昨日は自宅にエアコンを取付けてもらいました。依頼したエアコン工事専門会社は内装工事会社の見積より4割以上安く、家電量販店より2割安いのに短納期で応対にも過不足なく仕上がりも丁寧です。数人で作業をするのですが先輩らしき人の指示は的確で動きには無駄がなく職人と呼ぶにふさわしい仕事ぶりです。熟練されたプロの仕事には寸分の隙きもなく見ていて惚れ惚れする清々しさがあります。プロのスキル習得には1万時間が必要という経験則があります。1日3時間費やすとして10年やり続けないとお金が取れる技は習得できないのかもしれません。いかなる仕事においても、向上心を持ちうるかどうかが肝心で、ごく狭い領域のひとつの仕事だとしても長く経験を積むことによって磨かれ到達できる境地があるのでしょう。同じ10年でもトム・ピーターズの言う「10回繰り返された一年分のスキル」や買い手が評価しない内部の論理にばかり長ける人が日本の組織には多いと感じます。
お知らせ
自粛警察は立派な病気
昨日住宅街を歩いていると年配の女性二人が誰の邪魔になるわけでもなく静かに立ち話をしていて、そこに近所の家人らしき年配の男が出てきて解散しろと言っています。リタイア後にすることもなくコミュニティにも馴染めない寂しい人に格好の正義を与えてしまったのが自粛だと思います。テレビしか見ない情弱の票が欲しい政治家は誰もが否定しにくい安心安全をアピールします。科学的根拠に乏しく使い方によってはデメリットの方が多いマスクをこれから暑くなる東京で強要する風潮も不健全です。電車のなかは静まり返り咳でもしようものなら白い目が集まる雰囲気です。マスメディアに洗脳され思考停止した歪んだ正義は日本社会を深く汚染しやらせツイートの拡散にも手を貸します。自由主義陣営にいながら世界で最も全体主義と共産主義を成功させた日本は、感染防止よりも周りに合わせることに意義を見出す不思議な国です。
地下住戸の方が落ち着く?
地下住戸に引っ越して一月が過ぎましたが、今のところデメリットは感じません。住宅街にあって外部の音や気配が届きにくい隔絶された環境が気に入っています。景色はドライエリアから見上げる空と植栽の緑だけなので、日の出前の4時過ぎに鳥の声を聞いているとここが東京の住宅街なのかと思うことさえあります。高さ制限などにより生まれた地下住戸のメリットは価格が安いことですが、一般住宅で地下を掘ることは難しくむしろ贅沢だと思います。地下の問題とされる湿気と日当たりの悪さに問題はなく、浸水被害の不安は残りますが豪雨時の浸水可能性があるエリアではないので目をつぶることができます。日当たりの悪さは外気温の影響の受けにくさになり、一年を通じて寒暖差が生じず外気温が上がる今の季節でもひんやりします。階下に気を使う必要もありませんし、集合住宅なのに戸建て住宅以上のプライベート感があり地震の揺れも感じません。都市は上へ上と住戸を高層化してきましたが、人類はもともと洞穴に住んでいた時間が長く地下の生活の方が落ち着くのではないかと思います。
ルールを守り過ぎる日本人
一連のウィルス騒動からは、一寸先は闇という印象を受けました。親切心で入港させたダイヤモンドプリンセスは「浮かぶ武漢」と欧米から叩かれ、あげくの果てにロンドン・オリンピック説まで浮上したのは今となっては笑えないジョークです。「奇妙な成功」と海外メディアが驚く日本のウィルス封じ込めを素直に喜べないのは、従順、お上意識、同調圧力という日本独自の閉鎖的な風潮も要因の一つとされるからです。昨日銀行に行くと、手回しよく近所の支店は統合され閉店していて、仕方なく行った別の支店では宣言解除をした今もわずかな行員しか居らず長蛇の列です。銀行業務など全部WEB上でやれそうなのに、未だに手書き書類の上どうでもよい作法を客にまで押し付けます。外国人は一様に日本の煩雑で無駄で絶望的なまでに愚鈍な手続きに悲鳴をあげます。勤勉なはずの日本人が世界最悪と思える手書きにハンコの非効率を放置する理由は不明です。和を尊びルールを守ることは日本人の美徳ですが、バカバカしいルールにも疑問を持たないほど従順なのは考えものでしょう。
混雑なくして儲けなし
日常生活や働き方の新しい生活様式はマスクの着用以外はむしろ好ましいものだと思いますが、問題はポストコロナのビジネスのあり方です。売上を最大化するために混雑と儲けが同義語だったビジネスの世界で、どうやって利益を出すかは暗中模索です。厚生労働省が推奨する人との間隔は最低1メートル、正面に座らない、会話を控える、なるべくオンライン、なるべく屋外というガイドラインを守れる業種は限られます。他方で一定の強制力をもって世界が行動を変えざるを得なかったことには意義があると思います。期待されるのは日本がとくに遅れている電子政府で、いまだにFAXを使い集計ミスをしたり、マイナンバーでの給付金受付を止めざるを得なかったお粗末な仕事ぶりが明らかになりました。小池一強とされる都知事選ですが、古い構造を一気に破壊してくれそうなホリエモンに期待したくもなります。少なくとも安心安全をヒステリックに叫び経済を破壊しようとする親中派の現職よりはましでしょう。
お金の自由への誤解
昨日ファミレスに行ったときの隣のテーブルの会話は持続化給付金の話で、「ダメ元でとりあえず申請する」と話していました。要件を満たす自分の会社でも申請をしたいと思いますし、周りでも申請の話を良く聞きます。当面は緊縮財政を封印して経済を最速で取り戻すことを優先すべきだと思いますが、他方で政府が何でもやってくれると考える人が増えれば、自助努力をしなくなります。国に依存すれば大きな政府になり、その行き着く先は共産主義です。一部ではMMTの議論がもてはやされますが、ジョブ・ギャランティ・プログラムなど共産主義そのものでやがて職業選択の自由を失います。自由が増えることこそ進歩であり幸福の要件ですが、自助努力なしに国に依存をすれば自由を失います。とくに重要なのがお金の自由と時間の自由ですが、お金の自由とはお金に不自由をしないことではなく、お金への執着と束縛から自由になるということだと思います。
動物なのに植物
2年の仮住まいの間使っていたバランスボールを新居でも使っています。座る生活が身体にもたらす害はもはや常識になりつつあります。安楽な生活を本能的に求める人間にとって椅子のない生活には高いハードルがありますが、慣れの問題だと思います。家にある唯一の椅子はピアノ用のものだけですが来客時以外に不便は感じません。海外のコワーキングスペースなどで見かけるようにキッチンのカウンターにパソコンを置いて立って仕事をする時間も長くなりましたが、むしろ集中できます。バランスボールは移動が簡単で空気を抜けば小さくなりますし、体幹トレーニングやバランス感覚を養うのにも使えいつも身体を動かすことに意識を向けることができます。仕事場での会議を歩きながら行うだけで、エクササイズ効果があることをメイヨー・クリニックの研究者が発表していますし、昨今歩く会議の生産的な効果が注目されます。バランスボールの効果はトレイルランニングの下りで体感でき、着地による腰のブレが最小になり最短距離で早く下っていけます。人間は動物なのに動かない植物のような生活をすることが不健康の理由のひとつでしょう。
終身雇用の時代の始まり
喉元過ぎれば熱さを忘れるのも日本人の悪い癖ですが、中国の一部ではコロナにリベンジする報復性消費の爆買が復活していると伝えられます。世界を敵にまわしGDPの7年分の巨額賠償を請求されていたら日本人なら反動消費に走る気など起こらないでしょう。緊急事態宣言の全面解禁で経済再開の道筋が見え始めた日本経済ですが、大恐慌前の不気味な静けさにも見えます。以前は複業がもてはやされましたが、今の流行は異業種間のワークシェアリングで雇用を守る民間の動きでしょう。組織の境界が曖昧なスタートアップ企業の間では従業員シェアはそれほど珍しいものではありませんが、本籍を残したまま休業を強いられる外食や宿泊産業から流通への人の移動が盛んです。多くの旧弊がポストコロナで変わると予想されますが、一つの会社の中だけで一生働く経済団体的な価値観は急速に縮小し文字通りの終身雇用の時代が始まるのかもしれません。
防げる死の回避
日本人固有の心配性故かヒステリックな自粛警察やマスク警察が話題になりました。未知のウィルスとは言えWHOも重視しないマスクに目くじらを立てスーパーの入り口に「必ずマスク」などと大書するところは周りの雰囲気に流されやすいからでしょう。政治家は国民が「緩む」と上から目線の発言をしますが、この一大事に風俗店に行ったり、賭け麻雀をしている人種に言われたくありません。世界が奇妙な成功と不思議がる日本の死亡者の少なさは、東アジアの風土病であるサーズやマーズなど同種のウィルスに日本人が感染済みとの免疫反応示しているからとされます。2月以降例年のインフルエンザが大幅に減りむしろ公衆衛生レベルでは健康になっているとの指摘もあります。東アジアの風土病を断続的に発症した日本人が免疫を獲得しているとの説が正しいのであれば、重要なことは未知のウィルスを無用に恐れることではなく、普段から健康常識を守り防げる死を回避することだと思います。
二極化する授業
遅まきながら昨日は日本工学院の最初の遠隔授業がありました。通学のないリモート授業のエネルギー消費は10分の1ぐらいで済みますし、拘束時間は半分以下になり、何より自宅でくつろいでできる授業は快適です。教室なら1割程度の学生しか発言しませんがチャットを使うと発言のハードルが下がりコメントが増え居眠りもないようです。よく使っていた黒板もなぜか無くても困りません。学校の本質的な価値は人と人の触れ合いにより生み出されますが、コラボレーションのような場の共振や人の温もりを現代の教育現場に求めるのは無理があると思います。録画で記録が残り、学生と同年代の娘から学生目線のフィードバックも受けられます。学校以外に多様な教育手段が増えた今、教員を介して対人で行う授業は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが風光明媚な木立の多い場所にある学校で散歩道を歩きながら少人数の講義や議論を行ったようにきわめて贅沢なものになっていくと思います。形骸化した授業の大半はワールドワイドの非接触空間に置き換わっていくのでしょう。在宅授業のもたらす問題点はこれから明らかになるはずですが、通学にエネルギーを奪われることなく授業のクオリティも向上すると思います。