗いペーパータオルで手を拭き、広い厨房を移動する時代が来るとは想像しませんでした。大きな駐車場まで持つこの店舗で、利益を出すのが奇跡に思えるのは、かつての吉野家とあまりに違うからでしょう。

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