水を控えるだけで長年の胃の不調が回復して食事が美味しくなりました。食事が美味しいのは最初の1口目だけという事実を大半の人は知りながら、その刹那的瞬間のために労を厭いません。コース料理で美味しいのは前菜だけでその後の料理はあまり美味しくありません。真夏に飲む冷えたビールの最初の一口はお酒を飲まない自分でも美味しく感じますが、それ以降は惰性で飲んでいるだけです。人は食欲を単純なものとみなしただ満たそうとしますが、食欲にはムラがあるという重要な性質を見落としています。過食を続けると満腹中枢が機能しなくなり、脳の低血糖状態である空腹感が中毒症状を引き起こし食源病になります。静かに自分の内面を観察すれば過食を止めることはできますが、世に氾濫するグルメ情報や企業のプロモーション、便利すぎる生活がそれをかき消すと思います。
戦争責任の帰趨
昨日は靖国神社に寄りました。靖国神社に来る日はいつも快晴ですが、ここを特別な場所にしているのは参拝者が作り出す独特の雰囲気だと思います。インバウンドであふれる明治神宮とは異なり、白百合学園の関係者なのか申し合わせたような濃紺スーツの女性が集まり、戦中世代の白髪の男性が深々と頭を下げて境内に入って行く空気は、日本人から見ても特別な場所です。決して広大ではない神社の裏手には都心とはにわかには信じがたい、巨木の森があり英霊が帰るにふさわしい厳かさがあります。遊就館の零戦のエンジンは今にも息を吹き返しそうで、戦争を遠い記憶にしてはいけないことを戒めているようです。戦犯合祀が外交問題になりますが、ヒトラーのような個人に戦争責任を押し付けられない日本固有の問題なのかもしれません。
市場細分化の罠
自宅最寄りの快速しか止まらない京王線の駅で待っていると、団子状態の3本の列車が通過していきます。準特急や区間急行というどこに停車するのか不可解な列車に続いて混雑時に迷惑な全席指定の京王ライナーが呑気に続きます。「もっと便利な毎日へ」という標語を額面通り受け取ることはできません。ノロノロ運転をするぐらいならハブ&スポーク理論に従って、ハブを結ぶ特急とスポークの各駅停車だけでよいはずですが今や列車の種類は7種類以上あります。不慣れなインバウンドでなくても、どれに乗ればよいのか分かりません。沿線人口の増加に期待できず目新しさにすがりたい気持ちも分かりますが、これは市場細分化の罠です。牛丼一筋をだいぶ昔に放棄した吉野家も「ライザップ牛サラダ」を出すご時世ですが、本質の大切さを見失っているように見えます。
夢を失う世界
日本は総じて不幸の少ない国ですが、目をそむけたくなる凄惨な事件と向き合わないことはできません。運が悪かったでは済ますことのできない悲劇は世の必然なのでしょうか。自分の不幸を社会の責任に転嫁するのは簡単です。やりたいことがあればどのような境遇でも人生は充たされますが、幸せな生活を復讐対象にする人間はどこにも存在します。社会が方向感を失った現代は夢の持ちにくい時代かもしれません。経済成長の時にはシミュレーテッド・リアリティだったにしてもアメリカンドリームのような夢を社会が共有することができました。経済成長と新興宗教はセットとされるように、そこに取り残された人を宗教が救ってきましたが、現代の日本はそのどちらも力を失っています。
現場力を失う大企業病
時々使う某航空会社はいつも遅れる飛行機というイメージがあります。遅延理由を羽田空港混雑の為と言いますがそれは本質的な理由ではないと思います。定時発着率の高い別の航空会社は窓側席の乗客から乗せて満席でも人の流れはスムーズですが、この会社は親会社の優先搭乗方式を踏襲します。搭乗機までバスを使う場合でも同じ搭乗方式のために、機内への搭乗順序が逆になり機内は混乱しますがお構いなしです。機内でもその印象は同じで、飲み物を回収する袋を持ち何度も通るCAはこちらが容器を返そうとしても気づきません。現場に改善力がなく漫然としたルーチンワークの惰性に陥る会社は、大小に関係なく大企業病です。写真はバスから見たトランプ氏の乗ってきたエアフォースワンで本文とは関係ありません。
復活する?運動会
全国が猛暑日に見舞われた昨日は娘の高校の運動会に行きました。爽やかとは程遠い酷暑の気候は、もはや5月の東京で運動会をやることを難しくしています。遮るもののない校庭には真夏の日差しが降り注ぎ、救護室は熱中症の対応に追われ担架で運ばれる生徒もいます。昔ながらのリレー競技は今でも人気者ですが、ハイライトはここでもダンスです。運動会というと徒競走の順位も決めないなど、年々ひ弱になっていく印象でしたが、騎馬戦や棒倒しといった暴力行為に発展しかねない危険な伝統競技は今も健在です。本気でぶつかる若者の姿には清々しさを感じます。建前ばかりが渦巻く企業が運動会を復活させたくなる気持ちが分かります。
巨大な鬼城
令和最初の国賓として日本を訪れるトランプ米大統領が、深遠な道筋を考えているのかアメリカ・ファーストの頑固者なのか分かりません。世界を巻き込み始めた米中経済戦争が抜き差しならない局面に入った時期の来日は歴史の転換点かもしれません。先日訪れた人口1,450万人の深圳市を見ると中国の発展は驚異的です。一方で中国は深刻な社会矛盾を抱えたままの強引な成長と、リーマンショック後のモラトリアムのつけがまわり、プラザ合意と人口オーナスの影響が日本を苦しめたように、人類史上最大のバブルが中国で崩壊するとの指摘もあります。ファーウェイ包囲網などが経済崩壊の引き金を引けば未来都市深圳さえ巨大な鬼城にならないとも限りません。日本も中国も持続不可能な政治を続ける点では同じですが、より人災に近いのは後者です。
美味しい食事ではなく、食事が美味しい
多くの人が健康問題で頭を悩ます原因はそのゴールの曖昧さだと思います。健康のゴールは単純に快眠、快食、快便です。そのために必要なこともシンプルで早起き早寝、少食、運動です。これが実行できない理由も簡単で、脳に身体を操られているからです。その典型が「美味しい食事」という誘惑でしょう。グルメを自認する人は「食事」を追いかけますが、重要なことは食事が美味しいことです。食事は目的なのか手段なのかという命題に気づいたきっかけは糖質制限でした。空腹には二種類がありその違いは、脳の低血糖状態に対する欲求か否かです。この違いが分かると脳の欲求をやり過ごすことができ少食もダイエットも思いのままになります。それでも不健康が蔓延するのは単にヘルスリテラシーが不足しているからだと思います。
食べる執着をなくす
日本工学院に行く日は一日一食の間欠的断食(Intermittent Fasting)をします。健康面から見ると現代人は3割ほど多く食べ過ぎているとの指摘がありますが、食事を3割減らすことは困難です。複数の宗教が断食を奨励するように、食べる日と食べない日を作ることは現実的な解決策になります。間欠的断食の魅力は食べることも食べない静かな時間も楽しめる点です。食べないことのメリットは血糖値スパイクを招かないことやミトコンドリアが活性化されること、長寿遺伝子がオンになるなどがあげられます。他方で人体は糖新生やケトン体産生により低血糖になることもありません。食べない時間をはさむことで食べることを再考します。食べることへの執着をなくすことこそが食べることの喜びを見出す秘訣だと思います。
巨大なミッシングリンク
娘の同級生が連休にヒッチハイクで東北を旅行したという話を聞いたとき、「最近の子供でもそんなことをするんだ」と思いましたが、それこそシェアリングエコノミーです。時代は巡るのか温故知新なのか世の中は方向感を失ったようです。高校生の娘は自分が10代の頃のユーミンやカーペンターズを知っていて、時間が戻った感覚を覚えます。われわれは無意識に時間には一定の方向性があると考えますが、まだ気づいていない時間の断絶があると思います。700万年に及ぶ人類系統樹の時間軸から考えると、われわれが知るたかだか2000年の歴史など一瞬の点に過ぎません。現代人だけが人類史上唯一高度文明を築いたことは奇跡で、そこには巨大なミッシングリンクがあると思います。