夏山シーズンで外出の機会が増えると食事に困ります。ロードサイドの飲食店は身体に悪そうな食べ物が多く、何も食べないかせいぜいナッツを買うぐらいに落ち着きます。流通している食品は微生物の繁殖を防ぐ防腐剤が入り、外食店では調理器具の殺菌が過度に行われています。かつてサラリーマン時代は昼になれば義務的に惰性で食べていました。誰もが望むだけ栄養が摂れる飽食の時代は人類の夢でしたが、新たな問題をもたらしました。脳が欲するものと身体が必要とするものは違います。現代の経済はより高額でより大量に売れる脳への刺激を優先します。現代人は商品選択をしているようで、実は主体性なく無自覚に脳に操られ食べていると思います。
真夏の暑さの高尾山
今朝は高尾山に行きました。ハイカーは団扇で扇ぎながら喘ぐように登って行きます。先週末のラブラドールの熱中症の件もあり、エスケープルートのない北高尾をあきらめて南高尾ルートの17.14kmを歩きました。累積標高1,041m、消費カロリー915kcalと北高尾ルートの半分程度ですが、登り始めると汗が噴出し、服のままプールに落ちた感覚です。これほど汗をかくのも久しぶりで学生時代の夏合宿を思い出します。昨今スポーツ界の指導者の不祥事がクローズアップされますが、スポーツ界固有の問題とは思いません。スポーツが競技である以上そこには勝者と敗者が生まれヒエラルキー構造を作ります。こうした閉鎖環境の上下関係に不正の入り込む余地があると思います。下山後の楽しみは身体に悪いと思いながらもアイスクリームです。
大量高速輸送は善なのか
昨日は新幹線で新甲子温泉に行きました。日本唯一の新幹線停車駅を持つ村である西郷との間をこれほど往復しながら新幹線で行くのは初めてです。東京駅から1時間20分で着くとはいえ片道6,870円は多拠点居住の最大の障害で、車なら一人で行っても1,500円です。経済成長の象徴のような大量高速輸送がこれからの日本に必要とは思いません。世界最高の新幹線技術を誇らしく思う一方で、なぜ早く遠くに行く必要があるのか、進歩の概念自体に疑問を感じます。結局のところ技術革新は早く遠くへより多くという競争が背景にあり、それを体現するのが戦争です。人類史上これほど高速で人間が移動した時代はなく、生体リズムを狂わせるとぼくは考えています。
無自覚な労働
昨日の朝は通勤時間帯に大手町、丸の内に行きました。2年前まではよく通った地下街を同じような服を着たサラリーマンやOLが無表情に目当てのビルに向かいます。スターバックスにいると多くの人がテイクアウトしたコーヒーをもって足早にオフィスに向かいます。こうした日常を積み重ねた先に望む人生があるのでしょうか。たいした仕事が待っているわけでもないオフィスに毎朝行かなくてはならない不自由さは耐え難いものでした。働くことに生きがいを感じ、自覚的に働いている人は何割ぐらいいるのか考えてしまいます。「働き方」改革の議論は「働かせ方」改革の議論に終始していて主体性が感じられません。生きがいと才能は自分で引き出すしかないと今は思います。
豊かな暮らしとは無縁の嗜好品
昨日は青山に行きました。ポルシェは当たり前としてマイバッハやベントレーのクーペ、ロールスロイスのファントムなどの高級車をよく見かけます。これらの高級車は豊かさの象徴として、ハノイやジャカルタなど途上国の都市部でも、むしろ東京以上の頻度で見かけます。美しく磨かれた車に高そうな服を着て暮らしぶりの良さそうな人が乗る姿を見ると違和感を覚えます。豊かな暮らしという幻想と巧妙なプロモーションが生み出したニーズは虚構であり、人間性豊かな暮らしとは無縁の嗜好品にしか見えないのです。一方で青山のホンダで見た商用車のN-VANは欲しいと思いました。二人が車内に泊まれ、早朝から遠くの山に出かけることもできるし、これ1台があれば自分の生活が広がっていきそうです。幸せが足元にありながら、誘惑に満ちた現代社会で幸せな人生を送ることは簡単ではありません。
屋外活動に求められる慎重さ
山で熱中症になったラブラドールが病院から帰ってきました。尿が赤みがかっていたのは熱中症と脱水により筋細胞内の成分が血中に流出したことによるそうです。平ヶ岳への稜線が岩山と砂礫だった為に肉球には火傷を負っていました。都会のアスファルトは昼間歩かないようにしていたのですが、涼を求めて行くはずの山でも状況は同じです。人が鎖なしには登れない数メートルの岩壁を登る高い運動能力と、30km程度の山道なら問題なく走れるラブラドールの体力を過信した結果です。ぼくが初めてリタイアした一昨年のハセツネカップ日本山岳耐久レースも気温上昇と高い湿度を読み誤った為ですが、夏場の屋外活動にはより慎重な計画が求められることを痛感する週末でした。
夏場のスポーツのあり方
日が落ちると20度を切る新甲子温泉で過ごし、昨夜は熱中症で立つのもやっとだったラブラドールは元気を取り戻しました。念のため動物病院に預け経過観察をしてもらいます。平ヶ岳からの最後の数kmの下山道を倒れながらも必死について来てくれたこと、清流で体を十分に冷やせたこと、清流から駐車場までがわずか数百mだったことなど幸運が重なり事なきを得ました。日が昇りきらない早朝に出発すれば、後半は下りだから大丈夫と熱中症リスクを過小評価していました。毛皮を着て、発汗による冷却ができず、地表温度をまともに受けてしまう犬に対する見積もりの甘さは否めません。もはや人が健全な生活を送れない暑さの日本では、オリンピックへの心配もさることながら、夏場のスポーツのあり方を見直す必要があると思います。
幻の山は足慣らしの山だった
今日は新潟県と群馬県の境界にある日本百名山、平ヶ岳(2,141m)に登りました。新甲子温泉の明け方の気温は15度と肌寒いほどでよく眠れました。平ヶ岳は東京からのアクセスが悪く、かつ往復23km、累積標高1,820mあり宿泊場所がなく日帰りをしなくてはならない幻の山です。トレイルランニングを始める前の23kmは覚悟が必要な距離ですが、トレイルランナーにとっては足慣らしの山です。しかしさすがに気温が高く、同行したラブラドールは熱中症になってしまい、下山後清流で20分ほど全身を冷やしていました。
正規雇用は理想?
今朝は旅館の仕事で新甲子温泉に来ました。複数の仕事を同時並行で進める今の働き方は性に合っていて、毎日同じ時間に同じ場所で同じ仕事をしていたときよりも意欲的になれます。コンサルタントや旅館の事業、教員と仕事のモードが変わることで刺激が維持されてそれぞれに集中できます。プロとしての最低条件は仕事に品質基準を持つことだと思います。兼任教員の仕事は15年以上していますが、昔は専任ではないからこの辺でいいや、と線引きをして仕事をつまらないものにしていたと思います。皮肉なことに正規雇用で働いていたときよりも今の方が仕事にやりがいを感じます。正規雇用は依存と惰性を生み、必ずしも仕事の質の担保にならず、正規雇用のみを理想視する風潮には疑問を感じます。
人事評価の限界
今日は日本工学院の夏休み前の最後の授業です。多聞にもれず日本工学院でも何割かの学生は授業中に寝ています。寝る原因は自分にもあるという負い目もあって授業の進行を妨げない限り注意はしません(なるべく当てるようにはします)。1割が何かに気づいて意欲的になればよいと割り切りますが、そこにも葛藤が生じます。成績をつける段階になると、個々人の才能を引き出すべき教員が一律基準で学生を格付けする矛盾に悩み、一方で評価基準を個別化すると管理が困難で合理性を欠きます。企業の人事評価も同じで、社員の才能を引き出せないことを棚上げして人を評価するやり方はそろそろ限界だと思います。