山そのものが目的ではない


人を山に向かわせる動機は様々です。妻との共通の趣味は山歩きですが、一緒に行く機会はまれで、別行動することが大半です。先週も妻は甲斐駒ヶ岳や赤岳といったメジャーな山に登り、同じ場所にいても、私は早朝だけ近くの山に登りあとは仕事をしていました。私は毎日飽きずに同じ山に登りますが、妻は基本的に違う山に登ります。彼女は人と登るのが好きですが、私は自分一人で登るのが好きです。単独で山を歩きたいのは、人を気にせず自分のペースで歩き、自分の内面と向き合いたいからです。これはわがままではなく、これから山の気温が低下する季節になると、グループでの登山は遅い人にペースをあわせる結果、弱い強度の運動では体が発熱をしない人は体力を奪われ危険だからでもあります。私の目的は山での運動であって、山そのものが目的ではないことが最大の違いでしょう。

人類の再覚醒


夏休みの自由研究であるファットアダプテーション(脂質代謝適応)の探求は続きます。先日読んだBORN TO RUN 2に続き、第一作「走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の走る民族」を読み直しました。長野県にいる間は一日一食からなるべく糖質を減らし、八ヶ岳で3時間ほどのトレッキングをします。会話ができる程度の運動強度がファット・シフトを促し、同時にミトコンドリア活性を高めます。その結果、夏以前よりお腹の脂肪は減り、サウナに入っても自己嫌悪に陥らないで済む体形を取り戻しつつあります。活力も増したように感じられ、脂肪を燃料にするファット・シフトこそが最も安上がりに、最も効果的に体と心を健康にするソリューションだという確信を深めました。血糖値が安定することで、スーパーに行っても、寿命を縮める食品の棚を素通りできるようになりました。もしかしたら人類の再覚醒のときは近いのかもしれません。

外食はねぎらい


妻の数日遅れの誕生祝いに外食をしました。一日一食生活が定着した今では、外食は割に合わない娯楽になりました。都心の一等地の割に値段は妥当で、料理も普通に美味しく、ちょっとした非日常感もあり、悪くない店です。おそらく外食店の多くはこのカテゴリーに分類されると思います。他方でその料理は自分の体に本当に必要な栄養素を補給してくれるものではなく、おそらくその美味しさも神経伝達物質の分泌量などを客観的に分析すれば、自分で作る蒸し料理と大差なく、雰囲気にしても、長野県でデッキにテーブルを出し、バリでもらってきたテーブルクロスを敷き、ろうそくの火を頼りに夕暮れの森で食事をする方が癒されます。店から現実世界を通って家路につくより、自分の家で食後の余韻を楽しんだ方がはるかにリラックスできます。結局のところ、外食は普段を食事を作ってくれる妻へのねぎらい以上の意味はないのかもしれません。

ネット飢餓


長野県にいるときはWi-Fi環境から離れます。もしWi-Fiがつながるなら、せっかく自然の懐にいても、鳥の声や林を抜ける風の音に注意を払うことなく、YouTubeを見てしまうことが必至だからです。接続が必要なときは、車で10分ほどの町立図書館に行きますが、オンライン会議などは茅野のスターバックスの屋外席を使います。昨日もまとまった作業をしたくて、スターバックスに行きました。AIとのチャットで調べものをしていると、すぐに2時間ぐらいは経過しますが、昨日は異様に集中して、朝7時の開店とともに入店し、気が付けば13時をまわっていました。ショートドリップ一杯で6時間も粘るなど倫理的にあってはならないことですが、幸い店は空いており、珍しく集中が途切れずトイレにも立ちませんでした。店を出たときはさすがに頭痛がしましたが、デジタルデトックスの本当の効果は、人をネット飢餓状態にして、生産性を高めることかもしれません。

偉大な第一作の遺産


ランニング界に激震を与えた「BORN TO RUN」の続編、「BORN TO RUN 2」を読みました。実践ガイドの位置づけですが、タイトルが示す通り至って平凡な中身で、第一作のような衝撃もなくヒット作になる予感はしません。「ランニングシューズは人間の足を襲う市場最大の破壊勢力」という刺激的なフレーズで、ナイキなどのビッグ・スニークを敵に回した切れ味の良さはなく、逆にこの20年間、ランニング界に新しいトピックスが乏しいことの裏返しかもしれません。自分が夏休みの自由研究にしているファット・アダプテーション(脂質代謝適応)に関する記述も限定的で、少し物足りない印象です。タラウマラ族(ララムリ)の古タイヤのシューズが日本でもブームになった前作のような社会現象になることもないでしょう。それでもそこそこのセールスになるとすれば、それは偉大な第一作の遺産ということかもしれません。

何もないのに全てがある


夕食に飲んだコーヒーのためか、午前0時前に目が覚め、デッキに椅子を持ち出します。やがて暗がりに眼が慣れると、カラ松林からのぞく星空が鮮明に輝き、森からは止むことのないリズミカルな虫の音が響き、「いまここにいる」感覚が訪れます。何もないのに全てがある、内部から湧き上がる充足感により、年々衰退する物欲が、さらに減退する気がします。今すわっている、20年ほど前にヤフオクで買った薄汚れた椅子を、昔欲しかったブランドのついた最新の椅子に替えたとしても、自分をなぐさめてはくれないでしょう。たるんだバックレストが、むしろ自分の体には心地よく感じられます。目の前に停まっているN-VANにしても、快適すぎる昨今の軽の商用車以上の性能や快適性は虚飾に思えます。物欲と不用品であふれる世間では、本質と向き合うことなしに、常にオーバーヒート気味の脳をさらに酷使しているのかもしれません。

消費なき充足


お盆を過ぎると、山では足早に秋がやってきます。一方、全国の都市部では相変わらずの灼熱地獄が続きます。人々が今の季節、週末に自然を目指すのは、単に避暑や清涼感を求めてだけではないと思います。人口密集やヒートアイランド現象など、都市の問題が露見する時期ゆえに、外部刺激から逃れることのできない都市生活のデトックスを、本能が求めているからかもしれません。都会的な暮らしとは、金を稼ぎ消費することが目的化し、自分と向き合うことなしに、社会的コンセンサスとしての幸せを追い求めるために最適化された環境です。いくら言葉を飾ったとしても、世間で言われる「本当の幸せ」とは経済原則に取り込まれ、快楽の鎖につながれたままです。片足を大量消費に突っ込みながら、自然のなかで感じる消費なき充足こそが、もっとも尊いと気づいたとしても、都市が放つ眩い刺激から自由になることは容易ではなさそうです。

加齢原因説の罪


腰痛が改善して最初の夏山シーズンで、4年前は2時間半で周回できた西岳、編笠山に45分遅い3時間15分を要しました。しかし数度登るうちに9分だけ短縮し、無理のないペースと一定の負荷を心掛けていますので、体の動きがトレイルに適応したことになります。4年前のペースに戻すには相応の筋肉が必要ですが、体は動かしさえすれば強い復元力があると思います。知ってか知らずか、世間では加齢原因説の嘘が流布され、本来なら避けられた老化によりおびただしい人の寿命を縮めたのかもしれません。「老化」と一括りにされている衰えの多くが、廃用性萎縮であることは、多くの研究が指摘しています。生理的老化による筋肉量の減少は年に1%程度ですが、廃用性萎縮では、安静にしていると3週間で60%もの筋力が低下すると言う研究もあります。避けられた老化による経済損失は5.4兆円ほどと試算され、これにはQOLといった心の問題は含まれません。

健康オタクの逆襲


健康志向の世の中になる前は、健康オタクはバカにされる存在でした。楽しみを我慢する人生に何の価値があるのだ?という主張はもっともに聞こえますが、楽しみの大半は脳の一部が喜び体とは分離した快楽です。美味しいと感じるその味覚は食品産業が作り出した刺激によってハックされたものです。将来のために今を犠牲にするなんて馬鹿げている、と言う声も聞きます。太く短く生きたいという趣旨ですが、問題はその行く末が「細く、長く、苦しむ」現実になることです。「俺の人生だ。他人に指図される筋合いはない。」という文句も聞きます。しかし、本当でしょうか?自分の意志で選んだと信じている商品、必要だと感じている商品は、メーカーのマーケティングによって刷り込まれ、産業の最高の顧客になっているだけかもしれません。自分の持ち物で磨くべきは、唯一与えられた肉体だけだと思うのです。

最高の状態で脳が起動する


長野県の朝のルーティンは、3時間かけて西岳と編笠山に登ることです。これは単なる気分転換やリフレッシュを超えた、脳の生産性を最大化するプロセスだと思います。朝一番の有酸素運動はBDNF(脳由来神経栄養因子)の分泌を促し学習、記憶、高次の思考を司る神経細胞を育て保護します。山頂で浴びる太陽はサーカディアンリズムをリセットし、覚醒レベルを最適化します。空腹状態で運動をするために脂肪が燃焼し、脳にとってクリーンで安定したエネルギー源であるケトン体が使われ、血糖値の乱高下によるパフォーマンスの波からも解放されます。適度な負荷の登りはDMNが活性化することでアイデアが生まれ、不整地でスピードを上げる下りは脳に膨大な情報処理を要求し、強制的なマインドフルネス状態になります。さらに自然と同化する森林浴の効果が加わり、単なる運動を超えて、最高の状態で脳が起動する気がします。

Translate »