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無慈悲な客と本音の言えない組織

昨日は大手が開発した那覇のホテルに消去法で泊まりました。ここに限った話ではありませんが、詰めの甘さ、安っぽさ、一貫性のなさ、こだわりのなさ、使いにくさ、卓越性のなさ、的外れな訴求点とすべてが時代遅れに見えます。センスに欠ける造形、スマートさとは無縁のサービス、標準化の遅れ、無駄が無駄を生むオペレーション、中途半端な価格、効果を生まない過剰投資など、ターゲット不在の一方的な思い込みだけで作られていて、よくこれほど悪口が思い浮かぶとあきれるほど粗相ばかりが目立ちます。抜け目なく稼ぐことで有名な某ホテル企業の方がまだ諦めがつきます。以前の大手企業は市場への露出機会が強みでしたが、無慈悲な客の評価によって露出頻度が決まる時代に、本音が言えない集団意思決定では商品にまとまりがなく、微細な点にこだわることもできません。もっともインバウンドが堅調すぎるほど増加している那覇では、誰がどうやっても部屋は埋まるのですけど。

東京発想の未来

初夏を感じさせる那覇市にいると肌寒い3月の東京とは思考モードが変わります。エキゾチックな植物や鳥を見かける30万都市には気持ちのよい風が通ります。肩の力が抜けて自分を偽らずに自然体で生きていけそうです。煩わしいことがどうでもよくなり、人は生きたいと思えることのために生きるのだ、というシンプルな発想が頭を整理してくれます。国連が公表した国別の幸福度ランキング2019年版によると、日本は156カ国中58位で昨年の54位から順位を下げました。米国の19位、中国の93位も記憶では順位を下げたはずです。これらの国に共通するイメージは拝金主義です。誰がやってもろくなことになりませんから安倍政権を批判するつもりもありませんけど、東京発想のこの国はどんな未来を目指しているのでしょうか。

国防と戦争の境界

那覇は早くも初夏の風情で、首里城に続く古い石畳を登ると半袖でも汗が吹き出します。沖縄に来ると戦争について考えさせられます。20万人以上が犠牲となった地上戦ばかりでなく、海の犠牲者も少なくありません。学童疎開船対馬丸の悲劇は有名ですが、一般の沖縄県民が乗船して撃沈された戦時遭難船舶が26隻に及ぶことを知りました。こうした史実と向き合うとき、とても戦争を肯定する気にはなれません。一方でその根拠は何であれ、隙きあらば国境線を書き換えようとする隣国がいることも事実です。訪日観光客で溢れる首里城の上空を飛ぶF15を見ると、国防と戦争の曖昧な境界について考えさせられます。

NO WORK, NO LIFE

今朝は南国らしい鳥の声と甘い花の香りが清々しい那覇に来ました。一応仕事です、と言いたいところですが第一の目的は花粉症から逃れることです。しかし事業のための調査も兼ねています。今は「仕事」の概念が曖昧でプライベートと分離できませんしする必要もありません。以前なら一定精度の事業収支計画を立てましたが、今は多少の現地調査と自分の直感だけで収支計算は暗算できる範囲ですから投資判断はすぐに出ます。かつて好きなことを仕事にするノウハウ本がもてはやされましたが、この手の本が役に立たないのは、好きなことがあたかも仕事になるかのような幻想でミスリードするからです。好きなことに市場価値があるとは限らないのですがその点に関しては楽観的です。サラリーマン時代は市場に訴求する価値ばかり考えてきました。仕事と暮らしの垣根が消えた今は、そこに好きという要素を加えることができます。

中庸の難しさ

昨日は娘の高校の研究発表会に行きました。多くの生徒が仕事以前に自分らしさを表現でき、人を幸せにできる生き方を目指していることが印象的です。幸せの形を追求すると中庸に行き着くと思います。中庸が示す偏らない平常こそが幸せの本質だと思います。プライベートジェットから拘置所へ行ったカルロス・ゴーンや、絢爛豪華な王宮生活から最期は寒空の下で銃殺されるルーマニアのチャウシェスクのような教訓に真実があるのは、それが偏った非常だからです。飽和した消費社会が生み出す一見豪華なステレオタイプの幻想は歯止めの効かない退廃に通じます。安楽で豪華な生活が狂気なら、上昇志向を煽る典型的なサラリーマンの生活も中庸とは程遠いと思います。一方で世俗を絶つことにも偏りがあり、中庸の言わんとするところはバランスを保つことの難しさだと思います。

仕事そのものが人生

耳にする機会は減りましたがワークライフバランスという言葉には違和感を覚えます。その意図するところはワーク=苦、ライフ=楽のバランスを取る、仕事性悪説にあると思います。日本人のメンタリティは公私混同を嫌いますが、時短の議論はみなし残業など仕事とプライベートの明確な線引きを要求します。日本の生産性が低い理由は公私を明確に分け現役時代の大半を仕事に捧げる滅私奉公という過去の亡霊にあり、それが仕事嫌いを増やしたからだと思います。働くことが義務であるからそこには好き嫌いの選択余地はなく、一方働くことが権利行使になり、感覚の近い人と、共感できる仕事をすれば仕事そのものが人生になり、公私も苦楽も融合していくと思います。問題は多くの企業がこのパラダイムシフトに適応できないことです。

昔は優れていた

飛行機に乗るとき新しい機体だと安心しますが、5ヶ月間に2機が墜落した737MAX型機や日本でのエアバス機の墜落などハイテク制御された最新鋭機こそ危険が潜んでいます。最新が最良と人は考えますが、不便で完成度の低い商品が市場には溢れています。商品に限らず、最新の研究、文化、そしてわれわれの肉体や頭脳についても同じことが言えます。突如絶滅したネアンデルタール人の方が現代人より優れた能力を持つと指摘する研究者もいますが、旧石器時代の人類は現代人が失った高い身体能力を持っていたと思います。学術研究の世界においても、近代的なエビデンスなどというシュガーコーティングがされても、その本質は古代ギリシャにおける哲学者の洞察力には遠く及ばないと思います。

自分は死なない

昨日は中学の同級生と会いました。同級生特有の感覚なのか、フェイスブックが関係を維持するためか、30年ぶりぐらいなのに時の隔たりを感じません。昔の友人に会うと当時の記憶が混在して自分の生きた時間感覚が曖昧になります。歳を重ねるほど歳をとる感覚が希薄になり、自分の年齢を客観的に捉えることができません。40代に入った頃はもう人生の半分を生きてしまったと衝撃を受けたものですが、それから10数年経つ今もまだ人生が半分残っていると思います。100歳を過ぎても数年先まで予定を入れていた日野原医師のように、人は心の奥底では自分は死なないと思っているのかもしれません。

気の交差する場所

昨日の朝はラブラドールと入れる駒沢公園近くのカフェに行きました。将来ビジョンを明確に語る友人と会うと元気をもらえます。旧来の企業組織に限界を感じるのは、会っていて元気を貰える人より、ネガティブな話で気分が滅入る人が多いことです。シェアリングエコノミーの最大の焦点は人の持つ力のシェアリングなのに、パッションを発散する人が少ない企業組織は相乗効果を力に変えることができずに、生気を奪われる場所になっています。リスクを取るからこそ追い詰められ、好きなことをするからこそ情熱的になれるはずです。「気」のようなうまく説明できない根源的なエネルギーを日本人は大切にしてきたはずですが、今の企業組織は「気」の交差する魅力的な場所ではなくなっていると思うのです。

成功事例の復讐

地方創生の動きが盛んですがどこも似た手法に見えます。答えを求める教育スタイルの影響なのか、欧米の模倣で成長した成功体験のためか日本人は成功事例が好きだと思います。偶然の連続に過ぎない他人の成功などほとんど参考にならないのに、成功事例を求め思考を放棄します。人の成功を羨望し、背景や環境の違いは考慮に入れず自分達も同じ方法で成功できると考えているので、多くの場合思いつきで運任せです。欧米は失敗事例にセオリーを探ろうと研究対象にしますが、手痛い目にあった太平洋戦争から日本は学びません。外資系企業にいたときに感じたのは再発防止を徹底する姿勢です。日本企業は「起きたことはしょうがない」と犯人探しにつながる原因究明を好まない印象があります。失敗に学ばず他人の成功に目を奪われ、そして儚い成功に酔い成功に復讐される愚を今も繰り返していると思います。

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