最も従順な顧客

先週は父の葬儀という慣れないイベントもあって、5年ぶりに風邪をひきました。コロナ禍がもたらした恩恵の一つは感染症対策をするようになったことで、症状は軽く喉が痛む程度ですから、眠れば治ります。子供の頃に風邪をひくと、すったリンゴを食べさせてもらった記憶がありますが、昔は風邪を民間療法で治したものです。今では多くの医師が自然治癒力を活用しますが、それがオカルト扱いされていた時代はそれほど昔の話ではありません。忙しい現代人は相変わらず薬に頼りますが、薬によって治ったと思っている症状の大半は自然治癒力によるものだと思います。薬が無害なら良いのですが、薬の効力は全身に及び、高齢者のほとんどは薬を止めるだけで体調が改善すると主張する医師もいます。人の不安を利用して必要以上に売り込み巨大化した製薬業界は大きな政治力を持ち、権威に弱い日本人が最も従順な顧客なのでしょう。

首都圏に近い秘湯

週末に南会津の古民家に行ったついでに木賊(とくさ)温泉に行きました。家から2kmほど上流には、風情のある共同浴場4ヵ所を持つ南会津屈指の温泉郷、湯ノ花温泉があるのですが、そこから車で5分ほどの渓流沿いに木賊温泉共同浴場岩風呂があります。木賊温泉は、かつて秘境と呼ばれていた檜枝岐の手前にあり、秘湯マニアの間では知られる温泉地です。近所にあった共同浴場が2021年に閉まり、唯一の共同浴場となりましたが、西根川の氾濫による被害から何度か休業してきました。千年以上続く秘湯は、空気に触れることのない44.8℃の源泉が足元から湧き出ています。巨大な岩風呂は約42度と40度の浴槽があり、混浴ながら開放的で居心地のよい場所です。以前は秘湯と言えば、秋田や青森まで遠征していましたが、首都圏に近い秘湯風情を残すかつての秘境は、最近最も気に入っている場所です。

なるべくオリジナルに

週末にかけて、白河と南会津の古民家を設計の方と見ました。白河の家は戊辰戦争以前からあり、160年程は経っていることになります。一方南会津は明治期中頃とされ、それでも130年の年代物です。手作りされ、一軒一軒が異なる表情を持つことが古民家の魅力だと思います。古民家は代替わりのたびに改造が施される傾向があり、160年以上の時を経た白河の家の場合、天井部分は戦後に近代化されています。戊辰戦争で甚大な被害を受けた白河では、今でも「戦後」は大東亜戦争ではなく戊辰戦争を指すことがありますが、ここでは先の大戦以後の改修です。この建物が戊辰戦争の戦火に加え、周辺の家が全半壊した東日本大震災をくぐり抜けたのは、平屋構造で屋根を近代的な構造材により補強されていたからかもしれません。昭和52年に増築された浴室部分は、今回の改装では解体せずに使いますが、なるべくオリジナルの姿に戻したいと思います。

問題は過大な期待と投資

昨日は白河市から、南会津町のサウナ建設予定地に移動しました。雪のない白河から一転して膝のあたりまで雪に埋もれる豪雪地帯に来ると、屋根からは40cmほどの厚みにたまった雪が落ちています。冬季オリンピックの開催可能場所が10か国程度にまで減るなか、IOCは開催に苦慮していますし、ニセコ、白馬、妙高といったパウダースノーが降るエリアはインバウンド垂涎の的です。今までは厄介者扱いされてきた雪が、世界的には貴重な資源に変わりつつあります。雪を求めるのは9度以下の水温の水風呂や、凍った湖の厚い氷に穴をあけ、サウナで温めた体を冷やすアヴァントを楽しむサウナ愛好家も同じです。サウナブームによって日本のウィンターシーズンの行楽地は、一気にオンとオフが逆転したようにも見えます。問題なのは過大な期待をして、過大な投資をすることでしょう。

ともに年を重ねて行きたい

昨日は改修工事の始まった白河の古民家に来て、近隣挨拶をしました。戊辰戦争以前からある家と聞いていましたが、付近は戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えた白河口の戦いの激戦地に近く、大半の付近の家は新政府軍側が火をつけてまわり焼かれたそうです。神社に隣接するこの家だけが唯一燃えずに残り「神が守った家と祖父から聞いた」という話を隣家の人に聞きました。東日本大震災で周囲の家の多くが全壊、半壊したときもこの家は生き残りました。われわれは新しいモノほど優れていると考えがちですが、明治維新や戦後の経済成長は多くの先人の知恵を埋もれさせたと思います。現代人は科学を信奉し機械の正確性を疑いませんが、マシンカットされる以前の木造家屋の価値は、決して懐古趣味だけではないのかもしれません。新しいものに飛びつくのではなく、今はともに年を重ねて行きたいと思えるものと暮らしたいと感じます。

歳を意識すれば老いる

父の人生を振り返ると、平日は浴びるように酒を飲み深夜に帰宅し、週末は仕事と称するゴルフという典型的な昭和の企業戦士でした。中年まではトイレの壁が黄色くなるほどのヘビースモーカーで、長年糖尿病を患ったわりには92歳8か月という生涯は、大往生とみなすこともできます。他方で、父が10年以上にわたり高齢者施設にお世話になり、この間は健康寿命に含まれないのに対して、葬儀に参列してくれた妻の父は同い年ながら、今も生活の全てを一人で行います。二人とも大手製造業の営業という似た仕事で、妻の父も酒が好きで比較的最近まで喫煙をしていたことも同じです。最大の違いは妻の父が年齢を意識していないことです。年初、家に行ったときも、こちらが躊躇するような高所の脚立に立ち、夏ミカンをもいでいました。加齢が人を老いさせるのではなく、歳を意識して体を動かさなくなることで老いるのだと思います。

愛情にあふれた思い出だけ

あと四半世紀は働くつもりなので、終活など縁起でもないと考えていましたが、父の遺品整理をしていると、残される人の負担を減らすのは最低限の務めだと思います。資産の一覧や戸籍、年金番号ぐらいは整理しておいて欲しかったと愚痴りたくなります。兄がいるのでたいした負担ではありませんが、慣れない仕事はストレスになります。妻には、延命措置、高額医療、一切の儀礼、墓不要、法に触れない範囲で簡単に、と話します。海外不動産をはじめ不良資産は手放しましたが、これから始める事業には換金が難しいものもあります。「今日が人生最後だとしたら」とスティーブ・ジョブズが語るように、死を意識することは行動を促す点で有益です。「死が近づく今、やっと理解したことがある。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。」という彼の言葉が好きです。

葬儀はレクリエーション?

昨今の葬儀は近親者だけで行う家族葬が主流になりつつあります。それでも父の世代は兄弟が多いために、数十年ぶりに再会する従妹が参列してくれて賑やかに送り出すことができました。一方で、自分が社会人になった頃は、週休一日で残業青天井の時代ですから現役で亡くなる社員もいて、毎月のように葬儀に動員されていた気がします。当時の葬儀は儀礼的なもので、お清めと称して飲食をする、ムラ社会の一種のレクリエーションとして機能していたのかもしれません。家族葬のメリットは、社交辞令的な弔問が減ることで、周囲に気兼ねなく落ち着いた雰囲気のなかで送り出すことができることだと思います。少子化時代に入り兄弟の数が減るなか、火葬場では遺族が一人という方も見かけます。家族の在り方が変われば、葬儀の形態も変わり、死との向き合い方も変わるのでしょう。

努力は評価されない

父の使っていた部屋を整理に行くと、大半は不要品で、肝心な年金関係の資料も見つかりません。この年代の特徴なのか、モノを大量に抱え込む割に形見になりそうなものもなく、唯一持ち出したのは母が使っていた電子ピアノです。運送業者の人に自宅まで運んでもらい自宅のピアノと交換したのですが、地下への上げ下げを一人で行うのは大変です。見ていて心苦しいので何度か手伝いを申し出るのですが、「お代をいただいているので」と手際よく一人で作業をして、料金も妥当です。このような作業を日々6件ほどこなすそうですが、どのような職業であれプロフェッショナルサービスを見るのは清々しいものです。世間には自称プロフェッショナルも少なくありませんが、高い専門性とスキル、職業倫理と顧客第一主義の妥協なき品質基準で結果を出す人がプロであって、努力は評価されない厳しい世界なのでしょう。

物心両面で満たされる

先月末に父が亡くなり、昨日は雪のなか親族で葬儀を済ませました。92歳は今となっては大往生とも言い切れませんが、糖尿病を患っていた割には長寿を全うしました。亡くなる10日ほど前、病院に搬送される救急車のなかで「お腹が空いた」と言うほどの食欲は、生きる力の源泉かもしれません。戦争中の話をもっと聞くべきだった、という後悔はありますが、亡くなる前日に見舞うと顔色が良く、穏やかな最期であったことが何よりです。死を身近に感じるとき、人は生きる意味と向き合います。世間には、幸せを基準に人生の良し悪しを判断する風潮がありますが、どのような人生にも意味があり、日々と真剣に向き合い、全うすることに生きる価値がある気がします。人生を謳歌するとは、贅を尽くした消費を最大化することではなく、慎ましい暮らしのなかで、自分の内面に関心を向け、物心両面で満たされることだと思います。

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