ディスタンスラーニングにより世界中で誰もが最先端の知見に触れることができる時代になると学校での授業の意味は変わります。教員にはファシリテーションができる一定の知識は必要ですが、双方が教えあい、知恵を出し合うコラボレーションの場が対面授業のあり方だと思います。昨日は学生と未来の企業について話していて、平成の失われた30年がラグビー型経営だとすると、未来の企業はアメフト型経営だという話になりました。スポーツカレッジらしく学生の発想はスポーツ中心でユニークです。
お知らせ
エポックメイキングな80年代
自分が年を取ったと自覚するのは、学生に1980年代の話をしてしまうときです。立教大学で授業を始めた頃は「皆さんが生まれた頃ですね」と言えたのですが、今の学生にとっては生まれる20年近く前の話です。自分に置き換えると戦争中の話をされているようなものです。就職した1980年代は、激動の昭和が終わったエポックメイキングな時代であり社会人の原風景と言えます。1980年から再来年には40年を迎え、自分の生まれた年から遡ると関東大震災の昔です。1980年代の象徴といえば、狂乱の幕開けとなったニューヨークのプラザホテルでしょう。
産業革命の名残
東京で生活をすると、都心に出るために満員電車に乗ります。たまに乗る通勤電車でさえ体力を消耗します。後世の人はこの通勤風景を、非人道的な産業革命の名残として奇異の目で見ると思います。サラリーマンは一日の消費エネルギーの83%を通勤に使うとのデータがあり、生涯に使うエネルギーの多くを通勤に割くことは無駄だと思います。毎朝同じ時間に同じ場所に通う非効率な働き方を30年も続けて来たことは今となっては驚異です。幸福度が高いとされるデンマークでは、自分の仕事を自主的にコントロールし、多くの人が自分の仕事が好きだと聞きます。無自覚のまま人生の主体性を放棄し、会社に人生を預ける日本人の世界幸福度ランキングが50位にも入らないのは無理もないことです。自然のなかでの運動が仕事の生産性を飛躍的に高めることを広めて行きたいと思います。
人体や健康の常識が変わる
この週末は時間があり、しばらく積んであった本を5、6冊読みました。図書館に近くなった仮住まいは、年間300冊程を乱読する自分にとり恵まれた環境です。以前は読む本の大半がビジネス書でしたが、今は人体や健康に関する本が中心です。自身の関心が変化したとことに加え、ビジネス関連の情報はインターネット経由で得られるものが増え、経営手法の進化も停滞しているからだと思います。他方で人体や健康の分野は、この20年でもたらされた知見が従来の常識を大きく変えようとしていて興味が尽きません。
脳がハイジャックされる食べ放題
昨日の朝は港北のイケアに行きました。8時半から営業するレストランは写真のメニューにカレーがついて二人で800円と安い上に飲み物は無料です。最近売り場に元気のないイケアの起死回生策なのか、期間限定のワンプレート800円の食べ放題には人が群がっています。パンケーキ7、8枚を乗せるのは普通で、なかには15cmほどあるソーセージを10本以上積み上げその上にパンケーキがかろうじてはりついているというツワモノもいて、イケアへの恨みでもあるのかと思うほどです。食べ放題は本能の解放が許される数少ない場ですが、感情に支配され合理的な思考が止まる脳がハイジャックされた状態だと思います。
身体とシンクロしない娯楽に脳は反応しない
東ヨーロッパで初めて開催された2018 FIFAワールドカップは、盛り上がりに欠ける印象です。元来スポーツ観戦に興味がないのですが、例外は自分がするスポーツです。昨日は録画していた、富士山をめぐる168kmのトレイルレースULTRA-TRAIL Mt.FUJIを見ました。自分の知るコースを、知人が走る、自分で唯一やるスポーツですので、テレビを見ていて心を動かされます。創作活動をしない人が美術館や音楽会に行っても、幸福感が高まらないように、自分の身体とシンクロしない娯楽に人間の脳は反応しないと思います。外食も同様で、料理を作るようになってから食材や調理プロセスに想像をめぐらすことで楽しめるようになりました。
主体化できる授業
日本工学院の授業で留意するのは全員が授業を主体化することです。YouTubeなどで世界中の講義を居ながら受けられる現代、学校で授業をする意味は、学生と教員の双方が関わることで自然発生的に生み出される予測不能な要素だけだと思います。ハーバード白熱教室で知られるマイケル・サンデルは学生の意見だけでなく、教室の小さな音にも耳を澄ませ、教えることの非常に重要な部分は聴くことが深く関わっていると言います。少人数の3年生の授業は対話に触発されて予想外のアイデアが生まれることを何度か経験していて、これを大人数の1、2年生のクラスで実現するのが課題です。
心が通うコミュニケーション
娘が留学して今月で半年になります。悩みや葛藤はあっても本人はホームシックとは無縁のようで、残った親も感傷に浸ることはありません。この半年の最大の発見は手紙というコミュニケーションの素晴らしさに気づいたことです。瞬時に消費される大量のメールより月一度の手紙の方がはるかに多くのことを伝えられる発見は衝撃的です。学校が電子メールやSNSを強制的に絶つ理由がよく分かります。相手だけでなく自分と向き合い心を通わせるのにこれ以上有効なコミュニケーション手段はないと思います。学年全員を一人一校に留学させるという多大な労を厭わず、生徒を送り出す覚悟を持つ学校には感謝しかありません。
依存といたわりの境界
高齢の父とたまに喧嘩をします。最低限のことを自分でさせようと促すと、高齢者をいたわらない親不孝に映るようです。自立を失えば生きる力が弱まります。父親の時代には、運動と健康、自立と幸福などの関係が今ほどは解明されていないので、楽をさせてもらう安楽な老後を当然と考えるのも無理ないことです。しかし、この誤解は年代を問わず存在します。多くの人が楽をすることや快楽を求める人生を無批判に受け入れます。即物的な欲がエゴを生み、自分の身体を蝕むだけでなく世界を住みにくい場所にしてきたと思うのです。
便利さが時間を奪う
昨日はアイフォンのアップルIDが使えなくなりフリーダイヤルに電話をしました。人が対応しない時代に、待たせずに電話がつながり、応対も適切で短時間に解決するあたりは、世界最高の時価総額を誇るアップルブランドにふさわしいものです。アップルに限らず持っているIDのパスワードのうち結構な数が使えなくなっていて、頻繁なアプリの更新やパスワードを一方的にロックされていると考えられます。人類の発明品史上、これらのICT機器やサービスほど完成度の低いものはなく、便利なようで逆に時間を奪っていると思います。この30年で業務の大半がデジタル化されながら、生産性の改善が見られない会社がそのよい例です。