健康に関心を持つようになったのは中年以降ですが、メモが残るだけでも約2,000冊の健康本を読みました。読書量が増えても結局やるべきことは運動、小食、自律神経バランスの3つだけとシンプルです。ノーベル賞級の新しい発見も含めて、あとから仕入れた知識は答え合わせに過ぎません。健康の秘訣は現代人だけが手にする特権などではなく、紀元前からヒポクラテスが指摘していたことばかりです。むしろ過食や運動不足、自然から遠ざかる過度な都市集中という現代の生活が病気を生み出したに過ぎません。西洋医学が得意とする救急救命にしても、戦争によって不自然に失われた機能を治す外科手術が中心ですし、抗生物質など一見有益に見える発見もありましたが、それらはまた別の問題を引き起こしました。そう考えると2千数百年の間の進歩は決して本質的なものではなく、我欲による堕落は精神性、思考力、芸術性などあらゆる面で人類を退化させたのかもしれません。
お知らせ
沖縄はセーフティネット
節分が過ぎ立春を迎えると春は目前ですが、憂鬱な花粉症の季節も廻ってきます。雪の残るうちに山に行かねばとあせる一方で、この数年滞在している避粉地の那覇やハノイに行くとその気候に癒されます。癒しとは恐怖からの解放であり、戦争危機、疫病パニック、スタグフレーションといった人為的な災難とメディアの雑音を消すのに旅は適しています。沖縄には仕事でもよく行きましたが、暖かいところに行くとどうやっても生きていけそうな安堵感を覚えます。自分にとって沖縄はセーフティネットのような場所で、かつては高い若年者失業率などの問題を抱えながら悲壮感はありません。学校や職場が原因の自殺は後を絶ちませんが、自分を追い込むように仕向けたのは社会に適合しないことを落伍者呼ばわりする洗脳でしょう。真面目な人ほど職場の選択肢がそこしかないと思い込みストレスを増幅させます。死ぬこと以外はリスクでないと楽観的に考えるのはある程度余裕のある人でしょうが、沖縄はそう思わせてくれる場所です。
信頼すれば相手も応える
娘が渡英しアラカン世代の夫婦だけになると肉製品を買うことがなくなりました。肉食の健康への影響については賛否がありますが、おそらく腸内細菌の状況によって個人差があると思います。食事の回数を減らすに従い、精進料理のようなヴィーガンに類似する料理が好ましく感じられるようになります。消極的肉食のパートタイムヴィーガンの我が家では機会があれば肉を食べ、先日は香典返しのカタログギフトでローマイヤの肉製品をもらいました。創業101年を迎えるローマイヤはロースハムを誕生させるなど日本の食肉加工業界の発展に重要な役割を果たした企業です。創業者のアウグスト・ローマイヤーは第一次大戦で日本の捕虜になり、釈放後も日本に残り日本の食文化を変えました。神聖な響きさえ持つドイツのマイスターという点では菓子職人であったカール・ユーハイムも似た境遇です。当時彼らには見張りさえ付かず捕虜収容所は市民との国際交流の場であったとされます。信頼すれば相手も期待に応えようとする環境でこそ発展は続くのでしょう。
好ましい選択肢が常にある
37兆とも60兆とも言われる人間の細胞は毎日0.5%から2%が入れ替わっているとされます。数ヶ月から1、2年で新しい体を手に入れる計算になりますが、日々更新される体を実感するのは傷口が治癒していくときぐらいです。一方で確実に確かめる方法は食事による体の変化です。昨日のように新月の時は体の解毒が進むとされ、断食により心も体も軽くなります。栄養を摂ることと同様に食べないことは体をデザインするのに役立ち、食べるか、食べないかという二項対立は無益です。食べることも食べないことも共に重要であり、好ましい選択肢が常にあると執着が生じなくなります。同様にお金を使うことも使わないこともどちらにも価値があります。何かを買うという行為が一種の本能を満たすように、お金を使わない日もまた充足を感じます。世の中にストレスが蔓延するのは、より多く食べさせ、お金を使わせることにしか価値がないかのように偽装されているからでしょう。近年のマインドフルネスブームの背景にあるのは片側だけの雑音への抵抗のように思えます。
美味しさと健康は両立する
普段の料理は妻任せですが、作り置き惣菜やロールキャベツ、餃子、カレーなどを作ります。調理器具が充実していた旅館時代はスパイスからカレーを作っていましたが、今は業務スーパーで買った業務用ルーを使います。ホテルのような味わい深いカレーをイメージしつつスパイスを追加してそれらしく作ります。前日から仕込むことが重要で一晩寝かせて食材が溶け込み成分を安定させることで野菜だけでも本格風の味になります。料理は家事であると同時に、自分のイメージした味に近づけていく探究心を満たすクリエイティブな趣味だと思います。美味しさと同時に追求するのは食材の持つ薬効です。カレーのスパイスは漢方の生薬と同じであり一種の薬膳料理です。多数の香辛料を使うために免疫力を高め老化予防になります。カレー粉のウコンの成分に含まれるポリフェノールのクルクミンにより血管や脳が若返り、インド人のアルツハイマー発症率はアメリカ人の4分の1とされます。免疫力を高めるにんにくやごぼうを加えたカレーは、美味しさと健康を両立する手軽な薬膳料理だと思います。
お仕着せサービスより完全オーダーメイド
表参道うかい亭で食事をしました。旅行中を別とすれば我が家が完全自腹で外食をするのは近所のカレー店に年に1、2度行く程度で、あとは株主優待で行くスシローとうかい亭ぐらいです。勉強のために行く外食店はありますが、楽しむための外食をほとんどしなくなりました。以前は世間並?に外食に出かけましたが、昔ほどに楽しめないのは他人の作った料理が体に合わなくなったからだと思います。昨日食べたサーロインはとても柔らかいのですが一切れ食べれば十分でそこから先は苦痛に近い感覚があります。ガーリックライスも良質の油を使っているのに、にんにくの香りが移った油を捨ててしまうのは見ていてもったいないと思います。おこわのようにしつこくないのが店のこだわりだそうですが、それなら先程の肉はどうなのかと違和感を覚えます。店のこだわりは結局お仕着せサービスであり、人にサービスをしてもらうことも不快ですし、自由に振る舞うことができません。完全オーダーメイドで好きなものを好きなように好きな雰囲気で食べられるのは自宅の食事だと思います。
想定外という新たな可能性
昨年末から解体工事を始めた甲子高原フジヤホテルを見に行きました。再建の目処が立ったわけではありませんが、補助金を受ける場合は積雪で工事ができない期間も含めて1年以内の事業期間が求められることから見切り発車することにしました。皆が補助金をあてにするようになれば社会に依存が生じます。「使わなければ損」的な発想は決算期が近づき税金を1円でも下げたいから経費を使うのと似て後ろ向きの発想です。他方で、補助金があるからこそ思い切った挑戦ができることは大切でしょう。イノベーションには2つのパターンがあって、セーフティネットがあるから起こすものと、本当に切羽詰まって火事場の馬鹿力により生じるものがあると考えられます。イタリアと並び起業比率が低いとされる日本では、多くのサラリーマンが給料をセーフティネットではなく、特権的に保障された身分の安定と捉えるのかもしれません。旅館を買った5、6年前にはこんなに早く解体する日が来るとは思いませんでしたが、想定外という新たな可能性を楽しむことがイノベーションの孵化器になるのでしょう。
いずれ自分も被害者に
昨日は人影のない会津東山温泉に泊まりました。古い旅館ながら、レセプション回りやフリードリンクのラウンジ、浴室などそれなりに力を入れて改装しているのに、客室階4フロアのうち1層でさえ埋まっていないのは気の毒と言うしかありません。夕食がついて一人で泊まって払いきり5,500円という破格の値段に至っては、気軽に自粛しろという人への憎悪さえ生まれます。夕食を取る客は2名だけですので、館内で調理するはずもなく、夕食は仕出しですが食器が立派なので体裁は整います。滝のように流れる温泉や十分にきれいな施設、過不足ない設備などを考えるとやるだけ赤字です。怖いのは疫病ではなく扇動された群衆心理です。10年おきに起こる疫病騒動の恐怖を考えると、誰もこの業界でビジネスをやりたいとは思わなくなるでしょう。零細事業者が多く業界の組織力の弱い飲食、宿泊業はスケープゴートにされます。毎年インフルエンザで数千人が死んでいるときは誰も問題にしなかったのに、扇動に乗せられてヒステリックに反応するなら、いずれ自分も次の被害者になることに、多くの人は思い至らないのでしょう。
いい子は恥ずかしい?
昨日はラブラドールが下痢をして病院に行きました。生まれてこの方、決まった時間に同じ餌を食べているので、普段は規則正しく良好な便が出ます。人間とは違っていつもご機嫌で、よほど調子が悪くても自分では伝えません。甘えるように鳴くのは餌を食べたいときで、いつもの時間に欲しがらない日は要注意です。言葉で伝えることができないので行動の変化に気をつけます。山などで脚を少し引きずっているときはすでに肉球が破れて血が流れていたりします。人間なら気絶しかねない痛さだと思うのですが、文句も言わず健気に人に従います。日帰り百名山の最難関とされる平ヶ岳で熱中症になったときも、フラフラになりながら結局最後まで自分の脚で下山し、担架で運んだのは体を冷やした川から駐車場までの2、300mだけです。言葉を話さない犬は行動が全てですが、他方で人間は、言葉は誠実でも行動は不誠実な人が多いと思います。人から批判されることを恐れてか、誠実そうに振る舞うことを強要される世の中になりました。SDGsバッチに違和感があるのも、自分からいい子を演出する態度にどこか恥ずかしさを覚えるからです。
普通に生きるとカウントダウンが始まる?
昨日は久しぶりに株主総会に行きました。妻が証券会社勤務なので株取引には一定の制限を受け、わずかな銘柄を長期保有しています。好きに株式投資ができない不便さは短期の損得に執着せずに済むのでかえって好都合です。企業の将来性を占う有効な材料は経営者とマネジメントチームの力量を見ることだと思います。経営者に会える株主総会の質疑応答は、企業の生命力とも言える経営者の思いや姿勢を知る手がかりになります。その会社に関して言えば、当初の先鋭化された商品が徐々に影をひそめ、普通の企業になっていくことが気になっていました。一人一発言の制約では、十分な意思疎通は難しく、ほとばしるような生命の息吹を感じるには至りませんでした。会社が成長して大きくなると良い条件で仕入れができるなどビジネスは安定しますが、他方で創業時に持っていたストイックな理想追求の姿勢が失われていくと思います。人も企業も理想が衰退し惰性で普通に生きるようになると、命が尽きる時を告げるカウントダウンが始まるのでしょう。