
白河に来ると日中でも22℃と、灼熱の東京とは別世界で一息つけます。自宅を離れるときは一日一食ですが、食事を減らす方が明らかに体の調子がよくなります。健康界における議論の一つに、一日三度の食事をすべきか、それともオートファジーなどを促すいわゆる16時間断食をするべきかという真逆の主張があります。一日一食が健康に良いと考えるのは、自身が二食より一食の方が体調が良くなる実感がある事と、一日一食の実践者に肥満体形の人がいないことです。他方で一日一食生活への批判は、1回の食事では1日に必要な全ての栄養素をバランス良く摂取することが難しく、とくにタンパク質などの栄養不足とそれによる筋肉量の低下です。現状の結論は、一度の食事を高タンパク・高栄養を意識し、空腹を感じる時はタンパク質、脂質、食物繊維、ビタミン、ミネラルが豊富なナッツをつまむことです。
お知らせ
下積み不要説の真偽

新社会人4カ月の娘を見ていると、下積みは大変だなと思う反面、リモートワークの普及によって、自分の時代には常態化していた、付き合い残業とは無縁の生活がうらやましくもあります。建前が後退して、組織が成果を追求する機能体に近づくと、他方で弊害も生じます。終身雇用が崩れ、転職が当たり前になると、疲弊した中間管理職に新人を育てる余裕はなくなり、他方でインターネットの普及により、専門知識やスキルに比較的容易にアクセスできるようになると、下積み不要説も真実味を帯びます。身体化された職人の技や感覚、長年の経験で培われる目利きや、医療従事者のような膨大な基礎知識と臨床経験の積み重ねこそが、これまでの日本クオリティの基盤を作ってきたことを考えると、終身雇用、年功序列、企業内組合などの昭和の家族的経営が必ずしも時代遅れとは言えず、急速な働き方の変化には一抹の不安を覚えます。
スマホを捨てよ

5年半ぶりに新しいスマホを手にしたあとに、地獄はやってきます。ひどいのがGoogleへのログインの際に表示される崩された文字によるCAPTCHA画像で、ここまで崩されると人間のパターン認識では読めません。CAPTCHAを突破するために専門化したAIを使ったボットは通過できても、人間が読めないという本末転倒が起きます。限定された用途にしかスマホを使わないため、不慣れなデバイスで無益な確認を何度も繰り返される苦痛は地獄という表現が適切です。あまりにも不自然に歪められ、ノイズが多過ぎ、文字同士が融合すると、人間の脳はそれを意味のある文字として認識できなくなります。一方、AIは純粋にピクセルのパターンを解析するため、人間が混乱するような歪みでも、学習したデータに基づいて正解を導き出します。攻撃者が得意なCAPTCHAを最後の砦にするGoogleからの警告は、「スマホを捨てよ」と聞こえます。
招き入れたトリガーフード

5年半使ったiPhone 8をiPhone 16に変更しました。大きく厚く重くなったボディーはむしろ退化で、そのハイスペックにふさわしい使い方はしていません。今やスマホがなければ社会生活はできませんが、脳を刺激してマインドフルネスから遠ざけ、健康を阻害しているのもスマホです。近年企業のトップマネジメントや起業家の間で、修行僧(Monk)のように禁欲的で規律正しい生活を送る「モンクモード」が注目を集めます。物質的な欲望から離れ、内観と瞑想によって精神的な成長を求めるために、SNSやインターネットの過剰な情報から距離を置き、平穏を取り戻すことでビジネスにおける成功を目指します。集中を奪う外部刺激を遮断することは、クリエイターや作家などが創造性を高め、質の高い作品を生み出すためにも必要です。新しいiPhoneを手にしてもうれしくないのは、食べ過ぎてしまうトリガーフードを自宅に招き入れた気がするからです。
外食の必要性を疑う

妻が食事を作ってくれるときは一日二食ですが、長野県などに来て自分で食事を用意するときは一日一度です。食事を作るのが面倒だからという理由ばかりではなく、二食は食べ過ぎに思えるからです。最近は油を使わず健康的とされる蒸し料理が多く、せいろに入れて蒸すだけの手軽さは、もはや調理とは言えないレベルの簡単さです。蒸すだけのシンプルな料理こそ食材本来の味が引き立ち、塩や醤油といった基礎的な調味料にお金をかけたくなります。シュウマイなどを買ってきて野菜と蒸せば、もはや立派な料理になり、これ以上に手をかける必要があるのかと感じます。外食に蒸し料理店が少ないのは、飲茶などの一部の業態を除けば付加価値がつけにくく、人々が外食の必要性を疑うようになるからかもしれません。
食べることよりエネルギー産生

山が身近にある生活をするとエネルギー摂取について考えます。20km程度のトレッキングであれば無補給で歩き、もちろん朝食も食べません。食事や外食にそれほど興味がわかないのは、食べること以上に自分の体がどこまでエネルギーを産生できるかの探求に魅かれるからです。数年前に雲の平山荘から三俣山荘、黒部五郎小屋を経て、北ノ俣岳から北ノ俣岳登山口まで、12kgの荷物を背負い歩いたときは5,400kcal程度を消費しているはずですが、前日から無補給でそのまま車を運転して帰りました。食べることと、自分でエネルギーを生み出す能力はトレードオフの関係にあり、飢餓に近い状態でトレーニングを積むことで、より効率よくファット・アダプテーションによりエネルギーが作られます。脂肪を燃やせば生活習慣病の予防やアンチエイジングにも効果があり、体形も良くなるとあればやらない理由などありません。
アビリーンに向かってる?

ジャングリアが炎上気味です。有名人にアンチが出るのは当然で不当な主張が多い反面、一理あると納得するものもあります。プロモーション映像が過剰演出だったことは致し方ないとしても、背景にあるのは行き過ぎた期待とのギャップでしょう。これだけ叩かれれば心が折れますが、エネルギッシュな森岡氏がいつになく疲れた表情で取材に応じ、弱気だったのを見ながら思ったのは、アビリーンのパラドックスです。経営学者のジェリー・B・ハーヴェイが1974年に提唱した概念は、彼自身の家族に起きた出来事に由来します。退屈だろうからと53マイル離れたアビリーンまで食事に行こうと誰かが提案し、本当は誰も行きたくないのに行くはめになり、食事も不味くてひどい目に合うという話は、集団意思決定の恐怖として知られます。USJ時代に実現できずに辛酸をなめた経験が、アビリーンに向かわせていなければよいのですが。
自分だけの時間

長野県にいるときは山に登っていなければ家の外にテーブルとイスを出して、パソコンは目の前にありますが、ただ何をするわけでもなく時間が過ぎます。とくに好きなのが日没前30分頃から鳴きだすヒグラシの合唱を聞きながら、あたりが薄暗くなり、やがて闇が訪れる時間の流れの傍観者になることです。蝉のはかない一生と自分の人生について考えます。友達が少ないと人に揶揄されることもありますが、誰に煩わされることなく、自分だけの時間を持てることこそ人生の質を高めると思います。休日何もせずにぼんやり過ごすとDMNが活性化し、脳が大量のエネルギーを消費することで、脳疲労が蓄積することが知られます。一方で自然のなかに身を置くと、バイオフィリア仮説がそうさせるのか、注意は周囲に注がれ脳はムダにエネルギーを消費せず、ぼんやりしているようで、大切なことに気づくのかもしれません。
目の前にある非日常

普段から眠りが浅く、眠くなければそのまま起きだしてあえて寝ようとはしません。昨夜も夜中の0時過ぎに目が覚め、家の外に椅子を持ち出しました。夜空を見上げて人工衛星を探し始めると、流れ星が頭上を横切ります。遠くの森で鹿が鳴き、単調なリズムで虫の音が響き、人の気配のしない漆黒の世界に身を置くと、何かに畏敬の念を感じる不思議な情動が芽生え、時間の流れが緩やかに変わります。似ている記憶を探すなら、アメリカのグランドティトン国立公園のホテルのデッキで、夕暮れの大平原を動物の群れが移動しているのを見たときの感覚です。東京から2時間の長野県で似た経験ができるのなら、言葉にしがたい複雑な感情を伴う非日常は、目の前にあると言えます。最終的な判断は感じ手の感受性の問題ですが、自分を消費者としてみた場合、非日常性の深度が圧倒的に違うと言われても、海外まで出かける追加費用は不要に思えます。
4年前の体を取り戻す

長野県にいるときは、朝は西岳と編笠山に登ります。富士見高原登山口からの累積標高は1,263m、10.5kmで1,568kcalを消費する山歩きは、朝のルーティンに最適です。腰痛あけの昨日は3時間15分を要し、これは4年前より45分も遅いタイムです。それでも悲観しないのは、登りのタイムは10分遅いだけで、ここまで時間がかかった理由は下りを走れないからです。一般ハイカーとトレイルランナーの違いは、下りを走ることで、そのための筋肉が必要です。下り坂では大腿四頭筋が体を支えますが、筋力が落ちると、着地の衝撃を吸収できなくなり、これは腱や関節の耐性低下も同様です。不整地のどこに足を置くかを瞬時に判断し体を安定させるには、神経系の働きも不可欠です。人々が老化だと思っている体の機能低下の大半は、使わないことによる廃用性萎縮であって、また使い始めればその機能の大半は回復しますから、当面の目標は4年前の体を取り戻すことです。