旅は持病を治す

自宅にいると自分とは無関係に食べ物が家のなかに入ってきますが、旅先では飲食を100%自分でコントロールできます。この機会を利用して長年放置していた逆流性食道炎を治すことにしました。過食とカフェインや刺激物、高タンパク質・高脂肪・高カロリー食品を控えるだけですが食前に漢方薬を飲んでいることもあり、1週間ほどで気にならない状態まで改善しました。旅に限らず年に一度ぐらいは自分の身体をリセットする機会を持つべきだと思います。大半の不調は生活習慣が原因のため自分で治すことができ、持病と化していた腰痛も簡単に治りました。国民皆保険の結果、戦後の日本人は何でも医者を頼るようになり、一方医者は生涯顧客化のために、不調とは一生付き合って行くしかないと吹聴します。受け身の患者は従順に従いますがその大半は嘘で、不調はお金もかからず自分で治せます。自分なりに勉強をして色々な方法を試すことが健康を保つ秘訣だと思います。旅が必要であるとするなら、それは自分の身体を正常な状態に戻すリトリートとしての役割でしょう。

観光がすべてを破壊する

那覇にいる間に見たかったものに、富盛の石彫大獅子、第32軍司令部終焉の地、バクナー中将慰霊碑があり昨日これらをまわりました。富盛の石彫大獅子は戦闘中の米軍兵士と撮影された写真が有名で、そのシーサー像には痛々しい弾丸の跡が残ります。第32軍司令部終焉の地は美しい芝生の公園というイメージしかない平和祈念公園の南端にあり、断崖まで追い詰められた最後の司令部という悲壮感が漂います。バクナー中将は第二次世界大戦中に戦死した米軍最高位の階級の軍人で、慰霊碑は砲撃を受けた小高い丘にあり、死の直前に撮影された写真が知られます。これ以外にも多くの戦跡を訪れ何度も手を合わせる一日でした。どこもその現場に立つと感情を揺り動かされ、同時に新たな発見があります。一方で、有名なのでとりあえず寄った斎場御嶽は興ざめでした。今も信仰の対象となる神聖なる場所であることは確かですが、ガイドの声と団体客のおしゃべりで風情も何もありません。ただ人を呼べば良いという観光の在り方がすべてを破壊すると思います。

新しいほど有利という不毛の時代

コロナ禍で影響を受けた旅行産業は、自粛が終わっても元には戻らないと思います。非接触が奨励されると、かつて宿泊業の収益の切り札だった定員稼働で効率よく部屋を売ることが難しくなります。今滞在している那覇のホテルは、ワンルームマンションをドミナントで展開してホテルの宿泊料金を破壊する古くから那覇などで見られた形式です。違うのは日割りで売れる予約システムと無人チェックイン端末、ハウスキーピング機能と駆けつけ対応です。23㎡の客室は一人で使うには過不足なく、下がりつつある都心のワンルームマンションの日割り価格以下で泊まれることは宿泊業にとって脅威になります。日中のハウスキーピングを除いてホテルは無人で、スマホ決済の後カンボジアとのビデオ通話で本人確認をするとキーボックスが開きます。スマホを使いこなせない人にとっては悪夢ですが、部屋に入ってしまえば快適そのものです。客室機能で劣り価格の高いホテルは泊まる理由を失い、施設が新しいほど有利という不毛の時代に入るのかもしれません。

漂う地霊

琉球八社の一社である末吉宮に行きました。首里城にも近く、都市部にあるとは思えないうっそうとした森は一大聖地を形成してきたことが偲ばれます。1456年頃に創建され、本殿は沖縄戦の砲撃により破壊され、現在見られるのは1972年に復元された社殿と周囲に散在する、祭祀を行う御嶽や拝所とそれらを結ぶ石段です。琉球に古来伝わるアニミズム、祖霊崇拝のための神聖な森に立つと、ただならぬ気配がただよい、この地が古くから信仰の対象として崇められてきたことを感じます。商業空間として整備された首里城とは対照的に、超自然的なアニミズムの痕跡をたどることができます。観光地として整備された場所は何も訴えてきませんし、単なる視覚情報として右から左に消費されていきます。モノからコトへと言われガイドツアーも頻繁に行われるようになりましたが、何かを感じるためには他人の存在が邪魔になります。産業化、商業化以前に、観光資源と意識された瞬間に、その場所に漂う地霊を感じることはできなくなるのでしょう。

博物館では味わえないリアリティ

沖縄では家の門柱や屋根の上に見かける魔除けのシーサーですが、最も有名なのは現存最古にして最大とされる、八重瀬町にある富盛のシーサーでしょう。記録によると1689年に設置され、沖縄戦の最前線となり戦闘中の米軍兵士と写った写真が知られます。災厄から集落を護るシーサーが民家に置かれるようになったのは琉球瓦の使用が解禁された明治22年以降とされます。那覇市の隣の豊見城市にはそれ以前の古いシーサーが多く残ります。主要なものでも10か所ほどが見られ、昨日は散歩ついでにGoogleマップでこれらを巡りました。観光コンテンツの中心は歴史の痕跡をたどることだと思いますが、にわかフォトロゲイニングは魅力的です。2、300年前に造られたという田頭(たがみ)のシーサーは、二体ある頭部のみのシーサーですが、このシーサーに乗り上げた米軍戦車が、向きを変えたことで森に避難していた住民は難を逃れたという伝説が残ります。沖縄戦の生き証人を前にすると博物館では味わえないリアリティを感じます。

死んだ観光地

今の季節の那覇は歩くのに最適で、汗をかくことが少なく歩数計は4万歩を超えます。早朝に首里城や浦添城、瀬長島あたりまで歩き、午前中は県立図書館で調べものをして午後から仕事をするといったルーティンは生産性が高そうです。首里城には何度も足を運びましたが、有料エリアに足を踏み入れたことはありません。単にケチということもありますが、人が集まるメジャーな観光地には魅力を感じません。見世物となった商業空間に生命力を感じることはなく、その土地の社会的、歴史的、文化的、地域コミュニティから断絶した言わば死んだ観光地に思えます。いくら歴史や文化に忠実に作ろうともそこに心を動かされることはありません。首里城で一番好きな場所は首里城の地下に作られた第32軍司令部壕です。生い茂る木々に埋もれほとんど立ち寄る人もいない入口の鉄格子前に立つと神妙な気持ちになります。そこだけは今も生きていて過去とつながれる気がします。生活観光が魅力的なのも、生きた暮らしを体感し生命力を感じるからだと思います。

戦争を語らず学ばない

激しい地上戦が行われた那覇近郊には多くの戦跡があります。しかし新都心として再開発された安里五二高地(シュガーローフ)のように、案内板がなければそこが日米激突の最前線であったことを示すものはありません。この小さな丘が1週間にわたり米軍を撃退し続けたことは驚きです。GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによって、われわれは勇猛な先祖の話を伝承できていません。昨日は映画ハクソー・リッジで有名な前田高地(浦添城址)とその近くにある嘉数野戦病院壕跡に行きました。国道330号線拡張工事により、草木に覆われた金網のなかが病院壕跡であることを示すものはありません。近くには住民の避難壕として使われていたチヂフチャーガマなどがひっそりとたたずみます。ペリリューでもサイパンでも未だに機銃弾や戦闘車両、航空機の残骸が放置され戦争を生々しく伝えますが、日本では戦争の痕跡が消されそこから学ぼうとしません。戦争を語らず、祖先の苦労も知らずに平和が永久に続くとは思いません。

食欲は自分を欺く

昨日行った瀬長島は、那覇空港に隣接して海水浴場や温泉があります。便数が間引かれているようで着陸する飛行機は多くありません。夜は国際通りを歩きましたが、週末とあって久しぶりに活気を取り戻していて多少安心しました。特定のエリアに人が集まっている可能性もあり、中心部を離れると刺身三点盛り100円の看板を出しながら開店休業状態の店も見かけます。那覇の魅力は南国を思わせる鳥や植生に留まらず、どこか東南アジア的な猥雑さの雑踏で、日没以降も半そで半ズボンで歩ける気候が気分を盛り上げます。公設市場はプレハブになりましたが、昔ながらの商店街は価格が庶民的で、東京では見かけない郷土料理の総菜を見つける楽しみがあります。那覇に限らず最近外食に気が進まないのは、アウェイの環境で食べると食事に集中できないからです。嗅覚、視覚、聴覚、テキスト情報などにより刺激される食欲は自分を欺いていて、雑音が増えると自分の身体の欲求に忠実に食べることが難しくなると思います。

歴史の教訓を生かす時

中心部から那覇基地の滑走路まで直線距離なら2.数kmの那覇は、戦闘機を最も見る街です。ウクライナ情勢への警戒のためか日中はF15が繰り返し飛行し、夜になっても爆音を響かせます。戦争を知らない多くの日本人は、戦争が起こることを想像できませんが、起こるはずのないことが起こるのが今の時代だと思います。オーストリア・ハンガリー帝国の帝位継承者が暗殺されたとき、世界が戦禍に覆われると考えた人はいなかったでしょう。第二次世界大戦で確定した国境線の現状変更を狙う中国が侵攻し、北朝鮮が南下すれば、インドは中国国境に向かいミリタリーバランスの歪が大戦にならないとは言えません。プーチンが戦術核の使用と原発攻撃を明言したように地球に安全な場所はなくなります。かつてフランクリン・ルーズベルトは、世界的な事件は偶然起こるのではなく前もって仕組まれていた、と言いました。戦争と疫病が繰り返されてきた近代以降の歴史の教訓を生かし、物質文明を発展させる上で犠牲にしてきた調和に立ち返る時だと思います。

500円で体験する食文化

南国らしい鳥の声で目覚め日中は半そでで過ごせる那覇は好きな街です。ホテルから半径1km圏内で暮らすように滞在する生活観光にとって、地図なしで歩け変化に富む街は最適です。日帰りも含めてかなりの回数来ましたが、来るたびに那覇の中心部は野放図な商業主義の蔓延により醜いマンションやホテル、ファンシーな商店が街並みという文化を破壊し、南国らしい植生を含めてエキゾチシズムが失われていくように見えます。昨年よりも営業する商店が減り、風情のあった沖縄料理の店はPCRセンターになりました。長期滞在で困るのが食事で、キャンプ用のバーナーは持って来ていますが調理ができる環境ではなく専ら総菜を買います。どことなく東南アジアの市場を思わせる地場スーパーのフレッシュプラザユニオンや、昭和の雰囲気を残す太平通り商店街が好きで地元の人の食生活を想像します。国際通りから離れるほどディープかつ価格が安くなり、写真の総菜とお弁当は3点で500円ながら沖縄の食文化を体験できます。

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