ウィルスが変異して恐ろしさを増したという噂が世界に流布され、二度目の緊急事態宣言が恐怖を煽ります。やるべきことは明確ですから冷静に健康管理をすることが重要でしょう。奈良県立医科大学が昨年11月末に発表した「お茶による新型コロナウィルスの不活化効果」などは最も手軽な対策だと思います。お茶を新型コロナウィルスに接触させると、実験に使った3種類のお茶の一つは30分後に減少率が99.975%に達し、高い不活化効果を示したと言います。大学の公式発表ですからトンデモ健康情報と一笑に付すことはできませんし、紅茶は普段から飲用していますので何の実害もありません。ベストな飲み物は生姜紅茶だと思っていて、愛飲するようになってから十数年風邪を引いたことがありません。概して医療費が高い海外ではマヌカハニーが風邪薬に使われるように、民間療法が発達していますが、国民皆保険制度により安易に医者に掛かれる日本では伝来の民間療法は廃れた感があります。これを機会に予防医療の意識が世界に広まるなら一連の騒動の犠牲は決して無駄にならないでしょう。
お知らせ
エアコンなしの生活
今週は一年で一番日の出が遅い時期で、来週からは夏に向けて日中の時間が伸びていきます。半地下の自宅に転居して8ヶ月になりますが、夏にクーラーが不要なだけではなく、冬も暖房が実質不要で、適温が保て体への負荷を少なく暮らせるメリットは大きいと思います。今の時期に屋外から戻ると暖房が入っているのかと錯覚するほどの気温が保たれます。扇風機やホットカーペットは使いますがその電気代はエアコンの数十分の一とされ、居室面積が増えたのに夏季の電気代は以前の半分から三分の一になりました。夏暑く冬寒い東京でさえ一年を通じてエアコンなしの生活が現実的ですから関東以西のエリアなら電力消費を抑えたエアコンなしの生活が可能でしょう。欲を言えば小さな薪ストーブでもあればベストですが、都会を離れさえすればそれも可能です。肉体労働を厭わなければお金をかけずに燃料を入手でき、料理に使える実用性と炎のゆらぎがリラックスをさせ心を落ち着かせてくれます。日常生活にゆらぎのある時間を持つことが人工的空間に生きる現代人には必要であり、過疎を心配する地方にはいくらでも土地があります。
歴史的必然という力
世界が歴史的瞬間を目の当たりにするとされる米国時間の1月6日を迎えました。謎の死を遂げたはずの大富豪ジェフリー・エプスタイン生存説まで飛び出し、アメリカ政治から目が離せない1ヶ月でした。おそらく数時間後には展開が見えるはずです。不正選挙の闇を知るCIA長官のトランプ陣営への寝返りや中国通信大手3社のニューヨーク上場廃止がわずか数日で撤回された不自然なニュースなど、いくつかの事実をつなげてその背景にあるシナリオを分析すると世間の認識とは異なりトランプ逆転勝利の結論は妥当に見えます。トルストイは「戦争と平和」のなかで、人間社会は歴史的必然に従って動き戦場の勝敗を分けるのは民族の特性によって決まり、天才的指導力に左右されないと述べています。歴史を変えるのは数々のビッグ・ディールを勝ち取ってきたトランプという稀代のリーダーの力ではなく、ワシントンDCに集まった人々の集合体が生み出す歴史的必然という力なのでしょう。
健康に執着してはいけない?
存命中の世界最高齢者と認定される田中カ子氏が今月2日に118歳の誕生日を迎えました。零戦設計者の堀越二郎氏と同い年で1歳のときに日露戦争が開戦し、長男は出征してシベリア抑留されたと言います。多くの百寿者がそうであるように、健康オタクではなくコーラや缶コーヒーを毎日飲みチョコレートが好きで、45歳で膵臓癌、103歳で大腸癌の手術を受けています。延期された東京五輪の聖火リレーのランナーに名を連ね、無事開催されれば118歳129日で聖火をつなぐ予定です。ギネスから存命中の世界最高齢に認定された際に報道陣からこれまで一番楽しかったことを尋ねられた時、今と答えたのも長寿者に共通する感想です。50歳を過ぎる頃から年を重ねるに従い幸福感を除々に高める老年的超越と呼ばれる心理的特徴が百寿者には顕著に見られます。些細なことにこだわらず、変に健康になろうなどと執着せず、よく体を動かし、今に満足して生きることなのでしょう。
戻ってきた狂気
糖質制限や断食をしていると言うと、奇異の目で見られる風潮は今も残ります。糖質制限は人類が長年慣れ親しんできた人体の設計仕様に最も近い食生活ですが、人類史における異端でしかない現代の飽食社会に準拠する空気はそれを認めません。一方で糖質制限原理主義者ではありませんので、お菓子などを食べる機会が増える正月の食生活は羽目を外すことになります。その影響は顕著で、正月の数日間はすぐにお腹が空き、ちょっと運動をした程度でも低血糖に陥り体の動きが鈍くなります。血糖値スパイクは自覚症状を伴わないサイレントキラーですが、事後的な低血糖状態として体に変調が現れます。最も顕著な変化は狂気の食欲ともいうべき無節操な空腹感が戻って来ることです。午前中に糖質を控えるだけの手軽な糖質制限でも十分に効果があることが、不健康な食生活をすることで期せずして証明されます。自分を見失うまで満たそうとする飽食社会は、食べ過ぎによる不快感と常に双子の兄弟です。操られる消費は、満たされているのに満たされないアンニュイな虚しさを残します。
老化の75%は自己願望
昨日は義理の父の家に行きました。一人で暮らす88歳の父はおせち料理も自分で作り完全に自立して暮らしています。以前なら施設に入って守られながらも不自由な余生を過ごすのが当然とみなされる年齢ですが、今は90歳を超えても現役で働き経済的に自立することも決して驚くべきものではなくなりました。80歳で3度目のエベレスト登頂に成功し86歳の一昨年、アコンカグア登頂を目指し6,000mまで登った同い年の三浦雄一郎氏の例をあげるまでもなく、筋肉も脳も成長し続けることが分かっています。老人学の権威であるA. カムフォート博士が老化の75%は自己願望の現れだと述べたように、段々年をとって衰えていくと信じ込むこと自体が人を老化させます。日本を含む多くの国において老化が最近まで研究対象とされなかった理由は、老化は避けて通れないと言うコンセンサスがあるからだと思います。人が死ぬことは経験値であり明確な証拠は見つかっておらず、われわれが衰えだと誤解しているものの半分は体質の変化であり、残りは老いるという思い込みでしょう。
目指すべきはほどほどの幸せ
昨日は入笠山(1,955m)に登りました。南アルプス最北端の山とされますが、ゴンドラでもアクセスできる手軽な山です。山は四季ごとに魅力的な一面を見せますが、最も幸せを感じるのはトレイルにほどよく雪が付いた今の季節だと思います。人が幸せを感じる時、脳では神経伝達物質のセロトニンが分泌されます。早朝の森の静寂な冷気と日光を浴びながらのリズミカルな運動集中と呼吸はセロトニン活性に申し分なく、スノーランは最適な方法でしょう。自然のなかで感じるやすらぎは決して「もの凄く幸せ」と言った類のものではありませんが、幸福感を引き起こすセロトニンは1日の分泌量が決まっていて、結局どの人の人生も少し幸せという実感に落ち着くものです。ほどほどの幸せが人間に与えられた幸福の分量なのに、都市生活はモアアンドモアの幸福幻想を煽る雑音で満たされます。適度な運動で爽快感を感じると理性を取り戻し食欲などの欲望を抑えることができると思います。ほどほどの幸せで満たされる人生を目指すべきなのでしょう。
内省へと向かう豊かさ
正月三が日は初詣に行く以外、テレビも見ませんので普段の生活とほとんど変わりません。違いは必要以上に食べることですが、食べることも食べないことも同様に楽しむと正月太りの悩みから開放されます。食べる生活と食べない生活を交互に繰り返すことで成人以降最軽量の体重を維持しています。産業はシズル感の魔力で脳に幻想を抱かせ過剰な消費を迫りますが、その最大の書き入れ時はお正月でしょう。大半の人は操られた食欲で食べ、その背景にあるのは「食べられない」ことをネガティブにとらえる脳の過剰反応です。「食べたくなったら食べる」とポジティブに考えるだけで食べない時間は快適な内省の機会になり、清々しい静けさを自分の内面に生み出します。食べないことで食べることの大切さを理解でき、現代社会が脳を狂わせる刺激で満ち溢れ、味わうことなく乱暴に食べているかが分かります。われわれが食べることに熱中するのは飢餓時代の記憶と貧しい時代の豊かさへの憧れの名残だと思います。貧しい時代の脳に支配された豊かさが生活習慣病をもたらした後、物欲を卒業した豊かさは内省へと向かうのでしょう。
遠い現代史のうねり
初詣はこの数年諏訪大社上社本宮に参拝します。例年なら家内安全を願いますが、今年ばかりは世界平和を祈らずにいられません。人類全てを巻き込んだコロナ危機は世界大戦以来75年ぶりに世界に転換をもたらし始めました。年初のアメリカの混乱から始まる混沌とする世界情勢から目を離せない一年となるでしょう。米国では歴史上4人の大統領が暗殺されましたが、1900年のウィリアム・マッキンリー、1960年のケネディと60年で一巡する庚子年に選ばれる大統領の暗殺が続いていることは不気味です。年末に三島由紀夫や近衛文麿に関する本を読みました。どちらも遠い現代史に見えて、われわれの生きる社会はこれらの時代と同じうねりと力学の上にあります。目の前の事実がどうであれ重要なことは自分の考え方と姿勢だと思います。心の持ちようこそ最後まで人間が手にする自由であり、人が死ぬ際に持って行けるものは心が満たされる幸福感だけです。内面の声に従い欲望と執着に惑わされず平常心でいられる一年にしたいものです。
消費より何気ない日常
大晦日に渦中のイギリスに戻る予定だった娘のフライトがキャンセルになり、正月は家族で迎えることになりました。ご多分にもれず我が家でも一番忙しいのは娘で一緒に旅行をしてもせいぜい一泊ですから貴重な機会です。普段はそれぞれが勝手に過ごしていて、誕生日や結婚記念日を祝うこともなく、真珠婚式だった30年目の昨年も忘れてスルーし何もしませんでした。一方で家族関係の適度な距離感は深刻な衝突が避けられるのかもしれません。外資系企業にいたとき欧米人の部屋には必ず家族の写真が飾られていましたが日本人にはそうしたメンタリティはありません。家父長制的な堅苦しさが敬遠されてか家というものを省みる機会は年々減っているように見えます。現代の都市生活は核家族化により社会から孤立して生きますが、社会の大きな混乱が起こる2021年には身近な日常を顧みるようになると思います。当たり前過ぎる家族や仕事について考える機会は多くありませんが、目新しさや胸を張れる消費より大切なのは、何気ない日常に目を向けることでしょう。